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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記63「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのにじゅういち」

2006-12-20 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

日本の冬も寒い。
でもババシャツは必要ない。
北京で私はババシャツを手放せなかった。
一応まだ二十代なので、ミソまでは手ェ出さないぜ、って思ってたのに。
親戚から、「義鳥の工場のだから、着てね♪」っていただいてしまったがため。 
以来手放せず。
自分でも買っちゃったし。


                   


浦江のおうちを脱出して、一行は義鳥へ戻った。

別れ際まで、ハナ子妹は、「浦江に泊まれ」と半ば強制的な口調で、しつこく何度も勧めてきたのだけれど、夫は耳を貸さなかった。 その間、ハナ子は無言で、ただじっと妹の発言を聞いていた。 どう考えても、ハナ子が妹に言わせているんだろう。 ハナ子自身は、決して宿泊を勧めはしない。 ハナ子は、自分で自分の望み・要求を口にすることが、とても嫌い。

息子が浦江に泊まらず義鳥に泊まっていることも負けなら、自分で自分の要望を述べるのも負け。
ハナ子は、勝負の世界に生きる女なのだ。
「息子が自分の実家よりも夫の実家と近い」ことが、ただただ腹立たしく、ことここに至る経緯とかは眼中に無い・・・ということらしい。

なんとな~く疲れて、車中、言葉少なに義鳥に帰り着き、とりあえず皆が集まっていた2次会会場、2叔父宅へ・・・と、思いきや。 運転者だったいとこが、バンの後部から取り出した謎の、たいへん大きな包み。

何スか、それ?

何気なく見つめる私に、いとこは言った。
「これ・・・結婚祝いの杯だって。」
結婚祝い。
ダレの。

;「俺たちの、結婚祝いだって。」
えー。
・・・ダレから。
そして、その包みは、ずいぶん、大きいようですが。
私たちは明日にも義鳥を発ち、杭州経由で上海まで行って、そっからようやく北京の我が家に帰るのですが。
持って帰れないよな。

夫の説明によると、
;「持って帰らなくてもいい、おばーちゃんからのお祝いだから、見るだけ見ろ、って。」
見るだけ見ろとは。
そりゃ一体どういうことか。
見るだけなら、浦江で見せればよかったではないか。
わざわざ義鳥に運ばせた意味は・・・?

(とっても不機嫌そうに)「おばーちゃんは、こんなに良い人です・・・ってアピールだよ。 こんなに結婚をお祝いして、結婚式に出席したいと思っていますっていうアピール。 おばーちゃんのために、って理由つけて、自分が結婚式をまだやりたいだけ。
だから、包みは開けないで置いとく、と彼は続けた。
ハナ子の思惑はともかくとしても、おばあちゃんのお祝いを見もしないのはマズイかな・・・と思ったのだが。
昼間おばあちゃんに会ったのに、このお祝いのことを一言も言っていなかったことは不自然であり。
私たちはそれを、開封しないことにした。
そのままそこに置いておけば、数日中にハナ子&パパが来る。
なんとか、好きなようにするだろう。

翌日、私たちは義鳥を発つことにした。

夫にしてみれば、義鳥は実家みたいなものだ。 
本当の実家には、結婚式問題からこっち、帰れなくなっている。
だから余計に、義鳥で親族に優しく(というよりも、身内として自然に)されるのが嬉しかったんだろうし。

パパは、実質的には夫の唯一の親だ。
だから、出来ることならパパと正月に顔を合わせたかっただろう。 口には出さなかったけれど、「ハナ子側じゃなく、明確にこちら側に立って欲しい」って気持ちもあっただろうし・・・。 それこそ、「ハナ子と別れたいなら、パパの住処を用意してもいいし、同居してもいい。」というくらいの気持ちは持っていたはず。 飽くまでも私の推察だけど。 

でも、どうやらパパは、「ハナ子との生活」を、彼自身の意思で選んでいるらしい。 どんなに叫ばれ、小突かれ、時に中華包丁を振りかざされようとも、あの暮らしを捨てようとはしない・・・

パパのきょうだいにハナ子がどれだけ嫌がられているか、皆がパパのためだけにハナ子に笑顔を向けているか、気がつかないのだろうか。

いずれにせよ、夫は、パパ自身が「ハナ子との結婚生活というカタチを、いかなる犠牲を払っても維持したい」と思っていることに気がついた。 理由は私たちの価値観ではサッパリわからないが。

この上は、前夜の微妙~な食事会もあったことだし、もう一回ああいうことが起きると、義鳥の皆様に迷惑をかけるだけで、パパの何かが変わるはずもない。

だったらもう、行く。

ということで、支度して、皆に挨拶をして。
翌日の昼、杭州に向けて発ったのだった。









「旧正月はハナ子の音頭で乾杯」終わり。
ネクスト→「ハナ子とスイカに気をつけろ!」たぶん長くなる???









ババシャツは今も私のタンスに入ってるけど、日本ではそこまでは・・・
そう思うのに。
最近ユニクロでも、なかなか可愛いババシャツを売っている。
胸の辺りが覗く分には、ババシャツとは思わない。
あれ着るの、若い子だよな。
キャミのフリしてババシャツよな。

じゃ、私なんかババシャツ常時着用しててもOKかしら・・・

とか思う今日この頃。





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ダック鬼嫁日記62「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのにじゅう」

2006-11-23 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

おぉ、ま~た間が・・・
年末に向けて、何かと忙しいのです。
生活もだいぶ落ち着いてきて、ぷらぷら出歩くことも増えてきたし・・・。
徒歩圏のお買い物スポットもどうやら押さえた。
何が素晴らしいって、やっぱりお魚やさん。
近所の魚屋で、ピカピカの新鮮なのを「三枚におろして頂戴。」が出来るシアワセ。 これってやはり日本だけなのかしら。

                   



ハナ子に呪われながら、車は、浦江に着いた。
乗っている間中、焦点の合わない目で、ぶつぶつと何事か呟いたハナ子。
正味な話、病院に連れて行くべきだと思うんだけど。

到着すると、彼女は急に元気になった。
昼間、迎えのときにも顔を合わせた、ハナ子妹夫婦が出迎えに出てきた。 昼は、いきなり私を無視してくれたり、なかなかに正直な態度で接してくれたハナ子妹。送りのこのときは、叔父叔母が同行しているせいだろう、妙に愛想が良く、私にも親切そうにゆっくり話しかけてきたりする。 昼間はただガーッ!と話しかけて、通じてないと見るや、「この子中国語ぜんぜんわからないのよ!!!」って叫んだくせに。 さては、私には感情が無いとでも思ってるな?

夜も遅かったので、一向はパパ&ハナ子を届けたら早々に退散しようと思っていた。 が、なぜか物凄い強引さで「おうち見学ツアー」に誘われる。 具体的に言うと、腕を掴まれて家の中に引っ張り込まれるのだ。

この、スーパーフレンドリー。
ハナ子もそうだ。 シドニーで同居したときのこと。 たとえば私が洗い物(お皿3枚とかね)をしようとして、流しに近づく。 そこでハナ子は「ママが洗うよ」と声をかける。 私は、「大丈夫。私が洗う」と答える。ハナ子は近寄ってきて、物凄い力で私の腕を掴んで止めたり、しりもちをつくほど強く突き飛ばして私を流しから引き離す

最初は、私は何か間違ったことを言ったのだろうかと思った。
中国語がほぼ出来なくて、メイクァンシー(大丈夫よ)とウォーライ(私がやります)くらいしか言えなかったんだけど、何か失礼な間違いでもしたか。

しかし夫によると、「ハナ子はもともと強引なんだよ。 それだけ。」
そんな、それって中国では普通なの?(今思ったらバカバカしいけど、私はこれをしょっちゅう聞いていた)・・・この答えは、「別に皆がそんなじゃないけど。 でもハナ子実家ではだいたいそう。」

そして、話を元に戻して、ハナ子妹が掴んだ私の腕は、あとが赤くくっきりと残り、しばらくの間消えなかった。
しかしだからと言って、故意に、意地悪でしたわけでもなかった・・・らしい。
ともあれ、「新築の家ツアー」強引に開催。
ハナ子妹&ハナ子は、「どうだ!ウチはピッカピカでキレイだろう!」と、言わんばかりに得意気。

いや、確かに新築で、建物はきれいなのよ。
義鳥の親戚宅と比べても、ひけをとらない広さと新しさ。
でも、その使い方が違う。
義鳥の叔父叔母の家は、本当にきちんと片付いて、きれいに整頓・掃除がされている。 私なんて、掃除が得意では無いから、自分の家を思うと恥ずかしくなるくらいだ。 広くて、物の置き場には困らないとは言え、普段使いの道具類・仕事関係の書類・なんでもほんとうにピシっと手入れして、片付けられている。 

ひきかえ、ハナ子妹宅は、雑然としていた。
出しっぱなし、掃除も滅多にしない・・・というのが目で見てわかる。
なぜそこに放置されているのかわからない品々が家中にある。

べっつに。
私だってだらしない方だと思うし、ハナ子妹宅を悪く言おうとは思わない。 でも、この状態をひとにひけらかそうという神経はどうかしていると思う。 自慢するなら、キレイキレイに掃除してからにすればいいのに。

それから、私はその、聞くに堪えない家屋自慢をなんとなく聞かされている間中、ハナ子が貢いだパパやのお金は、この家のどれだけを作ったのだろうと考えていた。 柱が2本か3本か。 もっとなのか。

家屋ご自慢ツアーのなかで、「ここが客室です」と見せられた際、ハナ子妹は、物凄い勢いで「今晩はここに泊まって行きなさいよ!!!」と、勧めてくれた。 夫が慌てて、「義鳥に荷物を置いてきちゃったから」と断る。
パパたちを迎えに来たときの、ハナ子妹の態度を見たら、それは、泊まれるはずもないのだった。 口先だけだとしても、「泊まれ」と勧めるのがわからない。

ハナ子妹は、非常に残念そうに
「向こうばっかり泊まったら、こっちが負けじゃないの・・・」と呟いていた。

なんだ、それ。

ダレも勝負なんか、してないのに・・・。






「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのにじゅういち」へ続く。








その場所その場所で、いいものがあるんだと思う。
北京で気楽に山のように買っていた、マンゴーやライチは、日本ではとっても高い。 とても、好きなだけ食べられるものではない。
上海のショーロンポーだとか、香港の有名店のスイーツや麺なんかが東京にもあるけど、高いうえにイマイチなことが多い。
でも、私は魚育ちなので、他のことはさておき、魚食が手軽なのが嬉しい。
日本にいる間だし・・・。

