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文化逍遥。

良質な文化の紹介。

2025年日本映画『港に灯がともる』

2025年01月28日 | 映画
 1/23(木)千葉劇場にて。英題『 THE HARBOR LIGHTS』。監督は安達もじり。出演は、富田望生、伊藤万理華、青木柚、山之内すず、麻生祐未、甲本雅裕、他。

 阪神淡路大震災から今年で30年。その間にも、東日本大震災、熊本地震、そして昨年の能登半島地震、と大規模災害が起こっている。30年の歳月の中で、国そして全ての生活する人々は阪神淡路大震災の教訓をに生かしていない、そう思わざるを得ない。同じ悲劇が繰り返されている。予想される、南海トラフ巨大地震に襲われたとき、おそらく、首都圏など都市部は壊滅し機能不全におちいることだろう。そして、この映画で取り上げられたような、心が崩壊する人が多く出るだろう。混乱の中で破壊行為が多発し、無法地帯化することにもなりかねない。今からでも、災害に耐えうる都市の構築と、災害時の心構えを日頃から話し合える場を設ける必要がある。


 主人公の灯(あかり)は、外出時には必ず大きいヘッドホンをつけ、まるで外の世界を拒絶しているかのようだ。が、神戸の人々との対話の中で、人の温かさに触れ、表情は徐々に明るくなってゆく・・。映画のエンドロールの前、最終場面・・主題歌が流れる中一人たたずみ、やがて街を歩き出す灯、その時も尚ヘッドホンは外せない姿が映し出される。その灯を演じた富田望生(みう)という女優さんが好演している。わたしの知らない俳優さんだったが、調べてみると、福島出身の24歳ということで東日本大震災に遭遇しているらしい。映画は神戸が舞台なので、当然関西弁のセリフがほとんど。その上で、うつ状態に苦しむ状態から緩解に近づく主人公の表情をこなしており、感心させられた。おそらく、かなりな撮り直しの上で完成させられた作品だろう。この作品の主題歌「ちょっと話を聞いて」で作詞も担当しているようで、多彩な才能を持った人のようだ。けっして美人ではないが、アイドル上がりの女優さんには出来ない演技力が認められる。これからも、地道にコツコツと活動してもらいたい。

以下は、千葉劇場のHPより引用。

『「港に灯がともる」
1995年の震災で多くの家屋が焼失し、一面焼け野原となった神戸・長田。かつてそこに暮らしていた在日コリアン家族の下に生まれた灯(あかり)。在日の自覚は薄く、被災の記憶もない灯は、父や母からこぼれる家族の歴史や震災当時の話が遠いものに感じられ、どこか孤独と苛立ちを募らせている。一方、父は家族との衝突が絶えず、家にはいつも冷たい空気が流れていた。ある日、親戚の集まりで起きた口論によって、気持ちが昂り「全部しんどい」と吐き出す灯。そして、姉・美悠が持ち出した日本への帰化をめぐり、家族はさらに傾いていく。なぜこの家族のもとに生まれてきたのか。家族とわたし、国籍とわたし。わたしはいったいどうしたいのだろう―。(2025年製作/119分/G/日本)』

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ストラトキャスター改造

2025年01月21日 | 音楽
 手持ちのシェクター(SCHECTER)のストラトキャスター「 L-A-ST-AL/R」を改造。音質的なことは、あまり気にせずに、弾きやすさと軽さに重点を置いて、新たにピックガードを用意して、自分で作ってみた。


 これが元の状態。写真を撮り忘れたので、購入した島村楽器さんのHPから同型のギターの写真を拝借、すみません。これ、見た目は普通のストラトだが、実は、かなり標準的なフェンダーのものとは異なっている。一番の特徴は、ボディ内部がホロウ構造になっていることで、軽量。さらにトーンは、全てのピックアップに効いており、上が高音カット、下が低音域のカットになっている。ピックアップはフロントとミドルがセイモア・ダンカンのSSL1、リアピックアップはやはりダンカンのSTK-S10Bというスタック構造のハムバッカー。ミドルとのハーフトーンではタップ配線でシングルアウトする。なかなかに使いやすく、音質的にも気に入っていた。が、わたしは、ピックを使わず、指で弾くので、どうしてもピックアップに指が当たる。慣れればさほど気にならないが、やはり、ストレスのない状態でプレイ出来るのが望ましい。と、いうわけで、リアピックアップのみのオリジナリティーに富んだストラト?に変身させた。


