北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記27「花婿の、母。⑰」

2006-03-30 | ㊥花婿の、母。
ハナ子、ビョ-キだ。
前々からおかしいおかしいと思ってはいたが、これほどとは・・・

結婚式のことは、もういい。
実家の両親にも伝えて、ふんぎりがついた。

だが、ハナ子はどうする。
私の夫が、アレから生まれたなんて、何かの間違いだと思う。

夫に「あの怒鳴り声は物凄かったね、どんな顔してたんだろうね」と言ってしまった私。
「凄い顔だよ。 俺知ってる。 随分久々で、忘れていたけれど、俺が子供の頃はわりと頻繁にあの状態になっていた。」
私;「頻繁にって、なんで?」
「なんだったか忘れた。 気に入らないことがあると暴れる。 時々ベランダに出て、自分がいかに虐げられているかとか、辛い苦しい、飛び降りてやるとか叫んでた。」
絶句。
そんな、恐ろしい・・・
「ずっと一緒に住んでいなかったから、忘れてた・・・」

その夜のハナ子の怒声は、私の人生のエラー音として、長らく私の脳内で響き渡っていた。

ハナ子が怒鳴り散らした後の数日、夫は数回、パパや小叔叔に電話し、キャンセルに関わる詳細を話し合った。 そのために夫は、実家の固定電話に頻繁にかけていたが、ハナ子が出ることは一度も無く、また、ハナ子に聞かれたくない話があるときは、パパは出先からかけてきた。

パパが話したことは、多くは結婚式とはあまり関わりの無い、ハナ子のことだった。 どうやらあの電話の後、ハナ子の機嫌は最悪の低空飛行を続けており、パパは当り散らされる日々だという。 私は、何故パパがハナ子に強い態度に出ないのか、もっと言えば離婚しないのか、理解できなかった。 嫁としてその疑問を投げかけることは出来ないけど。
念のためにお断りしておきたいのだけれど、パパ本人は、ごくまっとうな、真面目な人物なのだ。 少なくとも私にはそう見える。 仕事にやりがいを見出し、目立った悪癖もなく、酒は飲んでも飲まれない。 こざっぱりして、誰に対しても非常に礼儀正しい。 そのうえPCの扱いに長け、物知りで料理上手で外国語も堪能な、説教臭くもいやらしくもない六十歳。 同世代の中ではかなり良い感じなのではないだろうか。
この結婚式の件で、私がパパとやりとりするうちに、パパからきた1通のE-mailにはこう書かれていた。「この度は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」嫁にこんなことを言う舅は、そんなに多くはないだろう。
そんなパパは、あんなハナ子を妻に持ち、ベランダから何事か叫ばれる人生を送っている。 その恥ずかしさったらどんなもんだろう。

パパの話は、時に、結構な昔へ遡った。
「ママは、結婚式の会場が義鳥(パパ実家)なのが気に入らなかったみたいです。 昔から、義鳥のことを嫌っていますから・・・」
何故ですか?ときくと、「はっきりとはわかりません。 彼女の中ではいろいろ理由があるみたいですが・・・」それから、これまでの人生で、パパ実家関係者の祝儀などを出す際、ハナ子におよそ6割抜かれていたこと、結婚当初、家計を任せていたらギリギリの生活費以外の全てをハナ子実家に持ち込まれたこと、現在でも外婆(ハナ子母)に送金するよう強要されていることを語った。

チュ-ゴクだからか?
私は一瞬、そう思ったけれど。 落ち着いて考えてみるに、周囲のごく親しい中国人に限定すれば、そんな話は聞いたこともない。 親族間の金の貸し借りも、夫と私の常識は「極力貸さない借りない、緊急事態であれば可能な範囲で協力することもあるが、基本はその親族との普段の付き合いによる。」という線で一致している。
また、ハナ子実家は金に困っているわけではない。 実家付近は小汚いけれども、所謂極貧エリアではない。 

どうにも、常識のズレというよりは、ハナ子が狂っているからだという気がしてならない。

に、過去あった辛かったこと、悔しかったことを語り始めたパパ。
「三十年間、言いたかった・・・」 
言え。 そして離婚しろ!!! ・・・とは言えないけどさ。

夫は夫で、
「冷静に思い出したら、ハナ子がオカシイってことはわかるんだけど、その当時は深く考えなかったよねぇ・・・」
気づいてくれ、頼むから。
いや、過去色々あった関係上、実母ハナ子を冷静に分析することを脳が拒否したんだろうけれどさ。 

私はこの時期、いろいろ考え過ぎて毎日毎日毎日頭痛がした。
法律的にも結婚しちゃってるし、何よりは既に私の「家族」になってて、手を離すには少し遅かった。
夫の脳が肉親の情に流されて汚染されることのないよう、祈りつつ。
ハナ子が私の家族にその異常性の影響を及ぼさないよう、戦うのか。
だる・・・

キャンセルに関して具体的なことは、義鳥の叔父さんと話した。
金銭的なこと、親戚の手前、挨拶しなければならないところはないか。 幸い、小規模な結婚式(未遂)だったので、取りやめの手間もそうかからなかった。
それはいいのだが、叔父さんと確認していくうち、ハナ子が自ら担当すると言い出した、教会の予約がそもそも入っていなかったことが発覚。 こんなことになる前、まだ私たちが杭州の実家に滞在している時に、夫が「予約はしてくれた?」と尋ね、ハナ子は「ちゃんと日付も時間も間違いなく予約した」と言っていたから、その時点でハナ子は結婚式を潰すつもりだったことになる。 義弟から電話が来る前は、ハナ子から式に関する不満を聞いたこともないというのに。

ぐちゃぐちゃ言っててもしょうがない。
が、頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。

苛立ちがちな日々を送る私たち。
そこに、1通の手紙が来た。

ハナ子からだった。


                           「花婿の、母。⑱」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記28「花婿の、母。⑱」

2006-03-27 | ㊥花婿の、母。
ハナ子からのブラックメール・・・いえ、手紙が届いた。
絶叫から1週間も経たない日のことだった。 普通郵便。 投函してから届くまで数日かかるわけで、叫んだ後、割合すぐに記されたものだと思われる。
ハナ子、この期に及んで何を言いたいのだろうか。
叫び足りないのか言い訳なのか更なる嘘かもしや謝罪なのか。
1週間、夫とパパは散々電話で話し合っていたが、ハナ子と直接の会話は一度として無かった。 時に、パパを通じて、「ママは結婚式はやった方がいいと言っていますが」という程度のことは言ってきていたが、こちらが拒否(当然)するとそれまでだった。 家庭内に於いてパパに当り散らしている様子は伺えたが、パパははっきりとは言わなかった。

ここでパパの話になるけど、パパは、私たちに対して、ハナ子と一緒になって不当な要求をすることは、無かった。 ただ、「ママがこう言っていますよ」と伝えてくることは時々あった。 そういった場合、ハナ子は必ず電話の傍に居て、会話を盗み聞いている。
いくらハナ子が凄まじいと言って、ハナ子の夫であるパパが、何故そんなにも下出に出るのか。 言うべきことはきちんと言わなければならないのではないか。 

ハナ子は家事を殆どせず、また家にお金を入れることも無い。 むしろパパのお金を取り上げようとする。
不満な事があるとパパに八つ当たりする。
パパが酷い風邪をひいて寝込んでいても、平気で家を空けて看病もしない。
ハナ子と暮らして、何のいいことがあるんだろう。
なんで言いなりになるんだろう。

パパに対して、私は長い間不満や疑問をくすぶらせていた。
それをぶつけたり、或いはパパを嫌ったりしなかった理由。
ひとつ。 私との結婚をきっかけに、実母&実弟と距離が出来てしまった(表面化しただけ?)夫にとって、パパは或る意味拠り所だから。
ふたつ。 歪んでいようが捩れていようが何十年も維持してきた家庭の平和。 それを「ハナ子の機嫌は取らない」ことによって、結果的にブチ壊した嫁。 にもかかわらず、パパは私を責めたりしなかったから。
とりわけ、理由のふたつめは、私にとって大きなことだった。

パパは、中国の田舎出身者だ。
ハナ子は、私から見て何かブッ飛んだおばはんだが、シュウトメはシュウトメ。
「シュウトメを敬わない嫁」は、如何なる事情があろうとも、鬼嫁。
・・・パパが、そういった価値観を持っていたとしても、なんら不思議は無い。
もし責められても、私は古臭い価値観なんて蹴っ飛ばすけど、責めないでくれたことには、感謝している。

ま、平らかに言えば、アタシの敵でないなら、それでよし!!!ってことなんだけど。

ともかく、そのような理由により、パパとは友好関係を保っている。


話を戻して、手紙だ。
パパの職場のネーム入りの、茶色い封筒。 かなり分厚い。 差出人として書かれているのはパパの名前だが、それは明らかにハナ子の手によるものだった。 
夫の帰宅を待って、開封。
夫、私の目の前で読み始める。
──────無言──────
かなり分厚い封筒だと思ったのに、便箋はペラペラの薄い紙。 後に数えたところ、10枚あった。 更に、聖書の一節をコピーしたものと、賛美歌を同じくコピーしたものが同封されていた。 ハナ子が「お前には悪魔が憑いているぅッ!」と叫んだこととの関係は不明。
──────無言──────
かなり熱心に読む夫。 内容が気になる私。
読み終わった部分を手にとって見るが、崩れたと言おうか、殴り書きなので解読できず。 漢字なので単語くらいは拾えるが・・・
──────無言──────
我慢しきれなくなって、
「あのぅ・・・」
と、話し掛ける私。
そのとき、手紙をパサッ・・・と投げた。
よ、読み終わったのケ?
まだ無言?

微妙~な間があって。

「最低の手紙・・・」
私;「予想通りではありませんか・・・で、何書いてあった?」
「手紙の構成は、大きく分けて二部。 第一部、基本的に電話と同じことを、詳しく。 ハナ子は何も悪いことをしていない、弟はパパからの遺伝で頭がオカシイ、実家の悪口を言われたので頭に血が上った・・・」
私;「ちょっと待ったぁ!」(思わず挙手)
「はい、鬼嫁さんどうぞ! 発言を許可します。」
私;「はいはいはい、同じことを言っているようで違ってるよ、ソレ。 パパからの遺伝って何。 スゲー気になる!」
ああそれは・・・と夫は少し悲しそうに説明した。 「パパ、若い頃ストレスやら何やらで、鬱になっちゃって、薬を飲んでたことがあったんだよね・・・」前に言わなかったっけ? と私に聞き返す夫。 聞いた。 それなら確かに聞いた。
私;「ねえ、ストレスが原因の鬱って素人考えでも遺伝しないと思うし、弟くんの状態とは何の関係も無いと思うよ?」
「うん。 でも、ハナ子はいつも、弟はパパからの遺伝で精神的に弱いって言うんだよ。」
そういうことを言わせておく家庭環境に問題があると思うけど。
私は、私の遺伝子の強さを信じているので(そうでなくて、誰がハナ子の息子と結婚するものか)、そのへんの事情は、話の真偽に関わらず飲み込むつもり。 でも、冷静に見て、パパも弟くんも、ストレスや甘やかしが原因で陥った精神状態以外には何らの事情も抱えてはいなさそうだ。 親戚も、とりあえず全員元気。

ま、話が進まないので、とりあえず手紙第二部を解説してもらう。
「第二部には、紙面の多くが割かれています。 主に、この俺を褒め称える内容です。 でも、こういうのなんて言うんだっけ、日本語で・・・誉め殺し?」

