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水平線の海と空  

草なぎ剛さんのこと、日常の中で感じたことを書いていきたい  【オリビエ】

『罪と罰』の初版本

2008年03月16日 12時20分35秒 | 文学
 3月12日~14日。
東京国際フォーラムで、世界の古書店47店が集結して展示即売会を開催した。
我が家にも案内状と共に分厚いカタログの冊子が届いた。
本のページをめくりながら行って見てみたいと思うのですが、遠くて願いがかなわない。
ニュースで大きく取り上げられていて、貴重な品をほんの少し見られたのは幸運だった。

 写真入のカタログは見ていて楽しい。
ちょっとその値段を教えましょう。
見てみたかったドストエフスキー、『罪と罰』の初版本が630万円。
『カラマーゾフの兄弟』の初版本全2巻が336万円。
好きなマーク・トウェインの、
『ハックルーベリー・フィンの冒険』のアメリカ版初版は250万円で出ている。

 ロートレックの絵が収録されている芸術誌『パン』は合本10冊で682万5千円。
『源氏物語』全54帖も出ていて、これは4500万円の値がついていた。
ミッキーマウスの本や地図、古文書、写真などもある。

 ニュースでは1億円以上の品が紹介され、博物館のようだと言っていた。
今年日本で開催されたこのフェアー。
貴重な品がこれほど一堂に集まることはめったにありません。
足を運ばれた方は、かなり楽しまれたのではないでしょうか。

ドストエフスキー全集

2008年03月03日 11時24分44秒 | 文学

 吉清さん父子の捜索を続けていた、海保の捜索の打ち切りが発表されました。
海上自衛隊の捜索はこの後も続けられるということですが、
冷たい海の中にいるお二人の、早い救助をお祈り致しております。

 昨年、亀山郁夫さんが新訳して出版した『カラマーゾフの兄弟』が、
60万部の売り上げがあると聞いて驚いています。

 昨夜、NHKで放送された亀山さんの番組を見ました。
一ヶ月前の放送では、ドストエフスキーについての放送でしたが、
昨夜はロシアを訪ねて、変わりゆくロシアの姿をインタビューを交えて紹介しています。
映像の中に、ソ連時代に反体制作家として国外追放された、
ノーベル賞作家、ソルジェニーツインがエリツィン大統領と対面している映像もありました。

 亀山さんの番組では、
その他に、ドストエフスキーの作品について解説した番組が4回続けて放送されています。
その最初の放送で映った原書のドストエフスキー全集を見て、「あっ」と声をあげました。
我が家にもある全集で、映像で改めて見ると、懐かしさのようなものが込み上げてきます。

 この全集がソ連で出版されると聞いたとき、夫は興奮して私に告げたものです。
まだ国交のないときの話です。
唯一あった書店に早速取次ぎの注文をしたのですが、
当時のソ連の出版事情は、一冊一冊の発売が非常にスローモーでした。
夫は次の一冊が届くのをとても楽しみにしていて、
全巻が揃ったのはどの位の年月だったでしょうか。

 そんなことを思い出しながら書いていると、夫が貧乏な学生時代、
ソ連から取り寄せて、ローンで買ったロシア語のタイプライターのことも思い出してしまいました。
今は使わない物と一緒に閉じ込められていて、忘れられてしまったタイプライターです。


山本有三と菊池寛

2006年03月03日 07時57分48秒 | 文学

 菊池寛は文芸春秋社の社長をしていたとき、多くの作家を育てました。
そして、作家の著作権の確立に尽力したことを夏目伸六が語っています。
映画会社、大映の社長もされた菊池寛はエネルギッシュで社交的な人だったようです。

 菊池寛、芥川龍之介などと第三次『新思潮』創刊に参加した山本有三のお話も面白い。
文芸春秋社の社長、池島信平が山本有三にこのような質問をした。
「先生、遊びのほうはどうですか」
「遊びね、僕はあんまり遊びはね」
「菊池寛と親しかったのでよく一緒に遊びにいったんじゃないですか」
「遊びはしたけど、僕は一度も好きになったことはないなぁ」

 そのあと、池島は笑って山本有三にまつわる話を
した。
菊池寛につれられて女性のいるところに飲みにいっても、
山本は隅っこにいって本を読んでいたそうだ。
またあるときは、眠っていたという。

 「菊池寛のことをみんな気が短いというけれど、僕にはそんなこと一度もないな」
「いいえ、いいえ、それは会社にいても社員の私たちには大変なものがありましたよ」
会社の中だけではなく、菊池寛の
癇癪は有名だったようだ。
池島がいった。
「菊池寛は優等生が好きなんですね。それでいてどこか抜けているような人が好きなんですね。
会社でも優等生でどこか抜けているところがある社員が好きなんですよね」