 ボディ材はアルダー。内部はご覧の様に、かなり空洞になっている。元の状態でも3㎏ほどの重さで、標準的なストラトキャスターよりかなり軽い。


 サウンドハウスで穴が空いていないストラト用のピックガードを購入して、ホビー用の工作機械で加工した。たまたま、この白いガードの在庫が余っていたのか、安く売りだされていて他の色の半値ほど、2000円弱で買えた。リペアマンのようにきれいには仕上がらないが、多少雑なところは目をつむり、節約して自分でやるのも悪くない。取りあえず、これで完成。重さは2.7㎏に減少。腰痛持ちにはありがたい。ノッペリした感じだが、指弾きではかなり弾きやすくなった。コントロールも今のところヴォリュームのみ。シングルコイルなのでトーンが欲しいところだが、とにかく配線をシンプルにして ピックアップそのものの音をストレートにアンプに通したい気持ちもあり、考慮中。現状ピックアップは、まろやかな音質のディマジオDP175がついている。


 全体では、こんな感じ。ギターから受ける印象が大分変わった。自分では悪くないように思うが、どうだろう。

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わたしのレコード棚ーブルース169-Lee Jackson

2025年01月14日 | わたしのレコード棚
 リー・ジャクソン(Lee Jackson)は、ウィキペディアによると、1921年8月18日アーカンソー州Lee Countyの生まれで、亡くなったのは1979年7月1日シカゴ。家族間の争いに巻き込めれ凶弾に倒れた、という。ただ、下のLP『シカゴブルースの25年』内の解説では、1907年セントルイス生まれ、となっている。1907年説を取ると、マディ・ウォータースなどより年上になってしまう。音楽的には、田舎臭さを感じさせない都市のものなので、やはりウィキペディアの1921年説を取っておこう。本名は、Warren George Harding Leeらしい。ギター・ヴォーカルの他に、作曲、ベースもこなした。
 日本ではあまり知られておらず、聴くことができる音源も限られている。が、バックを務めたものを含めると、残された録音は少なくないらしい。ウィキペディアが挙げている共演したミュージシャンを列記しておくと、 Johnny Shines, Willie Dixon, Jimmy Reed, J. B. Hutto, Sunnyland Slim, Lacy Gibson, Little Walter、など。

 第二次大戦後のシカゴで、かなり活動していた人のようだ。彼の残した録音の中で、1970年ドイツのフランクフルトでのライブを聴いた時「これこそがシカゴのギターリストの音なのではないか」と、なぜか感じた。南部から出てきた黒人たちが都市に移動して作り上げた音楽の中で、最も安定していた時期のブルース、そんな気がする。エレキギターの音も、自然でストレート、聞き心地が良く心に響く。シカゴブルースがロックに繋がる一歩前、素朴さを残した音楽。個人的に「こんな音がだせたらいいな」と、エレキギターのセッティングの際に指標にしているギタリストの一人だ。



P-ヴァインの3枚組LPレコード『シカゴブルースの25年』PLP-9022~9024。オムニバス・レコードで、この中に2曲ジャクソンのヴォーカル・ギターを収録。R&Bに近い音作りになっている。シカゴでの録音だろうが、録音データの記載は無く、メンバーや録音年などの詳細は不詳。声が若いようなので、1950年代の録音か。

LP内の解説に載っている写真。P- 90を搭載したレスポールを左で弾くように構えているが、下のLP内の写真では右で弾いている。あるいは、ネガを裏で、逆にプリントしたのかも。


 1970年11月16日、ドイツ(当時の西ドイツ)のフランクフルトで「American Folk Blues Festival」と銘打って行われたライブを収録した2枚組LPで、ドイツのL+R(Lippmann & Rau)というレーベルの42.021。名盤。



 ジャケットの内の写真。上段左から右に、Willie Dixon、Bukka Whiteが2枚、Sonny Terry、Brownie McGhee。下段左から右に、Shakey Horton(ハーモニカ)、Champion Jack Dupree、そしてLee Jackson(ギター)、Lafayette Leak(ピアノ)、Clifton James(ドラムス)。

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千葉公園の鳥2025/1/1

2025年01月07日 | バードウォチング
 元日は人が少ないので、自宅近くの千葉公園の綿打池に飛来している鳥を撮影している。越冬のためにシベリア方面から渡って来るカモの仲間が多い。