誉め殺し?
なんだろ。
ハナ子関係で「殺し」とかの言葉が出てくると、笑えないなあ・・・



                            「花婿の、母。⑲」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記29「花婿の、母。⑲」

2006-03-26 | ㊥花婿の、母。
「褒め殺し」は、長い長い手紙の、8割以上を占めていた。

最初に書かれていた、前回の電話の言い訳に引き続き、褒め殺し開始。
「シドニーに招待してくれて、本当に楽しかった。 嫁は毎日毎日ご飯を作ってくれて、週末には教会用のケーキも焼いてくれて、とても美味しかった。 おかげでお母さんは太ってしまいました。」
これは、義弟の言っていた、お母さんはシドニーで食べ物をろくろく貰えず・・・発言が、義弟による虚偽であることを強調する目的であると思われる。 こういう斜めな見方は意地悪なのかな・・・と、思うことも以前にはあった。 しかしこの頃になると、ハナ子がどんなやつなのかも明らかになってきてしまった。 その上、結婚式キャンセルに絡んで親戚とやりとりするうちに、親戚の多くから、遠慮がちではあるが、多数のタレコミを受けた。 おまえんちのかーちゃん、こんなことも言っていたぞ・・・という・・・だから、これを読んだ(というかに読み聞かされた)時には、改めてげんなりした。 悪く言われただけでも凹むものだけど、しらじらしく感謝などされると、なんとも言えない嫌な気持ちになる。
どの口がそういうことを言うか。
それが通用すると思ってるのか。

手紙続き。
「お前は、私の自慢の息子です。 大変優しくて、今年の誕生日の時には、上海までパパと一緒に招待してくれて、パパと一緒に五つ星ホテルに泊まらせてくれて、パパと一緒に高級レストランでお祝いしてくれました。」
あまりにも多用されている、「パパと一緒に」というフレーズ。 本当にそのように書かれているのかどうか、思わず夫に確認してしまった。 中国語的に、その言い回しが普通であるのかどうかも。
「もちろん普通じゃないよ。 詩じゃないんだから。 俺が思うに、このしつこい強調表現は、この続き部分に係ってるね。」

この続き部分。
「先日のパパのお誕生日では、わざわざ義鳥までもお出かけして、兄弟姉妹全員を集めてお祝いして、おまえは本当に本当に孝行息子です。」

「つまり、ハナ子の誕生日は、パパと二人だけの祝いで、しかもそのお祝い、高級ホテル・レストランなどにはパパも便乗しているのに、この扱いの差は何であるのか・・・という、彼女の憤りが表現されているわけです。」
ハナ子、見栄っ張りだからね。 実際にしてあげたお祝いそのものには、大した差はないと私は思うんだけど。 ギャラリーの存在が、何よりも羨ましかったのかもね。
だけどさ。
そういうことを、本当に本当に望むなら、ちゃんとに言えばいいんだ。 ぜひして欲しい、って言われたら、その時点で関係は壊れていなかったんだし、はけっこう優しいやつだから、ちゃんとしてくれたはず。 私はそう思う。

さらにその続き。いきなり回想シーンに入る。
「お前は昔から本当にすごくいい子でした。 外婆(ハナ子母)の方の従兄弟たちは、みんなお前を目標にしています。」
・・・ちなみに、外婆の方の従兄弟で、よりも出来がよい(という表現も実に曖昧でいかがなものかとは思うけど)とか、どっちが良いのか不明である人々については、ハナ子の脳内で存在が消されいる。 「私の息子が一番、私が育てたから一番。 息子より出来る子は存在しない、見えない」というこっちゃ。
「お前は昔から外婆に優しく、上海に住んでいた頃には、毎年月餅を送ってくれましたね。 お前の従兄弟はそれに習って、今でも毎年送ってくれています。」
これは、私が夏に義鳥ツアーを行った後、世話になったパパ側親戚に、お礼として月餅+洋菓子(月餅なんか腐るほど貰ってるんだろうから、季節ものとして添える程度に留めてメインは別のお菓子)かなんかを送ったことを言っているらしい。
確かにそのときは、ばーさんには送らなかった。 でも、クリスチャンのばーさんのために、シドニー時代から、キリスト教イベント(クリスマスやイースター)にはプレゼントを贈り続けている。 
しかしハナ子は不満だったのだ。
パパ側に品物を贈り、ハナ子側に贈らなかったことが。
前後の事情は無視か。

手紙は、この調子で、ありがとうありがとうと言いながら実は不満を述べているとしか思えない事柄が延々と続いた。

極めつけは、義弟のことだった。
「弟も、兄であるお前の親孝行なところを見習い、働き始めてからは、家にお金を入れてくれています。」
義弟は実家に住んでいるので、社会人となったからには、生活費を家に入れるのは自然なことなのだが。
「おかあさんは、お金なんてくれなくともいいと言ったのですが、弟はお前が毎年正月には必ず親にお小遣いをくれるのを見習い・・・」
以前書いたように、この年、夫は親にお小遣いをあげなかった。 理由は北京に引っ越したばかりで手持ちの人民元があまりなかったから。
「・・・見習い、毎月お給料の10パーセントを私にくれています。 将来的には、15%や20%にしてもいいと言ってくれています。」

生活費として、月々いくらいくら。 これならばわかるし、よくある話。
でもでもでも。
パーセント。
・・・歩合で、子供から金を取る親がどこの世界にいるだろうか。
そしてハナ子は、もしかして(もしかしなくても)我が家からも歩合で金をもらえる、と思っているのだろうか。
ハナ子すごぅい・・・
私の中で、状況もわきまえない感動のようなものが広がった。
探してもなかなかいない、こんな親(いたら連絡ください)。

手紙は、「前はこれもしてくれた、あれもしてくれた」と延々、延々と続き。
最後は、「外婆と仲良くしてください」と、〆られていた。

夫に感想を述べる気もなくなったので、私も夫と同じように手紙を投げた。
パサッ・・・
その音と同時くらいに、
「ぷるりらり~」。
また電話が鳴った。

ああハナ子。
終わらないハナ子。
お前は何の呪いであるのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




                        「花婿の、母。⑳」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥

ダック鬼嫁日記30「花婿の、母。⑳」

2006-03-23 | ㊥花婿の、母。
電話の主は、はたして・・・パパだった。

「こんばんは。」(実際には中国語での会話だった)
何かあったの?と尋ねる夫。
「・・・あの、ママからの手紙は届きましたか?」
やはり、やはりその件。
「届いたけど。」
「・・・あの、読みましたか?」
「読んだけど。」
「かっ・・・感想は?」
パパから手紙の感想を訊かれたよ、と、夫は小声で私に言った。
感想は?って言われてもねえ。 
手紙は、言い訳の上塗りと、ハナ子にとって都合の良い要求とで占められていた。 夫はそれを読んだ挙句、日本語に直して、私に説明したばかりである。 しかも電話をかけてきたのはパパで、ハナ子本人は電話の横にでも張り付いて聞き耳を立てているに決まっている。 パパを相手に、手紙の内容とそれに対する冷静な意見を述べることに、何の意味があるのか。
「感想なんて、特に何もないけど。」
「・・・・・・」
間があった。 パパにしたって、こんな電話かけたくないのだ。
しかしハナ子に促されたらしく、パパは一呼吸置いてから、発言した。
「ママは、その手紙を読んで誤解が解けることを期待しています。」
夫が、はぁー・・・っとため息を吐いた。
「ママと代わって。」
直接話せば、最終的にはまた怒鳴りあいになるのが見えている。
先の見えない、不毛な怒鳴りあい。
時間と体力気力の、無駄。

しかしハナ子は、電話に出るのを拒否した。

やむを得ず、夫はパパを相手に、「花婿の、母。⑱&⑲」に書いたような、手紙の感想を言う。 つまりハナ子の手紙は全く信頼に値しない、今回の問題の解決には結びつかない内容である、と私たちが捉えたこと。 ハナ子絶叫事件の時に抱いた感想を、そのまま強めるだけのものに映ったことを。

「そのとおりですね・・・」
と、パパは言った。
パパが受けた指令は、「電話をかけて手紙の感想を訊け!!!」というだけのものだったと思われ、一応ミッションを完了させたパパは、おとなしく引き下がって電話を切った。
ハナ子にしてみれば、これは全くもって彼女の意に添わない結果であって、「ガキの使いじゃねぇんだぞ!」とばかりにパパを攻撃するのだろうけど、そこまではこっちで面倒見切れないし・・・

結局、ハナ子はこの手紙のもたらす何に期待していたのだろうか。
「あまり言いたくはないけど・・・手紙によって、俺たちがおかあさん!誤解してごめんなさい!やっぱり結婚式は行います!っていうのを期待していたんじゃない?」
うーん・・・・・・そうなのだろうか。
私;「じゃあ、そもそもなんで結婚式をブチ壊そうとしたんだろう。 弟くんが電話をくれてからの一連の出来事は、結婚式を取りやめさせたいとしか思えない。 現に、ハナ子がやるって言った教会の申し込みは何もしていなかったわけだし。」

謎。
謎ハナ子。

ヤツの頭の中にいるはずの強引な脚本家は何者なのだろう。
かなうものならば、そいつと直接会って話がしてみたい。 

しかし現実には、ハナ子の頭の中を覗くどころか、ハナ子と話すことさえも難しくなった。

長々と続いた・・・いえ、これを書いている今現在も続いているこの戦のなかで、ハナ子は電話で叫び散らした1回を例外として、ひたすら話し合いを避けている。
私が、「文化や価値観の相違の問題ではない」と信じているのは、そこ。

結婚当初は、私が中国に住むのが初めてだったり、そもそもこの国にそれほどの興味があったわけでもないこともあって、表面的な「チューゴク」にドン引きだった。 ぶち壊れた街並み。 汚いトイレ。 順番なんて守らない人民。 
そんな国から一歩も出ないで60年近くを過ごしたハナ子。
だからいろんな感覚がぶっ壊れていても不思議は無い・・・と、そう思っていた。
また、さまざまな中国伝説を耳にもした。
稼ぎ頭が、一族郎党全部を養わなければならない、とか。
中国人と結婚した外国人が、中国人の実家に不動産を買わされた、とか。
おみやげをあげたら値段を訊かれた、とか。
仕事上の付き合いで、倒れるまで酒を飲まなければいけない、とか。
タバコ勧められたら断っちゃいけない、とか。
大小さまざまな伝説たち。
いずれも、私にとっては全く常識の外のこと。
中国は広いので、エリアによって習慣も大きく違うだろうし、世代によっても違うはず。 だから、あるひとにとっては、伝説でも何でもない普通のことなのだろうし、あるひとにとっては、そのひとが中国人であっても、常識からはかけ離れたことなんだろうと思う。

ハナ子の、
「お前のものは、俺のもの。 俺のものも、俺のもの。」
という、ジャイアニズム。
「実家が大事、ひたすら大事。 自分はもっと大事。 夫も子供も俺に従ってトーゼン。」
という、自分至上・次にくるのは実家主義。

それらは数ある中国伝説の一種で、ハナ子の価値観(あるいはハナ子実家エリアでの習慣)では、それが当然なことなのだろうか。

ずぅぅぅぅぅぅぅっと、考えていた。
もしそれが、育った環境で培われた、ハナ子の価値観であるならば、もちろんそれに全て従うことなんて出来はしないけれど、しかしハナ子に対して内心で腹を立てることは、止めるべきではないのだろうか。

