「母」を歌った歌で好きなのは、さだまさしさんの『無縁坂』とシャンソンの『ラ・マンマ』です。
さださんの『無縁坂』は大好きで、聴くたびに胸に熱いものが込み上げてきます。
歌詞も曲も心に沁みてきて、すっぽりとさだワールドの中に落ちてしまいます。
私はさださんの初期の頃の叙情的な歌がとても好きです。
かなり前、疎遠になっていた市川のお友達に、
「遊びにおいでよ」と誘いを受けたことがありました。
考え込んでいる私に、「近くに鮫島有美子さんの実家があるよ」というじゃありませんか。
当時、オペラ歌手の鮫島さんの歌を聴きたくて、コンサートに二度いっていた私です。
「行く!」と即座に返答しました。
市川のお友達のお家には以前にも遊びにいったことがありました。
高い塀のなかのお庭を、お友達とパジャマ姿で歩いたのが楽しい思い出でした。
お友達は二年前にドイツから帰ってきたあと、病に倒れて無気力な日々を過ごしていたといいます。
今は元気になって、二週間後にアメリカに旅行に行く予定だといいました。
私は鮫島さんのご実家に案内してもらいました。
お友達の家からはそんなに遠くないところにありました。
お父様らしき方が玄関前でお仕事をしていました。
そのあと、永井荷風の住んでいたお家もあるというので案内してもらいました。
「荷風は結婚していなかった筈だけど、今住んでいるのはどんな人?」
私の問いかけにお友達が答えました。
「今は関係のない人の手に渡っているみたいよ」
歓待していただいて帰る駅に向かっているとき、
「まだいろいろな有名人のお家があるのよ。さだまさしさんの実家とか」
というじゃありませんか。
「えっー!私、さださんの大ファンなの!」
素っ頓狂な私の声にお友達の体がピクッとしました。
「そうだったの、それは知らなかった」と私のリアクションに驚いています。
「う~ん、残念!」
列車の時刻は変えられない私なのでした。
十八歳の新鋭のバイオリニスト、ダリボール・カルヴァイが、
ストラディバリウスの理想の音色を求めて旅をするというテレビ番組を観たことがあった。
ナレーションは語る。
「ストラディバリウスはどのバイオリンにも伝説があり、
それを手に入れることはバイオリニストの成功の裏返しであり、ときには権力争いの道具ともなった」
番組の中でカルヴァイは伝説のバイオリンを次々に弾いた。
エックス・ナチェス、ロチェスター・ギブソン、レオナルド・ダビィンチ、エンプレス。
「最初の音で恋におちなければ自分にとって理想のバイオリンではない」とカルヴァイはいう。
アントニオ・ストラディヴァリが名器を製作した街、イタリアのクレモナを歩きながらカルヴァイは呟く。
「なぜ、あなたは自分の編み出した製法を秘密にして世を去ったのか。
お墓の中のストラディバリに問いかけたい気持ちです」
この言葉で私はバイオリニストの松野迅さんの文章を思い出した。
「クレモナの衰退は、かつて名器の数々を製作した人たちが、そのノウハウを書き残さなかったために、
後継者が途絶えてしまったことや、名器が世界中に散らばってしまったことに起因するだろう。
そればかりではなく、楽器製作の工業化、材料不足などの要因も大きい」
松野さんの文章によると、
アントニオ・ストラディバリが円熟期の一七0六年、オーストリア軍がクレモナを占領し、
各家庭に兵士を泊まらせ、金品を取り立てたという記録があるという。
「荒々しい侵入者の群れに繊細な手仕事をする製作家たちの気持ちはどれほどかき乱されたことだろう」
と松野さんは嘆いている。
ストラディバリが工房兼住居としていた建物は、
ムッソリーニの命令により二十世紀になって破壊されてしまったという。
歴史の展開のはざまで、クレモナの楽器製作の歴史は十九世紀から二十世紀までブランクがあったそうだ。