でも、次の行き先については、「中華圏に長逗留するなら、香港にしてほしい」と夫にお願いしてみた。 可能であれば、の話。
北京や上海に住むのは、本当はイヤじゃない。むしろ楽しめるポイントをいくつも挙げられる。
だけど、大陸はハナ子がビザ無しで動き回れるから、できれば避けたい。
憎んでるわけではぜんぜんなくて。
ただ、本当にハナ子の無い世界で暮らしたいだけ。



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ダック鬼嫁日記61「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうきゅう」

2006-11-15 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

えらいこと間が空いちゃいました。
ごめんちゃい。
実は。
日本にいる間に出来ることをやっとこうと思って、ちょっとテストなんかを・・・
ええ、撃沈です。
本命は来年だからいいの。
でも滞在中に絶対パスしてやるぅ~
                   


5叔母が号泣したものの、宴はとりあえず続いた。

途中、いとこたちの彼氏彼女や、近所のひとが顔を出したり・・・というささやかなイベントが発生したけれど、そのくらいでは雰囲気は変わらなかった。
「和やかじゃないけど戦争状態でもない。」
それって、冷戦構造なわけで。

そうこうするうち、なぜかハナ子側の従弟が現れた。 
新婚の奥さんと、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて。 

「いとこが来たよ、赤ちゃんを見に行ってあげて。」
夫に言われたときは、そういえば彼がこっちに顔出すって言ってたなあ、としか思わなかったのだけれど。
どーも、様子がおかしい。
おまえたちも、早く子供を・・・的なことを言われたり、私が内心「誰がオマエをばあさんと呼ばせるもんですか。」と思ったりしたのはお約束なので別にいいのだが。
はて。
ハナ子、赤ん坊を見て、「かわいいねえ。 この子は何ヶ月なの?」だとか。
「おばあちゃんに似てるような気がするねえ。」
とか。
まるで、今初めて対面したみたいじゃないか。
へん。
ハナ子実家の新年会は、既に催されて、いとこはもちろん参加していたはずなのに・・・? 
そのへんのところを夫に聞いてみると、
「あ、赤ちゃんとは初対面だよ。 いとこはね、今年は新年会に参加できないの。 なぜならギャンブルでちょっと10万元くらいイカレちゃったんだって。 そんで親戚うちに顔向け不可なんだって。」
なんですとぉ?
10万元って、私にも大金だけど中国農村部ではもっと大変な額のはず。
日本円で百五十万くらいだもの~。
なんでまた。
この従弟、その以前は1回しか会ったことがなかったけど、すごく親切で感じのよいひとだったのだ。
意外。

そして、親族に顔向けできない状態の彼が、なぜハナ子だけに会いに来たのか。
気になる・・・が、そのわけが明かされるのは少し後のことだった。 後ほど書くのでこのエピソードを憶えててくださいね、っと。

ともあれハナ子サイド従弟は来た。
そして帰った。
ハナ子&パパを送って行くのかと思いきや、浦江には近づきたくないらしく、ご家族だけで帰っていった。

結局、夜遅くに、ハナ子&パパは義鳥の車で浦江に帰ることになった。
「明日浦江でごはんの約束をしてきたから」・・・と、パパはその理由を語ったが、おばあちゃんのお墓参りもしないでハナ子実家に長逗留するのは、どう考えても変だ。 

ハナ子からすれば「パパ側ばっかりに居て、ウチにはちょっと顔出しただけで、どういうつもりだろう!」ってところだろうけれど、私にしてみれば「あんたが私の悪口言い放題の家なんかニコニコ行けるかァーッ! ばかぁー!」ってとこ。

パパが帰るときに、4叔母と5叔母と2叔父が送っていくと申し出たので、運転手であるいとこは10人乗りのワゴンを出してきた。
すると、我が夫も同行すると言う。
理由は、「放置したら、車内でまたウチの奥さんの悪口言われるから」。
そんじゃあ、と私も乗り込む。

ハナ子は、が至近距離にいるときは悪口も嘘も言わない。
逆に、至近距離でさえなければ、「そんなこと言ってないよ」とシラを切りとおせると信じている。

だから、が同乗していた浦江までの30分ほどは、不気味なほど大人しかった。 パパと叔父叔母が、私に話しかけてもハナ子は無反応。いや。

・・・黙りこくったハナ子をよく見ると、口元がモゴモゴと動いていた。
食べてるとかガム噛んでる感じではなく、何かを呟いている。
目は宙を見て止まっている。

なんか、怖。
そう思っていた私に、夫がささやいた。



「呪っているんだろうな、あれ・・・。」







「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのにじゅう」へ続く。








資格を取っとこうとか、もうちょっと言葉を勉強しようとか。
それってリコン準備なんです。
いえ、リコンする気はさらっさら無いですが。
この先、万が一ハナ子が私の人生に不法侵入してくるとか。
なのに夫が防衛してくれないとか。
そんなことになったら、心を強くして戦いたいんです。
うちって移動ばっかりしてて、なかなかマトモに職歴つけらんないし。
無職歴が着々と長くなっていく若くない女としては、「イザってとき、贅沢じゃなくていいから、一人分ならなんとかなる」くらいの能力をつけたいんです。

あら、今夜は私、まじめじゃありませんか?


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ダック鬼嫁日記60「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうはち」

2006-11-02 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

更新が滞ってましてどうも。
最近忙しくって~
いえ、自分で自分を忙しくするのが好きなだけなんですが。
それって効果的に忙しければOKですが、あんまり効率よくないとタダの貧乏人ですね。
貧乏暇なし。う~ん。

                   


キョーフの絶叫乾杯ハナ子を後に残し、私たちはいとこ達のテーブルへ移動。
ゆる~く迎えられ、まったく関係の無い世間話、開始。
仕事どー?とか、結婚するんだって?とか、いとこのお嫁さんで妊娠中のひともいて、一人っ子政策の話だとかをひとしきり。
いとこ達は、それぞれ一人っ子ないし2人きょうだいの育ちなので、「一人っ子政策」に取り立てた不満は無いようだった。 これが叔父叔母になると、「奥さんがガイジンだと、何人でも産めていいねえ」って話になるんだけど。 人間自分の育った家庭を基準に考えるから、そうなるんだろうなと思う。

私はハナ子のことを考えるのをヤメていた。
いわゆる人格障害なのかなあ、ということを常々考えていたのだけれど、医者に診せる術はなさそうだし、この春節の間のハナ子を見ても、とにかく彼女がどーしようもないオバちゃんであるのは間違いない。

夫にとってはそれでも母親だから、なかなか割り切れるもんではないだろうけれど、ハナ子がこんなにも浅はかである以上、夫は「やっぱ俺のかあちゃんはダメダメであるな」ということを折に触れて確認せざるをえない。はずだ。

無視無視。
どれだけ吠えても、私の勝ちは揺ぎ無いもんね。

そういう風に心の中でつぶやくことで、不快感・もやもやを解消させていた私。

ふとトイレに立ったとき、視界にハナ子が飛び込んできた。

???
なんだろう。
私達がもともと座っていたテーブルで、ハナ子は4叔母・5叔母と話し込んでいたらしいけれど。 なぜか5叔母が泣いている。 事件だ!・・・じゃなくて、なんでめでたき正月に泣いているのだろうか。 ハナ子にいじめられているっぽい構図ではあるが・・・。
私は、ちょうどすれ違った1叔父を確保。 「ねー1叔父ちゃん、なんで5叔母ちゃん泣いてるの? なんかあったの?」と質問。 叔父ちゃんの返事は、私に聞き取れた限りでは「こざる(5叔母息子、16歳)のことだよ」だった。
周囲を見渡すと、そういえばさっきまでいたこざるちゃんが見当たらない。
私の中国力(+叔父ちゃんの訛り、たぶん)では埒が明かないので、夫を突っついて事情聴取に向かわせる。 だって、5叔母の泣きっぷりは、なんだかタダならない感じなのだ。
1叔父と話す合間に、夫は私に短く教えてくれた。
;「こざるちゃん、悪いって。」
は? 悪い? なにが。
身体ではなかろう。 元気な子だし、今さっきも酒飲んでたし。
手癖でもなかろう。 こざるちゃんは、素直な良い子だ。 口数こそ多くはないけど、よく家業を手伝っているし、私にも親切だし、16にもなって「いい子だねえ」と義鳥語でほめてあげるとニコニコ喜ぶ。 どっちかといえば温めの素朴な少年だ。
でも叔母ちゃん、すごく泣いてるし。 何か私の気づかなかった、悪いところがあるのであろうか・・・と私が少し心配になったころ。 夫は叔父との会話を終え、説明してくれた。
;「ハナ子さあ、こざるちゃんの成績が悪いって言って、叔母ちゃんを苛めているんだよ。」
そういう夫の顔は怒っていた。
なぁんだ、成績か・・・と私は思った。 そして、もしかして悪い子・・・?と少しでも疑ったことを、心の中でこざるちゃんに詫びた。
;「子供の成績が悪いのは、母親であるオマエの責任だとかって苛めて、ウチの子がちゃんとした大学を出てリッパにやっているのは母である私(=ハナ子)のおかげである!とか言い続けている・・・」
絶句。
アホか。
そんな自慢したいがために新年会の席で義妹を泣かすんか。
しかも、夫曰く「ハナ子に虐待されなきゃ俺はもっと成績良かったはず。 俺の成績が向上するためにハナ子が貢献したことは何一つ無い!」とのことだし。

高校時代の成績なんて、どうでもいいと私は思うけれど・・・一応、夫に訊いてみる。「こざるちゃんの成績ってそんなに悪いの?」
;「そんなことないよ。 ただ、得意科目苦手科目が極端に分かれてるから、総合成績だとゲンゲン(4叔母息子)やリンリン(2叔父娘)には負けるってだけで・・・。 高校2年になって文系理系に分かれたら順位も上がるし、それなりに良い大学狙えるよ。」
私;「だよねえ・・・こざるちゃん気も利くし、てきぱきしてるし、頭悪い感じしないよねえ。」
;「それを、親に学歴がないからだ、とまで言っている。 叔母ちゃん8人きょうだいの末っ子で、どうやって大学いけたんだよ・・・」

5叔母にしてみれば、悔しいやら、なにやらで・・・泣けてきた、ということらしい。 
なんとまあ。
ひどいこと。

パパはその様子からも目を逸らしていた。そのように見えた。
気がつかなかった・・・わけではないと思う。

確かに、その場でハナ子に何か言えば、新年会は公開バトルに突入、平和とは程遠い事態に発展してしまう。
でも、私にはその場にいた叔父叔母の、「兄ちゃん! そのキングギドラをやっつけてくれよ!」という心の声が聞こえるような気がした。
言ったところでハナ子の歪んだ人間性が治ったりはしないだろうけど、何が変わらなくとも、言った方はきっとスッキリする。
弟妹全員が、長兄であるパパのためだけに、敢えて口火は切らないでここまできたのだ。
豪快に、口火ブッ千切るのがパパの任務ではないか?