そんな風に、ずっと考えていたけれど。
絶叫事件以降の態度で、
「こいつ・・・確信犯だな」
と、思ってしまった。

もともと、夫とその周辺人物たちとは、あまり感覚の違いを感じることは無い。
日本人同士で通じる「常識の範囲内」の人々が多い。
また、中国上陸当初のショックが去ってみれば、さほど深い付き合いでない、生活上近くにいる人々にしても、大方「理解の範疇」だ。 気遣いや、思いやる気持ちのレベルに於いて、ということだけど。
外国人には忌み嫌われる吐痰の癖を例に挙げても、もちろん私は個人的に大嫌いだけど、本来外国人から文句を言われる筋合いのものではない。 彼らのカルチャーなんだから。 その国の人間がそれでいいなら、いーのだ。
 
表面的な習慣や街・人の外見から目を逸らし、本質を見ようとしたとき。 ハナ子だけが、大きく逸脱していた。

基本的な思いやりが、全く無い。
そして、息子であるとぶつかったとき、一度は泣き叫んで逃げ、その後は影ではこそこそと自分の正当性を主張する活動を続けながら、嘘を重ね、嘘では切り抜けられない相手=との話し合いは、徹底的に回避。

ハナ子は、ハナ子に正当性があるなんて信じちゃいない。
正当性、捏造しようとしている。

そんなやつを結婚式に呼んだり、花束贈呈したりするようなことにならなくて、本当によかった。

そのように思っていた私に、夫が言った。

「やっぱ結婚式、やりましょうかね・・・」

私;「なんですとぉ?!」


                    「花婿の、母。ニジュウイチ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥


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ダック鬼嫁日記31「花婿の、母。ニジュウイチ」

2006-03-22 | ㊥花婿の、母。
今更結婚式なんてやれるかぁ!!!!!
・・・・・・と、叫びそうになった私だったが、とりあえず耐えて黙った。
うっかり叫ぶと、
「将来、ハナ子みたいになるの・・・・・・?」
と、じっとり目線で見られてしまう。
まあ、トラウマにもなるよな、あんな母・・・

ともあれ口ごもった私に、
「上海で結婚式をやるのー!!!」
はい?
私;「あの・・・ハナ子は?」
「ハナ子は呼ばないで結婚式をやる。」
えーっと。
それって、おっけーなんですか???

夫の説明によれば、こうだった。
そのいち。 当初予定されていた結婚式ができなくなったのは、ハナ子のせいである。(そのとおり)
そのに。 そんな理由で結婚式ができなくなったのは、極めて不当なことである。(そのとおり)
そのさん。 そこで、ハナ子なしで結婚式をやりたいけど、親戚を呼ぶとややこしくなるので、上海で「もと同僚・同窓生へのお披露目パーティー」と称して結婚式をすることにする。 これなら問題ない。(ほんとうにそうか?)

それは、まあ。
私にとっても、それなりに魅力的な話ではあった。
結婚式願望は、薄かったんだけれども。 しかし親も叔母も友達も、来てくれる手はずが整っていた。 式はキャンセルになったけれど、みんな会社や何かの休みを申請して、エアチケットを用意してくれていたわけである。 「上海・杭州旅行に振り替えさせてくださーイ」と都合のいいことを言っても誰も怒ったりはしなかったが。 あるいは、結婚式で半日なり一日なりツブれるよりも観光に時を費やすほうがむしろ楽しい可能性さえあったが。
私としちゃー、やっぱ結婚式やって、みんなに出て欲しいなあ。
この期に及んで旅行やって蟹むさぼってお茶を濁すのも、ちょいと切ないと思ってはいたんだなあ・・・

そのへんのことを口に出してしまえば、夫は何が何でも結婚式をやってくれると思う。 キャンセルの原因が夫の母親であることだし。

うーん・・・

キャンセルした式を準備してくれた義鳥の親戚たちに悪いんじゃないか、とか。 あと一ヶ月も無いのに準備が可能なのかとか。日本のみなさまの予定があるので、式の日取りは動かせない。 上海でやったら高くつくだろうし、お金が間に合うかどうかとか。 ハナ子を呼ばないってのもマズイんじゃないだろうか、とか。 パパはどうするのかしら・・・とか。
疑問が渦を巻いているよ。

「旅先での結婚式ってことにすれば大丈夫! 世間に対しては、地元でも一回式をしましたって嘘こくから平気!!!
私;「まじで。」
「義鳥の親戚には、ハナ子を呼ばないってことでカンベンしてもらう。 あ、ハナ子には結婚式自体秘密にするんだけど。」
秘密が守れれば、それはいいんだけど。
あのハナ子を無駄に刺激することは、私としても避けたいし・・・
私;「金と準備期間は。」
「やるだけやって駄目そうならこの話は忘れてクレ。」
私;「いろいろ無理ねーか?」
「結婚式やるったらやりますぅー!!!」 

はい、確定。
こうやって深く考えもせず場当たり的に生きてるからお金が貯まらない我が家。
冗談ごとでなく、「宵越しの金は持たない」主義。
先々不安だなあと思いつつも、私も根無し草が長いのであまり真剣に明日のことを考えられない。
バカなんですね、私たち・・・

ハナ子からの手紙が、結婚式キャンセルでテンパってたのスイッチを押してしまったってことだ。

翌日から、上海での結婚式場探し・バラバラに飛んでくる日本の身内の回収方法・宿泊施設の予約・移動の車の手配・エアチケットの手配・上海在住の友人知人へのインフォメーションと出欠確認・お金の算段・観光計画・義鳥の親戚への挨拶・その他もろもろ・・・何がなんだかわからない忙しい日々が始まった。

親戚には一軒一軒手紙を書いて謝った。
パパにも新しい結婚式について話した。

パパは、「それでいいです」と、すぐに言ってくれた。
「私は出席できないかもしれないですが、ふたりの大切な結婚式なのですから、思うようにやりなさい。」

そう言ってもらっても、「本当にいいの?」という疑問は消えなかった。
消えなかったが、すでに電車は走り出している。
準備期間の短さから、立ち止まって考える余裕は、無かった。

ばたばたばたばたと忙しく過ごす日々。
そうするうちに、ハナ子からの2通目の手紙がやってきた。

今度はなんだ。
同じことの繰り返しか。
結婚式がバレたのか。
脳内脚本家が、新たな物語を書き上げたのか。

もーなんでも来い・・・・・・

 
                    「花婿の、母。ニジュウニ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥





ダック鬼嫁日記32「花婿の、母。ニジュウニ」

2006-03-21 | ㊥花婿の、母。
ハナ子からの2通目の手紙。
それは、1通目にも増して分厚く、読み応えのありそうなブツだった。
「何か開封したくないなあ。」
私;「ぢゃ、送り返せばぁ?」
「さすがにそれは・・・」
私;「ならとりあえず読んでみたら?」
夫、しぶしぶ手紙を読み始める。

数分後、夫、手紙を投げる。

「なにかね、もう、意味がわからない。」
私;「わからないって?」
「なにか物凄い興奮状態で書き殴ってあって、正しい中国語ではない。 そのうえ書いてある内容そのものもまったく意味不明。」
私;「えーっと・・・例えば、どんな?」
「えーっと・・・例えば、私は英雄ですと、書いてある。」
・・・はい?
私はエイヨーです?「エイヨォォォォゥウ!!!」←これは私の中をそのとき駆け抜けたイメージ。
英雄は孤独だ、孤独は英雄だと、続いている。」
・・・ポエム???
・・・メタ小説??
なんて言っていいかワカリマセン。

夫は手にした厚い紙束に目を落とし、更に続けた。
正しいことをしても理解されず悪者。 陰謀が渦を巻く昔から私ばかり母は子供のためを思いましたが。
私;「あのさ、ほんとにそんなこと書いてあるわけ?」
「だいたい。 ヘンな文章を更に和訳してお伝えしているので多少の違いはあるかと思います・・・」
私;「じゃ、無理やり解釈するとして、ハナ子は要するに何が言いたいわけ?」
「まあ、言葉だけ拾って、意図するところを汲み取るとすれば。」
私;「すれば?」
今回の結婚式キャンセルに関わる一切の出来事は陰謀であってハナ子は何一つ悪くない。・・・と、なります。」

い・・・いんぼう。
陰謀ですよ陰謀。
誰の? まさか米軍? そこまでは言ってないか?

固まった私を見て、夫は説明を付け加えた。
「文中では、パパの実家に対する数限りない不満が述べられており、察するにパパ実家の陰謀だと言いたいらしい。」

なわけないでしょ、とか。
パパ実家の人々が、どうやって今回の出来事を仕組めるのか・・・とか。
いろいろ言いたいことはあったんだけど。
最大の疑問は、何故ハナ子はそうまでもパパ実家を憎み呪ってるのか、ということ。
勿論、ハナ子にとってパパ実家は、舅姑小姑てんこもりの義実家なわけで、「好きになれない」「出来る限り避けたい」レベルであれば理解の範疇なんだけど。
ちょっと度が過ぎているのよね。

昔のことであるし、私なんかには想像も出来ないことがたくさんあったんだろうけれど、話を聞く限りでは、パパ実家の人々に非があるとは思えないな。
夫によると、そもそも折り合いがはっきりと悪くなったのは、三十数年前。 夫が生まれたとき。 パパ実家エリアでは、出産は婚家にて行われる習慣であり、「里帰り出産は家の恥」なんだそうな。 これ、今だったらとんでもない話だけれど、三十年以上前の中国の農村の話だからね。
ハナ子は、姑つまりのおばあちゃんが止めるのも聞かず、とっとと里帰り。 実家近くの病院にて出産。 ハナ子実家とパパ実家は車で30分。 当時は車なんて持っていなかったんだろうけど、電車で行ってもそんなに遠くはないはず。 どっちで産んでも構わないものを、敢えて里帰り出産にした・・・と、パパ側は思ったかもしれない。 おばあちゃんはこの出来事を「家の恥」と捉え、パパに愚痴った。 それをパパがふとした拍子にハナ子に喋ってしまい、ハナ子激怒。 おばあちゃんは当時高級品だった卵を持ってお見舞いに行き、仲直りをしようとしたが不発。 その後の数年間折り合いが悪かった。
但しこのエピソードはハナ子の自己申告。 信憑性には疑問がある。

夫が子供時代、ハナ子は毎日のようにおばあちゃんやパパ妹たちの悪口を言ったという。 逆におばあちゃん側からハナ子の悪口を聞いたことは一度も無いと言うし。
パパは長男なのに、おばあちゃんはハナ子に遠慮してついに同居しなかったというし。
義鳥に遊びに行ったときも、叔父叔母は皆ハナ子に気を遣い、「長男の嫁」として立てていたし。

ハナ子が悪いんじゃないかしら。
それにしたって何故そこまで嫌うのかしら。

いつか詳しい話を聞いてみたいなあと思うけれど、ハナ子は大嘘吐きだからな・・・
真実は闇の中。


夫は結局、パパ宛てに「手紙を送らないで下さい、ってママにお伝えください。 電話での話し合いには応じますが、一方的に彼女の言い分だけを書き殴った手紙は、もう読みたくありません。 次は送り返します。」というようなEメールを出した。

それから数日。
今度は手紙でなく、パパからEメールが来た。
日本語で書かれていたので、夫だけでなく私にも宛てられていると思われる。
「きちんと謝って、元通りに結婚式を行うということでいかがでしょうか。」(原文ママ)

そのとき、私たちはニュー結婚式の準備を着々と進めてはいたが(というか日も迫っていたし、打ち合わせを済ませて申し込み寸前にしといてまだちょっと悩んでいた)、それはそれとしてきちんと仲直りが出来るのならばしておいたほうがいい。
「よかった、なんだったら結婚式2回してもいいよね」
素直に喜ぶ夫。

だがしかし。
↑のパパからのメール、実に曖昧な表現だとは思わないだろうか?


