☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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ブッダの無我説と輪廻

2004-10-31 | ・・・シリーズ、
輪廻:reincarnazione(イタリア語)

carneは肉、incarnare で、動詞になり、「肉体を与える」「化身する」という意味。re は再びを表す接頭辞なので、reincarnazione は、「再び、化身すること」という意味になる。
ただ、イタリア語の場合は、カトリックの国のことなので、インドにおける輪廻とは、再生するものは、違うだろう。 どちらかというと「生まれ変わり」のようなイメージかな?

さて、輪廻という言葉を使った場合、なにが、化身するのか?
ウパニシャド哲学をひきついだ、ヒンドゥー教の場合。

宇宙全体を、ブラフマンという変わらないもので、表す。 これに対して、人間の1人1人の核になるようなものを、アートマンと呼ぶ。 

1人の人間の中に全宇宙があり、全宇宙の中に、1人の人間がいる。

という考えが、まさに、このブラフマンとアートマンの考えと一致するだろう。 本来この2つは、対立するものでなく、まったく同じものである。 ただ、アートマンは、ある人間が、一生を過ごしていくうちに、その人間の業のようなものがくっついてしまい、純粋でなくなるので、そうなると、ブラフマンと合一できなくなり、また、新しく産まれてくる生命にはいる。 これが輪廻と呼ばれるものである。

業(カルマ):未来を決定する、善悪の行為

輪廻という一般概念は、なにか、ある人物の霊魂が死後肉体を離れて、何世代先かわからないけど、子孫に乗り移って、生まれ変わる。 だから、デジャビュとか、祖先の記憶を持った人間とか、映画やアニメのモチーフになってるようだが、これは、どちらかというと、西洋的な考えなのだろう。

輪廻において、繰り返し、渡されていくのは、誰にでもある、煩悩が現れた結果、それが実行に移された業であり、性格や記憶といった個人の特徴を含むものではない(と、ワタシが解釈しただけですが)

さて、これで、輪廻という概念は、ヒンドゥー教に属するもので、仏教とは、関係ないということがわかった。

日本独特の、神仏習合、本覚思想、檀家制度。

時の権力者が都合のいいように、仏教という名をかりて、仏教のようなものを広めた結果、なんとなくイメージしているものが、我が家は、「・・・宗」です。となっている。

檀家制度:キリスト教の普及を恐れた幕府が支配下にあった寺院のどれかに、総べての家を属させることで、間接的に支配しようとした結果つくられたもの。

ブッダは、輪廻を否定している。 というより、悟りののちは、来世も気にならない、といっているのだから、輪廻も、眼中に はいらない、ということになる。

親の因果が子に祟り・・・

2004-10-30 | ・・・シリーズ、
・・・産まれついての碌でなし。

というセリフがある。

因果応報というのは、過去や前世の行いの善悪に応じて現世の報いがある。ということであるが、「親の因果が子に祟る」ならば、そのまた親、そのまた親・・・の因果も祟ってるわけで、今、運が悪いのは、しかたないから、せめて、子孫に祟らないように、せいぜい、善行を為せ! となるのかな?

仏教「超」入門を読み終わってから、久しぶりに「仏教思想」のテキストをひっぱりだしてみた。
どの場所のどの時代の仏教に焦点を当てるかということで、根本的なところが変わってくる。

いろんな宗教があるけれども、まず、目に見えないものの絶対的な存在を、信じるか、信じないか、から出発したものにたいしては、ワタシは、どうも自然に得心できない。

現在、なんとなく葬式仏教をうけいれているワタシであるが、それがどんなものであるか、葬式、法事のときの、説話を聞く程度であった経験から、宗派の本質などなにもわかっていない。 一度、原始仏教のようなものを学習し、自分なりに納得したどちらかというと、哲学に近いものを、まとめておくのも、無駄ではないかもしれない。 

なぜ、blogの記事にあげるか。

なぜ、これほど、blogがひろがったか。


最近、折に触れ考えるのである。

なぜ、今、禅ブームが再来しているのか。

仏教の本質は、縁起と空(くう)であるという。
無理にblogにくっつけることもないのであろうが、ネットを通じて、縁を結ぶことで、自分の存在を確かめたいのかもしれない。それと同時に、Cogito(私は、思う), ergo(ゆえに) sum(私は存在する)も、満足させてくれそうである。

