☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

ときには映画のように、1

2006-02-26 | ・・・シリーズ、
(記事をカテゴリーごとに、一括で、移動できる機能。以前あったかしら?
gooblogもいろいろと、便利になってきたみたいです。)

最近、なかにし礼の本を立て続けに読んでいる。

平成になり、作詞家活動をやめてしまい、このところ、すっかり作家になってしまった。

波瀾万丈の生活を続けてきたからこそ、実体験に基づいてかける文章がある。

この本のなかには、男女の機微について、彼なりの哲学が現れているように思われる。

人は、自分の生きてきた人生を、最終的には、肯定して死んでいきたいものではないでしょうか?


蛇足:心は移ろいやすいもの、シリーズ記事と、記憶に残しておきたい言葉、公開に、変更しました。
今、persempreでネット検索してみました。

みなさん、自分のニックネーム検索したことがありますか?
自分のblogを削除することはできても、また非公開にすることはできても、ほかの人のblogに書き込んだもの、例え、自分のblog を削除しても、残るものでしょうかね?

そうであれば、本当に気をつけて、文章を綴らなくては、なりませんね。

blogというのは、あまりにも簡単にできてしまうので、ついその場限りで消えていく、おしゃべりのようなつもりで、思ったままを打ち込んでしまいますが、それは、編集のきく、自分のblog内にとどめておいたほうがよさそうです。たとえ、コメントの中であっても、ネット公開されてるのには、かわりはありません。

一番いいのは、コメント残さずに、ロムに徹することですかね。 Exciteのように、よそのblogに書き込んでもコメント削除ができれば、もうすこし、気楽なのでしょうか?

「・・・シリーズ」と「記憶に残した言葉」とりあえず、公開に変更しました。

はじめまして、新しいiMacを買いました。

2006-02-24 | 今日の幸せ
パソコンの買い替えと同時に、気持ちもリセットしたくなりました。

少しずつ、過去記事をトップページを作ってリンクしながら、このblog,
運営することにしました。

これまで、お気に入りにいれてた、URLは、古いマックからは転送できそうにありません。

でも、web 上に、web siteを残しておくというのは、便利なものです。

メールの設定もまだうまくいきませんが、 なんとか、インターネットには、つながるようになりました。

とりあえず、web mail が使える。

ネット上で、容量不足で、開けなかった、ページも、簡単にみられる。

ファイルは古いパソコンで使うとして、ネット上の情報、これを機会に、



リセット

追:
トップ記事を作ろうという意気込み、あっというまに萎えてしまった。(^_^; (06.03.17)

父親の愛情

2006-02-21 | 今日の幸せ
母親の愛情は、日常の身のまわりの世話をすることで、無条件に、育っていくものか。

父親の愛情は? 理性と、社会通念に、挟まれて、表にハッキリと表せなくても、確かに、存在するものだろう。

参考:
父、帰る
こんな映画をみたあとで、考えてた。(06.03.17)

黄昏に歌え

2006-02-20 | ・・・シリーズ、
黄昏に歌え/なかにし礼

会心のヒット作は、50%の情念と49%の技術と1%の閃きでできる。

閃きにこだわり、苦しむ作者の心の軌跡をかいたもの。

「さくらの唄」の美空ヒバリ、レコーディング秘話

シャンソンを訳詞して、支えた大学生活

石原裕次郎に、合って、「日本人の歌をつくれ」といわれて、歌謡曲の作詞にふみきった。

シャンソンとは、自由、平等、友愛をスローガンとした自由主義思想を歌ったもの。

銀座七丁目の「銀巴里」と丸山明宏

ピーターの「夜と朝の間に」

菅原洋一「知りたくないの」

文体は精神の顔つきである。 他人の文体を模倣するのは、仮面をつけるに等しい。
(ショーペンハウエル、読書について)

ヨナ抜き 1、2、3、4、5、6、7(ドレミ...)の、4番目と7番目、ファとシのない日本音階

懐かしさは普遍性にある。

fuga:逃走
バロック:歪んだ真珠
オーボエ:牧神が吹いた葦の笛
reed:葦

邪念も無駄ではない。
邪念の炎が燃えたあとの熱度のようなものが、無視の状態へ導いてくれる。

独創であろうとすることで、人は独創性を失う。何十億の人間の顔は、ひとつひとつ違う。その人がその人であろうとすることがすなわち独創なのだ。(レイモン・ラデュゲ)

「天井桟敷きの人々」フュナンビューレ座のパントマイム(ジャン・バディスト)