綿打池。結構広く、江戸時代はこの池の水を農業用水に使っていたために、その帰属をめぐって地域間の争いがあったとも聞いている。


カモ類が多い。ずんぐりむっくり、とした体形で、よく遠い距離を飛翔してここまで来るな、といつも感心している。途中で、力尽きて死ぬものも少なくないに違いない。猛禽類などの天敵もいるだろうし、彼らにしてみれば、決死の飛行なのだ。


カモの仲間で「キンクハジロ」のメス。


こちらは同じくオス。頭の後ろにある飾り羽が特徴で、色彩もメスより鮮やか。全体に鳥はオスの方が色鮮やかで、これはメスを引き付けるため、と言われている。


こちらもカモの仲間。小さかったので小鴨だろうか。


二匹のサギ。右側がアオサギで、この公園で見られるもっとも大型の鳥、と言われている。左の白い方はチュウサギだろうか。鋭い嘴(くちばし)で小魚などを捕食する。


ユリカモメ。


こちらもユリカモメかな?背中が黒くてちょっと大きめなので、セグロカモメのようにも見えるが、セグロカモメは嘴が黄色のはずなので、やっぱりユリカモメかな・・ちょっと見分けがつかない。

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2022年スペイン・イタリア合作映画『太陽と桃の歌』

2024年12月31日 | 映画
 12/28(土)千葉劇場にて。監督はカルラ・シモン。出演ジュゼップ・アバット、ジョルディ・ プジョル・ ドルセ、 アンナ・ オティン。

 スペイン北東部のカタルーニャ地方は、独特の文化を持ち、言葉もスペイン語とはかなり違うようで、土地の人は「カタルーニャ語」と呼んでいるらしい。確か、独立機運も盛んで、以前地方議会では独立に向けた採択がなされたように記憶している。また、ジョージ・オーウェルの『カタルーニャ讃歌』に描かれたスペイン内戦時の激戦地でもある。イギリスの映画監督ケン・ローチの1995年公開作品『大地と自由』(Land and Freedom)にも取り上げられていた。そんなカタルーニャの田舎を舞台にした映像を観たくなって足を運んだ。バルセロナの様な都市部ではなく、一面に農地が広がる大地が画面いっぱいに映し出され、その中で生き、時代に翻弄される老若男女が描き出される。2時間ほどの作品で、途中、少し疲れも感じたが、土に根差して生きる人々を描いた秀作。



閑話休題ーかなり以前だが、仕事で知り合った人がカタルーニャに赴任していたことがあり、その人からおもしろい話を聞いたことがある。まだフランコ政権の時代だった、と言っていたから1970年頃のことだろう。カタルーニャの地方の駅で列車に乗ろうとした時のこと。時刻表がないので、駅に居合わせた人に「列車はいつ頃来ますか」と訊いたところ「すぐ来るよ」との答え。ところが、実際に列車が来たのは、それから2時間後だったという。そして、乗車しようと思った時、先ほど訊いた人が近づいてきて一言「な、すぐ来たろ」と言った、という。ホントかねえ。かなり大きな会社の管理職だったひとなので、誇張はあるかもしれないが、そんなこともあったのだろう。何気ない話だが、その地方の文化が垣間見える。


 以下は、千葉劇場のホームページより引用。
『2017年の長編デビュー作「悲しみに、こんにちは」で世界的に高く評価されたスペインのカルラ・シモン監督が、カタルーニャで桃農園を営む大家族の最後の夏を描く。カタルーニャで、三世代に渡る大家族で桃農園を営むソレ家。例年通り収穫を迎えようとした時、地主から夏の終わりに土地を明け渡すよう迫られる。桃の木を伐採して、代わりにソーラーパネルを敷き詰めるというのだ。父親は激怒するが、妻と妹夫婦はパネルの管理をすれば「楽に稼げる」という囁きに心を動かされていく。賭け事に懸ける祖父、取り付く島のない父、畑の片隅で大麻栽培を始める長男など、てんでバラバラに桃園の危機を何とかしようとするが、大げんかが勃発。一家に大きな亀裂が入ったまま最後の収穫が始まろうとしていた…。第72回ベルリン国際映画祭コンペティション部門金熊賞受賞。』

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わたしのレコード棚ーブルース168 Henry Gray

