焼津名物 “炎の弾丸男!!”    【富士山通信 Vol.2】

“百見は一体(体験)に如かず”を信条とし、持続可能な人類、世の中を目指し、人間性の向上と楽しい人生を目指すパワフルな鮪屋

ビキニデー!! 多くの人が集まっている??

2006年03月01日 | ひとりごと!

毎度 焼津名物 炎の弾丸男!!でござる。

本日はビキニデー!! 
    
 多くの人が集まってますぅーーーーーー!?

 ビキニデー!! って聞いて
               “夏でも無いのに飲み屋でもう?”なんていう方

      こんな不謹慎なことを書いている我輩と共に懺悔を!!
        (想定内のオチ??

そんな皆さんのために“ビキニデー”についてちょいと解説を! 
(パクリであるが)

 1954年3月1日未明、アメリカは中部大西洋マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」(広島型原爆の千倍以上の威力)の実験を実施しました。きのこ雲に吸い上げられたサンゴは、大量の「死の灰」となって東190キロにあるロンゲラップの島々や東160キロで操業中の日本漁船856隻の上に降り注ぎました。
 マグロ漁船第5福竜丸乗組員23人は、急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を遺して、同年9月23日に亡くなりました。港に戻った各地のマグロ漁船から放射能に汚染されたマグロが発見され、「原爆マグロ」として廃棄される事態となり、海産物の放射能汚染の不安から国民の生活に大きな影響を与えました。
 このビキニ被災事件は、日本全国で「原水爆禁止」を求める声となり、全国的な署名運動が始まり、有権者の過半数(3400万)に達しました。翌55年8月には第1回原水爆禁止世界大会が開催され、3月1日には、第5福竜丸の母港 焼津市でビキニ水爆実験犠牲者の追悼と核兵器廃絶の願いを新たにするビキニデー集会などが毎年行なわれるようになりました。

ということで我輩も知らなかったのであるが、856隻もの日本漁船が被爆したとのことで、その中でもひどく、死者が出たのが焼津の第5福竜丸ということらしい。

で、本日はこんな雨の天気だったので例年のように平和行進をする人の姿をあまり見ることが出来なかった。

って言うか我輩を筆頭に焼津市民の核廃絶や平和への意識が低いことを認識した。???我輩の周辺だけかぁ?

  平和の祭典オリンピックが終了したばかりであるが、
♪ 戦争を知らない子供たち♪(大人もかぁ。)が増え、
平和ボケし、今の平和の世の中が未来永劫続くと思ってしまっているのかもしれない。

 が、平和である今の世の中に感謝!感謝!!

では・・・

 

2006年 2月28日  市場カレー & 我が家のカレー
               3月1日   市場カレー を一杯

 ということで、
   

   
 46/58日  56/174食  

    合計  56
杯のカレーと 

             
1杯のカレースパ 
 
            1杯の
カレーうどん

       1杯のカレーラーメン

       5個のカレーパンを食べとります。 

 

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コメント (5)
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