☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

目覚まし

2005-08-30 | 今日の幸せ
:ちょっと6時半に起きるんなら、最初から目覚ましを6時半にかければいいじゃない。5分置きに、ピッピッ、ピッピッうるさいでしょう?

:いや、これで徐々に目を醒まして、六時半に起きるからいいんだよ。

ということで、今日は、どことなくくたびれたけど、隣に誰かが寝ていてくれた「幸せ」

(毎朝じゃ、嫌だけど。)

夢の続き

2005-08-27 | 今日の幸せ
夢の続きを、日にちを変えて見ること、あるのかしら?

昨晩も、同居人の夢をみた。 多分、お仏壇の花をそろそろ買ってこなくっちゃ、と思っているからだろう。

お花のすきな同居人。 生きているときも、時々、自分のお小遣いで、買ってきていた。

トイレには、彼の買った、カーネーションの造花が置いてある。

ワタシの誕生日や、母の日には、必ずといっていいほど、カレにしては、高価なお花を買ってきてくれた。

昨晩の夢の中で、自分で、可愛い花瓶をセットで二つ、それから小花をたくさん買ってきていた。 お仏壇にあげてよ、という意味なのだろう。 言葉はひとつも発しない。

そして、なぜか、カレがもう1人。 黙って家から立ち去っていった。 目の前にヒトリ、立ち去っていくカレがヒトリ。

分かったよ。今日はお花を買ってくるよ。


目の前に実際の姿が見えないと、たいていの人間は、記憶はあっても、毎日の生活の中で、思い出すことが少なくなるのだろう。 お仏壇とか、祭壇とか、朝晩、少ない時間でも、思い出すキッカケを作ってくれる。 阿弥陀様を拝んでるのではない。 位牌を拝んでるのではない。 その向こうのイメージを思い出している。

ふしぎな夢

2005-08-26 | 今日の幸せ
同居人が亡くなってから、初めてくらいの夢かな? なぜか、赤ん坊に、戻っていた。 ワタシは、どこへいくにも、カレをしっかり抱いていた。 ちょっと忙しいからと、手を放すと、アーンアーンと泣くのである。

周りにいろんな人がいる。 でも、誰も、同居人に気付いてくれない。 なんとなく近付いては、くるのだけど、彼等には、同居人の姿は、見えないらしい。

:目をつぶって、手を出して!
ネッ、わかるでしょう?

ワタシは声をかけるのだけど、いつのまにか、誰もいなくなった。



恋人と別れた人、離婚した人。 相手の持ち物は? 写真は?

手元に保管しておく人のほうが多いのかな?
それとも、忘れる為に、全部、処分するのかしら?

火事で、燃えてしまえば、品物は全部なくなる。
使わないものは、少しずつ、埃が積もっていく。

そんなことは、わかってる。
残された品物をみると、せつないだけ、

でも、捨てられない。

いつか、思いきって、捨てる日がやってくるかな・・・

私を捨てる為にこの家を?

2005-08-24 | 記憶に残したい言葉
:私を捨てる為にこの家を建てたっていうの?

:・・・ ウン。


昨晩の「火曜サスペンス劇場」の「放火する女」にでてきたセリフ。
途中からながら族で見てたので、全部正確にはストーリーがわからないけど、娘のいる主婦。古い家を立て直して貰って新しい希望に胸ふくらんでいるときに、ご主人が、それまで親友だと思っていた女性と、長年、不倫の関係にあったことを告白して、

:この家で、娘夫婦と楽しい余生を送ってくれ。

というようなセリフを言う。

その時に主婦が言った言葉です。

いったい、男に限らず、人間というものは、コンスタントにワクワクしたいものなのだろうか?
それがヨン様であったり、ケビン・コスナー(古いなーー)であったりするうちはいい。でも、一度、生身の交流の味を覚えたものが、一生それだけで、過ごすことをむなしいと思うことがあってもしかたないのかもしれない。 女性の場合は、多分、生身の交流=心の交流になってほしい、という願望があるだと思うが。(もしくは、生身の交流=合法的売春)

男性の場合は、プラス、もう一つのケースが考えられるから、ことはややこしくなり、「きつねとたぬき」の化かし合い、が起きる。(と思う)

で、火曜サスペンスにもどって、別に情がなくなったわけではないけれども、ずっと不倫状態だった女性の恩義に報いるために、すくない余生を、一緒にすごしてやりたい。 「ついては経済的には、できる限りのことをして、家もたててやる、たりなければ経済援助もしてやる、だから家を出て、かの女性と一緒になることを許してくれ」ということになり、そんな家ならこんな家で幸せに暮らせるわけがないでしょう?