2024年12月24日 | わたしのレコード棚
 1998年8月15日、東京は有楽町の国際フォーラムホールB。来日した「Legends Of Chicago Blues All Stars」の一員としてピアノを担当したヘンリー・グレイ(Henry Gray)の演奏を、わたしは最前列で聞いていた。コアなブルース・ファンから「グレイの演奏はいいぞ」との声を聞いてはいたが、はっきり言って圧倒された。1925年1月19日ルイジアナ州ケナー(Kenner)の生まれなので、来日時73歳だったが、肩の力を抜いて鍵盤に触っているだけの様に見えたにもかかわらず、ピアノは目一杯鳴っていた。名人とはそういうものなのかもしれない。亡くなったのは、2020年2月17日同州バトンルージュ、95歳だった。晩年までルイジアナで演奏を続けていた、という。驚異的な、持続力だ。
 ちなみに、「Legends Of Chicago Blues All Stars」というのは、ハウリン・ウルフのバンドに所属したことのあるミュージシャンを集めて来日のために編成されたらしい。ギターとヴォーカルは主にヒューバート・サムリンだった。グレイの他に、リズムのドラムスとベースが印象に残った。明らかに、ロックとは違うリズムのアクセントで、これこそがブルースのリズムだ、と思った。少しネットで検索してみたが、残念ながらメンバーの詳しいことは分からなかった。



 STORYVILLEレーベルのCD『The Blues Of Cousin Joe & Henry Gray』STCD8053。やはりピアニストだったカズン・ジョーのブルースを、1984年8月にニューオリンズでグレイがピアノ・ヴォーカル単独で録音した18曲を収録。ニューオリンズのリズムのノリで、たっぷりとピアノとヴォーカルを聴ける。グレイは、かなり録音を残しているが、現在では入手が難しくなっている。残念だ。


こちらは、ネットから検索して拝借した写真。2010年の撮影という。わたしが聴いた時の印象よりも、ふくよかになった感じ。

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わたしのレコード棚ーブルース167 Frank Floyd

2024年12月17日 | わたしのレコード棚
 フランク・フロイド(Frank Floyd)は、1908年10月11日にミシシッピー州Toccopola生まれの、白人ブルースマン。亡くなったのは、1984年8月7日オハイオ州Blanchesterだった。

 一般的な認識として、ブルースは、奴隷として連れてこられた黒人達がアフリカ起源の音楽を基にアメリカで生まれたたもの、ということだろう。が、ごく初期に録音されたブルースを聴くと、マウンテンミュージックと言われるようなアイルランド移民が持ち込んだ音楽にかなり近いものを感じる。わたし個人としては、アフリカ起源の音楽とアイルランド起源の音楽が相互に影響し合って生まれた、と認識している。その後枝分かれし、一方はブルースに、もう一方はジミー・ロジャースを代表とするヒルビリーと呼ばれるような音楽になりカントリーソングやフォークソングになってゆく。
 ブルース好きな人と話していると、時にカントリー音楽を揶揄する人もいる。が、個人的には認識の誤りを感じるし、歴史的な録音を聴いていないな、とも感じる。ルイジアナ出身の黒人ブルースマン、ヒューディー・レッドベターなどは、「Goodnight Irene」の様なマウンテンミュージックに近いレパートリーを持っていた人だったのだ。


 Memphis International RecordsというレーベルのCD『The Missing Link』DOT0201。この人は、別名「ハーモニカ・フランク Harmonica Frank」とも呼ばれ、ヴォーカル・ギターだけでなくハーモニカ演奏にも長けた人だった。

 今の感覚からいうと、ブルースよりも民衆の音楽という意味でのフォーク・ソングに近く、ウッディ・ガスリーを彷彿とさせる曲もある。多くは自作曲で、1979年5月頃のメンフィスでのライブやスタジオでの録音を編集して、17曲を収録している。バラッド( ballads)と呼ばれる物語性を持った曲もある。日本民謡の「口説き節(くどきぶし)」にあたるが、現代の音楽に比べて、とても言葉が豊かだなあ、と感じる。
 「ミッシング・リンク Missing Link」というのは聞きなれない言葉だ。少し調べてみたところ、連鎖しているはずの部分が欠如していること、らしく、遺伝学などで使われるらしい。あるいは、音楽の歴史を知る上で当然存在しているはずのものなのに、欠けているかのように知られずに来たミュージシャン、という思いが込められているのかもしれない。「ブルースは黒人のもの」という先入観なしに聴いてみたい録音である。

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わたしのレコード棚ーブルース166 Robert Cray