Bella Ciao

2年間、ありがとうございました。

2006-02-20 | 今日の幸せ
心境の変化で、本日をもって、「今日の幸せ」すべての、記事を非表示とさせていただくことにしました。

多分、秘かに、記事は書き(打ち)続けるとおもいますが、皆様に披露するほどのことでも、ないかと思います。

コメント、くださったかた。 毎日、ロムをしてくださった、100人前後のかた。

ありがとうございました。

私は、何処から 来たのか?
私は、何ものか?
私は、何処へ 行くのか?
(ゴーギャン)


追:
なぜか、この記事のあとも、アクセス数にほとんど変化はない。 ということで、カテゴリー半分、復活させました。 カテゴリーは少ないほうが、blog運営がしやすい。 他のblogもあることだし。(^_^; (06.03.17)


クルド・イラク

2006-02-19 | ・・・シリーズ、
どこかで、おぼろげながらも、概要を掴んでおかなくてはと、以前、読みかけて中途半端だった本を手にとる。

「クルド・イラク、窮屈な日々/渡辺 悟」

ネット検索すると、ハラブジャ、というキーワードだけで、物凄いヒット数。
順番に読んでいくと、いろんな情報が、積み重なっていき、いったい、アメリカは、何をしたんだろう、と、思わされる。

フリーランスジャーナリストのホームページにも行き当たった。 こういう人達は、命の危険を承知で、かつ、考えられるコネをつかって、仕事の一環として、でかけるのだろうが、それでも、でかけた先の人々に愛情をもっている様子が、記事の文章から、伝わってくる。

インターネットのおかげで、自分の身体は、パソコンの前にいながら、ジャーナリストの人達が苦労して伝えてくれる情報を、まるで、映画でもみるような感覚で眺めている自分がいる。

すごい時代がやってきたものです。

でも、無知からくる、危険性をさけるためにも、今の国際社会では、知っておいた情報が増えてきているような、そんな気がする。 なぜ、この人は、日本にいるの?
そんな状況は、日常茶飯事だし、たとえ、観光でも外国に行く機会が、増えてるもの。

とりあえず、この本から、ちょっぴり纏めたものを、残しておく。

1920:
セーブル条約。クルド人独立を約束するも、反故に。

湾岸戦争をしかけたアメリカはその後、どうしたか?

1992:
PUK, クルド愛国同盟、左派思想、クルド自治領の東半分に
KOP, クルド民主党、伝統的部族社会、コネ社会、西半分

ムハンマド=マホメット
クルアーン=コーラン
ケバブ=イラク風やきとり
ナルギレ=水タバコ

アルビル:クルド自治区の中心都市
サラハディーン:反体制会議が行われた

キルクーク(イラク原油輸出4割)とモスルの石油

パウエル長官の言:
アンサール・イスラムとアルカイダの関係
アンサール・イスラムはアルカイダとイラク政府の仲介役

言語:
アルカイダ→アラビア語
クルド→クルド語
イラン→ペルシア語

貨幣:
クルド→オリジナル・ディナール(もともとつかわれてた)
フセイン派イラク→新イラク・ディナール(フセインの肖像がある、今はどうなったんだろう)

クルディスタン=クルド人の暮らす土地

湾岸戦争後、イラク政府とクルドは断絶して、パスポートがとれない状況。 そこに、苦労して、筆者が、どうやって、はいったかの記述がある。 トム・ハンクスのTerminalという映画が思い出される。

3月31日からは3日間の休日、ノールーズ(クルド人の正月のようなもの)

化学兵器:
マスタードガス→皮膚の糜爛をおこす。
アトロピン→神経ガス中和剤、ただし分量がむずかしいので、素人は使えない。

2003.05.01→イラク戦争大規模戦争終了宣言

その後も、テロ・レジスタンスは続く。
アメリカの為に働く、イラン人も攻撃の的に
戦争は終わってもイラクはよくならない。

スーラ→写真

2004.01.18→グリーンゾーンでの自動車テロ

ドーラの町で、
「何を訴えても、銃を持った人間の理が通用するのが戦争だ」
「人を殺しても、ごめん、ですむ」

(まるで、BSEにかかった牛がいる可能性を前提に、総べての牛を皆殺しにするような感じを覚えた)

イラク人を連行するアメリカ人

CPA(暫定占領当局)
アメリカ兵は、作戦に乗じて金品を奪った。

シーア派→イスラム教徒の1割、ムハンマドの従弟のシーア・アリ・イマームを指導者とあおぐ。人数はすくないが、ファルージャ(親フセイン)には多い。
バグダッドからファルージャへいく途中、アブグレイブ刑務所がある。