ああ、だけどパパ。
それでもどうしても徹底して無抵抗主義なのですね。
私はパパのことを自衛隊かと思っていたけれど、防衛権すら無いのでは、それは自衛隊ですらない・・・。
無抵抗、それはガンジー。

私は地防軍アメリカになって、越権乱入交戦したかったけど、それは出来ない国連軍なのよね。
私がでしゃばって何かしたら、複雑な心境極まりないところにいる我が夫との関係を損ねてしまうからね。

てか、私中国語出来ないしなあ・・・ 
  



「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうはち」へ続く。








煮詰まった頭でブログ書いてると、要らんことまで書きそうで怖いです。
私はこんなひとなんですよとか。
毎日何々してますとか。
冷静にそれが出来ればそれもアリなんですが、自己申告ってたいがい偏っちゃうのでヤなんです。
う~ん。
うなってばっか。


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ダック鬼嫁日記59「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうなな」

2006-10-28 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

ねっむう・・・
実のところ夜中に書いているのです。
眠いのにおなかすいて困ります。
こういうとき、食べたくなるのは大衆食。
インスタントラーメンとか。
やきそばとか。
カップは嫌いですが。
                   


とりあえず、に乾杯した私たち。
あーもう任務完了。
これで義務は果たしましたよ。
「納税の義務」よりやりがいを感じないが、やらねばならない・・・兵役?いや、国連に払ってる金みたいな・・・。
前日までは「パパと新年ディナーしたいなああ」と呟いていたも、この時点ではすっかり意気消沈。
だって、いくらなんでも同じ食事会場に居て、その態度とは思わなかったし、「パパからの遺伝で・・・」って発言を、親族相手に、目の前で話されるのはげんなりするものね。

あーぐったり・・・
「元気だしなよ、もーしょうがないじゃん。」
と、日本語で話しかける私。
「そうだねー」とやる気の感じられない相槌を打つ夫。

そこに。
パパが。
;「お前たちにも乾杯を!」
と、杯を出してきた。
あ、ご返杯ね。

へーへー。
どもども。
いっそ元気に笑顔で~カラ元気でも元気ッ!
とばかりに、「待って待って~」と言いつつ、グラスに酒を注ぎ足す私たち。
やけくそだ~

が。
そこで。
なぜか力いっぱい椅子を蹴倒してガタァン!と立ち上がるハナ子。

わっあーゆーどぅーいん。

ハナ子、グラスを高々と差し上げて(もちろんパパ差し置き、グラスには王老吉っていうヘンな甘茶)、

「オマエたちはァ、シドニーでェ、ママに親切にしてくれましたッ! 毎日毎日ごはんを作ってくれたしィ、ケーキも焼いてくれてェ、海辺に遊びに行ったりィ、ママは親孝行な息子と息子の嫁を持ってェ、シアワセであるッ!!!」

どうしたハナ子。
王老吉に自白剤(ってどんなもんか知らんが)でも入ってたんか。
真実語って。

「乾杯ッ!!!」

地を揺るがすようなとは言わないが、部屋中がドン引くような、大音声。
悪魔の声だっちゃ。

0.1秒、私たちは停止し、その後、何かに突き動かされるかのように一気にグラスをあけた。 そのまま、タンッ!とグラスを置き、着席。
無言で、静まり返った場に音が戻るのを待ち、その後、スクッ!と立ち上がって、そのテーブルを離れた。 そのタイミング、まったく一緒。 私ら、普段ケンカしてても、けっこう気が合う(←一応新婚なのに投げやりですか?)と思うのは、こんなときだ。

なんつーかこー。

すっげーイヤ。

それ以外の言葉は見つからなかった。
「どのクチが言うか!」とかそういうことでさえない。
ハナ子。
厚い厚いと思っていたけど、頭部丸ごと皮しかなくて、芯まで剥けるタマネギなんじゃないの!・・・とか、今は思い浮かぶけど。 あ、タマネギは食えるな。 食えない何か。 役に立たない、食えないタマネギ模造品とか。

あれだけ、「シドニーではごはんもロクに食べさせてもらえなかった」と言いまくっておいて。

きっと、みんなの前で「シドニーではありがとう」を言うことによって、私たちには「ほら、母ちゃんはみんなの前でもああ言っただろう。 シドニーのことで悪口言ったなんて、うそなんだよ」と言い、親戚には「ああ言わないと、嫁が収まらないから嘘を言ったんだよ。辛かった・・・」とでも言うつもりなのだ。 

まーだ、
あっちにはコレ。
こっちにはアレ。
みたいな、稚拙な嘘の吐き方で通ると思っている。

底が浅いけれど、可愛げがない。
謝らないでいいから、せめて蒸し返さないで欲しい。

あんたの長男は、少し鈍いけれども、でも世間並みには判断力を持ち合わせているのだ・・・・・・ということを、わからせる術はないものか。

パパは、私たちが席を立つとき、スッと目を背けた。

私の夫は、融通も気も利かない、子供っぽい、人類を2分したら賢く無い方に入るであろうひとだけどね・・・素直で素直で。 あんなに苛められたのに、全額自腹で自分が節約してでもシドニーにハナ子(&パパ)を招待しちゃうようなひとなの! 
ちょっとはかわいそうだと、思わないのだろうか。
それとも、とうに自立して親の収入を超えた子だから、心は助けなくてもいい、と思ってるのだろうか。

対親という意味では、子供はいつまでも子供だと、私は思うけど。


ハナ子については、「おかしいおかしいと思ってたけど、こんなにも・・・」という、ダメ押しの連続。
でも、パパに対しては、くすぶっていた疑問が、私の内心で、無視できないくらいに大きくなりつつあった・・・・・・。





 「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうはち」へ続く。








おなかすいたからって、そんな高カロリーなもの食べないですよ。
すんごく減ってしょうがなかったらおかゆとかしらたきとか。
一応女子(中年太りが怖い年頃か?)ですので。
でも大方は、脳が「食べたい」と言っても身体がついていかず。
老化・・・?


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ダック鬼嫁日記58「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうろく」

2006-10-24 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

香港行ってきました~。
観光なので、ダークサイドは見ないで帰ってきたとは思うのですが。
それにしたって、良かった~。
都会度は先ずOK。
中国とウエスタンがほどよくミックス。
英語通じる度も抜群!
スイーツ美味しいし・・・
海もばっちり近いし。
次は香港でもいいなってほんとに思った。

ダークサイドご存知だったら、教えてくださいませ。
                   


叔父(=パパの弟)を相手に、パパの遺伝的性質を貶め続ける暴走ハナ子。
わざと意地悪を言っているのかと思いきや、さにあらず。 なんとそれが失礼なことだというのがわからないらしい。 
;「パパは頭が病気だから・・・」
と、堂々と繰り返すハナ子に、その場にいた30人近い人々が、病気なのはオマエだよ!!!と、心の中で突っ込みを入れていた。

ハナ子の話を聞かされていた2叔父を救出しようとしたのか、2叔父の娘であるリンリンが、グラスを片手にハナ子に近寄った。
;「伯父さん、伯母さん、明けましておめでとうございます。 健康をお祈りします! 乾杯!」
・・・この、めでたげな口上と共に、「誰々さん乾杯!」とやるのは中国の習慣らしい。 
ハナ子の暴走トークを聞くともなしに聞いていて、フリーズ寸前だった場は、一気に無理やり和んだ。
パパが、「ありがとう、乾杯!」と返し、部屋のあちこちでお互いに乾杯を始める親戚一同。
私たちも、とりあえず参加。
目上のひとに乾杯を申し込んだり、年下のいとこから乾杯を受けたり。

だがしかし。
私は逡巡した。
この集まりの最年長者はパパ&ハナ子で、曲がりなりにも親だ。
そこを避けて通っては、せっかく場を和ませたリンリンに申し訳が立たないじゃないか。 彼女から見れば私ら、おにいちゃんとおねえちゃんなんだから。
うう。
やだな。
でもやんなかったら負けかもな。

私が迷ったその一瞬、空気を察したのか、パパとハナ子はこちらに身体を向けていた。 明らかに待ちだ。

唐突に夫が言った。
;「明けましておめでとうございます! 健康と幸福をお祈りします! 乾杯!」
パパとハナ子は隣り合わせに座っていて、こちらを見ているわけで。
事前の、パパ、ママ・・・という掛け声は不要といえば不要だったのかもしれない。
私はあわてて自分のグラスを夫の手のところに出した。
パパが「どうもありがとう。 お前たちにもいい年でありますように」みたいなことを言って、乾杯。 ハナ子も一緒に乾杯。
私は横目で夫の顔を見た。
うっわぁ・・・ってくらい可哀相な作り笑顔。
夫は吐くべき嘘も吐けないタイプなので、作り笑顔なんて先ずしない。 「正直でいいひと」というレベルを超えて、「社会人としてどうなんだ?」ってくらいに素直な性格だ。 それでも外ではがんばって大人行動を取っている(らしい)けれど、家では、ここだけの話、3歳児だ。
それが痛々しく張り付いたような笑顔。
その笑顔はハナ子の笑顔にとてもよく似ていた。
顔立ちが似ていることもあるが、なんのことはない、ハナ子の笑顔は常に作り笑顔なんだ・・・と気がついた。
私たちに向けられたものでなくても、古いアルバムの中の、まだ若いハナ子の笑顔であっても。 あれは作り笑いだったんだ。

私の目の前で、おんなじ顔をした母子(そのくらい似ている)が、おんなじつくり笑顔を浮かべていた。
その二人の間で、パパがニコニコしていた。

そりゃ、違うだろうと思う。
私はこの様子を見てニコニコは出来ない。 あからさまに不機嫌にはならないように耐えるのがせいぜいだ。

私は夫実家ファミリーの歪みを見ている気分になった。
もちろん歪みのまったく無い家なんてそうそうあるものではないだろうし、私の実家だって、ハナ子のような爆弾は擁していないものの、いろいろある。 私たち夫婦だって、時間の経過と共に歪み軋みが激しくなっていく可能性も十分に持ち合わせている。

でも、ケンカできない家って何?
六十の母親と、三十路の息子が、心にも無い乾杯をして、作り笑顔を向かい合わせている正月って何?
なんでそれを見てそんなにニコニコできるの?