2024年12月10日 | わたしのレコード棚
 ロバート・クレイ(Robert Cray)は、1953年8月1日ジョージア州コロンバスに生まれ、生後11ヶ月で軍人だった父親の転勤のため西部ワシントン州タコマへ移住したという。彼の音楽はブルース・ソウルという枠から出て、自由奔放さを感じるが、あるいは西海岸の都市で成長期を過ごしたことに遠因があるのかもしれない。1974年に自己のバンドを結成。アルバート・コリンズのバックなども務めている。今年2024年で71歳ということになるが、すでにブルースの殿堂入りを果たしており、現役の優れたギタリスト・ヴォーカリストである。ギタリストとしての評価が高いので、どうしてもギターのテクニックが注目されがちだが、彼のヴォーカルは音程が安定しており、ファルセットを効果的に使う技術は高く、表現力豊かだ。音楽的な才能に恵まれた人なので、これからも元気に活躍してもらいたい。


 わたしは、ロバート・クレイの演奏を2度聞いている。1度めは、1984年にジョン・リー・フッカー共に来日公演した時で、東京芝の郵便貯金会館だった。この時がクレイの初来日。ブルース界期待の若手だったクレイは31歳で、前座という触れ込みだった。が、下のチケットを見て分かるように、フッカーのバックを務めた「The Coast To Coast Bluesband」との共演、だった。当時、ネームヴァリューがあまりにも違うので、「大物ブルースマン」ジョン・リー・フッカーの陰に隠れたような扱い方をされたのかもしれいが、けっして若手の未熟な演奏ではなく、むしろすでに完成された音楽、に近かった。後に、クレイはフッカーのアルバム『The Healer』(1989年)及び『Mr. Lucky』(1991年)にも参加している。



 2度めは、1987年にエリック・クラプトンと共に来日し、日本武道館での公演だった。この時は、自分のバンドを率いての演奏だったが、ほぼ満員の武道館はほとんどがロックファンで埋め尽くされていたように感じた。先入観というのは恐ろしいもので、偉大なロックミュージシャンの前座くらいにしか思っていない者には、どんなに良い演奏をしても「良い前座」という捉え方しかされなかったようだ。もっとも、それが修行になって、後の演奏活動の肥やしになれば、それはそれで良いのかもしれない。



 2012年にビクターエンタテイメントから出たCDで、VICP75083『Nothing But Love』。タイトルが示すように、全体にソウルに近い洒落た音作りになっている。

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加曾利貝塚の秋、2024/11/28

2024年12月03日 | 考古・エッセイ
 12月も近い11/28(木)、我が家から自転車で25分程のところにある加曾利貝塚に行ってきた。気温は18度ほどで、自転車でゆっくり走るにはちょうど良い気候。紅葉も多少、風に舞う落ち葉が美しい。


 国の特別史跡に指定されてから、かなり整備されて樹木の手入れなども行き届いているように感じる。発掘調査も再開されて、貴重な石剣なども出ている。千葉市には加曾利貝塚を入れて、国史跡の貝塚が5か所あり、他にも大小合わせて120か所の貝塚が確認されている。考古ファンの中には「貝塚銀座」と呼ぶ人もいると聞く。土偶など貴重な遺物が、千葉市内のあちらこちらに埋まっていることは、ほぼ間違いない。時間がかかっても良いので、保存対策と発掘調査を進めてもらいたい。


 中央奥に、復元された縄文時代の竪穴住居。

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上総亀山2024/11/24

2024年11月26日 | 旅行記
 11月24日(月)、JR久留里線の終着駅、上総亀山に行ってきた。紅葉で有名な亀山湖があるので、この時期だけ運転本数を増やしている。

 今年の猛暑で、樹々の色づきは今ひとつ、という感じだった。湖の周辺を2時間ほど歩いたが、途中道に迷ったりして、ハイキングコースの目印がちょっと少ない印象だった。コンビニなどないので、行くときには水や食べ物など、それなりの準備をしておくと安心だ。


JR上総亀山駅。千葉から2時間ほど。


無人駅で、スイカなども使えない。乗車する時には「乗車証明書」を機械から打ち出して、それを降車駅で見せて精算する。周辺には、飲み物の自動販売機などもない。


亀山湖。


小櫃川をダムで堰き止めた人造湖。


亀山ダム。

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磯田道史著『無私の日本人』2015/6/10文藝春秋 刊

