焼津名物 “炎の弾丸男!!”    【富士山通信 Vol.2】

“百見は一体(体験)に如かず”を信条とし、持続可能な人類、世の中を目指し、人間性の向上と楽しい人生を目指すパワフルな鮪屋

1908→2008

2008年11月22日 | ひとりごと!
毎度 焼津名物 炎の弾丸男!!でござる。

100年の時を生き抜いた、祖母が8時05分 寿を全うした。

1908年1月28日この世に生を受け、2008年11月22日永眠。

 父が脳卒中で一時倒れてから施設での生活で、一人では歩くことは出来なかったものの、
前日まで食事もしていたようで、眠る姿も病を患った人とは違い、極端に痩せたりした様子も無く眠っているかのよう。

 1908年といえば日露戦争が終わってしばらくし、その後バルカン戦争(1912)や第一次世界大戦(1914)などの争いが始まる前。

 明治から大正、さらには昭和へ移る間、
 日中戦争(1937)、第二次世界大戦(1939)、敗戦と大きな出来事がおこった、日本の歴史においても大変重要な時代。

 そんな時代100年(約3万6500日)、明治、大正、昭和、平成(20年)の4の時代、大きな病を患うことも無く、“明治女”として生きてきた祖母の人生、最後にどう思って眠りについたのか?

 “明治女”ということもあり?我輩には誰よりも強く、“増田家の跡継ぎ長男”ということを意識して(意識させ)接していた祖母。

 奔放な我輩が、こうして焼津で家業を継いだのも祖母のそんな影響が少なからずあったのは間違いない。


 大変失礼なことではあるが、
 今まで着ていた喪服は我輩が大学生だった20年前、母方の祖母が亡くなった時に姉貴に集って買ってもらったもの。

 20年という時は人を大きく変えてしまうもので、背丈こそ変わらないものの、奥田英二ばりのさらさらボブの髪型はスキンヘッド(禿げ上がり?汗)に、
70センチ台だったウェストもメタボ規定ギリギリの82~85センチに。

 そんなで当然ウェストは・・・ボタンがしまらない。(汗)
 しかも5センチ近くあわせが合わず、ベルトで隠している状態だった。

 m(_ _)m


 その喪服を買い換えなかったのも、
“祖母が逝かないように、それまで喪服を買い換えない!”といった願掛けによるものだった。

 これでようやく新しい喪服を買うことが出来そうだぁ。(笑)

ここのところニュースでは自動車事故や、殺傷事件などで志半ばで命を奪われる人々が多い中、痛みにもがき苦しむこともなく安らかに逝った祖母はそれだけで幸せだったかと思う。

 そんな祖母がこの世に未練を残し死神となって留まらぬように、笑顔で送りたいと思う。

 では・・・
 
コメント (1)
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