日本の冬も寒い。
でもババシャツは必要ない。
北京で私はババシャツを手放せなかった。
一応まだ二十代なので、ミソまでは手ェ出さないぜ、って思ってたのに。
親戚から、「義鳥の工場のだから、着てね♪」っていただいてしまったがため。
以来手放せず。
自分でも買っちゃったし。


浦江のおうちを脱出して、一行は義鳥へ戻った。
別れ際まで、ハナ子妹は、「浦江に泊まれ」と半ば強制的な口調で、しつこく何度も勧めてきたのだけれど、夫は耳を貸さなかった。 その間、ハナ子は無言で、ただじっと妹の発言を聞いていた。 どう考えても、ハナ子が妹に言わせているんだろう。 ハナ子自身は、決して宿泊を勧めはしない。 ハナ子は、自分で自分の望み・要求を口にすることが、とても嫌い。
息子が浦江に泊まらず義鳥に泊まっていることも負けなら、自分で自分の要望を述べるのも負け。
ハナ子は、勝負の世界に生きる女なのだ。
「息子が自分の実家よりも夫の実家と近い」ことが、ただただ腹立たしく、ことここに至る経緯とかは眼中に無い・・・ということらしい。
なんとな~く疲れて、車中、言葉少なに義鳥に帰り着き、とりあえず皆が集まっていた2次会会場、2叔父宅へ・・・と、思いきや。 運転者だったいとこが、バンの後部から取り出した謎の、たいへん大きな包み。
何スか、それ?
何気なく見つめる私に、いとこは言った。
「これ・・・結婚祝いの杯だって。」
結婚祝い。
ダレの。

えー。
・・・ダレから。
そして、その包みは、ずいぶん、大きいようですが。
私たちは明日にも義鳥を発ち、杭州経由で上海まで行って、そっからようやく北京の我が家に帰るのですが。
持って帰れないよな。
夫の説明によると、

見るだけ見ろとは。
そりゃ一体どういうことか。
見るだけなら、浦江で見せればよかったではないか。
わざわざ義鳥に運ばせた意味は・・・?

だから、包みは開けないで置いとく、と彼は続けた。
ハナ子の思惑はともかくとしても、おばあちゃんのお祝いを見もしないのはマズイかな・・・と思ったのだが。
昼間おばあちゃんに会ったのに、このお祝いのことを一言も言っていなかったことは不自然であり。
私たちはそれを、開封しないことにした。
そのままそこに置いておけば、数日中にハナ子&パパが来る。
なんとか、好きなようにするだろう。
翌日、私たちは義鳥を発つことにした。
夫にしてみれば、義鳥は実家みたいなものだ。
本当の実家には、結婚式問題からこっち、帰れなくなっている。
だから余計に、義鳥で親族に優しく(というよりも、身内として自然に)されるのが嬉しかったんだろうし。
パパは、実質的には夫の唯一の親だ。
だから、出来ることならパパと正月に顔を合わせたかっただろう。 口には出さなかったけれど、「ハナ子側じゃなく、明確にこちら側に立って欲しい」って気持ちもあっただろうし・・・。 それこそ、「ハナ子と別れたいなら、パパの住処を用意してもいいし、同居してもいい。」というくらいの気持ちは持っていたはず。 飽くまでも私の推察だけど。
でも、どうやらパパは、「ハナ子との生活」を、彼自身の意思で選んでいるらしい。 どんなに叫ばれ、小突かれ、時に中華包丁を振りかざされようとも、あの暮らしを捨てようとはしない・・・
パパのきょうだいにハナ子がどれだけ嫌がられているか、皆がパパのためだけにハナ子に笑顔を向けているか、気がつかないのだろうか。
いずれにせよ、夫は、パパ自身が「ハナ子との結婚生活というカタチを、いかなる犠牲を払っても維持したい」と思っていることに気がついた。 理由は私たちの価値観ではサッパリわからないが。
この上は、前夜の微妙~な食事会もあったことだし、もう一回ああいうことが起きると、義鳥の皆様に迷惑をかけるだけで、パパの何かが変わるはずもない。
だったらもう、行く。
ということで、支度して、皆に挨拶をして。
翌日の昼、杭州に向けて発ったのだった。
「旧正月はハナ子の音頭で乾杯」終わり。
ネクスト→「ハナ子とスイカに気をつけろ!」たぶん長くなる???


ババシャツは今も私のタンスに入ってるけど、日本ではそこまでは・・・
そう思うのに。
最近ユニクロでも、なかなか可愛いババシャツを売っている。
胸の辺りが覗く分には、ババシャツとは思わない。
あれ着るの、若い子だよな。
キャミのフリしてババシャツよな。
じゃ、私なんかババシャツ常時着用しててもOKかしら・・・
とか思う今日この頃。
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