2024年11月19日 | 本と雑誌
 テレビでもお馴染みの歴史学者磯田道史氏の著書『無私の日本人』を図書館から借りて読んだ。丁寧に史料にあたって、それを平易な文章で小説に仕上げており、読後に満足感が得られた。

 内容は、三話に分かれており、江戸中期から後期、明治にかけて実在した人々を時代背景とともに物語ってゆく。第一話は穀田屋十三郎で、伊達藩仙台近くの貧しい宿場町吉岡に生まれた商人。第二話は中根東里で、江戸時代を通じて空前絶後の詩才の持ち主ながら、栄達を求めず、極貧のうちに村儒者として死す。第三話は大田垣蓮月で、津藩家老の娘として京都の花街に生まれながらも家庭に恵まれず、一流の歌人であったにもかかわらず、尼僧として京都郊外に庵をむすび貧しい者の世話をした。
 それぞれが、私利私欲にとらわれることなく、貧しい生活にあえぐ人々のために「無私」の活動をした人達。わたしは知らなかったが、この作品の中の穀田屋十三郎の話は2016年5月に『殿、利息でござる!』として映画化されており、その原作でもある。

 武士の時代であった江戸期の「民生」については、なかなか理解しにくい。今の戸籍簿にあたる「人別帳」は寺の管轄で、寺は戸籍役場でもあり、婚姻や生死に関わる記録・管理は僧侶がになっていた。そのあたりまでは分かるのだが、さらに、庶民の教育や福祉といった、今の厚生労働省や文部科学省の仕事は誰が担っていたのだろう。それが、ずっと疑問だったが、この本を読んで少し理解できたように感じた。早い話が、篤志家達に頼っていた、ようだ。ボランティア活動の様なもので、他人の困難を自分のこととして世話をする人達が確かにいて、その方たちが本来幕府がなすべきことを代わりに担っていたらしい。あるいは、そのあたりが江戸という時代の抱えた大きな矛盾だったのかもしれない。


こちらは、ネットから借用した画像。

こちらが、わたしが図書館から借りて読んだ大活字本。


 閑話休題ーわたしが社会人になったのは昭和の50年代だったが、その頃「株式会社」というのは社員のために存在する、という社会通念が残っていたように思う。社員の生活が第一で、株主に配る配当金は「おこぼれ」と言っては言い過ぎかもしれないが、後回しだった。投資家の多くが、良い会社だから配当は少なくても投資しよう、としていた。それが、いつの間にかアメリカから来た株主優先の社会通念に変化してしまった。株式会社は、投資した株主に利益を還元するために存在するもので、従業員はそのための手段にすぎなくなった。「新資本主義」とも言われるが、金を投資という名で動かしてゆくことが最優先されている。バブル期のころだが、仕事の先の社長が証券会社に勤める友人から「金を転がせばいくらでも儲かるのに、何で汗して働いてんだ?」と、言われたという。IT技術の進歩は、さらにそれを加速し、生産するよりも、資金運用することに重点を置く社会になってしまった。汗して何かを作る人間よりも、パソコンの前で投機する者の方に金が集まってゆく。特に問題なのは、外国為替市場における差額レートを利用したFXと言われる取引だ。本来は、労働者に配分されるべき利益が吸い取られてゆく。これで、人心が荒廃しない訳がない。多くの人がその点を危惧しているが、悲しいことに人は目先の利に惹かれてしまう。「トリクルダウン」など夢のまた夢。格差は広がり、アルバイト感覚で犯罪に走る若者が増える一方だ。このままでは「負のスパイラル」に陥るように思えてならない。「無私」の精神から遠くなってゆくばかり。あるいは、悲観が過ぎるかもしれず、杞憂なのかもしれない。自分でも、過度な心配、であれば良いと思っている。

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わたしのレコード棚ーブルース165'Doctor' Isaiah Ross

2024年11月12日 | わたしのレコード棚
 ’ドクター’アイザイヤー・ロス('Doctor' Isaiah Ross)は、1925年10月21日ミシシッピー州Tunicaに生まれ、1993年5月28日にミシガン州Chevroletで亡くなっている。ネイティブ・アメリカンの血を引くともいわれている。