                    「花婿の、母。ニジュウサン」に続く


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ダック鬼嫁日記33「花婿の、母。ニジュウサン」

2006-03-20 | ㊥花婿の、母。
果たして。
パパからのEメールは、やっぱりアレだった。 アレ(イカサマって言いたいけどパパに遠慮しておく)。

ハナ子と言えど夫には母。
「仲直りできる!」とイソイソ電話をかけた夫。
ハナ子が謝ると思うあたり、素直っちゅうか単純ちゅうかアレだけど、そこがカワイイのだということで、ひとつお願いしたい。
案の定、通話開始1分も経たないで夫の表情は険しくなり、口調もまた同様であり、3分で受話器を置いた。

「謝るの、弟だって。」
私;「なんて謝るの?」
「結婚式に出席しない、とか言ってすまん。 出席するから。・・・とか。 もっとも、パパと話しただけで電話切ったから定かじゃないけど。」
私;「そんなことじゃないかと思ってました。」

そうきたか。
最早、何それー!と驚いたり、何なのよ!と憤ったりする気も起きないワタクシ。
突っ込む気にもならないが、何一つ何の解決もしておらず、意味も不明だ。

私;「要するに私たちが結婚式自体を取りやめたことに慌てて、でも色々話し合ったり謝ったりしたくないので、最初んとこだけチラッと御免して全体をキャンセルしようっちゅうことね。」
「その通りだねえ。」

わかっちゃいたけど。
こりゃあ、いろいろ無理だな・・・と実感した私たち。
ハナ子と言えど実母だから、ハナ子無しで結婚式を行うことに抵抗感があったわけなのだが、これ以降、深く考えるのは止めて、上海での式を楽しむ方に向かった。

幸いにして、パパや義鳥の親族の理解は得られたし、式の直前に義鳥まで私の親を伴って挨拶に出向いて失礼をお詫びすることにした。 そこまでしなくても怒ったりはしないだろうけど、その方が、心が軽くなるから。

新しい結婚式のことは、言うまでも無くハナ子には内緒にした。
旧結婚式はやっぱり取り止めでどうにもならない、と告げてからこっち、日々パパに当たってるハナ子である。 おまけに親族中に電話を掛け捲っていろいろいろいろ大嘘を撒いてくれていた。 このあたりのことは、親族各家庭の子供たちからタレコミが入るので、すぐにわかる。
そこに新たな挙式計画。バレた日には、ぜーったい会場まで押しかけてくるし、入場を断ろうものなら、ぜーったいその場で無いこと無いこと泣き叫ぶ。
上海で挙式の場合、出席者は日本からの人々を除けば、夫の同級生(上海の大学だったから)と仕事関係者(長年上海で働いていたから)が主。 ハナ子が直接連絡を取れる人間は極少数だったため、そこさえ押さえておければ秘密が漏れることは無いはず。
夫は、パパを含む数名のハナ子関係者、つまり親族に対しては、日時のみ伝え、会場は当日になってから伝えることとした。 ああ、私の結婚式よ。 まるで何かの陰謀のようじゃないか。

陰謀のようではあるが、着々と準備は進み、インフォメーションはしたし、カードの発送もとっとと済ませた。 余談だけど宛名書きは手が痛くなった。

そんなある日、上海在住の夫の従弟・ショウユ(仮名、名前の発音が中国語の醤油に似ている)から電話があった。
ショウユは、ハナ子妹の息子であるが、ショウユの父はハナ子を嫌っており、そのためか結婚式に関して我々に協力的だった。 学生時代からずっと上海在住なので、昔から夫の仲良しさんでもあるし。

ショウユ;「あ、兄ちゃん? あのさあ、伯母さん、兄ちゃんたちが上海で結婚式やるんじゃないかって疑ってるよ。 こないだからうちの母ちゃんに電話してきてはいたんだけど、今朝俺のとこ直接かかってきて訊かれた。」
「しらばっくれといてください・・・」
ショウユ;「わかってるさァ。 何かね、旧結婚式と同じ日取りだってことはバレちゃいないみたいだよ。 でも近々式を挙げるんじゃないかってかなり警戒してる。 ま、俺からばれることは無いから。 うちの母ちゃんにも黙ってるし!」
「ありがとう・・・」

電話内容は後で私が聞き取りしたもの。 とにかくそんな内容の電話がかかってきたのが、ある日の昼下がりだったと思ってください。
そしてその夜、またショウユから電話がかかってきた。

ショウユ;「またかかってきた、伯母ちゃんから。」
「なんて?」
ショウユ;「何かね、伯母ちゃんがいかに良い人で、良い母で、息子を心配していて、従って結婚式に呼ばないわけにはいかない・・・ということを、兄ちゃんに伝えるように依頼された。 ということで、前後の事情も勝手に含めちゃったけど、一応お伝えしとこうと思って。」
・・・・・・うーん。
ショウユは、実妹の子だから味方に違いない、とハナ子は思ったんだろうけどさ。
それにしたって作為的な、そして稚拙な奴、ハナ子。
それで60年を生きてきたのか、ハナ子。

夫は電話を切るや、そのまま実家に電話をした。 彼、ハナ子遺伝子の為せる業か、カッとなりやすい。
「あ、パパ、母ちゃん居る?」
ハナ子、電話に出るのを拒否。
「じゃあ、伝えてくれる? 俺は母ちゃんの、人の影に隠れてコソコソ立ち回って、嘘ばっかついて、挙句ひとにまで指示して自分を善人に見せようとするような姑息さが大っ嫌いだ。 母ちゃんも俺の親なら出てきて誠実に話し合え! さもなきゃ式に呼ぶとか呼ばないとかいう話なんて出来るはずもないだろ!・・・って。 よろしく。」
ガチャ、と受話器を置く夫。

私;「なーんとなく何言ったかわかったけどさあ。 パパ、苛められるでしょ。 んで、ショウユも文句言われる。」
「いや、パパあれそのままは伝えないでしょう。 どう考えても。」
でもまあ、カッとなったよねー・・・と落ち込む夫。

しかし、ハナ子のウソウソ攻撃はまだ始まったばかりだった・・・


                       「花婿の、母。ニジュウヨン」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥




ダック鬼嫁日記34「花婿の、母。ニジュウヨン」

2006-03-17 | ㊥花婿の、母。
夫がハナ子に怒りの電話をかけた・・・いや、実際電話に出たのはパパだった・・・翌日。 ついついついついついついついカッとなってしまったものの、「ショウユに迷惑かけただろうなあ・・・」というところで軽く落ち込んでいた、夫。
夜、やっぱりショウユから電話がかかってきた。

「ぷるりらり~。」(我が家の電話の音)

ショウユ;「ニーハオニーハオ。兄ちゃん、伯母ちゃんから電話あったよ。 3回。」
「ニーハオ・・・って、さ、3回も? して、その内容は?」
ショウユ;「1回目、お前ー!!!ウチの息子に要らないことまで話したな!って怒りの電話。 2回目、まあお前の立場もわかるんだけどぉ・・・って、怒鳴ったことへのフォローの電話。 3回目、もう1回うちの息子に電話して、母ちゃんを結婚式に呼ぶように説得しておくれよゥって依頼の電話。 一応伝えるけど説得までは出来ないな、って返事しといた。」

学習機能ゼロ&他力本願なハナ子。
おいおい、前夜ショウユが「伯母ちゃんから依頼された・・・」ってに話しただろう。 それでが怒っただろう。
同じ依頼を重ねるとは何事か。
ショウユはハナ子方親族=ハナ子の味方、と信じているのか。
何がしたいんだ、ハナ子。
私にはさっぱりわからない。

更にその翌日。
夫がショウユに「ご迷惑をおかけしております・・・」電話をかけたところ、やはりハナ子は更なる電話をショウユにかけており。
ショウユとしては、「伝えるだけは伝えたけど、これ以上ボクに出来ることはありません。」と言うような返事をしたそうな。
ハナ子としても、もともと親族内の「反ハナ子的勢力」であるショウユのパパのことがあり、それ以上何事か迫ることは止めたらしい。
ショウユ曰く、「浦江(ハナ子実家の地名)の人間だって、本当は伯母さんのこと、わかってはいるんだ・・・」
ということで、ハナ子実家関係者と言えど、あのハナ子をまったくマトモだと思っているわけではなさそうだった。

以降、結婚式までの間、ショウユとは頻繁に連絡を取り続けたが、それはショウユの「挙式会場である上海在住の従弟として、手伝うことがあったら何でも!」という好意によるものだった。 彼のところには幾度かハナ子から電話が入った様子だったが、彼が詳細を語ることはなく、挙式当日まで秘密を守り通してくれた。

私たちが「結婚式に夫の母であるハナ子を招待しない」というのは、私たちにしてみれば、「祝福する気のないひとに出席して欲しくない」からである。 それはそれで正当だと私は思っているけれど、別の見方をすれば、「親を招待しないなんてとんでもない!」と言われるであろう。形の上では、「旅先=上海で結婚式」ってことにしたけどさ。 近過ぎて無理があるし。そんな私たちに協力し、片棒担いでくれたショウユには、とても感謝している。

さて、当初計画した結婚式は完全に消え、ニュー結婚式計画in上海をとてもとても警戒しているハナ子。 頭は良くないけど、カンはいいらしい。
場所は上海だな、と踏んだ上はショウユを押さえようとして撃沈。
パパにも「に電話して結婚式に呼ぶように言えよォ!」と迫ったものの、
「結婚式があるなんてきいてません。知りません。だいたい、あなたが悪いんじゃありませんか・・・」
と、パパにしては珍しい抵抗に遭い、これも撃沈。このことは後になってパパからきいた。

ハナ子、どうする。
ひとことでいいから謝っちゃえば、そうそう無碍にも出来ないんだけどさ。
ハナ子は、謝れない。
というか、ハナ子が悪いとは、これっぱかしも思ってない様子で。
ハナ子、手詰まりか?

それが、ここで手詰まりだなどと思うハナ子ではなかった。

ショウユからのハナ子関連コールが収まって数日。
今度は、浦江の叔父=ハナ子弟からの電話攻撃が開始された。
余談だけどハナ子は5人兄弟の長女。妹が3人と弟ひとり。ハナ子、妹1(故人)、妹2(ショウユ母)、弟、妹3という構成。 それに一緒に育った従姉がひとりいて、ハナ子はこの人物を「姉さん」と呼んでいる。

電話の内容は、後で書くとして。
最初にハナ子弟からの電話があった時点で、挙式2週間前。 それから1週間のうちに電話が5回。 つまり、ほぼ毎日。 平均通話時間は2時間30分。 
この時期、は仕事が非常に忙しく(ホラ、結婚式前後に休みを取るので直前はその分忙しい)、はっきり言って迷惑電話以外の何物でもなかった。 

それでも話に応じたのは、目上のひとからの電話であるし、ハナ子がウソ八百並べているので、言い返さないと言われっぱなしになってしまうから。 ハナ子のウソは多くは私=鬼嫁に関することだったけど、時に話はとんでもないところにズレて、夫から話を聞いているだけでも頭痛が止まらなかった・・・・・・



                        「花婿の、母。ニジュウゴ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記35「花婿の、母。ニジュウゴ」

2006-03-16 | ㊥花婿の、母。
叔父さんからの電話は、通話時間の長さに比べて、内容の薄いものだった。
大方は、「シドニー虐待事件」及び「結婚式の件」。

曰く、「叔父さんは、ハナ子きょうだい唯一の男子として、もっとも論理的で、弁の立つひとなの。 一応。」
一応と遠慮がちに付け加えたのは、日々かかってくる叔父さんからの電話が、あまりにも筋の通らない、同じところをグルグルグルグル回り続ける迷路のような話だったからだろう。
非難中に遭難したみたいな文言の的になっている妻に対して、
「叔父さんって論理的なひとなんだよ」
とは言えまい。