 「先生はそんな感じですよね。だから菊池寛は先生のことがすごく好きだったんだと思います」
「みんな菊池のことを癇癪もちだというけれど、
長い付き合いだったけれど、僕には一度もそんなことはなかったなぁ」
『真実一路』で遊びの苦手な山本有三を、菊池寛がときどき連れまわしたという話が可笑しかった。

 今東光が一時、文壇から姿を消したのは、
菊池寛の逆鱗に触れたからだと惜しむ文章を私は時々読んだことがあった。
私は今東光ってどんな作家なんだろうと興味をもった。
菊池寛が没してしばらくしてから今東光は文壇に復帰している。

 出版社、文芸春秋社の社長であった菊池寛、作家であった菊池寛のエピソードはいろいろな人が語っていて面白い。 


太宰治の文学記念館

2006年02月24日 09時40分08秒 | 文学

 かなり昔のお話ですが、
三鷹に夫の叔父さんが住んでいて夫と一週間ばかり滞在したことがありました。
夫は用事で出かけ、残った私に叔母さんが言いました。
「太宰治のお墓がある禅林寺が近くにあるんですけれど、行ったことありますか」
行ったことのない私は、「それは嬉しいです」と早速案内してもらいました。

 叔母さんのお話では、太宰の遺体が発見された日を忌日とした桜桃忌のとき、
同じお寺で太宰の傍にある森鴎外のお墓にたくさんの人が足を踏み入れて礼儀を失しているという。
いつ行っても真新しいお花が供えられていて、お花が枯れたことがないというのが有名なのだそうだ。

 事実、私が行ったときも暑い季節にもかかわらず、
生き生きとしたお花が供えられていた。
私は手を合わせ、しばらく佇んで、傍の鴎外の本名である森林太郎のお墓で手を合わせた。
森林太郎のお墓はこの他にもう一つあることで知られています。

 夫の叔父さんは立派なお家に住んでいて、
このとき私たちはのんびりと過ごさせていただいたのでした。

 三年ほど前、私は青森県の金木町にある太宰治記念館『斜陽館』と、
小泊村にある、小説『津軽』の像記念館に行きました。
斜陽館は太宰の生家で展示物も充実していて見るのに時間がかかった分、充実感がありました。

 小泊の記念館はまた別な感動がありました。
記念館の前にある太宰と乳母のタケの銅像が素晴らしいのです。
入り口の横の壁にも何対かの胸像がありこれも感動してしまいます。

 ー太宰は後年まで生き残れるかといわれていた作家だったが、
現代でも若者に抜群の人気があるアイドル作家であるー

 いつだったか私はどこかでこのような文章を読んだことがありました。


夫がくれた本

2006年02月22日 17時59分10秒 | 文学

 夫が「これ貰った物だけどあげるよ」と言って一冊の本をくれた。
井伏鱒二についての本です。
私は歓声をあげた。
見ると二年前に初版発行されたものだが、真新しい。

 私が作家の声のCDのことを書いたとき、
井伏鱒二について、『山椒魚』についてのコメントがありました。
私は井伏作品を読んだことはなかったのですが、
『山椒魚』のラストを意味があって大幅に削除したというお話に興味を持ちました。

 夫に聞いてみると「有名な作品だから読んでいる」と言い、
「ラストが削除されたのは知っているけれど、内容は分からない」と言った。
この話から、夫は以前頂戴したこの本のことを思い出したらしい。

 以下はコメントをくださった多久実さんへの私信のような形になります。

 『山椒魚』の改稿されたラストはこのようになります。
  
  更に一年の月日が過ぎた。
 二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。
 けれど彼等は、今年の夏はお互いに黙り込んで、
 そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意していたのである。

  このあとに続いていた山椒魚と蛙の和解部分の文章がバッサリ削除されています。
巻末の覚書にはこのように付されているそうです。
「後年になって考えたが外に出られない山椒魚は、
どうしても出られない運命に置かれてしまったと覚悟した。
『絶対』ということを教えられたのだ。観念したのである。」

 このことをこの本の作者はこのように述べています。
ー山椒魚は以降、永遠の沈黙をもってこの現実を自分の運命として引き受けていくこととなったー

 この突然の改稿は当時から賛否をめぐって多くのマスコミを賑わせ、
教科書を読んでいた生徒からの問い合わせも多かったそうです。

 まだまだ詳しく興味をそそられることが分かりやすくいっぱい書かれています。
太宰治との関係、太宰の『走れメロス』についても分かりやすく書かれています。
 
 私が読んだ本。
    
   
井伏鱒二
   「宿縁」への眼差
   松本武夫著  東京堂出版  税別 八千円

 ちょっとお値段が高いですね。