ひと月くらい前からだったろうか。
折に触れて画家のロートレックのことが心に浮かんでくる。
絵のことに関してはまったく知識がないのだが、
人生の中で一度、ある画家の絵に救われたことがある。
それはシャガールの絵だった。
高校生のとき、図書館で見たロートレックの絵を見て、大変な衝撃を受けた。
それはスカートをめくりあげ、
下着をつけず下半身をむき出しにした女性が列を作って医師の前に立っている絵だった。
高校生の私にはまったく理解できない絵だった。
それから随分たってから、私はテレビで『赤い風車』という映画を観た。
ロートレックの生涯を見事に描いていた。
印象に残っているのはラストのシーンである。
正当な評価を得られなかったロートレックが、死の床で父の言葉を聞く。
「絵がルーブルに運ばれた。画家が生存中に絵がルーブル入りしたのは初めてのことだ」
その言葉を聞いて、ロートレックは息を引き取った。
そんなに絵に関心があるわけでもないのに、
最近どうしてこんなにロートレックが心に浮かんでくるのか分からない。
私は自宅にある画集からロートレックを取り出して見た。
持っている画集には衝撃を受けた絵は掲載されていない。
すごく若かった頃、大阪に行ったことがありました。
確か天王寺公園だったと思います。
歩いているとストリップ劇場にあたりました。
そういうものを初めて見た私は、その看板の毒々しさに呆気にとられます。
その看板を見ていると、一人の男の人が近づいてきました。
「仕事を探しているのかい」
驚いて、「いいえ」と答えてその場を立ち去ろうとすると、
男の人は笑いながら、「いいからこっちへおいで」とストリップ劇場の方に促します。
「いいえ、違うんです」
私は慌ててその場から逃げ去りました。
当時、東京のお友達が大阪に住んでいて、
とてもいい画廊があるからと連れていってくれました。
高名な作家の絵がたくさん展示してあり、
私達は長い時間そこにとどまっていたような気がします。
お友達と絵を見ながらお話をしていると、男の人が話しかけてきました。
主にいろいろな事を訊いたのはお友達です。
私は紺色を基調にしたヴァイオリンを弾いている女性の絵に惹かれ、
その絵について質問しました。
「〇〇先生は新進気鋭の作家さんで、画壇でとても注目されている作家さんです」
そして、その方は私達に名刺を差し出し、
「よろしかったらこの画廊のコレクションをお見せしましょうか」とおっしゃいます。
名刺を見ると、その方は支配人さんでした。
私達は凄い成り行きに嬉しさを隠しきれません。
ついていくと、
豪華なシャンデリア、赤いジュータンを敷き詰めた部屋にたくさんの絵があります。
最初に目に飛び込んだのは岸田劉生の麗子像です。
好きなミレーの絵をはじめ、内外の著名な作家の絵が壁に掛かっていて、
壁に掛かけきれなくて無造作に置いた絵がたくさんあります。
無知なのが恥ずかしかったのですが、私は心惹かれた二つの絵の作者を聞きまました。
一つは淡い色調の馬の絵で、作者は坂本繁二郎。
「坂本先生は視力が衰えて、ほとんど見えない目で絵を描いているんですよ。
坂本先生は馬を好んで描いていて、淡い月も特徴です」
もう一つはキリストのお顔を描いた絵で、作者はルオー。
帰り際に、
「絵が見たいときは私の名刺を差し出してください。私がいるときはいつでもご案内いたします」
私達は感激です。
どう見たって高価な絵を買えるようには見えない私達に、コレクションを見せてくださったご親切。
おまけに無知な私にいろいろな絵の解説を丁寧にしてくださったのです。
家族で何かを見に行ってお食事を楽しむことがたまにあります。
先日は家族の分といって招待券をいただき、『グレース・ケリー展』に行ってきました。
行く前に近くのショッピングセンターで抽選をしました。
大したものは当たらないでしょうと期待を持たない私は、書店で待っています。
抽選をしたのは夫と二人の娘です。
抽選を終えた家族が、夫を先頭にして私に近づいてきます。
夫が笑顔で私を見つめて、
「はい、三万円」
私に封筒を差し出しました。
何のことか理解できない私を可笑しそうに見て、
「一等が当たったんだよ。三万円の賞品券が入っているよ」