まあ、「ハナ子一族の中では、もっとも論理的」というのを素直に受け止めるならば、当然叔父さんは、わかってて言っている・・・と、いうことになる。

あのハナ子が虐待されながら、泣きながら3ヶ月近くシドニーで同居していたなんて、いくらなんでも不自然すぎる。

パパ実家の人々(その人物像がどのくらい歪められて伝わっているのかは不明であるにせよ)が、ハナ子を陥れるための罠を仕掛けて結婚式をキャンセルに追い込んで更にそれをハナ子のせいにした・・・なんて、どこの脚本家でも書けないだろう。 ちょっと○流ドラマみたいな強引さではある。

叔父さんは言った。
「とどのつまり、おまえのおかあちゃんは悪くない。だから結婚式に呼びなさい」
それに対し、は、「それでは結婚式キャンセルで迷惑をかけたパパ実家関係者にスジが通りません。 そもそも結婚式なんて行わないのです。」

上海でやるのは、結婚式ではなく、飽くまでもお披露目パーティー。
そんなものの存在さえ、叔父さんには言わなかったけれど、心の中で強弁する。

そしては、叔父さんの言うことに一つ一つ答えた。
「妻と母、どっちを信じる・信じないの問題ではなくて、母の言っていることが嘘であるのは、私自身が目で見て共に暮らして確かめたことです。」

叔父さんは、の言う言葉の意味がわからなかったわけではない。
にもかかわらず、まったく同じ話が毎晩のような電話で繰り返される。

叔父さんにそこまでさせる理由は何だろう。
ハナ子が叔父さんの姉だから、逆らえないのか。
私たちから見て、ハナ子が母・姑だからか。 

私は、自分がこんなことになって、嫁・姑問題について考えた。
日中の国際結婚じゃなくったって、日本のなかでさえ、嫁世代と姑世代では、考え方が大きく違う。 もちろん地方により、ひとにより、感覚って違うけれど。
しかし大きく見ると、嫁世代、いや、私たちの世代は、「結婚したのだから、自分の家庭・配偶者が優先。 互いの実家はその次であり、嫁側・夫側は対等」と考えていると思う。
少なくとも、私の周囲では男女問わずこんな感じだ。

対して、私たちの姑世代、つまり私たちより大体三十歳前後年上の人々は、「嫁=うちに嫁したもの。 たとえ理不尽でも目上の者に逆らったり口答えしたりしない。 私たちもシュウトメに従って、嫌な思いもしてきたのだから。」と、考えているひとが多いのではなかろうか。 もっとも、姑世代の方が、旧いヒトと新しいヒトの差が激しそうではあるけれど。

旧い価値観からすれば、「嫁が逆らう(直接ではないにせよ)なんて、姑をないがしろにするなんて、許せない!」・・・に、なってしまって、もはや「なぜこうなったか?」なんてことは関係なくなってしまうだろう。

あの我侭ハナ子が、嫁として、祖母にきちんと尽くしたかといえば、そんなはずもなく。
「ひとにしたことは返ってくる」(ああ、今の私にはなんと重たい言葉であることか)という意味では、現在嫁である私から抵抗を受けてるのは無理からぬことではあるけれど。

ハナ子のこと、自分のしたことはすっかりと忘れて、「嫁が逆らうなんてどうなってるんだい! まったく、日本人嫁ときた日には・・・」と、思っているだろう。

価値観とか、その世代ごとの「大原則」みたいな考え方は、なかなか変えられるものじゃない。 まして中国。 日本よりも古くさいはずだ。
だから、「そうは言っても、親は親」ってところで、波風を立てないための何かに迎合し、ハナ子を許す=上海挙式に招く・・・って選択肢は、挙式前日まであった。 杭州上海間はせいぜい3時間で、呼び出せば飛んでくるハナ子だっただろうから。

それをしなかったのは。

叔父さんの話があまりに一方的に私=鬼嫁を悪者と決め付け、黒いものを白に、白いものを黒に塗りこめるようなものだったから。

そして、に言い負かされそうになったとき、叔父さんの口からやけくそのように飛び出す過去における、パパ実家へのハナ子の恨みつらみにドン引いたから。

叔父さんは、言った。
「姉ちゃん(=ハナ子)は、さあ。 嫁ぐ前からいろいろあったわけよ。 向こうさんと、うちとを比較されて。 貧乏を笑われて・・・」

疑問。 当時の両家に、あからさまな差なんてあったはずもない。
あのような体制下の、ごく近い場所の農民。 当時、親族には役人や学者といった、生活レベルがどっちかに引っ張られそうな階級の人間はいないわけで。

具体的にどんなことをされたのか?・・・と、は尋ねた。

叔父さん;「それは、姉ちゃんが嫁入りの挨拶に、初めて義鳥を訪れたときのことだった。 駅には、義兄さんの弟が来ていたんだけど、そいつが言うんだよ。 嫁入り道具はどこですか?って。 ひどいと思わないか? 嫁入り道具を買うような金はうちには無かったんだよ。 それを、馬鹿にされて・・・」

うう~ん。
迎えに出ていたパパ弟って、パパの証言によれば、下の叔父ちゃんなんだけど。
パパ弟=叔父ちゃん、当時小学生。 そんなに悪意があっての発言ではないだろうと思うし、真意がどうであれ、悪意に解釈するのはいかがなものかと思うけど。
普通に考えたら、親から「嫁さんの荷物を持ってやりなさい」と、言い付かってたんじゃないか?

それ以上、「具体的な話」は、出てこなかった。
パパ実家の関係者は、ハナ子の悪口を言い続けている、というハナ子の憶測。
パパ実家の関係者は、ハナ子の悪口を、嫁=私に吹き込んだ、というハナ子の思い込み。
パパ実家の関係者は、ハナ子実家よりも金持ちなので、嫁はパパ実家に肩入れしている、というハナ子の決め付け。

叔父さんは、言い張っているという調子で、苦しい口調だった。

私は、もちろん言わなかったけれども、本当は言いたいことがあった。

確かにパパ実家は、現在ではハナ子実家よりも裕福。 ものすごい差というわけではないけれど、比較的に。
そして私は、確かにパパ実家の方が好き。

でも理由は金じゃないぞ。
ハナ子実家の人々は、「どうだ!良い暮らし向きだろう!」って自信満々の、自慢タラタラな態度だった(後にこれは誤解で、「一部の人がそうだった」とわかるんだけど)。
パパ実家の人々は、彼らにしてみれば長年の苦労の末に手に入れた、格段に向上したはずの暮らしを、「日本の暮らしは、ここよりもずっと良いのでしょう。 不便があったらごめんね」という態度で見せてくれた。 その上彼らに出来る一番良いもてなしをしてくれた。 

田舎者ってのは、住んでる場所の利便性や金なんかじゃない。
田舎者ってのは、もの知らずのことだ。
田舎者なんか嫌いだァーーーーーーーー


・・・と、やや身の程知らずな叫びを、心の中で上げた私。

「実の親を招かない」っていう後ろめたさは、怒りで飲み下した。
飲み下しても、腹からは出て行かないのだけれども。


                     「花婿の、母。ニジュウロク」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記36「花婿の、母。ニジュウロク」

2006-03-14 | ㊥花婿の、母。
結婚式は、当初の予定通りの日取りで、場所と招待客だけ変えて行った。

そこに至るまでは、後ろめたさを飲み込む、なんていう感情的なものでは済まされない、面倒と迷惑と苦労があったけれど、ともあれ決行され、概ね成功だった。

結婚式の数日前に、日本の母と弟と叔母が、北京に来てくれた。
日本から参加してくれたのは、この3人と、上海で合流した父と、友達二人。 友達のママ。 計7名。

計画としては、母弟叔母が、私の着物用小物などを持って北京に来る→1泊して一緒に義鳥に飛ぶ。 義鳥の親戚に、キャンセルした結婚式のことをお詫び。+義鳥で結婚式のときに配るお菓子を受け取る。 

中国では、引き出物代わりに、アメちゃんやチョコレートの詰まった袋(無論赤い)を配るんだけど、義鳥のマーケットで用意すると、上海や北京の十分の一ほどの値段だった。 もっとも、わざわざ義鳥で買った理由は値段ではなく、そもそも結婚式会場が義鳥だったからに他ならない。

それから、義鳥から車で上海に移動。 途中、杭州に降りる友達母子を拾った。 →上海到着。 上海でもうひとりの友達合流。 →翌日挙式。 →挙式後、一行にとって真のメイン・イベントとも言える?上海カニ道楽の会が催され、 →翌日は上海観光 →杭州に移動(友達のうちひとりは上海で離脱)→杭州観光2泊 →
友達母子は日本へ、母弟叔母と私たちは北京へ →北京観光の後、それぞれ好きなときに日本へ、私たちは日常生活へ・・・というのが全体の流れだった。 ちなみに私の父は、式とカニだけの参加、仕事へ戻った。

こう書いただけでも忙しいけれど、実際は、それ以上に忙しく、トラブル続きだった。 私たちはそれを「ハナ子の呪い」と呼んだ。 実際のところハナ子は毎週日曜に教会から私を呪っているので、あながち冗談でもないんだけど。

ツアー中、最初の受難は、義鳥で。
親族への挨拶は、問題無いように思われた。 皆様、「わざわざ遠いとこから・・・」と、一様に友好的だった。 結婚式のことも、「気にしなくていいから、上海の式を楽しんでね!」と言ってくれた。
友好的過ぎた。
ついついついついついもてなされてしまい。 しかも、親族中最も昔風の住まいに招待されて、物珍しくて盛り上がってしまった。
だって。
その叔母の家の茶菓子は・・・サトウキビ(生)。
いやー・・・中国では、茶館とかで、皮剥いて切ったサトウキビが出されることはあるのよ。 齧ると甘い。 繊維のカスは、捨てるも飲み下すも、アナタの思いのまま・・・
それが、叔母ちゃんの夫である叔父ちゃん(ファーマー歴60年)が出してくれたのは、庭から引っこ抜いてきたサトウキビ、そのまま・・・
丁寧に洗ってはあったけれど、皮付きで、大変長いまま。
それをさしだされてどうする?・・・と、思ったけれど、皆さん(日本人が複数名訪れるというかつてない事態に、ギャラリー満載だった)サトウキビを横掴みにして、歯でバリバリッ!と皮剥いて、ボリボリ噛み砕いている。

なぁんてワイルド
ぱんだみたい。
プチウルルン体験に感動する日本人一同。
私は、もうそのくらいじゃあまり驚かなくなってたけど。

その後、たまごと青梗菜入りの、身体に優しい味のうどん(的なもの)をごちそうになり。

気がつけば、時間が押していた。

友達母子の、到着時間が迫っていた。
はたと気づき、
「あのぅ・・・そろそろ・・・」
と、夫を促しかけた私。
しかしそのとき、夫はパパ妹である叔母と話しこんでいた。 しかも叔母ちゃんはかなり深刻そうな様子で、涙ぐんでいる。
使用言語は超・ローカル言語の義鳥語。
私には皆目見当もつかない。
言いづらいけど・・・
「・・・あのですねぇー、じかんが。」
言いかけた私に、夫が説明してくれた。

「パパが昔、うつ病になったときの話を聞いてるんだ。」
その話は、さらっとしか聞いたことがなかった。
パパは昔、が生まれた頃に仕事のストレスからうつ状態になり、時を同じくしてハナ子は北京へ転勤。 パパは離職・療養を余儀なくされて実家に戻り、子育てと治療の一時期を持った・・・と。

それが何か?
この忙しいときに涙ぐむ話につながるのけ?

