新大久保に小泉八雲公園があるというので、ホテルの方に場所を聞いてみた。
四十代位のその男性はちょっと考えてから、「ああ、あるある」と答えた。
そして不思議そうなお顔で私を見つめる。
「こんなちっちゃい公園だよ」
胸元で、両手の指で自分のお顔ぐらいの小さな円を描いている。
私はふきだしてしまった。
かなり小さい公園らしが、その表現が可笑しかった。
私はこの方をいっぺんに好きになってしまった。
声を押し殺して笑い続けている私を見て、その方はまた真面目なお顔でおっしゃる。
「こんなちっちゃい公園だよ」
お顔ぐらいの小さな円を先ほどと同じように描く。
楽しくなって私は笑いが止まらない。
その方は、「何もないよ」と不思議そうな表情で私を見つめたあとで、
「ちょっと遠いよ」と場所を説明してくれた。
坂を上ったり下りたりするという。
股関節を痛めている私はその後の予定に差し支えても困ると、
かなり残念だったがあきらめた。
真面目なお顔で「こんなちっちゃい公園だよ」と言ったあの方のことを、
私はときどき思い出しては微笑んでいます。
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昨日からここを覗いてくださっていた方は、
タイムスリップしたような文章が並んでいて驚かれたことでしょう。
『エンピツ』というところで剛君日記を書いていたのですが、
そこを終了することになり、その文章をこちらに移動させていました。
一括で移動できるのかも知れないのですが、私にはその技術がありません。
しかたなく亀のようにのろのろと移動させました。
メカの知識がまったくありませんので、最新の記事の上にどんどん載せていきました。
ところがブログに上手に配置出来なくて、今は文章を保存してここには置いていません。
そのためコメントもこのブログから消えてしまいました。
コメントを下さった方にお詫びとお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
いつも観ているテレビ番組に『ザ・ワイド』というのがある。
この番組はニュースや時代の現象をきちんと取り上げていることが多い。
先日、私はこの番組を観て悲しさと怒りをおぼえた。
日本ばかりではなく世界の株式を揺るがしたライブドア、ホリエモン事件。
テレビはライブドアNO、2といわれる、
逮捕された宮内なにがしの祖母のインタビューの映像をながした。
場所は祖母の自宅らしく、
テレビカメラは椅子に腰掛けた祖母の肩から下だけを映してのインタビューである。
祖母は九十二歳。
私は胸が痛んだ。
私は罪を犯した身内を追い回すことに嫌悪を感じる。
マスコミは事件の背景を知るための当然の権利のように思っているようだ。
孫が逮捕され、地獄に落とされている高齢の祖母である。
近所の目も気になるであろうに、マスコミが押しかけたらかわいそうではないのか。
なんとむごいことをするのだろう。
ひとがよさそうな祖母は話した。
宮内なにがしとその兄弟の二人の孫を、駅前でタコ焼き屋の露店で養った。
キャベツの刻んだのを運んでくれたり、水をもらってきてくれたりとても優しい孫だった。
結婚した子供が離婚して、どちらも子供を引き取らなくて自分が引き取った。
自分の子供を育てるときは和裁をして育てたけれど、
孫を育てるときには和服を着る人がいなくなって仕事がなく、
外でタコ焼き屋を始め、お好み焼きも始めた。
とても優しい子で毎月郵便局に仕送りをしてくれて自慢の孫だった。
インタビュアーは訊いた。
「罪を犯したお孫さんをどう思いますか」
「どう思うも何も、そんなことは決まってるじゃない」と私は腹立たしかった。
「私は信じていますから」
祖母は答えた。
しかし、なおもインタビュアーは逮捕された孫に対する心境を訊く。
「私は信じています。私には自慢の孫です」
無作法な人間に対して穏やかに素直に答えている祖母を観ながら、
インタビュアーとテレビ局に怒りが込み上げた。
私は常々思っている。
犯罪者が成人の場合、犯罪者と親族の人格は別個のものである。
マスコミが犯罪者の親族を追い回すことは、
親族も犯罪者と同一とみなしてはいないだろうか。
テレビを観ていて胸が切なかった。
この方のこれからのお幸せを祈る気持ちですが、
はたしてそれはかなえられるでしょうか。
