水平線の海と空  

草なぎ剛さんのこと、日常の中で感じたことを書いていきたい  【オリビエ】

ヨン様

2006年11月30日 10時25分10秒 | 芸能

 済州島で行われたイベントに出演したペ・ヨンジュン氏こと、ヨン様に会うため、
押しかけた四千人という日本人をテレビで映し出していた。
観客の九割が日本人だったという。

 韓国に行ったとき、旦那様が韓国人という日本人と知り合いになった。
その方が今年の七月、ヨン様ファンのお友達を連れて韓国に行った。
そのとき、韓国に住んでいる孫娘の旦那様が車であちこち案内してくれた。

 『冬のソナタ』のロケ地を希望すると、「分かった」と言った後、電話をかけたという。
どこにかけたのかしらと訊いてみると、「ヨン様」だと言ったから腰を抜かした。
どうして知っているのかと興奮しながら訊くと、大学の同級生で親しいのだそうだ。

 そして、ヨン様が言ったという言葉に体が震えたという。
「僕が案内してあげたいんだけれど、仕事中で抜けられない。
○○というお店に行って僕のプロマイドなんかを貰ってください。
そこのお店に電話をしておきます」
もう、興奮したのなんのって!

 「お会いしたかった! ツーショットで写真を撮りたかった!」
昨日のように語るその方でした。
その方のバックにはヨン様のストラップがしっかりとついているのでした。

                              メールはこちらから


『僕の歩く道』第八話

2006年11月29日 12時38分57秒 | 芸能

 今回は淡々と観た『僕の歩く道』

 精密検査をした母に何も異常がなく、一安心する家族。
第七話で、初めての道に自転車を漕ぎ出すことができた輝明は、
そこから少しずつではあるが前に進んでいく。
通勤の途中で知り合ったロードレーサーが経営する喫茶店で、コーヒーを飲んだ。

 動物園で生まれた双子のレッサーパンダの片方、クッピーが病気になった。
見学者の減少を本社の社長に咎められる園長の久保。
この状態が続けば園長の座も危ういと叱責される。
公募していた双子のレッサーパンダの名前を早くマスコミに発表して、
見学者を増やそうと焦る久保。
弱っているクッピーをマスコミにさらすのは無謀だという職員の反対を押し切って、
双子のレッサーパンダをマスコミの前に出す。

 弱って生命も危うい状態になったクッピーを職員は徹夜で看病しようとする。
みんなと一緒にクッピーの飼育小屋の前で待機していた輝明であったが、
就業時間が終わったからとその場から立ち去った。

 帰途、いつもの場所でベンチに座り、焼き芋を食べている輝明。
そこに職員につまはじきにされた久保が通りかかる。
一緒にベンチに座り、職場の輪から外れた二人だと、久保はいろいろ輝明に話しかける。
浮世の雑念と無縁のように見える反応のない輝明を見て、
「いいねぇ、大竹さんは」と久保は呟くのだった。

 ベンチから立ち上がった輝明。
「テルは動物園の飼育係です。
テルの動物園の動物たちが元気でいられるように一生懸命お世話をしてください。
約束です」
と都古から受け取ったハガキの文面を口ずさみ動物園に戻っていくのだった。

 戻った輝明は、職員と心の通い合った仲間になる。

 久保が酒を飲みながら飼育係の古賀に話す場面がある。
「私はこれからも変わることはないよ。
出世しなければならないし、動物たちを愛するふりをしなければならない。
障害者に理解があるふりもしなければならない」

 このセリフは働いている大勢の人の心の叫びのように思います。
大抵の方が不本意なことに耐えたり、
周りと歩調を合わせて演じたりしながら仕事をしているように思っているからです。

                               メールはこちらから                                  


『スマスマ』

2006年11月28日 11時18分23秒 | 芸能

 「ビストロ」のゲストは木村君主演映画、『武士の一分』の共演者、
壇れいさん、笹野高史さん、桃井かおりさんです。

 イタリア料理とイチジクのデザートをオーダー。
イタリアンとくると、木村君有利かなと思っちゃいます。

 剛君は吾郎さんとペアーです。
二人のお料理は『武士の一分』に架けた和風と中華のリゾット。
どうみてもオーダーのイタリアンには程遠い。
剛君が作ったデザートはおいしそうですが、
桃井さん、食べるのに崩しちゃって苦労しています。
判定は三人とも木村、慎吾君チームに手を上げ、二人の完勝でした。

 私はデザートに使用されたイチジクが大好きです。
昔、最初に食べたイチジクがとてもおいしくて、それからイチジクが大好きになりました。
ポルトガルに行ったとき、
どこにでも売っている名産の半乾きイチジクをたくさん買いこんできたほどです。
なんといっても生のイチジクが好きなのですが、最近はおいしいイチジクに出会いません。
今年もおいしいイチジクに出会えませんでした。