パパのすぐ下の妹=1番叔母ちゃんの話を、夫は通訳した。
「パパねえ、結婚当初は、あんなに大人しくはなかったんだって。 ハナ子とも、ちゃんと夫婦喧嘩してたって。」
ふうん。 パパ自衛隊も、日本軍だった時代があったわけだ。
「でね、負けたって。」
敗戦。
私;「負けって、一体どういう状態で?」
「具体的に何があったのかは、誰も知らないって。 でも、ある日パパから連絡が来て、調子悪いから迎えに来て、と言われたの。 そんなこと無かったことで、驚いて行ったらもうパパは別人のようにやつれていたの。 そのとき俺は生後3ヶ月で、ハナ子は北京に転勤直後。 俺の世話はパパがしていた。」
時間が無いんですけど・・・と思いつつ、この時点では急げば間に合う状態だったので、とりあえず耳を傾けた私。
「義鳥に帰ってきたパパは、ぼろぼろに疲れていました。 何しろ眠ると悪夢にうなされて、目が覚めてパニック状態・・・夜も一人にすることの出来ない状態が、数ヶ月続きました。」
それって、うつ病なのかしら?
私はその方面疎いので定かじゃないけど、それってなんらかのトラウマを背負ったひとのような気がする。 
「心身ともに超・健康だったパパが、結婚1年足らずでなぜそんな状態になってしまったのか。 どういう経過だったのか。 真実を知っているのはパパとハナ子の他には、亡くなった俺のおばあちゃんだけ。」
私;「おばあちゃんは知ってたんだ?」
「パパの看病の際に聞いたと思われるけど、その内容については、一番上の娘である叔母ちゃんにさえ知らせることなく、秘密を墓場まで持っていってしまいました。」
私;「何があったんでしょうねえ。」
「・・・以後、パパは回復し復職した後も、けっしてハナ子と戦わなかったそうです。」
戦後、交戦権を失った、と。

なんなんだ。
ああ、パパとハナ子の戦争と、平和。

夫が私に説明している間、叔母ちゃんは涙ぐんだまま、私たちを見ていた。
それからまた中国語で込み入った話をし、いよいよギリギリになって、私が
「間に合わないよー!!!」
と、叫ぶに至り。
大慌てで、叔母ちゃんのうちを後にした。

   

                    「花婿の、母。ニジュウナナ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記37「花婿の、母。ニジュウナナ」

2006-03-13 | ㊥花婿の、母。
叔母宅を後にした時点では、まだ何とか間に合うはずだった。
ところがここからが受難の始まり。
義鳥→杭州→上海の移動には、全員乗れる車を手配してあったのだが。
・・・車、来ない。
中国的だって?
いやいやしかしですよ。 それまで何度も車移動してて、こんなにも車が遅れたこと、一度として無かった。

間に合わないよーっ・・・と泣きが入る私。
段取りの悪さに、ずんずん機嫌の悪くなる、私の母&叔母。
ぜんぜんヘーキな夫。
あれ?
こんなひとだっけ?・・・と、私は違和感を覚えた。
うちの、時間の感覚などは取り立ててズレていなかったはず。
ひとを待たせたら申し訳ない、という気持ちも、普通に持ち合わせがあるはず。
なのになぜか、
「電話して急がせてはいるし、今焦ってもしょうがないじゃない?」
と、思いもかけないお言葉。
車を待つ間、親族とニコニコぺちゃくちゃ、楽しそうにおしゃべりに興じているし。
母&叔母よりはずっとのんきな私も、夫を見ていると苛立ちがつのって耐えられない気持ちに。

私;「ねえ! 間に合わないのに、なんでそんな落ち着いてるの?」
と、ヒステリックに怒ってしまった。
ところが。

「どうしてそんなに怒るの? 結婚式だから、友達も怒らないでしょう?」

と、きょとんとしている夫。

確かに「少し待たせるかも」とは友達に伝えてあったし、強行軍の旅行だから、申し訳ないけどカンベンしてもらおう、という甘えも、私の中にあった。
私;「そりゃちょっとくらいは平気と思うけど、既に遅れてるんだから、今スグ出ないと、ちょっとくらいじゃ済まなくなるよ! わからないの?」
・・・と、文句を重ねるも、一向に動じない夫。

一行のイライラが最高潮に達するころ、ようやく車がやってきた。
ところが。
やってきた車はなんと、超・ボロ。
見た瞬間、ずどぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーんと、目の前が暗くなった。
なにこれ・・・と、理性で抑えた声できく私。 ここで私が大騒ぎしたら、母&叔母(特に、母)が夫に集中砲火を始めてしまうに違いない。 いたずらに話を混乱させる必要はないわけで。

「なんかねえ、義鳥からだと、10人乗りサイズの車はこれしかないって。 杭州からならもっとイイのがあったんだけど。 義鳥始発でツアーなんてないもんね、考えて見れば。」
どこまでものんきな夫。

ともあれ選択の余地なし。
にわかに統制がとれなくなっていた一行を車に押し込み、出発!

出発した時点で、遅刻は確定。
だけど、最大遅くて1時間遅れ以内には、着くと思われた。
私は焦ってはいたが、しかしまだそれなりにマトモな気分だった。
しかし走れば走るほど、夫以外の一行の苛立ちはつのっていった。
何故か?
おわかりかと思うけれど、ボロ車。
想像以上に、スピードが出ない・・・

どうしようどうしよう。
どうしようも無さだけが虚しく私を包み、母&叔母(主に母)の、ブツクサ攻撃が、夫に向かって火を噴き始めてしまった。
どうしようもないことは彼女たちにもわかっていたので、車中、面と向かってではなく、後部座席からぶつぶつぶつぶつやるわけである。
そのやり方が、不満を表明するのに適切だったとは、私は思わない。
だけど、異国の空港にてお待たせすることが確定してしまったのは、私の友人だけでなく、友人のママも、である。
ごくごく普通の日本のオバちゃんである母&叔母にとっては、相当なストレスだったと思う。
私からすれば、「文句言われても仕方の無い状況」。

が、夫がとんでもない反応をしたのだった。
(私に向けて、小声で)「ねえ、なんでお母さんと叔母ちゃんは、あんなにぶつぶつ怒るの? 待たせて悪いけど、でも、今回は俺たちの結婚式なんだよ。 結婚式の主役に、あんなふうに怒るの?
結婚式の主役って・・・そういう問題じゃないでしょ?と説明しながら、私はものすごく戸惑った。

こんなこと、言わないとわからないやつだっけ?
わざわざ式に来てくれたひとを、異国の空港で待たして平気なひと?

「いや、言ってることはわかるよ。 申し訳ないと思う。 でも、現状ではこれ以上出来ることは何も無いし、俺たちは結婚式の主役なの!

だからなんなのだ。
結婚式なんて、翌日じゃないか。

私は生きた心地がしなかった。
人様(しかも外国で、しかも目上のひとを含む状態で)を大幅に待たせている上、その現場に実母が立ち会っている。 
そのうえ夫がわけのわからないことを言い出した。 奴は明らかに、自分のしていることの申し訳なさよりも、文句を言われたことに対する不快感を示している。

正直、 夫にハナ子が乗り移ったのかと思った。

国際結婚で。 言葉も通じない異国で暮らして。 シュウトメはあんなハナ子で。
大げさかもしれないけど、夫との関係性だけが私の結婚生活を支えるものなのに。 結婚式前日に、なぜ私は夫の中にハナ子の影を見なきゃならんのだ。

冷たい汗びっしょりな頃合、車は遅れに遅れて空港に着いた。

もともと超の付くマイペース人間である友人は、怒っていなかった。
友人のお母さんは、少なからずお疲れの様子だった。

やっちまったもんはしょうがねえ・・・とは言え、どっぷり落ち込むに足る事態。
それでもようやく合流できたこと、夫が、私から何も言わなくとも謝罪の言葉を口にしてくれたことにかすかな安堵を覚えた。

そして再び出発。

数分後。
夫の携帯が鳴った。
着番は、ハナ子弟である叔父ちゃん。

不機嫌の極まっていた夫は、携帯の電源を落としてしまった。

ぷちっ!

その瞬間。

ばんっ!!!

大きな音がして、車が停まった。

パンクである。
運転手含め9人乗車の、中国の片田舎の高速で。
幸い、誰一人怪我もせず、割合と手際のいい修理が行われ、その後の道のりは、まあ順調にいったけれど。
一歩間違えば、「中国を訪れていた日本人旅行者の一団が・・・」と、ニュースになるところだった。

ハナ子の呪い。

そんな言葉が疲れ果てた私の脳内を駆け巡っていたのは言うまでもない。


                    「花婿の、母。ニジュウハチ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記38「花婿の、母。ニジュウハチ」

2006-03-11 | ㊥花婿の、母。
受難は続くよ何処までも。

そんな結婚式前夜だった。

苦難と恥とプレッシャーの果てに辿り着いた上海。 大袈裟?
ともかく友達とお母さんと私の母&叔母に謝って、夕飯も済み。
「ま・・・いろいろあったけど、明日があるから早く寝なさい」ってな感じで部屋に引っ込んだ私たちが、二人っきりになってしたことは。

大喧嘩。

「結婚式の主役なのに怒られた」と拘る夫と。
「(不本意ではあるが)大失敗したのにイマイチ反省してくれない」と不満な私。

もともと疑問点は徹底的に話し合う私たちなのだけれど、このときは激しかった。
何しろ翌日は結婚式。
うやむやにしては、誓いの言葉にも迷いが出るではないか。
白黒つけてスッキリと式に臨むためなら、徹夜しようが酷い顔の花嫁になろうが、そんなことはどうでもいい。

・・・と、思ったんだけど。

実のところ、強行軍だったし、疲れていて。
うちの家庭内言語は日本語なので、疲れは夫の理解力を直撃し。

正直、グダグダの泥沼だった。

「結婚式の主役だ」ということと、「ひとさまをお待たせした」ってことは別問題であり、かつ、「待たせたことは、身内として母の恥でもあり、だから彼女は怒っているんだよ」と説明する私。

「待たせたのはいけないことで申し訳ないことだけれど、結婚式の主役は怒られてはいけないの!」・・・と、言い張る夫。

それが、もともとイベント好きでイベントを重大だと捉える夫の性格からくるものなのか。
中国的発想なのか。

今ならまあ、冷静に考えて、そもそも私の母の怒り方・文句のつけ方が不用意だったとわかる。 いくら流暢でも、外国語を話している人に対して、真意が伝わりづらくて、そしてあまりにもダラダラと長い文句だった。
夫としては、反省も謝罪もしたわけで。
悪意があってしたことではなし、運も悪かった。
「外国の空港で迎えを待つ不安感」に対する理解も、夫と母では大違いのはず。 
実際のところ、待たせてしまった友達は怒ることなく許してくれたので、彼女の不安感が現実にどの程度のものだったのかは不明だけれど、「ご迷惑をかけてしまった」母が脳内で設定した不安度はMAXだったわけで。
怒りの矛先が、私&夫に。

それで夫もなんとな~くやり場の無い気持ちを抱え、「主役は怒られないの~」と、言い張ってみたんだろう。

しかしケンカしていた当時はそこまで頭も回らず。
「文法的に正しく、相手に伝わるような明瞭な説明」をすべきところやはり頭回らず。 

いつにないワガママを言い出した夫の顔がハナ子に見えてきて。
やはり国の違い言葉の違いでうまいことに伝わらないのかなあ・・・と思うと情けなくなってきて。
疲れた身体と脳の涙腺と堪忍袋はブッちぎれやすく。