テレビで武田鉄也さんが『母に捧げるバラード』を歌っていました。
NHKの『紅白歌合戦』、過去の映像です。
この年にお母様が亡くなられたそうで、目にいっぱい涙を溢れさせて歌っています。
私の心に去年亡くなった父のことが浮かんできました。
今も優しい母のことも浮かんできます。
大抵の方がそうであるように、私は両親の愛情いっぱいに育ちました。
父も母もただひたすら私を愛してくれました。
それはまったくの溺愛です。
そのことは結婚してからも変わりませんでした。
休日になると両親は食べきれない食料を持って、
我が家に来るのが習慣になっていました。
母はそのたびにたくさんのお料理を作り、冷蔵庫にびっしりと入れてくれます。
そして、隅々まできれいにお掃除をして安心して帰るのでした。
親の面倒をみなければならない年齢の私ですが、
今でも母は私に洋服や化粧品、その他いろいろな物を勝手に買ってくれます。
デパートに行っても食料品店に行っても私達家族のことが頭をよぎるようです。
電子レンジがまだ高価な時代に電子レンジが届いたり、
買った食糧や作った料理の備蓄に必要だと、突然冷凍庫が届いたりしました。
私は物を買ってもらうのが嫌いなのです。
ですから事前の抵抗を避けるために予告なしで突然物が届きます。
今の時代はこんなことを親にしてもらっても別に珍しいことではありませんが、
私の年齢でまだこんなことを親にしてもらっているのはかなりおかしなことです。
私の実家はお金持ちではありません。
そして両親が買ってくれるものは特別贅沢な物ではありません。
全て実用品です。
若い頃、物を買ってくれるたびに母に抗議していました。
そのたびに母は涙ぐむのです。
物を買ってもらうのには反発する私ですが、
家事やお料理は母に頼りきって自立心がありません。
いまだに母がいると全て母にしてもらうのです。
「少しは手伝ったら」とヤジが入ると、
「ううん、こんなこといつまで出来るのかと考えながらしているんだから」
年老いてきている母の言葉は胸に沁みます。
両親から受けた惜しみない愛情を思うとき、いつも涙が溢れます。
何一つ親孝行をしていないことが悔やまれてなりません。
こんな私のことを亡くなった父はときどき言っていたのです。
「優しい娘で天使みたいだ」
父のことを思うとき、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになるのです。
かなり昔の話ですが、
オペラ歌手、鮫島有美子さんのコンサートにいったときのことです。
当時、オペラはイタリアよりもドイツが隆盛を極めているといわれていて、
鮫島さんはそのドイツで活躍していました。
帰国してのコンサートは話題になり、鮫島さんはときどきマスコミにも登場しています。
コンサートが終わったあと、混雑する地下鉄を避けるために、
お友達と私は公園のベンチに腰を掛けておしゃべりをしました。
夏の夜の公園は涼しくて気持ちがよく、コンサートや鮫島さんのことで話は弾みます。
夜遅くの地下鉄は人がまばらでした。
お友だちと私は並んで腰掛け、またおしゃべりに花が咲きます。
話しながら斜め向かいの二人連れの女性の足元に、私の目が留まりました。
こちら側に座っている女性の靴の左右が、色も形もまったく違うのです。
中年の二人の女性は私達と同じく鮫島さんのコンサート帰りのようで、
プログラムを持ってかなりドレスアップしています。
私はドレスアップした人の形の違う靴を見ながら考えました。
そういえば、イタリアだったか、
同じ形で左右色違いの靴のデザインが話題になっていたことがあった。
これって、そういう系統なのかしら。
自分の話を上の空で聞いている私に気づいたお友達が、
「どうしたの?」といいます。
私の方を向いているお友達に、
「そのまま顔を動かさないで聞いてね」と事情を話して、
「あれはデザインだと思う?」と訊いてみました。
お友達はこっそり斜め向かいの人の靴を盗み見した途端、
下を向いてふきだしてしまいました。
「あれはどう見ても間違って履いてきたんでしょう」
お友達の言葉で私も下を向いてふきだしました。
ドレスアップした優雅な姿とアンバランスな靴は、
出かけるときの慌しさを連想させてユーモラスです。
私の視線に気づいていた女性は、
笑いをこらえている私達を見て連れの女性と笑い転げているのでした。