 イチジクのデザートをオーダーした桃井さん。
これから公開される映画、『無花果(いちじく)の顔』で脚本、監督、そして出演という、
凄いことに初挑戦しています。
二日後にこの映画の試写会があり、嬉しいことにペアー招待券が届きました。
桃井さんのトークショーもあるそうで、私と娘はとても楽しみにしているのです。
 
                                  メールはこちらから


韓国に牛タンはないと剛君は言ったけれど

2006年11月27日 10時51分13秒 | 芸能

 剛君がテレビで韓国には牛タン料理がないと 言っていたことがありました。
お肉料理の盛んな韓国で、おいしい牛タンを食べないなんて不思議に思いました。

 韓国に行ったときに聞いてみると、牛タン料理は普通にあるそうです。
薄くスライスした牛タンを軽く焼いて塩を振って食べると言っていました。

 ガイドさんが盧武鉉大統領と同じ姓の盧さんという方だったので、
盧武鉉大統領とチョナン・カンが日本で対談したのを知っているかと聞いてみました。
「知っています」と答えた盧さん。
嬉しくなって私はニコニコです。
ちょっと上を見上げてから盧さんが話しだしました。

 あの人はSMAPでなく一人のときは韓国では人気がありませんでした。
 歌を出して人気を得ようとしたけれど、韓国人は歌が上手いから売れなかった。
 だけど、あの人が韓国を愛する気持ちがとてもよく伝わってきて、
 韓国の人はあの人をとても温かい気持ちで受け入れているんです。
 だから、あの人が韓国に来たときにはテレビや新聞のニュースで必ず流します。
 最近はあの人の映画を輸入したりしています。

 聞き終わって、私はニコニコです。
「チョナン、私大好きなんです」
私の言葉に盧さんが静かに頷きました。

                                    メールはこちらから


ドラマ『虹をかける王妃』

2006年11月26日 08時18分13秒 | 芸能

 『いいとも』のゲストで登場した岡田准一さんと菅野美穂さん出演のドラマ、
『虹を架ける王妃 』を観ました。
朝鮮王朝最後の李垠皇太子と日本の皇族の方子さまが結婚した実話を基にしたものです。
ちょうど韓国に行ってきたばかりで、
物語の主人公、李垠さまと方子さまのことにふれてきたところでした。
無知な私は、日本が朝鮮を植民地にしたのは明治時代からだったと、
韓国に行って初めて知りました。
このドラマはその頃の日本と朝鮮の歴史を描いていました。

 垠皇太子は幼い頃に日本に人質に取られ、日本の皇族、梨本宮方子さまと政略結婚させられます。
韓国のガイドさんの説明では、方子さまは昭和天皇と結婚される予定だったが、
出産できない体だと医師に診断されたため取りやめになったということです。
それを裏付けるように、
ドラマの中でも、「東宮様と結婚されたかもしれない」というナレーションが入っています。

 お子さまを産めない体なら、
朝鮮の王朝が途絶えるのに丁度いいとう理由でこの政略結婚が決まったといいます。
ところが、お世継ぎの男のお子様がお生まれになったため、
方子さまを診断した医師は殺害されてしまったそうです。
むごいことに、お二人の間に生まれたお子様も暗殺されてしまいます。
韓国では王家を絶やすための、日本の仕業だと思っています。
ドラマの描き方をみると、
日本人の血が混じったお子様を朝鮮側が忌まわしい存在として暗殺したような描き方をしています。
ナレーションで、「その死はいまだに謎です」とありましたが、真相はどちらなんでしょう。

 ドラマは明治時代、日本が朝鮮を併合したときの朝鮮人の怒りや、
初代朝鮮統監、伊藤博文がハルビンで朝鮮人、安重根に暗殺されたことも描いています。
日本による朝鮮の明成皇后や垠皇太子の父である李王の暗殺も描きます。
大正19年に起きた関東大震災のとき、日本人がした朝鮮人大虐殺も描きます。
骨のある脚本はマキノノゾミさん。
ブログでワッハッハッと笑わせてくれているマキノノゾミさんです。

 ソウルに行かれた方は必ず見学されるであろう宗廟を私は感慨深く見てきました。
李氏朝鮮代々の王と后の位牌を納める建物で世界遺産です。
方子さまは最後に位牌を納められた方で、向かって右端でした。
最初のお子様を亡くされた哀しみの後、7年後にお二人の間に男のお子様が誕生しました。
その方は日本でも住みにくくアメリカに渡り生涯を閉じたとき、マスコミで報道されました。
生涯、韓国への入国は許可されなかったといいます。
この方が宗廟に入ることはないそうで、李家は途絶えたとガイドさんは語った。

 ボランティア活動をされていた方子さまは、韓国人に大変愛されていたということです。
  
                                           メールはこちらから