後にも先にも(たぶんな)ない、ぐだぐだの話し合いを、私ども夫婦は結婚式前夜の明け方近くまでやりました・・・

言うまでも無く。
「結婚式なんかやんなきゃヨカッタ。」
というNGワードは互いに連発。

それでも私は、「あんたってハナ子みたい。」という真のNGワードだけは、なんとか飲み込んだ(これが実は相手も同じことを思っていたことが後にわかった)。

ところがところが。
不思議なもので、ちゃんとした説明は結局お互い出来なかったというのに、言いたいことを言い尽くしてしまうと、なぜか仲直りが出来た。 なんとなく、自分の言いたいことが相手に伝わり、相手の真意も理解できたような気になってしまった。

気のせいなんだろうけど・・・

ともあれなんとな~く試合後のような清清しさを感じつつ、ほんの少しの仮眠を取り、式場へと向かった私たち。

着替えて、メイクしてもらって、ヘアセットもしてもらって。
衣装は自分たちが蘇州まで行って買ったもの。 メイクはなぜか中華風メイクだったけど、時間通りなんとか無事に。

披露宴の前に、教会‘風’の式。
なんで‘風’かというと、中国という国では、本物の神父さん・牧師さんに執り行ってもらう式は、国に届出が必要であり、手配し切れなかったので、牧師‘風’司会者の仕切りで、参列者の前にて誓う人前結婚式だったけど(どっちみち私はクリスチャンではないので問題ないのだけど)。 これまたなんとか無事に。 心配していたお天気も、直前になってきれいに晴れ、庭園挙式が出来た。

出席者は、私の親族友人と、夫のいとこ‘ショウユ’くん、大学時代の友達数名。 それだけ。 もちろんそれは本意ではなく、特にパパが出席できなかったことは心から残念だったのだけれど。 ハナ子というアクシデントがあったとは言え、自分たちで決めたことなので、しかたがない。 後ろめたさは、このときはキッパリ忘れさせてもらった。

それから、ほかの招待客、職場の同僚や、同級生たちがやってくるまえに、披露宴会場に移動。
「親を呼ばないで挙式する」理由を、皆様に説明するのはたいへんだからね。

ドレス着て。 着物着て。 チャイナ(スリット無し!)着て。
来賓挨拶で。 ウエディングドレス入刀で。 シャンパンタワーで。
夫のひとり多重言語放送挨拶も終わって。

結婚式、無事終了!
任務達成!

それなりに盛り上がって、笑いもあって、来てくれた皆様と喋ることもできて。
なかなか良い式だったと思う。

でも、感動したかというとそうでもない。
本当のことを言うと、段取りが気になって、それどころではなかった。
式の最中私が考えていたことは、全てをいかにスムーズに進行するか。 それしかなかった。

だって、式だけで終わりではないのだ。
その後、親族友人と、上海蟹を食べに行かなければならない。
しょっぱなにあったトラブルを帳消しにするべく、楽しいツアーを組まねばならない。 

私たちなりに、がんばってがんばってがんばってがんばった。

幸い、食事会も和やかに成功。

食後、和平ホテルの屋上で、みんなで軽く飲んで。

飲んでいる最中に、何故か花火が上がり始めた。
上海灘に、なかなか豪華な、無数の花火が。
おそらく何かのイベントの日だったのだろうけれど。

私はそれを見ながら、やっと感動した。
眠っていなくて、ケンカして、多くの人に会って、上がりまくったテンションがゆるゆると解けていくような気がした。

実家のみんながいて。
叔母がいて。
友達がいてくれて。
ばかみたいなケンカのできる、夫がいる。

結婚式やって、よかったなあ。
結婚して、よかった。

最初の式キャンセル決定から、約一ヶ月。
トラブルの時は、終わったんだと思った。







・・・そのとき夫の携帯電話が、鳴った。
「ぷるりらり~」
「お、叔父さん(もっちろんハナ子弟)からだ・・・」

それは次なるトラブルへの警鐘(ああ、だんだん表現が大げさに・・・)。
「まだまだそんなもんじゃ、終わんねえよ」と、誰かに言われた気がした。
俄かに帰ってきた、ビーッ、ビーッ、ビーッ・・・という人生のエラー音のその向こうに。
私はハナ子の遠吠えを聞いた気がした。

エイヨォーゥ・・・・・・


                   「花婿の、母。ニジュウキュウ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記39「花婿の、母。ニジュウキュウ」

2006-03-09 | ㊥花婿の、母。
私ども夫婦の、一生に一度(つもり)の結婚式の夜。
ドタバタはあったものの、家族友人一同「まあ、よかった」という気持ちに落ち着くことのできた、大団円的な場面において。

何故なるんだ、ハナ子弟からの電話。

夫は不機嫌そうに、しかし電話に出た。
「叔父さんは悪い人じゃないし、昨日携帯の電源落としちゃったからさあ・・・」
と、つぶやきながら。
私は気になりながらも、友達と写真撮影したり。 父の飲み物のおかわりをオーダーしたり。 叔母に上海の解説をしてみたり・・・と忙しく。
気が付けば夫がみんなの輪から離れていって、1時間も経過していた。
さすがにみんな夫の様子に気づき、
「ねえ、親戚の電話? まだ終わらないの? 大丈夫?」
と言われ始めたころ。
夫が戻ってきた。

「話になんない。」
それはそうでしょうとも。
「ハナ子から伝言だって。 命ある限り、何があろうとも絶対におまえらの結婚式には出る!・・・って。」
じゃあ最初から邪魔するな、と私は言いたい。
なんなんだ、その仇討ちライクな言い回し・・・
私;「言った? もう終わっちゃったよ~ん、って?」
「言わなかった。 これから杭州行って、パパと密会するからさー。」
そう、この先の旅程は杭州行き。
出張の途中で参加してくれた私の父と、わざわざ鹿児島から来てくれた友達は上海から帰国の予定だったけど、母叔母弟と、地元神奈川から来てくれた友達母子は、後数日遊んでくれる。
パパは、ハナ子に内緒で杭州観光に付き合ってくれる手はずになっていた。
だから、それが済むまでは、私たちが上海で挙式してしまったことは知らせない方がいい。

もっとも、式があったこと自体は、ハナ子側の親戚にもいずれ知れることになっていた。
式終了後、着替え後片付けに思いのほか手間取った私たち。 母らには先にホテルに帰って休んでいてもらうことにしたのだけれど、「荷物も多いだろうから」と、いとこのショウユくんだけは、最後まで手伝ってくれた。
ショウユは、ハナ子の妹の息子であり、血筋的にはハナ子側。
その彼が、
「俺、うちの方の親戚分の引き出物(アメちゃんの袋)、持って行くよ。 いい式だったと思うし、ちゃんと伝えるから。」
と、申し出てくれていた。
そんなことをすれば、ハナ子に何を言われるかわからないというのに、なんと勇気と優しさにあふれる行動だろうか・・・
私たちからしても、「ハナ子サイドの親族にも、ちゃんと報告したいんだけどどうしましょうか」というところだったので、これはありがたく受け止め、引き出物を託した。 
上海在住のショウユが「近々車で帰るときに」ばれる。
それが具体的に何月何日なのかは不明で。
空に向かって撃った弾が帰ってくるのを待つような心地。

ともあれ。
まだ式が決行されてしまったことを知らない、しかし私たちが代替の式を行うことを疑っている叔父さんは、色々と言ってきたのだそう。

浦江(ハナ子実家)のホテルで式をやったら?って言われたよ。」
えーっと。
それは、ないよなあ。
ハナ子側の言い分はあるんだろうけど、それにしたって、パパ実家側で準備していた式をキャンセルしたのは事実で。 そんで、ハナ子実家の方で式って。
叔父さんも、ナニを考えているんだか・・・
「叔父ちゃんもかなりあれ・・・なんて言うの、やけっぱち? よっぽどハナ子に言われているみたい。」
姉って言うだけでそんなに強いんだろうか?
私も実家の家族構成では姉だけど、そんな無茶な権力は無いぞ・・・と。 
何気なく、静かに飲んでいると思われていた、弟に目をやったら。

静か過ぎないか?
もともとオタク系・・・いやインドア派で普段からアクション少な目のヒトではあるけど。 誰とも交流している様子がなく、うつむいている???
酔ったとか?

近づいて見よう。
夫も、私が急な動きを取ったので、ついてくる。
「何よ何よ急にどうしたの~・・・あッ!」

ギャー!

弟、さっき食ったカニより赤くなってる。
赤いだけでなく、ぶつぶつが出ている。

ぢんましんだ~~~~~~~~~~

どうしようかと思ったけれど、弟本人が、「おさまってきたから」と自己申告、「みんなには黙っていて欲しい」というので、とりあえず水をたくさん飲ませ、様子を見ることに。 幸いと言っていいのかどうか、薄暗かったので、一行には気づかれず、ひとまずホテルに帰った。

忘れていたがうちの弟は幼いころ、海老だのイカの塩辛だの食べて、アレルギーじんましんを起こしたことがあった。 

油断した。
大人になってから出てなかったから、本人も甘く見たんだろう。

「水飲めばダイジョーブ」
と言い続け、同室の父に気づかれぬよう、私たちの部屋で休憩していた弟。
悪化は止まったものの、じんましんが消える気配も無く。
ホテルに帰って20分もしないうち、病院に連れて行くことに決めた。

その時点で既に日付は回っていたわけで。
それから母の部屋に内線かけて、フロントにも連絡し、弟・私・夫・母+ホテルの方、という構成で夜間診療している病院へ。
点滴、3時間!

結局すべて終えて就寝するころには白々と夜が明けていた。

結婚式前夜はほぼ徹夜の大喧嘩で、当日夜は病院に詰めてて。
こんな出来事って、ハナ子とは何の関係も無いアクシデントなんだけど、このときは半ば本気で、ハナ子の呪いなんじゃないか?・・・と思った。

それでもなんとか乗り切って、弟も無事回復し、翌日は予定通り、いわゆる上海観光をし、次なるチェックポイント、杭州に向かうことに。 観光や移動の際、よほど体力的にきついかと思いきや、さにあらず。 一度起き上がって動き出してしまえば、意外なほど意識はっきり、テンション高く、楽しめた。・・・ハイになって、おかしくなっていたとも言えるが。

もしもハナ子の呪いが本当であるのなら、それら全てに(かろうじてではあるが)打ち勝ってる私。

何かのご加護か。

私は本来、個人としては宗教に懐疑的なのだけれど、この旅の最中ばかりは視えない何かに感謝したい気持ちだった。


                    「花婿の、母。サンジュウ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記40「花婿の、母。サンジュウ」

2006-03-08 | ㊥花婿の、母。
杭州にて。
私たちは、パパと密会する予定を組んでいた。
上海で、新たな式を行いたいと申し出た際、すぐに賛成してくれたパパ。
その式に、ハナ子を呼ぶことは出来ない、と言っても、「まあ、それは当然でしょうね」と認めてくれたパパ。
反面、式には出席してくれなかったパパ。 理由は、パパだけ出席すると、パパのその後の生活が危険にさらされるから&パパが出席しようとすることで、式の日時がバレたら、ハナ子が会場に乗り込んでくるかもしれないよ・・・ってことだった。

本音は、わからない。

私は、何故パパがそれほどまでにハナ子の言いなりなのか、言いたいことさえも言わないのかがまったく理解できない。 きつい言い方をすれば情けないとも思う。 思っていた。 いろいろなことがあって、そんなに単純な問題じゃないな・・・と思うようになった。