私は、今でもパパのことを、とても善良で優しい人物だと思っている。
彼の性格や育った時代や妻にハナ子を選んでしまったというヒキの弱さも、考慮すべきだとは思う。
結果として、が捩れず潰れず育ったことには感謝している。

でも、ハナ子をのさばらせ、ここのうちをこうまで歪ませたのは、間違いなくパパだ。
「離婚しない主義だから」「子供が小さいときに離婚なんてとんでもない」なんつーのは言い訳だ。
数は少なくとも、同時代に離婚したひとはいるし。
離婚しようがしまいが、自分の人生に対して、家族に対して、向き合うのが大事なことで。
「平和が一番です」というきれいな言葉の元に、波風立てぬことだけをモットーに生きてきたのは、家庭生活をサボタージュしたことに他ならない。

とはいえ、激動の時代を激動の配偶者と生き抜いてきたパパに私が物申すことはどうやら許されず。

作り笑いも吹き飛ぶ、ショッキングな乾杯タイムはまだ続いてしまうのだった・・・。




          「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうなな」へ続く。








次の行き先が(日本から移動する時期はまだ未定なんだけどね)、中華方面になるならば、香港でも上海でもいい。 
より都会なのは香港だと感じたけど、上海だって困らないくらいに大都市なのだし、夫の友達も多いし楽しい生活が待ってる気がする。

でも決定的に香港が(我が家にとって)素敵に思える理由。
それは、ハナ子が届き難いこと。
香港は、ビザや国際電話料金の壁があるからね。

ま、そうは言っても思いもよらないところに飛ぶ可能性もあるからなんともいえないけど・・・。


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ダック鬼嫁日記57「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうご」

2006-10-17 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

週末、香港なんだけど・・・
夫と別行動確定、私は日本の友達と二人連れ。
ややドキドキ。

                   


パパがナニを思って「夕飯も食べていきます」と言ったのか。
単に実家で食べたかったのか。
それとも私が余計なことを言ってしまったのか。
あるいは考えたくはないけれど「仲直り作戦」発動中だったのか(たぶんこれは違うと思うんだけど)。

ともかくパパ&ハナ子は2叔母宅の夕食会のテーブルについた。

ハナ子が抵抗しなかったのかどうか、私は少し心配だった。 義鳥=パパの陣地内なので、その場はパパの要求が通り易かったのだろうが、浦江に帰ってから、どうなるのか。 更なる虐待を呼ぶのではなかろうか。

しかし、真冬の曇天、バスケコートから2叔父宅へ戻る道々。 ハナ子はパパと話し始め、激昂することなく、夕食会参加を承諾した。 
;「ナントカもこっちに来るって言っているから、いいよ。」
ナントカ、が何なのか、私には聞き取れなかった。
夫の顔を見ると、「いとこだよ。」
そのときは、状況がよくつかめなかったし、どのいとこなのかもわからなかったけれど、誰かが訪れること、そのためにパパは義鳥で夕食を食べられること、それだけはわかった。

とにかく食事になった。

2叔母宅の食事会では、大きいテーブルが3つ用意され、それぞれ、「パパの弟妹」「その配偶者」「子供たち(もう大人も多いけど、子供世代ってことね)」と分かれて座った。 宴が進むうちに席替えし、ゴチャゴチャになるんだけど、最初はその座り方をすることがとても多い。

は本来「子供たち」テーブルに着くべきなんだけど、長男の長男だし、亡くなったおばあちゃんの元、叔父叔母と同じ家で育ったから、「パパ弟妹テーブル」に連れて行かれる。 外国人嫁で、中国語の不自由な私も一緒。

そのようなわけで、パパ&ハナ子と同じテーブルに着いた。
こんな感じ。↓↓↓

    ・・・2叔父4叔母・・・

4叔母は、おしゃべり好き。
始まってすぐに、4叔母と夫が子供の学校や留学などのことについて話し始め、教師であるところのパパがそれに加わって、話はとっても盛り上がった。4叔母は、息子を留学させたいけれど、お金はどんくらいかかるのかしら、とか、USに行かせるべきかしら、でも、日本もいいと思うけどどう?というようなことを言い、夫とパパがああだこうだ応える。
私は、どうにか理解できたものの、あまり発言することもなく聞いていた。

聞き取れても、フッと意識がその話から逸れることって、私はしょっちゅうある。 そもそもビギナー中国語もはなはだしいし。 自分に向けて話しかけられていれば別だけど、誰かが喋ってる中国語に集中し続けるのはとっても難しい。

何気なく、ハナ子の様子を伺った。

・・・・・・
がぁぁぁあん。
ショックー。

あろうことか、ハナ子は2叔父を相手に、同じテーブルに座っている私の悪口を、思いくそしていた。
もぅ今更驚かないぞぅ♪とは思っていたけれど、やはり何と言うか脱力してしまう。 だって、私だけでなく、ネイティブ中国語スピーカーの、も同じテーブルに居るのだ。

何考えてるんだ、ハナ子。
さてはと仲直りする気、無いな?

とりあえず夫を突っついて内容を聞き取り・通訳してもらう。
周囲もみんな盛り上がってるので、なかなか聞き取りづらく、私は「ハナ子がけしからぬことを言っている」まではわかったものの、詳しいことはわからなかった。

;「・・・いつもどおりの、実家の悪口を言われた、嫁が悪い、息子が浦江に来ない発言。」
;「義鳥での結婚式がキャンセルになったのは、ハナ子のせいではない。 そもそも次男が嘘を吐いたからいけない。 ハナ子はいいお母さんなのに、誤解されている。」
;「次男は心は優しいが、頭がおかしい。 パパからの遺伝である。」

ああもう。
なんて言っていいか。
パパからの遺伝で頭がおかしい、そう話している相手は、パパの実の弟だ。

夫は手を口元に持っていって、ややうつむき、押し殺したような声で、
;「親戚に対して恥ずかしい・・・」
と、つぶやいた。
私もそう思った。
私の親じゃないけど、夫の親でも不仲だけど。
でも、親戚に対して恥ずかしいよ。
義母がすみません、申し訳ないです・・・なんか、そういうことを口走りたいような、ヘンな気持ち。

パパはといえば、4叔母と、その向こうの5叔母を相手に、昔話をしている。
私&が日本語でハナ子を恥じているのに、気づいているのかいないのか。 ハナ子の方など、見もしないパパ。

目を逸らしても逸らしきれない、恥が、ハナ子がそこに居るのに・・・


 



          「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうろく」へ続く。








ガイドブック熟読中~
でもイマイチイメージ湧かないな。
一応2冊ばかり買い込んだんだけど~




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ダック鬼嫁日記56「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうよん」

2006-10-14 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

日本滞在3ヶ月経過。
夫が暮らしに慣れ、徐々に日本の良いところを見出している。
一方私は「ボチボチ飽きたぁ~」と思い始めている。

日本に便利・快適がたくさんあることはわかる。
昔からの友達もいる。

でもなんか。
贅沢なことに「退屈」なのかもしれない。

私はいつからそんなに、刺激を求めるようになったのか・・・?


                   







横に座っている私の悪口を言いまくるという暴挙に出てくれたハナ子。
もちろん私は面白いはずもなかったけれど、私はこと嫁姑戦争に関しては、直接対決は絶対にしない主義。 もちろん緊急事態は除く。 まあ、今のところ子供もいないし、緊急事態に陥ることはそんなにはなさそうだけどさ。

なぜ、直接対決しないかって?
それはハナ子がド卑怯だから、揚げ足取られたくない、というのもあるが・・・
何よりも、夫/息子という一人の男を間に挟んでの、身内同士の女の戦いだからだ。
仁義無き戦い、といきたいのはヤマヤマだけど、夫/息子から、「仁義が無いのは嫁/母の方だ!」って判断されたら、その時点で負け。

もちろん、夫/息子がたいへん気弱で、脅せば頷くようなタイプなら、この限りではないけどさ。 うちのは頑固だし、口喧嘩は大得意。 そしてものすごく理屈っぽい。

いくらハナ子が相手でも、「曲がりなりにもお姑様」って線から大きく外れることはしたくなかった。 私に出来ることは、「行動しない」ことだけ。 絶対にハナ子の機嫌はとらない、でも無礼も働かない。 ケンカも小細工もしない。

4叔母の車から降りて、私はすぐ夫に近寄った。 夫の乗った車も、ほぼ同じくらいに到着していた。 
そして、車の中でハナ子が喋ったことをなるべく詳しく伝えた。 夫のじんましんを食生活のせいだと言われたことが、特に腹立たしかった。 じんましんはストレス性(診断書アリ)で、結婚式キャンセル騒動のときに思い切り悪化したものなのだ。ストレス原因そのものにグダグダ言われる筋合いは無い。
夫は、「ほんとにそんなことを言ったの?」と言いはしたが、私がそれなりに中国語を聞き取れることを知っているので、
;「少しハナ子の言動に気をつけてみるよ。」
と、請合ってくれた。
それでいい。
ハナ子のことだから、どうせまた親戚に私の悪口を言うに決まっている。 夫のいるところでは言わないのだろうけれど(と、そのときは思った)、気をつけていれば「あ、何か言ってる」くらいは伝わるだろうし、叔父叔母に後から聞いてもらってもいい。 
夫自身の目と耳で確認し、そういうことがあった、と記憶に留めてくれればいい。

私が夫に報告している間、パパも近くにいた。 日本語のわかるパパは、私の話を聞いていたに違いない。 けして話に加わろうとはしなかったが、離れようともしなかった。 私は夫の肩越しにそれを見ていて、なんだか胸が痛んだ。 

パパの「ひたすら耐える」態度に苛立つことはあるけれど。
義弟が到底まともな大人の男とは思えない様を見て、「パパにも責任あるよ」と思ってはいるけれど。
パパ個人は、静かで優しいひとであるので。
しんどそうな様子を見れば、心のどこかがチクチクする。



それから、夕飯までの間、親戚一同はバラバラに、好き勝手に過ごすことになった。 夜は、ほぼ同じメンバーで、2叔母の家で食べることになっていた。 パパは「夕食に参加するかどうか、考えている」と言い、ハナ子は「浦江に帰る」と主張していた。

私と夫は、車から降りたその足で、村のバスケットコートに向かった。 
NBAヒューストンロケッツのヤオミンの影響か、中国人はバスケが好きなようだ。 北京でもちょっとしたバスケが出来る施設をよく見かけたし、パパ実家村のコートも、田舎にしてはずいぶんと立派なものだった。
いとこと、スポーツ好きの叔父がバスケをすると言って夫を誘い、私はただ見に行った。