 下はP-ヴァインから出ていたLPレコードで、PLP352『Memphis Breakdown』。ヴォーカル・ハーモニカ・ギターで「Chicago Breake Down」など14曲を収録。1952から1954年にSUNレーベルに録音された若い頃の録音。’ドクター’ロスは、ギターを弾いて歌い、さらにハーモニカを吹いたりドラムを足で打ち鳴らし演奏できる「ワンマンバンド」プレーヤーでもあるが、このLPではドラムスやピアノなどのメンバーが入っている。この録音は、後のロックに影響を及ぼし、エリック・クラプトンなどもコピーしている。


ジャケット写真の様に、ロスは左利き。表題『Memphis Breakdown』のとおり、ヒル・カントリー・ブルースとも言われるメンフィスのビートが彼の音楽を特徴づけている。



LP盤内のSUNのロゴマーク。SUNレーベルは当時エルビス・プレスリーが在籍していたことでも知られている。



 こちらは、1993年1月10日にミシガン州フリント(Flint)公共図書館で行われたライブ演奏の貴重な映像を収録したビデオテープ。「The Last Concert」と表題されており、亡くなる4ヶ月ほど前の演奏になる。発売は「Back Alley Blues Productions」となっている。フリントは、同州の大都市デトロイトから100キロほど離れたところで、ロスは死後この地に埋葬された、と解説にある。おそらく、地元の文化を紹介するために図書館が企画した演奏会だろう。
 以下の3枚は、ビデオ映像をデジカメで撮ったもの。





 バスドラムやハイハットを踏み鳴らしながらのワンマンバンド演奏。図書館だけあって、後方に書架が見えている。ブルースの映像としては珍しく貴重。
 LPで聴ける若い頃の演奏に比べ、かなり繊細さを感じる演奏で、特にハ-モニカは郷愁さえ感じる音色だ。加齢による衰弱は否めないが、死ぬ4ヶ月ほど前にこれだけの演奏が出来ることに尊敬の念を禁じ得ない。ミュージシャンの端くれとしては、こうありたい、と感じる。

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久留里城2024/11/1

2024年11月05日 | 旅行記
 11/1(金)、思い立って房総半島の中央部を走るJR久留里線に乗ってきた。


千葉駅から40分程のJR木更津駅。左奥に止まっているのが内房線で、奥が千葉・東京方向。ここから右端に止まっている久留里線のディーゼル列車に乗り換えてゆく。こちらも写真奥の方向に向い、この先で線路は右方向に曲がり、内陸に向かってゆく。


JR久留里駅。田園地帯をゆっくりと走り、木更津から50分程。多くの列車が、ここを終点として、折り返しの上りの列車になる。が、終着駅はこの先写真左奥方向に進んで「上総亀山」になる。終着まで行く列車は、日に数本しかない。この久留里線のほとんどは無人駅だが、ここは駅員さんが常駐している。観光地でもあり。駅とその周辺なかなかきれいだ。
 久留里線はJRの中でもかなりな赤字路線で、いずれ廃線の憂き目に合いそう。なので、一度乗ってみたいと思い、出かけることにしたのだった。今回は、ダイヤの都合でここ久留里まで。もう少しすると紅葉の季節なので、近いうちにもう一度出かけて上総亀山まで行き、駅から歩いても行けるという人造湖の亀山湖で紅葉でも見たいと思っている。


せっかく来たので、戦国時代の里見氏の根拠地でもあった久留里城までハイキング。ここは名水の里としても知られ、写真の様に町の所々で湧き水が飲めるようになっている。遠くから汲みに来る人も多いようだ。この日は、気温22度ほどで、歩いていると少し汗ばむ陽気。試しに飲んでみると、のどの渇きもあって、冷たくてわずかな甘みを感じ「うまい」。こんな水に恵まれた土地に暮らす人は贅沢だ、と思った。「この辺りにスタジオ兼別荘でもあればいいなあ」と、夢見たのだった。


お城に上るのに舗装された緩やかな道もあるが、昔日の武士の思いを感じようと、古い登城道を行くことにした。足場は悪く、かなり急な登りで、息を切らして進んだ。裃姿の武士とすれ違いそうな錯覚に陥る。道幅が狭いのは、敵の侵入を食い止めるためだろう。




上の2枚は、天守近くの曲輪(くるわ)から房総の山々を撮影。少し、靄っていたが何とか遠くまで見渡すことができた。ここまでくると空気がきれいで、時間の流れもゆったりとしている。なんとなく、体が喜んでいるようだ。


久留里城。駅から歩いて40分程。昭和に再建された建物で展望施設があるようだが、今は入れなくなっている。少し下った所に入場無料の資料館があり、鎧兜・具足・古文書などが展示されている。


