剛君と中居君のスカルプDシャンプーの新CM。
いいですね。
過去に何度も剛君を「ドッキリ」の毒牙にかけた中居君。
剛君から共演のオファーがあったとき、「ドッキリ」だと思ったと言う中居君に笑いました。
CMを観て、二人の共演がとても新鮮に感じます。
先日、日中韓首脳会談のために来日した、中国の温家宝首相にお目にかかったSMAP。
ニュースを一緒に観ていた夫が、「凄いな~」と言っていた。
昨年、SMAPの中国公演が、やむをえない事情で2回延期になった。
知らなかったのですが、今年、5月にその穴埋めとして予定していたコンサートも、
東日本大震災のために延期になったという。
そして、今年9月に上海での公演が決定していると知りました。
今度こそはきっと実現することでしょう。
温家宝首相の面前で、『世界に一つだけの花』を中国語でアカペラで歌ったSMAP。
舞台出演中の吾郎さんがいなかったことが残念です。
ところで、SMAPさん。
日本でのコンサートも期待していいのでしょうか。
大阪府の橋下知事が、
入学式や卒業式の国歌斉唱のときに起立しない府立学校の教職員を処分する提案を、
9月の定例府議会に提案するという。
その理由を橋下知事はこう述べている。
府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。
従わない教員は大阪府にはいらない。
繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、9月議会をめどに成立を目指したい。
更に、
起立しなかった教員の氏名や学校名の公表を、条例に盛り込むことを検討すると述べた。
メディアは「府によると、同様の条例は全国でも例がないという」と報じている。
ニュースを見ていて思い起こしたことがある。
今から6、7年前の秋の園遊会のこと。
招待された将棋の米長邦雄さんの前に天皇陛下が立ち止まられた。
当時、米長さんは東京都の教育委員になり、話題になっていた。
「教育委員のお仕事、ご苦労様です」
陛下がねぎらいのお言葉をかけられた。
すると、米長さんは得意満面にこう答えたのだ。
「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」
私は驚いた。
陛下のお言葉は見事だった。
「強制になるということでないことが、望ましいですね」
きっぱりとした陛下のお言葉です。
米長さんはたじろぎ、言った。
「本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」
あのときの米長さんのお顔を今でも思い出します。
『君が代』が国歌である。
「君」は天皇を指している。
気負って愛国心を言ったつもりであったのだろうが、
米長さんは陛下のお気持ちを取り違えていたようです。
国歌を歌うときに起立しないということは、どういう意味があるのか。
昭和天皇がお亡くなりになったとき、
新聞やテレビで国旗、国歌について盛んに議論されていたのを思い出します。
戦前、天皇は神であり、戦後、天皇は人間宣言をしている。
『君が代』の国歌に疑念を抱いている人たちは、
大日本帝国といっていた時代の国歌は天皇崇拝の意味合いが強く、
軍国主義を象徴していると考えている。
誰にでも受け入れられる国歌を新しく作るべきではないかと主張していた。
国歌斉唱のとき、
「強制になるということでないことが、望ましい」
そうおっしゃった天皇陛下のお言葉をしみじみ思い出されます。
タレントの上原美優さんが自ら命を絶ったというニュースがありました。
『「ぷっ」すま』に出演した姿が目に浮かびます。
頭突きが得意だと、江頭2:50さんに思いっきり頭突きをした上原さん。
もの凄い音と共に、江頭さんが脳震盪を起こしたような感じで倒れます。
ところが上原さん、痛そうな顔もせず平然としていたから驚きです。
なんて逞しい人だろうと感心したものです。
10人兄弟の末っ子だそうで、貧乏アイドルがキャッチフレーズでした。
まだ24歳という若さで痛ましい。
若い頃、友人と川端康成さんのことを話していたときのことです。
私が川端さんの自死に触れると、友人がこんなことを言いました。
「黙っていても死ぬ年齢なのに、よく死ぬわね」
私は黙り込んでしまった。
そして最近、その友人と身近な人の死について話していたとき、その話をすると、
「言ったことは覚えていないけれど、今ならその気持ちが分かる」と言います。
「いつ死んでもいい年齢になると、命に未練がなくなるんだと思う」
返答に困り、私はまた黙ってしまった。
女優の田中好子さんがお亡くなりになったとき、
葬儀場に生前吹き込んだお別れの言葉が流れた。
感謝の言葉と共に、
もっと生きていて映画やテレビに出たかったと語る55歳の生涯に胸が詰まった。
田中さんのお別れのテープを聴きながら、私は随筆家の森田たまさんの最期を思い出した。
たまさんの作品を読んでいると、
たまさんの葬儀でも生前書いたお別れの言葉が朗読されたと付記されている。
かなり昔に読んでいて、あまり覚えていないのですが、
随筆家の文章らしく簡潔で、美しい文章だったと記憶しています。
私の脳裏に鮮やかに浮かんできたのはこの言葉です。
「これから私が経験する世界を、皆様にお伝えすることができないのが残念です」
岩手県雫石町、小岩井農場の一本桜。
ドラマ『冬のサクラ』に登場した桜の木です。
雪が融けて見事に咲きました。
詳しい樹齢は分かっていないそうですが、
約100年前に植えられたといわれているそうです。
祐と萌奈美の愛の象徴として描かれた一本の桜の木。
まるで、東日本大震災の被災者を励ますかのように満開です。
周りに咲いている満開の菜の花にも心が安らぎます。
昨年剛君が主演したドラマ『99年の愛~JAPANESE AMERICANS』が、橋田賞の大賞を受賞。
TBSが開局60周年を記念した5夜連続ドラマである。
製作費は巨額で、映画が数本製作できる費用だという。
脚本家の橋田壽賀子さんが遺言として書いたという脚本。
剛君のプレッシャーは計り知れない。
貧しさから抜け出そうと、アメリカに移民した日系移民の物語。
貧しさと人種差別、そして日米開戦で翻弄される日系人。
テーマも重い。
過密なスケジュールの中、日本とアメリカを往復し、過酷な撮影を乗り切った剛君。
授賞式をテレビで観た。
挨拶のとき、万感胸に迫って泣き出したツヨポンちゃん。
「先生、本当にこんな素敵な作品に出演させてくれてありがとうございました」と締めくくった。
「日本には大変な人がいるんですけど、
近くに、必ず誰かそばにいる人の力で、人は元気になれるんだなって凄く思いました」
逆境に立ち向かった日系移民の姿を、
東日本大震災の被災者に重ね合わせておくった、涙のメッセージもあった。
剛君、心からおめでとうございます。