試合というほどのものではなかったが、それは楽しそうだった。 十代から四十代まで入り乱れて結構真剣にボールを追っている。 私は2叔父の娘であるリンリンと、「男の子たち」の上着を抱えながら応援していた。

そこに、パパがやってきた。
見回せば、いつのまにかハナ子もコートに来ていたが、ハナ子はなぜかコートの反対側にいた。 

私は、パパと日本語で、当たり障りのない話をした。 おばあちゃんのお墓に行って、爆竹がすごかったとか、今年は雪が無くていいね、とか。
ほとんど私が喋って、パパは相槌を打つ程度だった。
中国語で話していても、誰が相手であっても、パパはあまり自分からたくさん話したりはしない。
夕飯、どうするの?と尋ねると、パパは少し困ったようだった。
私:「パパと一緒に食べられると、は喜ぶね・・・。 でも、浦江で約束があるんじゃ、しょうがないけど・・・」
;「いえ、特に約束とかはないです・・・」
ハナ子は、約束があるから帰ると言っていたんだけど、やっぱり嘘だったようだ。
しばし、パパは考え込み。
ややあって。
;「夕飯、食べられるといいですねぇ。」
と、言った。

パパ、他人事みたいに・・・


しかし意外にも、バスケ終了後、パパは
「やはり夕飯も食べていきます」
と、言い出したのだった。








           「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうご」へ続く。












実のところ、北京暮らしの後半は、「ハナ子の届かない場所へ行きたい」。
その一念しかなかった。
同居でもないのにあのストレスは一体なんだったのだろう・・・

いつしか私はあのストレスを「刺激」だと認識していたのかなあ。

だとしたら、日本の平穏な暮らしなんて、長いことは耐えられそうにない。

私は一体どこで何をして暮らしたいのかなあ・・・


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ダック鬼嫁日記55「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうさん」

2006-10-11 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯

日本の秋。
それはハーゲンダッツが食べられること。
だって、中国のハーゲンダッツは、物価をものともせず、日本より高いの。
店もサロン風?ゴージャス風味なので、たまの楽しみにはいいけど、いつも食べるのはあまりにもバカバカしい。
ミニカップでも30元=450円くらいしてたもの。
東京のスーパーで安売りで買ったら183円なのに。
ちなみに安売りしか買いません。
あ・・・けちくさいですか、私・・・?




だっていつか日本にも中国にもおうちを買うのが夢なのさ。




果てしなく遠い夢だけどねー。
                   


ハナ子スイッチ、オン!

それは、1叔母の家から2叔父らの住む村までの道中。
車移動だったので、何台かに分かれて分乗。
距離も短いので、適当に空いている席へ座ればいいんだけど・・・
乗車の際、ハナ子は一人とっとと4叔母夫妻の車へ乗り込んだ。
パパは・・・と見ると、と立ったまま話し込んでいる。
パパ親族の集まりでは、通常ハナ子はパパから離れないんだけど、なぜかこのときはパパを呼ぶこともしなかった。

へんなの。

と思いつつ、まあ、パパと夫が一緒に座れば話も続けられるだろうし・・・と、ハナ子の隣にケツを押し込む私。一応、「ママ、私となりに座るわね~」と声はかけておく。 義母に倣いし面の皮スマイルも忘れずに装備。 親戚の手前っつうもんもあるでな。 目指せノーミス完封試合。

取って食われやしないだろ、とは思ったさ。

私に応えて、面の皮スマイルを浮かべるハナ子。 「今年は寒くないからいいねぇ。 ところで、いつまで義鳥にいるんだい? 杭州はいつ行くんだ?」と話しかけてきた。 私は、「決めていないけど、でも、の好きなようにするよ」と答えた。
このあたりで、4叔母運転の車が発進。
窓の外の1叔母に「また来るからね!ありがとう!」とかなんとか声をかけ、手を振り・・・
順調に加速し、1叔母の村が見えなくなる頃、4叔母がハナ子に言った。

4叔母;「義姉さん、今日は浦江に帰るの~? 今年は義鳥には泊まらないの?」

;「それがねェ、が帰ってからにしようと思って。 だって、酷いんだよ嫁が来てからっていうもの・・・私の実家には寄り付きもしなくなっちゃってねェ。」
私、ふたりの会話を完全に理解できたわけじゃないので、聞こえたところだけ書いていく。 後に夫が4叔母とこのときの話をして確認しているので、それほど間違ってはいないはず・・・。

;「私の母も寂しがるし、もう少し実家にゆっくりしてあげようかと思って。 が一緒に杭州に帰るって言うなら、そりゃあスグに帰ったっていいんだけどね。 嫁がウチに寄りたくないって言うもんだからね。」
・・・・・・嫁のせいか。
4叔母は、私がそこそこ聞き取れるということを知っているので、「そうなんだ~」とか、「ふうん」という程度の相槌しか打たない。

;「結婚式のことだってねェ、私は、嫁にシドニーでされた仕打ちがあんまりにも酷くて、ついつい次男に少し喋ったら、ホラ、次男は頭がオカシイから、私が言ってもいないことまで言っちゃったりして。話が大きくなって、結婚式がこんなことに・・・」
;「まあ、嫁が私の実家の悪口を言ったりするから次男も感情的になってねェ。 私は、私が悪く言われるのはもうかまわないと思うんだけど、実家の悪口は我慢が出来なくてねェ・・・」
;「嫁は意地悪でねェ。 シドニーでは、私はごはんも貰えずひもじくて・・・。
;「それでも、の健康さえ気を遣ってくれればいいんだけどね、もじんましんが出たりして、身体があまり良くないんだよ。一体どんなものを食べさせられているんだろうと思うと心配で・・・

乗車中繰り出されたマシンガン・トークは全て無いこと無いこと
そして過去に重ねた嘘の繰り返し

話の内容については、私は驚かなかった。今までの繰り返しだから。 もちろん、そう話している現場を目撃した・・・という意味でのショックはあったけれど。

驚いたのは、嫁である私が、すぐ傍にいるのにもかかわらず、そんな話をしたこと。
いくら言葉が不自由だとは言え・・・いや、言葉が不自由だからこそ、「どうせわからないだろう」と至近距離で悪口を並べ立てるなんて、話の真偽に関わらず、無神経で、下品で、卑怯じゃないか。

もしもが「4叔母にこんなことを言っていたでしょう!」とハナ子に詰め寄ったりすれば、ハナ子は「聞き間違いだよ」と逃げるだろうし、「4叔母に聞いたぞ」と言ったところで、「義鳥のひとは意地悪だから嘘を吐いているんだ」と言い張るんだろう。


面の皮の厚みにも年季が入っている。


でもハナ子。
間違ってるよ。

4叔母にその話をしたいがために、パパともとも離れて車に乗ったんだろうけれど(ということは私が乗り込んだのは計算違いだ)、他人様に嘘を吹聴して味方につけたところで、一体何になる?

大事なのは、が。 私が。
ハナ子をどういう人間だと見るか。
そうじゃないか?

しかしハナ子の暴走は、イケイケどんどんで続いていくのであった・・・。



          「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうよん」へ続く。






ハナ子も大好きハーゲンダッツ(西湖新天地の店舗ですな♪)。
日本で出ていた新味は、「バナナキャラメル」と「ブラックセサミ」と「アフォガード」と「ラムレーズン」。
あれ?
ラムレーズンって昔からあるような・・・?








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ダック鬼嫁日記54「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうに」

2006-10-08 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
さあ、ハナ子だ。



                    


義鳥に向かう車中。
ハナ子の言葉数は極端に少なかった。
まったくの無言・・・というわけでもないが、唐突に「朝ごはんは何を食べたんだい?」とか「今日は誰の家で昼ごはんを食べるんだい?」「誰々も来るの?」とかいうどうでもいいようなことを言う。 夫かいとこが答え、少しだけ会話が続く。
話が途切れると押し黙って、なぜか宙を見ている。いや、宙を睨んでいる。

うぅ・・・なんか怖いよォ。
嫁姑戦争とかそういうことでなく、なんだか私の生き物としての本能に訴えかける怖さだ。 執念深い表情・・・もっと言えば、正気とも思えぬ表情なんだもの。

一方、パパは、浦江を離れて車が走り出した途端、表情が緩んだ。
無理もない。
前日に電話で話したときは、パパの隣でハナ子が吠えていた。「お前が浦江に来いよぉぉぉぉぉぉッ!」て。 そのとき彼らはハナ子妹宅にいたはずだ。
そして、ハナ子妹のあの態度。
彼女らが連日、日本人嫁およびパパ実家の文句を言いまくり、さらに「こうなったのもパパが不甲斐無いから・・・」的な言いがかりをつけていたのは想像に難くない。

可哀相に、パパ・・・
ハナ子妹は、親族中一番ハナ子に似ているのだ。外見的に。
ハナ子とハナ子’(ハナコダッシュと読むのよ)に両脇挟まれて、
「エイヨォーゥ!」
   「エイヨォーゥ!」

サラウンドハナ子。エイヨォー・・・


そりゃー、疲れるわよね・・・と思ってパパをまじまじと見ると。
確かに、やつれてるし。 目の下クマ出て真っ黒だし。 なんか充血してるっぽいし・・・喋ると、声もかすれてる。
「パパどうしたの?」と直接日本語で聞くとまたハナ子に「日本語話すな!」ってパパが怒鳴られるので、夫に日本語で尋ねてみた。 中国語で言わなかったのは、ハナ子と話したくない、中国語が通じると思われたくないから。
夫が通訳するのを待つまでもなく、パパは私の日本語に答えた。中国語で。
;(中国語ね)「少し飲みすぎました。 お正月だから・・・」
夫が日本語で付け加えた。
「浦江の方は、無理やりにでも飲ませるから・・・俺なら強引に断るけど、パパはハナ子の前で強くは断れないから・・・」
そんな楽しくない正月、やめてしまえばいい、というものだ。
それに、パパほどの酒飲みを弱らせるほどなんて、一体どれだけ飲ませたのだろう。 パパ一族は、私の夫を除いて全員がザルどころか底の抜けたタルのような酒飲み。 飲んでも飲まれないが身上。 パパはもう60なので少々弱ってきたけど、それでも白酒をガンガンいけるほどだ。