「父親大好きな、娘にそんなことを伝えたくないから」表面上は、何ごともないような平和な顔をしている。で、怨みが放火につながった。

と、まぁ、そんなストーリーだった。

藤田弓子さん、熱演でした。

ドラマを見たり、読書したり、感想は、自分の経験値で、さまざまなのでしょう。 一生正解はないみたい。 せいぜい、あまり自分の生活に不都合が起こらないようにしながら、「今の幸せ」捜すことにしよう。

本を貰った。

2005-08-20 | 今日の幸せ
知り合いから、またまた本を貰った。 自分で、好んで読む本は、どうしても片寄ってしまう。 そんなときに、「これ読んでみない?」と、声をかけられるのは、とても嬉しい。

映画もそう、もっといえば旅行もそう。 同じ経験をしたもの同士が、語り合い、盛り上がるのは、楽しいけど、第三者がその盛り上がりを眺めているのは、それほど面白くないだろう。(と思う。)かといって、共通経験のない部分に、わざわざ、首を突っ込む気にもならないし・・・

そんなことを考えると、ネットにあげる文章は、かなりの創作をもって、第三者的な、描写文のようなものの方が、無難なのでしょうね。

読む対象を誰に想定してるかが、ポイントだろうけど、面白い話しをしてるな、と、思うblogを見つけても、あまりにも、仲間内のコメントが続いていると・・・

個人の素人が、プロと同じ土俵で、全世界に情報を発する機会を得られたネットの世界。 そのメリットは、まず、

お金がほとんどかからない。(本当にありがたい)

自分の周りでは共通に語ってくれる人がいないような内容でも、広いネットの世界では、そんな内容に興味を示してくれる人が見つかる可能性がある。

自分と違う意見が、利害関係なしで、聞ける。

「今日の幸せ」のカテゴリーが「web 論」カテゴリーのようになったけれども、ときどき、立ち止まって振り返らないと、blogを続けるうちに、愚痴の垂れ流しのような文章になる危険性を感じる私。

NZの写真ができた

2005-08-17 | 今日の幸せ
NZの思い出、1

とりあえず、のんびりと、思い出を反芻しながら、まとめて行く予定。 最終的には、web siteにまとめる予定ですが、NZに行く予定の方がいらっしゃったら、こんなエコノミー旅行もある、という参考によろしかったらどうぞ。 ホント、いつも節約ケチケチ、お買い物はほとんどしない旅行です。

半島を出よ 2

2005-08-17 | ・・・シリーズ、
1册、400頁ちょっと。 上下巻、一気に読んでしまった。 日中の気温が34度くらいまであがったようだ。 ちょっと動くと汗が流れて、その度に、ぬるめのお風呂にポチャンとはいる。 そして、扇風機の風にあたりながら、読書。 お盆休みも今日で終わり。 

ひさしぶりに、小説らしい小説を読んだ。 まるで、コンピューターのように命令されたことをやってのける北朝鮮の特殊部隊のエリートの数名が、日本にきて、幼いころの故郷の情景を思い出したり、正義だと思ってやってきたことに、疑問を感じたりする箇所が3場面ほど出てくる。

「半島を出よ」の中から、抜粋

>ひとつにまとまって騒いでるやつらは、それだけで怖い

特に数が増えるとね。

>何かを見捨てようとするものは、そのことに触れない。

わかるような気がする。でも 触れると、自分が火傷しそうになることがあるし、喋ってしまえば、怨みが(記憶が)消えてしまうのが、怖いような気もするし・・・

>言葉遣いが丁寧で礼儀正しいのは、排他的で、閉鎖的であることの裏返し。

ラジオ講座で、コミュニケーションは、言語によりものは7%、あとは、抑揚や表情、ジェスチャーなどのnon verbal なものだと言っていた。 ただ、開放的であることを強調したいあまり、ネットであまりにもなれなれしい言葉を使うのは、諸刃の刃。


この本の中で、人間の霊魂についての記述がある。
母子の対話形式になってる。

:人間には3つの霊魂があるのよ。 一つは位牌に、もう一つは墓の中に、3つ目は「あの世」にあるの。

:「あの世」って何処?

そこで、母親は、石を見せて、

:この石の裏になにがある? 見えないでしょう? 見えるところが「この世」見えないところが「あの世」だと考えなさい。


三つの霊魂の話し、気にいりました。 少なくとも一つは位牌の中にあるわけだ。