しばらくずらずら、ずらずら、ずらずら・・・とこのシリーズつづくかもしれません。

参考にしているのは、仏教超入門と仏教思想のテキスト。この2册を下敷きに、現段階でのpersempreの考えを、加えております。 コメントはつけようがないでしょうね。 どう考えようが、各自の自由なのですから。 でも、どうやら、読んでくれてる人がいるようです。 それが縁というものなんでしょう。  それがこの記事が、空(くう)でないことの証。

続きは、「輪廻」について、

仏教「超」入門

2004-10-29 | 記憶に残したい言葉
かなり、売れてる本だと聞いた。 通信で、「仏教思想」なる単位をとったことがある。 それよりは、ずっと、分かりやすく書いてある。

ちょっと記憶に残そうと、簡単にまとめて、メモしたものを残しておく。かなり編集してあります。

辞書的意味

煩悩:
一切の欲望、執着、怒り、妬み etc....

時間に、追われたり、時間にこだわったりするのは、捨てるべき煩悩でしかない。

怒る人は、自分の判断こそ正しいという独善性をもっている。 怒りとは暴力である。

まわりの人間を感心させようとして、行う行為は、卑しい。

輪廻は、古代インド哲学から産まれたもので、仏教とは、関連性がない。

仏陀は死後の世界には、言及していない。 ただ、現世で悟ることが大事だと、説いている。
悟るというのは、煩悩が気にならなくなることであり、煩悩がなくなることではない。

一度限りの人生、煩悩に苦しむより、さっぱりと、軽々と生きていこう。
死後の世界や、死後はどんなところだろうと考えるのも煩悩である。

世界は自分が見ているのと同じように、他人にも見えるわけではない。 他人に見えるのは、思いとともに、ワタシが為した行為である。


行為が人間を形づくる。 最近、ますます、その思いが強くなっている。 ただ、これが「最上の考えだ、」「こうあらねばならぬ。」 という考え事態も 煩悩である。 

縁起とは、

2004-10-29 | 記憶に残したい言葉
縁起とは

現象の相互依存性

(テレビより)
被害にあった人達が、集まって自ら復興の努力を始めたらしい。
自力で、道路を復興した小林さんという人の言葉

復旧は、行政をまっていては駄目。

この町は、君が住む町、作る町


関係性の中にあって、人は、自分の生を確かめる。
blogは、web site より「心理的な」関係性が、持ちやすい。
(by persempre)
・・・
昨日見た、DVD. Pay it forward の中から、
幼い時のトラウマで、人と深く関わることのできない、ケビン・スペイシー演じるところの、中学教師。

人と関わると、自分で自分の生活が、管理できなくなる。 私は、manageable day がほしいのだ。

それに対して主人公が答える。

変化が怖いのだ。 良くないことも なかなか変えられない。 でも諦めたらまけ
・・・・
でも、何が良くて、何が悪い? それを判断するのは、だれ?

「みんながするから私もしておけば、無難だろう、生きやすいだろう。」でも、「どこへ行くのか、目的地は知らない」



恩送り

2004-10-29 | 記憶に残したい言葉
(今日の新聞から)

江戸時代には、恩送りという言葉があったらしい。

恩は、受けた相手に返すのではなく、必要としている人に送る。

「情けは人のためならず」というのも、それと同じことをいってるのだろう。

レンタルで借りてきた、Pay it forward 「次へ渡せ」と訳してあった。
偶然だけど、同じ内容の言葉が1日に、2つはいってきた。

何かを示唆しているのかな。

エノコロ草

2004-10-27 | 今日の幸せ
晩夏に切って、壁にぶらさげておいたエノコロ草。 緑のままで、ドライになり、うまくいった、と思ってたら、同居人が勝手にはずして、ゴミに捨ててしまった。 ガクッ。

風流を解してくれ、というほうが無理か・・・

 ところで、最近、我が家の入り口付近に、すずめが、たくさん集まって、何かせっせと食べている様子。 そのあたりは、エノコロ草が、たくさん生えていて、いまや、すっかり枯れている。 エノコロ草って、イネ科だから、もしかしたら、すずめが、実を食べるのかしら?

ご近所は、ほとんど、駐車場には、コンクリート流して舗装してる。 雑草が生えててもいいじゃん。 我が家は、土をほると、ミミズがうじゃうじゃ。 

雑草だって、四季を教えてくれるよ。

追:明日の当地の予想最低気温、マイナス1度。 岩手山には、白い部分がみえます。
せめて、新潟の皆様が充分な毛布をつかって、暖かく過ごせますように。

新潟県共同募金会 00630-5-14477
郵便局から、手数料なしで、送れます。