しばらく走ると、パパが言った。
;「途中でおみやげを買わないと・・・」
その瞬間、宙を睨んでいた(あるいは霊と交信していたのかもしれないが)ハナ子がすごい勢いでパパの方を向いて、
;「コレでもやっとけばいいんだよォ! 買うこたぁナイよォ!」
と、手にはなんだかよくわからない、乾燥した食材入りの袋を持っている。 500グラムほどが入った一袋。 もしかするとお茶だったのかもしれないが、しかとは見えなかった。 幸いなことに、ちゃんとしたパッケージだった。 つまり、スーパーのビニール袋ではなかった。・・・サイズやパッケージ、ひいては価格で贈り物の価値が決まるわけではないけれど、ハナ子だけにいろいろ心配になってしまう私。

車の中はなんとな~く気まずい雰囲気で。
しかもハナ子以外の全員が「気まずいということに気がつかないフリをしなければ・・・」と言い知れぬプレッシャーを感じている状態で、昼食会場である1叔母宅に到着。

1叔母宅の食事会で、ハナ子は大人しかった。(ハナ子にしては。)
玄関先で、一応の挨拶およびおみやげ(「これでもやっときゃイイんだヨォ!」)お渡しをしたし、食事中も、割合当たり障りの無いことを話していた。
挙動不審だったけど。

挙動不審。
そう、ハナ子は1叔母の目の届くところにいる限り、何とは無しに居心地が悪そうなのだ。 口数が少ないし、声も小さい。 元気が無い、とも言える。

何故なのか?
夫の分析によれば、
;「ハナ子は、1叔母ちゃんがハナ子の過去の素行を知っていると思っているんだよ。」
ハナ子の過去の素行、それは即ち、若く心身ともに健康だったパパを、ウツ状態にまで追い込んだ新婚生活のこと。 
実際には、1叔母が言うには「その時期に何があってパパがそのような状態になってしまったのか、知っているのは当事者であるパパ&ハナ子と、亡くなったおばあちゃんだけ」ということなんだけど。
ハナ子は、パパきょうだいの長女である1叔母だけには、具体的に何をヤラかしたのかバレていると思い込んでいるらしい。
;「だから1叔母の前だけでは大人しいし、カゲでは1叔母の悪口ばかり言うんだよ。アノヒトは母ちゃんを誹謗中傷しているんだヨォォォッ!って、俺が子供の頃、何度も言われたもの。 叔母ちゃんは何も言わないのに・・・」

そんなにも過去の悪事が露見することを恐れるハナ子。
包丁事件よりスゴイ何かをしたのだろうか。
だいたい、曲がりなりにも30年以上もハナ子と生活を共にしている(途中何年か抜けてるけど)パパは、実はとっても強いひとなんじゃないかと思うのだ。
そんなパパを壊すってどんなことよ・・・。
想像もつかない。

夫の分析の妥当性や、過去のすんごい出来事が本当にあったのかどうかはともかく、1叔母宅(隣村)を辞して、パパ実家のある村へ帰る途中、ハナ子スイッチはオンになったらしかった。



          「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうさん」へ続く。





お気づきかと思いますが、最近私少々「読みやすい&カワイイ」強化月間です。
ブログってこういうところも手軽~にいじれて楽しいなって思ったり。
ま、いくらレイアウトしても書いてる内容はハナ子なんですが・・・









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ダック鬼嫁日記53「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅういち」

2006-10-05 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
車の停まる音を聞いて、パパ、ハナ子妹、ハナ子妹の夫、そしてハナ子の順に、家から出て門の外まで来てくれた。

先に出てきたハナ子妹夫婦に挨拶をする。が、彼らは私のことは完全無視。 ハナ子妹は、普段は過剰なまでにフレンドリーなひとなので、これはわざとだったと確信している。 夫と運転者であるいとこに話しかけている。 別にいいけど感じ悪いなあ・・・


そして数ヶ月ぶりのハナ子との対面。

私はとてもとてもとてもイヤだったが、ハナ子の顔をまっすぐに見た。

・・・よかった。今日の刈り上げはそんなに激しくないみたい。 会うたびに激しいフォームを描いていくので、次はどうなることかと期待、いえ、心配していたの。 服装はね、春節だからという理由でどこまでも真っ赤真っ赤真っ赤真っ赤ァ!!!だったけどね

じゃなくて。
ええと。

私が先に口を開いた。
私:(中国語で)「ママ、ニンハオ。 新年明けましておめでとう。」
;「おめでとう、おめでとう。 元気だったかい? ○×△&%!!」
最後のところが聞き取れなかった。
夫が訳をささやく。

「昨日はおまえの夢を見たんだよ、って言っている。」

私を殺す夢ですか?・・・と、喉元まで出かかった。 中国語で(中国語的に合ってるかどうかは知らんけど)。
だって寒すぎる。 想像力をたくましくしてみていただきたい。
中国の農村→ゴミだらけの荒野(でも道路だけは日本の田舎並にご立派)→ぽつんと建ってる一軒家→中華風の門が開いて、中庭の洗濯物とかが見えている→立ち尽くすボサボサおばちゃんパーマのハナ子が→面の皮一枚の笑顔で→「おまえの夢を、見たんだよ」、と。

ホラーか・・・ 


寒くなったので、私は「営業用スマイル&中国語わからないのよゴメンねモード」をセット。 あいまいに笑って誤魔化すひととき。

何故か一行は、外婆の住まうハナ子弟宅(道路を挟んで向かい側)ではなく、ハナ子妹宅へ入っていく。 まあ親戚宅に立ち寄るのは普通なんだけど、このときは急に「今日これから行きます・・・」だった関係で、時間も押しており、出来れば外婆に挨拶をしたらスグ行きたいんですけど。
夫も、そのように申し出ていた。
ところが、ハナ子&ハナ子妹は
「外婆が今ここに向かっているから」
と主張。
若い私たちがスタスタスタスタ・・・と歩いて行く方が速いし、外婆に対してもその方が失礼じゃないと思うんだけれど。 どうせハナ子は、「長男と日本人嫁が自発的に外婆に会いに行った」という状況がイヤなのだ。 
まあ、もう向かっているというのでやむを得ず待つ。

ハナ子妹の家に入ると、何故か夫は家の奥へと案内されてしまった。 というよりも、ハナ子に連行されてしまった。
私がどうしたものかと玄関に一番近い部屋に立ち止まっていると、先ほど私をさっくり無視したハナ子妹が私に話しかけてくる。 彼女の話す普通語は、ハナ子に輪をかけて聞き取りにくい言葉なのだけれど、なんとか大意は理解できた。
ハナ子妹:「ねえアンタ、ここんちは気に入ったかい? 奥まで行って見て来なさい。 今晩はここに泊まっていけばいいのよ。 浦江にも泊まりなさい。」
ハナ子妹は、私の反応がよくないのを見て取ると、何度かゆっくりと「浦江に、泊まりなさい」と繰り返した。 私はもちろん、少しもわからないという表情のままにしておいた。
だって、ハナ子妹は先ほどのハナ子同様、顔の皮だけで笑って、目はちっとも笑っていないのだ。 事情がどうあれ、そんな風に宿泊を促されても困る。
そうすると彼女は、大声で
「この子、中国語全然わからないのよ!!!」
と叫び、私を置いて家の奥に消えていった。

残念、少しはわかる。
でも、たとえ一言もわからなかったところで、そんなこと文句を言われる筋合いではないぞ・・・。 「中国語を勉強するように促す」ことが出来るのさえ、私の夫だけだ。 また、私個人の興味、他ならぬ私自身のためであるってことを別にすれば、私が中国語を勉強するのは「夫のため」以外の何ものでもない。

ともかく、私はひとりぽつんと取り残され、やがてそこに外婆がやってきた。
先ほどまでハナ子たちと一緒に居たハナ子妹の夫が一緒に来たところをみると、外婆は、家の前の道路あたりでこちらがわに引き渡されたか、或いはそこまではひとりで来たらしい。 ハナ子弟宅の人間は来なかった。

ぞろぞろぞろぞろと外婆の周りに集まってくる一同。
外婆は先ず私の夫の手を握り締め、何か言った。
;「外婆! 新年快楽新年快楽!」
と笑顔で応じる夫。
次は私の番。
外婆の発言は少しもわからなかったが、夫にきいても「俺にもわからない、まあ新年おめでとうって言っているはず」というほどの答えしか返ってこないはずなので、敢えてきかずに夫の行動に倣う。
はいはいおめでとう、ばーちゃん。

外婆は、私の手に赤い小さな袋を握らせた。
どうやらお年玉・・・?

「いや、いいよいいよ外婆。 自分で遣いなさいよ~」
と、とりあえず日本語で口走りながら(中国語で言ったところで私の中国語なんて外婆には通じないので)、夫の顔を見る私。
;「受け取ってあげて。 外婆、お金遣うところなんかないんだから、受け取った方がよろこぶから」
ということなので、受け取って、お礼を言う私。
シエシエ、って。

しばし、外婆とおしゃべり。
話は噛み合ってなかったとは思うけれど、それはいいのだ。

それから、いよいよパパ&ハナ子を乗せて、義鳥に出発。
一抹の不安はあったが、とりあえず単純な我が夫は、パパと一緒なのでとても嬉しそうだった。





          「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅうに」へ続く。

                          
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 ここだけの話ですが、ぶっちゃけ、もう少しランキングあがるといいなぁって思ったり・・・



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ダック鬼嫁日記52「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのじゅう」

2006-10-02 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
殺人鬼(未遂)ハナ子の話を聞いた翌朝。
私と夫は、いつ義鳥を離れるかについて、話し合っていた。
当初の予定では、ハナ子に鉢合わせしないうちに退散しようと思っていたけれど、私たちが義鳥に居ること自体はバレてしまった(というかバラした)のだから、ハナ子実家=浦江にも挨拶しに行かねばならぬ。
それはいいんだけど、パパは浦江に抑留されている。
私たちが浦江に挨拶に出向いて、更に義鳥から撤退すれば、パパは解放されるのだろうか。
パパ本人も脱走する気はないのだろうか。

う~む。
私たちは悪いことをしているわけではないが、例年通りの正月にならない、イレギュラーな存在であることは確か。
しゃあない。 夫は内心、「パパと新年メシ出来たらいいなあ」と思っているんだろうが、それを狙って話が大きくなってもあれだ。