夫の言葉で、私はそのとき初めて抽選券の賞品内容を知ったのでした。
長女が三百円の商品券を四枚私に差し出します。
「これは二人で分けたらいいでしょう」と二人の娘に二枚ずつ渡しました。
「当たったのは嬉しいけれど、元を考えると喜んでばかりいられないわ」
私の言葉にバツの悪そうな笑顔で頷いた夫です。
三千円で一回抽選。
四十七回のくじ引きをしたのです。
これは全て、たった十日間での夫の本代です。
本代はこの前も、この後もあるのです。
当たった三万円。
何に使おうかと楽しみに考えているところです。
ちょっと間をあけてしまいました。
コメントくださった方、ありがとうございました。
遅くなりましたが、コメント欄におしゃべりを入れておきましたので読んでくださいね。
沖縄一周旅行をしてきました。
別に暮らしている私の母と、夫と娘と四人での旅行です。
お天気にも恵まれ、おいしいものをたくさん食べてゆっくりとした旅行です。
沖縄は全員初めてで、
特に母は「こんな所でのんびり暮らしたいわ」と大変気に入った様子でした。
ホテルのプライベートビーチで、面白い形の珊瑚やきれいな貝を拾いました。
さまざまの貝殻は家族を夢中にさせます。
きれいだと思って手に取った貝の中に、ヤドカリが入っていたことが二回ありました。
その貝が欲しい私はヤドカリが出ていくのを待ちますが、
ヤドカリはお城を出ていかず私の負けです。
島に渡って、海底が見えるグラスボートに乗ったときのことです。
さまざまの珊瑚や熱帯魚に歓声をあげていた私ですが、
ハリセンボンの群れには、感激して思わず拍手をしてしまいました。
この旅行中に、夜中に私の携帯電話が鳴りました。
なんと、剛君大好きつながりのお友達から、私の誕生日を祝するメールです。
0時ピッタリの祝福メッセージです。
なんという粋な計らいでしょう!
私は大感激でした。
「沖縄へ行くよ」と母に告げたとき、
「私のパスポートの期限はどうだったっけ」と言った母。
日本に返還されてから三十五年も経つのに、
一瞬、アメリカの占領地沖縄がよみがえった母なのでした。
沖縄の人たちはまだまだ犠牲を払っています。
沖縄に一日も早く平和が訪れますようにとお祈りしています。
政府広報のコマーシャルだった。
その日、テレビでは幼い子供を残し拉致された北朝鮮名、リ・ウネこと、田口八重子さんの兄が、
タイで同じ拉致被害者の兄と対面している姿を映し出していた。
日曜日、近くのホテルであった北朝鮮拉致被害者を救う会の集会に行ってきた。
拉致被害者とその家族のことがマスコミで報道されるたびに、心が痛んでいたからだ。
登壇したのは家族会の横田めぐみさんの弟、横田拓也さんと、
救う会事務局長の平田隆太郎さん。
横田拓也さんのお話は胸が締め付けられた。
めぐみさんが忽然といなくなった夜の家族のこと、警察や地域の人たちの捜索。
その後のいわれのない両親への中傷。
一昨年倒れた父は90%助からないと医師に宣告され、
奇跡的に助かったものの、70歳を超えた両親の体はボロボロだと語った。
めぐみさんはいつも家族を楽しくさせた明るい性格だったという。
残念だったのはこれを自民党が政治利用したことである。
壇上に日の丸の旗が掲げられ、何か雰囲気がおかしいと思ったのですが、
最初の登壇者が他の政党の著名な政治家の名を上げ、激しく非難した。
それは今度の選挙の自民党の立候補者で、
そこで私は初めてこれが自民党関連の主催だと気がついた。
帰りに署名をし、カンパをしたのですが、それを置いているテーブルには、
「南京大虐殺はなかった」だったか「でっち上げ」だったかの小冊子もたくさん置いてあった。
政治に利用されることは家族会や救う会も望んでいるとは思われないが、
運動を進めていくためには力を借りなければならず、やむを得ないのだろう。
特別な支持政党のない私ですが、
露骨な政党がらみだと支援したくてもしにくい人が大勢出て、
救出活動に支障になるような気がする。
利害を捨てて、
日本人が一体となって北朝鮮に拉致された人たちを救出すべきではないか。
私はそう思った。
北朝鮮に拉致された不幸な人たち全員が、
一刻も早く日本の土を踏めるように祈っています。