☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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事実/真実

2004-05-10 | 記憶に残したい言葉
辞書の意味

★事実
実際にあったことで、だれも否定できない。

★真実
偽ったり、飾ったりしたところのない本当の事

blogにあらわれるワタクシは、事実であって、真実ではない。
  偽ってはいないが、飾っては  いるかも...(曝)

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8 コメント

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星の数ほど、人の数ほど (agrico)
2004-05-10 19:04:04
こんなことを考えたことがあります。



たくさんの人が「真実」はひとつと思ったりしてるけど、実は人の数ほど真実はあるのかもしれない。

自分がいて、身の回りに起こった事実を元にして自分なりの真実を組み立てる。でも実は自分の見た事実はとても限られたものかもしれない。

世の中に真実はひとつを思い込むと、戦ったり争ったりしがち。真実を主張する宗教や団体ほど戦いが好き。

現実に私がいてあなたがいる。みんなもいる。みんなそれぞれ自由に何を「真実」だと思ってもいい。そう思って自分を含めてみんな受け容れよう。



その私にとっては「事実」が大切だったのですが、最近はこの事実さえも自分が創り出してるんじゃないかと思っています。

確かなのは「私」がここにいる。そしてさまざまなことを感じ、思い、生きて自分の周りの世界を創っている。という気がします。もし自分じゃない誰かがここにいれば、全然別の世界がここに生まれてる。

事実も真実も、それぞれの人が創り出すものかもしれません。
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やわらかくね。 (persempre)
2004-05-10 19:32:05
これだ、と決めてしまうと、そこからはみ出るものを 糾弾したくなるものね。



事実をいくら積み上げても、真実と同じには、ならないのかもしれませんね。



まいにち、選択して、行ったことは、事実。 

でも、死を迎えるその日まで、真実はわからずじまいということもありますよね。



「マディソン郡の橋」のような例もあるしね。
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そういう時代 (lovedidy)
2004-05-11 07:29:12
事実を「その人にとってのリアル」と言い換えれば、確かに現代は「リアル」を選び取る時代といえるのではないでしょうか?



>persempreさん、



あなたは、ご自分の生活のなかに、「リアル」をもっていらっしゃるようですね。



今日は、暑くなりそうです。
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おはよう、 (persempre)
2004-05-11 08:45:22
朝から、暇なpersempreです。(曝)



はい、blogの私は、しっかり、膜を はっているかも、です。



頭の中にうかぶ よしなしごとを、 そこはかとなく かきつづって いるに すぎません。



そこから 目に見えない何かを 感じ取って くれる人が いるかも しれないし いないかも しれないし そのようなことは 気にしません。



今日も 朝は いつもの おでかけ。



雨は ふりそうにありません。



lovedidyさんも 穏やかな1日でありますように。
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Unknown (take)
2004-06-30 00:24:44
こんな太宰の言葉が・・・



私は真実のみを、血まなこで、追いかけました。私は、いま真実に追いつきました。私は追い越しました。そうして、私はまだ走っています。真実は、いま、私の背後を走っているようです。笑い話にもなりません。



あと、



信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせることが出来ない。



というような言葉もありました。

現実、真実、人によっていろいろな思いがあるんですね。

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takeさん (persempre)
2004-06-30 09:52:06
真実より、事実を大事にしたいと思うこのごろです。



やってもらったこと、話してもらったこと、それを信じるようにしたい。
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初めまして ()
2005-09-05 18:28:41
同じ様なことを考えてました。

真実や事実、見えている、感じている世界が

人それぞれ違うのではないか…と。

でもそれは私には分かりません。

失礼しましたm(_ _)m
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色さん (persempre)
2005-09-07 10:58:15
このような過去記事が、色さんのような、若い方の目にとまったことが、とても嬉しいです。



真実は、もしあるとすれば、ヒンディー教におけるブラフマン、キリスト教における神、仏教における無知、そして、神道における、八百万の神の総体といったところでしょうか?



そして、個々の人間が信じるもの、つまり、十人十色の認識が事実であり、その人における真実なのだろうと思います。 だから、真実は、誰にもわからないし、事実もみんな違ってる。それを人と人との間に生きる人間が、なんとか支えあおう、孤独から逃れようと、伝えあいたくて、付き合い、話し合い、芸術と言う形で表現しながら生きている間の孤独を慰めているのでしょう。
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