私;「義鳥の皆様にはお名残惜しいけど、そろそろ杭州行こうか。」
:「ソウデスネ・・・」

なにやら方針が決まった時点で、新年3日の朝。
朝食後、夫はパパに電話し、
:「俺たち明日の朝義鳥を立つから。」

おばあちゃんの顔を見に行く云々はとりあえず、言わないでおいてもらう。
向こうを訪ねるといえば時間帯無視で食事の用意がされてしまう。 訪問しといて食事はいただかない、というのはド田舎的に礼を欠いたマネなんだろうとは思うけど、ハナ子が私の無いこと無いことを言いまわり、さらにその真偽を確かめるんだか何なんだか、うっとうしい電話を連日連夜かけてよこした親戚のいる家である。
そんなところでメシなどごめんこうむりたい。
更に、所詮ガイジンである私は何を言われようとよくわからないけれど、結婚式の話なんかも含めて、色々色々色々ただの親戚から言われなくてもいいことを言われて、いちいち弁明しなくちゃいけないのは夫だ。 春節中だから、夫としてはケンカにならないように気を遣って話すだろうし、そうするともっとややこしい。 夫のストレスゲージが限界までチャージされてしまう。

従って、「行かないと見せといてゲリラ訪問、おばあちゃんに挨拶だけして撤退」作戦。 時間帯は昼飯後夕飯前。 夕飯はよそで約束済み。

そう思ったのに。
唐突に、パパは言い出した。

「あの、今日これから行きます・・・」

え。
何。
いいんだけど何があった。

夫とパパは、結構長いこと話し合っていた。
言うまでもなく、パパのBGMはハナ子の「エイヨー!うおお!」という掛け声。
話の内容は、私にもおよそ聞き取れたけれど、それでも確認を要するものだった。

通話終了後、夫が言ったには。
:「パパは今日これから義鳥に移動してきて、お昼ご飯をこっちで食べる。 夕飯はわからないけれど、でも、宿泊はしない。 泊まりはまだ浦江。」
私:「ハナ子は?」
:「一緒に来るって。 で、これから迎えに行く。」

ナルホド。
例年義鳥に先に訪れるところ、浦江から行って、さらにパパを抑留していたのは、パパさえ人質に取っとけば、長男も浦江まで来るだろうと思ったのであるな。 それが、「もう帰るからね」って言い出されたので、慌ててパパを仮釈放することにした、と。

まあね。
息子が自分サイドの実家だけ訪問せず、夫側ばかりにいるのは面白くないだろうと思うよ。
だけどハナ子。
あんたの次男はどうなのよ。
いつも浦江だけ訪ねて、義鳥は本当に必要最低限以下の付き合いしかしないでしょ。
それってハナ子の影響によるものでしょ。
前後の事情も考えれば、ハナ子が私の夫の態度に文句を言うのは理不尽なことではないかしら・・・?

ともかく。
パパとハナ子を迎えに行くことになった。

電話した時点で朝食は済んでおり、パパは1叔母宅で行われる昼食会に参加とのこと。 
いとこが車を出してくれるというので、私と夫が乗り込んで迎えに行った。

実に4ヶ月ぶりのリアルハナ子。
私はかなりナーバスだった。
別に、本当に噛まれる食われる刺される・・・と思っていたわけではない。
仮に本当にそうされたところで、たぶん私はハナ子ごときにやられたりはしない(でも油断してはいけない)。

そうではなくて。
なんと言えばいいのか。
この頃には、私はもうハナ子を見たくなかった。
目の当たりにしたくなかった。

ハナ子は、全てに於いて度が過ぎている。

ハナ子が叫ぶとかケンカが激しいとかそれ自体は、まあ日本と中国の表現の差もあるだろうとは思う。 別に中国人全部が激しいわけではないが(パパなど平均的日本人より大人しいはず)、しかし街で叫ぶ人は、圧倒的に中国の方が多い。 更に言えば、日本人は中国以外の世界のほかの国々と比べても大人しい方なのだし。
しかしハナ子は、私が目撃した中国のマーケットの激しいケンカよりも更に激しい

夫のいとこの一人が言うには、「中国の農村の女は、仕切り屋で、ひとのすることに口出しをするのが好き」だそうだ。 確かに、私には優しい叔母たちだってそれぞれの家庭では「仕切り屋」なところもあると思う。 もっと言えば、程度の差こそあれ、日本の母・姑たちだって、その傾向はある。 息子夫婦が独立した家庭だって認められないひとはどこにでもいる。
でも、息子の給与から、パーセンテージで上納金を取ろうとするなんてハナ子くらいのもんだろう。

そしてハナ子は支離滅裂な嘘吐きだ。
何をどうやったら、4キロ(自称)も太って帰ってきて、「シドニー滞在中は嫁にごはんをもらえませんでした」なんて言葉が出るんだ。 
私は、自分が悪者にされたとか、よくもそんな嘘を!って意味で言っているのではない。嘘を吐くなら吐くで、信じられそうな嘘を吐け!と言いたいんだ。 肉つけて帰ってきて「滞在中ずっとひもじかった」は、ありえないだろう。

度を越した激しさと嘘吐きとわがまま。 これらをひねり出すのはどんな思考回路だ。

ハナ子の顔立ちそのものは、けっして女性として美しいとかセクシーとかの類ではないが、しかし愛嬌があり、スタイルとて「ユーモラス」ではあるが、見苦しいわけではない。

でも何か、その思い込みの強さや執念深さが滲み出ているようで、恐ろしい表情をしている。 私は彼女が怖い。 あれは私の思う「ヒト」というのとは別の生き物のような気がする。

じゃ、うちのダンナ、「妖怪ハーフ」。
少し前なら小学生以下のお子様に受けそうな言葉だったけど・・・




いとこ運転の車は、無情にも、ハナ子滞在中の浦江の叔母(ハナ子末の妹)宅の前に止まった。

ああ、リアルハナ子。




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ダック鬼嫁日記51「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのきゅう」

2006-09-27 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
2叔父はノリノリで話し始めた。
どうやら兄弟姉妹にもあまり話さなかった、とっておきのネタであるらしい。

叔父:「それは、昔々、にいちゃん夫婦が新婚の時代のこと。 (ここでを見て)お前がまだこの世に存在しなかった頃。・・・確か俺は12歳かそこらだったんだけど、杭州に泊まりに行ったんだよ。 にいちゃんが義鳥に帰ってきて、杭州に戻るときについてったんだな。」
4叔母が尋ねた。「ひとりで?」
うんそう俺だけだった、叔父は答えて続ける。
「まあ、俺も子供だったし深く考えもせず訪ねて、昼間はまあ普通に過ごした。 多少、にいちゃん夫婦が口論らしきことをする場面はあったけれど、それほど激しくも無かった。」
寝入った夜半。
何時だったかわからないけれど、子供だった叔父ちゃんにとっては真夜中と感じられる頃だったという。
兄夫婦が激しく言い争う声で、目が覚めた。
ケンカはいつものことだと思いつつも、一度目が覚めてしまうとうるさくて眠れない。 真っ暗な中で響く怒声。 次第次第に激しさを増してゆく、そうするうちにドスンバタンという揺れが合間に入るようになり、やがてガッチャーンと。
「へんだなあと思って、つい見に行ったんだよ、隣の部屋まで、こうドアの隙間からそうっと・・・」
よほど大切に温めてきた話なのか、まるで日本昔話級にスラスラと語る叔父。 話の恐ろしさはホラーの比じゃなかったけどね。

ドアの隙間から、叔父が見たものは・・・

「うおおおおおお~っ!!!」

と。

中華包丁でパパに切りかかるハナ子。

う・・・うそ・・・
夫は一瞬固まってから私に通訳してくれたわけだけど、それを聞いた私も固まった。 それを見て、4叔母のキッチンから包丁を持ち出し、

叔父:「こう、こーやって、うおおおおおおおっって。」
実演してくれる。

いや、実演されても。
私:(日本語で、夫に向かって)「まさか本当に殺そうとしていたわけでは・・・」
;「いやあ、そのときはマジ殺しモードだったみたいよ。」
私:「ハナ子、殺人鬼じゃん。」
;「いや、殺人未遂・・・」

驚いて、ドアを大きく開けてしまった叔父。
いろんなものを蹴倒しながら、包丁を避けていたパパは、目ざとく弟の動きに気がついた。

若パパ:「部屋に入っていなさい!出てくるな!」
叔父は、にーちゃんが殺されてしまう・・・と泣きそうになりながら、為す術なくその場で固まっていた。
まあ、ハナ子はかなり運動神経が鈍いほうで、反対にパパは俊敏。 加えて幼い頃から武道のほうの太極拳を習っていて結構強いので(若かった当時は強かったはず)、そうそう簡単にハナ子に殺られるはずはないんだけど。

その場は、どういう話がついたのか息切れしたのか、なんとか納まったそうだ。

叔父:「ところがさあ、俺そのあと怖くて眠れなくなって、布団に入ったものの、目ぱっちり起きてたんだけど。 しば~らくしてからね、また・・・」

同じことが起きたのだそうだ。
ハナ子が何か叫びながら包丁を持って暴れ、パパが防戦する。
そんなことが朝までに計4回。

叔父;「結局怖くてうるさくて、一睡も出来なくてねえ・・・」
いや。
私なら即通報するから。
叔父;「それで朝になってから、なんで包丁を隠さないの?ってきいたんだよ。」
なぜかここで一瞬の間。
「そしたら、いつものことだから、一々包丁隠してらんないってにいちゃんが。」

しーん。

いや、叔父ちゃんも子供だったし、記憶の中で話が誇張されたことってあると思うよ。 でも、包丁持ち出して振り回しながら夫婦喧嘩してたのは事実で。 

叔父:「それで俺、怖くなって、以来30年以上経つけど、一度もあの家に泊まったことない。 ただの一度も。」
夫によれば、2叔父は確かに用事があってやってきても、そそくさと帰るのだそうだ。

そんな馬鹿な・・・

しかし一同、「いくらなんでもありえないでしょ」とは誰も言わなかった。
ハナ子なら有り得る。
むしろ有り得ないのは、そんなハナ子に動じることなく・・・動じてはいるのだけど・・・ともかく夫婦関係を続けている、パパだ。

4叔母が取り繕うように、
「昔はそんなこともあったのねえ。知らなかったわ・・・あれでお義姉さん、丸くなって・・・」
と発言し、2叔父がまとめるように、
「いや、誰がやってもすごいけど、新婚でってのはすごいねえ。」と。

ぶるぶるぶるぶる。
私はマジでハナ子に殺されるかも・・・と思うと涙が滲んだ。
夫はと見れば、ショックを受けているかと思いきや、日本語で
;「かあさん、あの包丁は何処にいったんでせうね。 夏、叔父ちゃんが来た日にとうさんを殺し損ねたあの包丁ですよ・・・」

人間の証明。
うちの夫って明るいやつ・・・?