城に向かう途中にある歴史について書かれた案内。

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千葉市美術館コレクション選 特集 田中一村と千葉

2024年10月29日 | アート・文化
10/25(金)、 千葉駅から歩いて15分程のところにある「千葉市美術館」に行ってきた。

 現在、上野の東京都美術館で大規模な田中一村展が開かれており、主な作品はそちらで展示されているが、こちら千葉市美術館でも、それに合わせて小規模な展覧会を開いている。

 田中一村(いっそん)は戦前から戦後にかけて20年間ほど千葉市内に住み暮らし、その後奄美大島に移住して独特の作風を確立した画家だった。今回の千葉市美術館での展示では、千葉にいた頃に世話になった人たちに贈った色紙など個人蔵のものなどが中心。中でも、千葉寺付近の昔日の光景が描かれたものが心に残った。陰影と、奥行きの深いものが多い。東京都美術館に比べれば小規模な展示だが、入場料は300円だし、それなりの感動を得られる。ちなみに、わたしの様に65歳以上の千葉県民は、身分証などで確認できれば無料。うれしいような、寂しいような、複雑な気分。でもまあ、家から歩いて行ける所に美術館や図書館があることを感謝することにしたい。

下は、千葉市美術館のリーフレットとHPよりの引用。





『千葉市美術館コレクション選 特集 田中一村と千葉(~12/1)
「特集 田中一村と千葉」では、千葉市美術館収蔵作品に、近年の新出作品、初公開作品を交えて特集するほか、一昨年行った《椿図屏風》《アダンの海辺》等作品の光学調査の成果をご紹介するパネル展示も行います。」』

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わたしのレコード棚ーブルース164 J.B.Hutto

2024年10月22日 | わたしのレコード棚
 ジョセフ・ベンジャミン・ハットー(Joseph Benjamin Hutto)は、1926年4月29日サウス・キャロライナ州ブラックヴィル(Blackville)の生まれで、1983年6月12日にイリノイ州ハーヴェイ(Harvey)で亡くなっている。シカゴブルースの初期から活躍した、ヴォーカルとスライド奏法中心のエレキギターを奏でるブルースマン。以下は、ウィキペディアを参照して書いた。

 ハットーの父親カルヴィンは牧師で、彼が3歳の時にジョージア州オーガスタに家族とともに移り住み、そこで、兄弟とともに教会の聖歌隊で歌っていたという。1949年に父が亡くなった後は、家族でシカゴに移動している。1950年代初めの朝鮮戦争にはトラック運転手として参戦している。帰国後はシカゴに戻り、演奏活動を再開。
 彼は、楽器を演奏する才能に恵まれていたようで、ドラムスやピアノなども演奏したという。1954年には、レコーディングの機会が来て、チャンス・レコードから2枚のシングルを出している。しかし50年代終わり頃、あるクラブでの演奏中に客が夫婦喧嘩を起こし、ギターを壊された事件があり、演奏活動を続ける気が失せたという。その後は、葬儀関係の仕事で収入を得ていたらしい。
 演奏を再開したのは、1960年代中頃で、下のLPは1968年に録音されたものだ。


 デルマーク原盤LPでトリオのPA6205『Hawk Sqatt! J.B.Hutto & The Hawks』、1968年の12曲を収録。ピアノ・オルガンにサニーランド・スリム、ギターにはリー・ジャクソン、ベースには来日したこともあるエイシスのベーシストのデイブ・マイヤーズ他ジュニアー・ペティス、ハーマン・ハッセル、ドラムスにフランク・カークランド、テナーサックスにモーリス・マッキンタイヤー。当時のシカゴブルースを代表するかの様なメンバーで、特に、ベースとドラムスのリズム隊は、これがシカゴのビートだと実感させられる。ドラムスやベースのプレーヤでブルース演奏をしたい人には是非と聴いてほしい演奏。

 同、裏面。シカゴのブルース・シーンは、マディ・ウォータースが活躍した初期から、マジック・サムがブルース・ロックを形成するまで、様々なブルースマンが存在している。J.B.ハットーは、過渡期の橋渡しの様な人と感じる。
 スタイルが似たプレーヤーにハウンドドッグ・テイラーがいるが、1975年のテイラーの死後は「ハウス・ロッカーズ」の残ったメンバーを一時引き継いでボストンに移り、1983年の死までレコーディングなどしている。

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