パパからすればたとえどんな相手でもけっして離婚してはいけない、というのは人生の大原則なわけで。 相手があのハナ子である以上、別れる以外に根本的な解決を図る術は無く。 パパにとって唯一にして最善の策が平和憲法を維持すること。 実際に、「離婚しない唯一の理由は、離婚それ自体がいけないことだからです」と言っていたし、私の見解はかなり的を得ているはず。 平たく言えばどっちみち冷え切った関係ならば、争いを避けて穏便に暮らそうってこっちゃ。 ただ、これは私による意地の悪い言い方をしたものであって、極端な理想主義者であるパパからすれば、「(そもそも離婚は問題外として)結婚している以上、相手に喜んでもらえるように生きるのは善きことです」というようなことになるのだろう。
その考え方は、子供である私の夫及びその弟に、なんらかの歪みをもたらしている・・・と、私は思う。 特に、弟くんに。 甘やかされ、表面的に可愛がられた方が、実は被害は大きい。 
しかし対子供たちということを別にすれば、冷えた関係を維持するもしないも、個人の判断だ。

パパはその、大人としての彼の決断を、ものすごく頑固に守り通している。 「いまどき離婚くらい、ねえ・・・?」ってなことをささやく外野は、おそらく私たち以外にも親族友人その他、大勢いたはずであるのに。
その上で、パパは私たち夫婦の決めたことをも、きっちり尊重した。

パパからすれば、「事情がどうあれ、姑をまったく立てない嫁なんて・・・」という目線が、どこかに絶対にあると思う。 彼自身が、「あんなハナ子でも、離婚はいけないことだから」と、がんばっているのだから、嫁である私に対しても、「あんなハナ子でも、お姑さまだから」という姿勢を要求したい気持ちがあるだろう。 でもそれだけは、絶対に言ってこない。 要求してこない。 「嫁が来て、家の中がおかしくなった」という見方も出来るのに、非難がましいことは絶対に言わない。

言われないから、私は複雑な気持ちになる。
何か悪いことをしたかしてないかで言えば、私は悪くはないと思う。
しかし私が原因となって、パパの家庭が乱されたのは事実。
悪意があろうとなかろうと、自分が被害を受けたら、原因を作った相手には文句のひとつも言いたくなるのが普通ではないか?
一言も責められないと、要らない罪悪感を持ってしまうよ。
こちらの「譲れないところ」以外であれば、出来ることをさせていただきたい・・・と思うけれど、そんなものは無論受け取ってくれない。
今の私に出来ることはゼロ。
将来、この要らない罪悪感を解消できるチャンスが廻ってきたら、私はそれを逃さないと思う。
そう出来るように、なるべく蓄えとくよ。

パパは、「結婚式に出席することは出来ませんが、大人であるあなたたち二人が決めた結婚式に反対しているわけではありません」と、示すためにも、「杭州で会いましょう」と、申し出てくれたのだろう。

うちの亭主も理屈っぽくて頑固で呆れ返るほどだけど、パパはそれ以上だと思う。

頑固な理想主義者。平和のためだと信じて、ガンジーな道を孤独に突き進む。 まるで修行。 そう、パパは求道者。



ともあれ、上海から移動してきた翌日、私たち一行はパパに面会した。

その日、パパは午前中と夕方以降に授業(パパは先生)が入っているということだった。 なので、面会時間は午後。 その時間帯ならば、ハナ子に知られずに会うことが出来ると言う。 「職員会議」とか、「学生の進路相談してた」とか言えば、済むものね。

私たちは、杭州到着一夜開けて、朝から西湖で遊覧船に乗り、湖の中の浮島観光し、その足でホテルとは反対側の湖畔にあるレストランで昼食を取った。
当然パパも一緒に食べるものかと思っていたけれど、当日朝、「遅くなるので、食事は先に済ませてください」という電話が入った。
じゃーしょうがない・・・ってんで、美味しく食べてしまった一行。 まあ、お約束の杭州料理を食べたので、パパには珍しくもなかったろうけれど。
杭州料理って中華のなかでは日本人好みだと言われていて、なかなかに程よい塩加減。 有名どころの広東料理や四川料理も私は大好きだけれど、それぞれ強烈に甘かったり辛かったり酸っぱかったりして、好みが分かれる。 

ともあれ、食事が済んでお茶をガブガブ飲んでいるところに、パパ登場。
私たちの席がわからなくてキョロキョロしていたので、私の母&叔母が。
「パパー、こっちこっちー!!!」
と、日本語で。
私は内心、オイオイ、パパ、って年変わらないだろ・・・と突っ込んでいたんだけど、それでもパパは満面の笑みで近づいてくる。

パパは久々に(と言っても二ヶ月経ってないが)に会ったせいか、たいへん嬉しそうであった。

何か食べる? ときいたけれど、学校で簡単なものを食べてきたという。
じゃあ、と言って、少しだけお茶を飲んで、すぐ観光に向かうことになった。



                   「花婿の、母。サンジュウイチ」に続く


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ダック鬼嫁日記41「花婿の、母。サンジュウイチ」

2006-03-07 | ㊥花婿の、母。
パパが付き合ってくれたのは、虎ホウ泉(漢字が出ません・・・)と、お茶屋さん。
 
虎ホウ泉は杭州三大名泉のひとつで、龍井茶はここの水で淹れると一番美味しいということになっている。 現在では水量が減っていて、水質も変わってきているのではないか?とウワサされているけれど、山の中のお寺のようなところに、ちろちろと流れる小川があって、遡って行くと源泉がある。 雰囲気がすごくいい。 ちょっといい運動、くらいの程よい距離と傾斜。
源泉を見て、水もの観光地にありがちな、「投げ入れると幸せになる」水溜りにコインを放った。 小川には小魚が泳いでいて、魚好きの私にはうれしいこと。
源泉のそばで、お茶を飲むことになった。
水質がどうとか言われてはいても、そこはお約束。
当然、龍井茶。

そこで、一行は改めて挨拶・・・でもないけれど、おみやげの交換会のようなことになった。 日本からのお菓子とお酒をパパに。 パパからは杭州の名産品をそれぞれ。 シルク製品や、その場に来られなかった私の父に、紹興酒「女児紅」など。 

う~ん、母・叔母・友人母も、パパもありがとう。

日本から持ってくるの、重たかったよね。
パパは、ハナ子に内緒で用意するの、大変だったよね。

義鳥の結婚式がキャンセルになって以降、パパはハナ子による厳重な管理下に置かれていたという。
ハナ子は、私たちが代替の式を行うこと、かつ、パパだけが呼ばれることを警戒していたらしい。 パパのスケジュールを可能な限り把握し、仕事以外の単独での外出は一切禁止。
だからこの日も、授業の合間の数時間しかパパと行動を共にすることは出来ないということだった。

当然、おみやげを家に入れることは出来ないため、パパは私たちにくれた品物をすべてお店に取り置きしていて、当日取ってきたということだったし、日本からの品物もまた、職場に置いて、同僚と食べるということだった。

私はそのあたりを事前に夫から聞いていて、同僚経由でハナ子にバレるのではないかと心配していたのだけれど、
「俺も気になったんだけど、ハナ子、職場でも有名だから、わざわざ言う人いないって・・・

・・・・・・。
「あそこんちの奥さん、おそろしいよね~」というような噂話をされることが、世間の夫たちの間でどの程度不名誉なことなのか、私は知らないが。 思うに結構ツラいのではないだろうか。

まあしょうがない。

とにかくパパは私たち皆と茶を飲んだ。
その席で、パパはおもむろに赤い袋を出して、私と夫にひとつづつ、くれた。
ホンバオだ。
つまり、ご祝儀のこと。
二人に一袋ではなく、二人に二袋。
中国人は奇数を嫌う。

私はすぐにひざをついて、「パパが私たちの家に遊びに来てくれたら、朝のお茶を差し上げます。」・・・と言った。 中国語で。 唐突だったせいか(だと思いたいなあ)、イマイチ通じなかったので、すぐ夫が言い直していたけど。
中国人は、伝統的には、「結婚式の朝、義両親にお茶を淹れる」という習慣があるというのを夫から聞いていたからだ。
結婚登録の日は、ハナ子も含めて、上海の同じホテルに泊まっていたんだけど、そのときは「そのうち結婚式あるいはお披露目パーティーをやるのだ」と思っていたらしく、特に何もしなかった。
それで結婚式はこんなことになっていたから、結局お茶をあげていなかった。

ご祝儀は、後で開けてみたら結構な高額であった。
結婚式以前に夫がパパから聞いたところによれば、「二人いる息子のそれぞれに結婚式費用を貯めていたけれど、は金持ってるんだからやる必要は無いんだヨォォ!・・・と言われて没収されてしまいました」。 ご祝儀ってそういうもんじゃないと思うけど。 まあ、このご祝儀は、パパがハナ子に内緒で貯めたなけなしのお金だ。

ただでさえ、生活費教育費全額をパパひとりで支払った挙句、息子のための結婚費用も貯めて、更にハナ子実家にかなりの額を吸い上げられて、更にその残額まで日々虎視眈々と狙われているというのに。

そのご祝儀は、実際の金額以上に、パパにとっては大金であるに違いない。
長い年月かかって、岩清水を溜めるよに、しとしとと貯めたんだ。

涙ぐましい・・・


なんで私は、お金貰ってややウツな気持ちにならなきゃいけないのだろうか・・・そんなことも思ったが、とりあえずその場は和やかに、次のチェックポイントに向かった。

制限時間3時間ちょっとで、どこに行きたい? ってな条件のもと、虎ホウ泉のほかには「観光客が行かない、安くて質のいい茶葉のあるところ」とリクエストしておいた。 
パパに案内されたその店は、思いのほか西湖のそばにあったけれど、確かに地元の人が日常の買い物に来るようなエリアで、日本語も英語もまったく通じなかった。品揃え的には見るからにきれいな龍井茶がたくさん。 烏龍茶や花茶はあまり品揃えが良くなく、その分、全体的にお買い得感に溢れていた。 
龍井茶が大半を占めるとは言え、パッケージも、品質も、それは様々。 一行は女性が多いため、妙に盛り上がってああでもないこうでもないと品定め。 パパに値引き交渉までしてもらい、相当に楽しんだと思う。 楽しさのあまり、パパの制限時間をわずかに越えた、らしかった。

パパの携帯が突然鳴り、パパは慌てて店から走り出る。 一行から離れたところに行きたいらしい。
通話、3分ほど。

パパ、店内に戻ってきた。
夫、中国語で何か話しをした。
「みなさま! パパは今帰りまーす!」
突然のアナウンス。
買い物を中断し、お礼とお別れを言う一行。

私、ぢっと夫の顔を見る。
(小声で)「パパのカラータイマー、鳴ってるって」
ウルトラマンかよ!

その場はもちろん、私も挨拶に加わり、パパをタクシーに乗せた。

で、夫が言うには、
「最近、ちょっとでも遅れると、即電話かかってきて怒られるって。」
ハナ子、パパだけが結婚式に出ることを、本気で警戒しているらしい。
この日も、パパはハナ子に「午後1時まで授業、それから学生相談、それから夕方まで打ち合わせ、夜また授業。」と申告していたのだけれど、
「だったら夕方帰宅して、家でメシ食え!」
と、命じられたらしい。
授業があるのは毎週のことだし、その間の学生相談や打ち合わせが嘘でも、夕食時にパパが帰宅すれば、自由になる時間は移動時間を考慮して、約3時間だけ。
ハナ子の用意する夕食は、自宅近くの大学の食堂で買ってくるものなんだから、パパが職場で買って食べるものと大差ないのだ。 だったら、週に1度くらい(別の日はシフト違いで夕食時普通に在宅)夫婦別々に食事してもいいだろうに。 
要するに、パパに自由時間を与えないように、夕食を口実にアリバイを取っているわけだ。

3時間だってハナ子は警戒しているのだろう。
パパの大慌てで帰っていく姿は、なんだか辛かった・・・


                    「花婿の、母。サンジュウニ」に続く


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