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ダック鬼嫁日記50「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのはち」

2006-09-24 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
それまで叔父叔母は、にハナ子の悪行の数々を語ることは一度として無かったのだ、という。 昔は「幼い子にそんな話をして、ハナ子の前で口を滑らすようなことがあっては、も周囲も大変・・・」ということだったのだろう。 成人以降は、が単独で義鳥を訪れることもほぼ無くなっていたから、 話すに話せなかった・・・と。

大方は、ハナ子がおばあちゃん存命中にした意地悪の数々についてだった。 

以前にも書いたけれど、夫は生後4ヶ月から5歳までの間、義鳥でおばあちゃんに育てられた。 それは実母ハナ子が北京に転勤してしまい、更に、パパが杭州の仕事を休職して義鳥で療養していたためだ。 それが、ハナ子の杭州帰任に伴い、おばあちゃんの元を離れて、杭州に連れて行かれ、両親に育てられるようになった。 ところがその時点で、一人っ子政策直前の駆け込み妊娠・出産によって弟が生まれていた。 
新しい環境に馴染めず、「おばあちゃんのところに帰りたい」と泣く長男。
生まれたときからハナ子のそばにいて、素直な(というか乳飲み子)次男。
ハナ子はのことを可愛く思えなかったらしい。
そういう状態にあることは、パパの口から義鳥のおばあちゃんに伝えられ、心配したおばあちゃんは、山のような食料を背負って杭州を度々訪れ、せっせとに食べさせてくれた・・・というのが、これまで聞いていた話。

叔父叔母はこう言った。
「や、それはそれで本当のことだけどね、ばあちゃんがそんなにも山のように食料を持っていったのはね、ばあさんはウチのメシを食って節約するために来るんだエイヨォー!って、義姉さん(=ハナ子)に怒鳴られるからなんだよ。」
そして夫も認めた。
「そういえば、俺が高校生くらいの頃も同じこと言ってた・・・」
おいおい、ハナ子。
冗談も誇張もなしに5人前は軽く平らげるハナ子ならいざ知らず、小柄なばあちゃんがどれだけ食べるって言うんだ。
いっくら物の少ない時代でも、言うに事欠いてそれか。
呆れた。

叔父叔母は、
「他のことはともかく、母に謂れの無い意地悪をされるのは、辛かったねえ・・・」と語り、少ししんみりした。

しんみりした空気を変えるべく、なのかどうかはわからないが、4叔母の夫が言った。
「あの話は凄かったなぁ、いつか義兄さん(=パパ)が言ってた、食卓ひっくり返し事件!
何それ、ちゃぶ台クラッシャーか?と思いながら聞いていると(言うまでもなく通訳つき)、こういう話だった。

事件当時、新婚のパパは大学構内の教職員宿舎に住んでいた。 その頃の建物は大変粗末で、各家庭にキッチンなどは無く、1フロアにひとつかふたつ、共同キッチンがあった。 そこで各自調理し、出来上がったお料理を部屋に持ち込むなり、廊下あるテーブルで食べたりしていた。
また、教職員宿舎の隣りは学生寮で、パパの教え子も多数住んでおり、若先生として人気者だったパパは、窓越しに学生と挨拶しあったり手を振ったり、和やかに過ごしていたという。

新婚でまだハナ子と戦うこともあった、戦時下のパパ。 言うまでも無く食事の仕度は100%パパがしていたのだが、その日は料理を始める直前まで、ケンカをしていたという。
調理終了し、部屋の中でムクれていたハナ子に、「もう怒らないでご飯にしようよ」とかなんとか声をかけた。かけても出てこないので、パパはひとりでお料理をきちんと並べ、少しでも明るく食べられるようにセットし、再度声をかけようとした。 そこに、隣りの建物の学生が何か声をかけた。 パパは普通に応じた。
何が気に障ったのかわからないが、躍り出てきたハナ子。
うおおおおーっ!
と掛け声ひとつ、
食卓を全力で壁に向かってたたきつけるようにひっくり返した!
パパがぜ~んぶ作って、並べて、食べるばかりになっていたお料理は無残にも・・・

し~ん。
言葉が出なかったよ、私。

黙って聞いていた2叔父が、
「その話、パパの人生のもっとも恥ずかしかった瞬間のひとつとして、俺も直接聞いたよ。」
と、付け加えた。

いや・・・
普通ではありえないことながら。
ハナ子に限っては、疑う余地も無く真実だってわかるよ、叔父さん・・・

ところが2叔父は続けてこう言った。
「でも俺、もっとそれどころじゃない話を知ってるもんね。 知ってるって言うか、現場に居たんだけど~」

何々。
期待させるじゃない?
・・・と聞いたはいいが、結果はやっぱり「聞かなきゃよかったかな・・・」って話だった。






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ダック鬼嫁日記49「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのなな」

2006-09-21 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
お墓参りも無事終わったし、宴会は大変楽しかった。
毎日毎日親戚宅で食べていたけれど、お料理は種類豊富かつ油も(中華にしては)少なめで、ちーっとも飽きなかった。 私の感覚が既に中国化していた可能性は否めないけどね。 環境に適応しちゃうからさ、人間は・・・

中でも美味しかったのは、豆腐入りの揚げワンタン。 南方なので餃子じゃなくワンタン。 私はこればっかりは北方の水餃子の方が美味しいと思うのだけれど、でも、豆腐揚げワンタンは大好き。 それから、豆腐と青梗菜の煮物。 カニと米餅の炒め。 ライスヌードル。 鳥の煮物。 ラムの冷製。 湯葉料理各種。 あとは・・・スープいろいろ。 蒸し物も。 もう思い出せないほど。 中国家庭料理だから炒め物各種が毎日出てはくるんだけど、基本的に化学調味料は使わないことと、オイル不使用のおかず(まあ、煮物だけど)も必ず数品並べてくれるので助かった。

宴会だからといってお酒を強要されることもなく、カタコトしか話せなくとも、私は麻雀が得意。 非喫煙者の夫+年少のいとこたちと一緒になって、暖房ばっちりの小さな麻雀ルームを占拠。 禁煙化して遊んでいた。 これは中々よかった。 子供ばかりで遊び始めたけれど、しばらくするとやはりノンスモーカーの叔母たちも麻雀部屋にやってきて遊び始めた。

そんな愉快な日々(という長さでもないけど)の中、気がかりだったのは、パパだけだった。

パパには、年が明けたそのときに「あけましておめでとう」の電話をし、更にお墓参りをしたときにも電話をしていた。 パパは杭州にいて、実質ハナ子と二人きりの年越しをしていた。 なんとめでたくない響きだろう。 弟くんと彼女ちゃんは二人で遊びに行ったらしい。
そのときパパは、「いつ義鳥に行くか、まだわかりません。」と、言っていた。

例年パパは、必ず旧暦1月2日には墓参のために帰省する。
そうすると、パパの弟妹は、あたかも元日のお参りが無かったかのように、もう一度お墓参りをしてくれる。 長男であり、ハナ子という計り知れない苦労を背負い込んだパパを気遣ってのことだと思う。

しかしこのときは、年が明けて2日の夜になってもパパからの連絡は無かった。
この頃既に、パパが私たちからの電話を取っていると知れると、そのとき何時でどんな場所に居ようともハナ子が吠えるようになっていたから、パパが電話を取ることは殆ど無くなり、着信履歴を見てかけなおしてくる、そんな秘密交際に発展していた。 ・・・狂犬病の注射って、発病してからじゃ遅いのだったか。 まあ、ハナ子の皮には注射針なんて刺さらないに違いないけれど。

私:「なんかあったのかなあ・・・」
パパたちが義鳥に来るならばその前に退散するつもりだった私たち。 来るのが遅ければ遅いだけ、長逗留出来るけれど、私たちに気を遣ってパパが来ないというのでは困る。
;「俺たちがここに居るってバラしたからかも・・・」
私:「・・・えっ、バラしたの???」
私は知らなかったのだが、パパと相談の結果、私たちが義鳥に来ていることをハナ子に伝えたらしい。
;「思いのほか色々な人と顔を合わせちゃったし、どこでばれるかわからないから。 もしばれたら、パパが知ってたことくらい気づくだろうし、そしたらパパが・・・」
という夫の説明に納得。
まあ悪いことをしているわけじゃないし、かまわないのだ。
私:「じゃあ、浦江(ハナ子実家)にも挨拶だけは行かないとね。」

それにしてもパパはどうしているのだろうか。
・・・と、思っていたら。
「ぷるりらり~」と、パパから着信。

通話開始。

結構早口の普通語。
なんだか怒っているみたい。
あれれ・・・
すっごく怒ってる。

ハナ子・・・?
ハナ子だ。 電話の向こうで吠えてる。

通話終了。

「パパねえ、浦江にいた。」
私:「え、いつも義鳥が先でしょ、一応・・・」
「それがね、俺たちが義鳥にいるでしょ。だからね、パパが向こうに宿泊しないと、勝負にならないからって。」
勝負???
意味がわからず。 
「俺もよくわからないけれど、パパに、こっち来ないの~?ってきいてるときに電話を奪われて、お前が浦江に来いヨォ~うおおおおおおおぉう!!!って叫ばれちゃった。 俺ってアレから生まれたかなあ・・・」
そんでどうすんのよ。
「とりあえず様子見て、明日か明後日、向こうのばあちゃんだけは挨拶に行く。 ごはんとかは断るけど、ばあさん年だから顔くらい見せないと。」
一緒に行くよ、と私は言った。
ハナ子が散々私のことをボロボロに言いまわっている先で、メシはちょっと勘弁して欲しいけれど、顔を出すくらいは大丈夫。 むしろ、「近くまで来ているのに顔も出さなかった」と、嫁としてマイナスに取られることは避けたい。

その電話の後、少し遅めの夕食会が、4叔母の家で催された。
4叔母は、だんなさんの建てた住居が村にもある。  

わいわいと楽しい食事の後、ここの家では果物が山のように出てきた。 しかも、よそで食べるのよりも美味しい。 4叔母はかつて看護婦だったためか、結構な健康オタクで、農薬がどうとか、どこの龍眼が美味しいとか、選りすぐって買っているという。 

飲んだ後だし、なんとな~く、みかんだの龍眼だのの、皮むき系フルーツにはまり、4叔母夫妻と2叔父夫妻とともに、私たちはキッチンの近くの小さなテーブルに陣取った。 4叔母も2叔父も、まだ四十代前半で、親の世代よりはずっと話しやすい。

そこで彼らがぽつぽつと話して聞かせてくれたのは、も知らなかった、ハナ子の恐ろしいエピソードの数々だった・・・



           「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのはち」へ続く。



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