スンニ派→ムハンマドと血縁のない4人を後継者にして、イスラムの9割を占める。

イスラムでは男のヒゲには、宗教的意味がある。
イスラムの習わしとして、友の友の悪口は言わない。
そして、客人は、歓迎する。

最後にサマワの自衛隊派遣に対する、現地の人の感想など、取材してる。

アメリカの主権委譲後、どういう状況なのか、これからのニュース、いくらか、状況を想像しながら、聞けるような気がする。

それにしても、極右のイタリアの、Cardelolli氏の、ムハンマド風刺画騒動。 何を考えてるんだか。

ものすごくひさしぶりのblog巡回

2006-02-17 | 今日の幸せ
やっと、春らしい日差しがのぞいてます。

ひさしぶりに、なつかしい、blogなど、巡回してみました。

子供の成長のように、毎日みていると、変化にあまり気がつかなくても、間をおいて、眺めると、心境の変化のようなものが・・・・見えたり、見えなかったり。

自分のblogだって、昔のものをのぞくと、

「なんでこんなに、この人に、むかついたんだろう」と思い出されて、苦笑。(^_^;

会ったこともない人なのに、文章だけで、判断することないんだよね。


死について、最近思うこと「命の値段」

2006-02-17 | 今日の幸せ
blogで、死の予感を、発する文章を綴ってる人が本当に死んじゃったみたいです。

たくさんの人が、何バカなこといってるんだ、って、書き込んで、私も、その中の1人に入ったけど、死のベクトルを向いてる人間に何をいっても、響かないみたい。

「死にたい、死にたい、」と叫ぶのは、人の注目を浴びたいからで、そんな人間で、死んだやつは、いない、という言葉があるけど、
三島由紀夫のような例もあるし、必ずやってくる死、それも、今日かもしれない、明日かもしれない、そんな死を自ら縮めたって、たいしたことではないのかもしれない。

たとえ、何人かの身内が、嘆き悲しんだとしても、その嘆き悲しむ人もいずれは死ぬわけだし。

先日、テレビの小児病棟の番組をやってた。

同居人は、障害のある人の番組や、病気で頑張ってる人達の番組をなぜか、選んで見ていた。
元気で、話していたのに、その2時間後に、24時間、気持を繋げていたとおもっていたワタシにも、知らせないで、突然布団の上で、亡くなってしまっていた。

一瞬の心不全による心臓停止だったようだ。

普段から、薬でも押さえ切れない、頻繁な癲癇発作。 若さで、耐えていた心臓も、耐え切れなくなったのであろうか。 バイアグラは、心臓の弱い人には、使えないそうだが、普通の心臓をもっていても、負担は、少なくはないのでしょうね。 頻繁な、マスター...も、心臓に負担をかけるのかしら?

「苦しみが少なかっただろうから、せめてもの、救いだね」と、声をかけてくれたり、たくさんの人がお葬式にきてくれたけど、その後は、また、もとの生活

それはともかく、臓器移植の為に、莫大な金額を募金であつめて、海を渡る赤ちゃんもいるかと思えば、踏みつぶされるアリのように、戦争で殺される子供達もいる。

「命の値段」、あってないようなもの。

ただ、「そこに命がある」ということは、それだけで、周りの資源をくつぶしていること。
それと同時に、常に、エネルギーをだして、誰かと関わっていること。
人間が生きてるってそんなものなんでしょうね。

プロジェリアという病気のアシュレーという女の子が時々番組にでる。「早老症」というのでしょうが、自然にしていても、個人によって、寿命は決まってるのでしょうし、みんなとサイクルが狂ってるだけと考えて、接するより、しかたないのでしょう。

同居人の体調が、急速に悪くなっていくなかで、これが、わが息子のサイクルなら、受け入れるよりしかたないと、言い聞かせてはみたけれど、やっぱり、亡くなってしまうと、一緒にすごした、楽しい日々が思い出されて元に戻りはしないのに、涙がでてきます。

それはそれで、受け入れて、心静かに、生きて行くよりほかないですよね。

変化といえば、周りの世界が、別世界のように見える。
身内が次々に亡くなって、死が身近に引寄せられるせいなのかもしれません。

奥の細道ですね。

「死」は、もてあそぶものではなく、受け入れるもの。

いくら考えても、一つの正解なんかありゃしない。
だれにも、わからない、個人の死の意味。

それでも、古代から、生きてればこそ、死について、かんがえるんですね。

死んじゃえば、考えなくてすみますよね。

本当に、人間は、簡単に、死ぬものです。