北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

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ダック鬼嫁日記7 「電話の向こうのハナ子」

2006-02-28 | ㊥電話の向こうのハナ子
婚姻登録してから数ヵ月後。 
私は、北京でそれなりに平穏な生活を送っていた。
チョコチョコと中国語を習い始め、遊んでくれる友達を見つけて、買い物する場所などを確認し、地下鉄に乗れるようになり、バスに乗れるようになった。
ゴールデンウイークには里帰りし、北京の領事館で日本側の入籍も済ませた。 私の中国滞在ビザも無事新しいのが貰えた。

やれやれだ・・・と一息ついた頃、ハナ子から頻繁に電話がかかってくるようになった。 しかも、明らかに夫のワーキングタイムを狙ってかけてくる。 標的は私か。 内容はご飯食べたか、など普通の話なのだが、電話の頻度が尋常ではない。 一日おきか、下手をすると毎日かかってくる。
そして必ず言うことが「中国での生活はどうか。 大変じゃないか? 助けに行ってやろうか?」。 
意図するところは、「北京に遊びに行きたい」だ。
私の診立て(医者か?私は・・・)によれば、ハナ子は、自分の希望を口に出すことがとても嫌い
世間体或いは誰かのためになど、某かの大義名分無しには何かを申し出ることは無い。
言うまでもなく、奥ゆかしいのではなくただお高いだけだ。
「遊びに行きたい」と申し出る代わりに、「生活がすごく大変なんです、おかあさん助けに来てください」と請われて「止むを得ず、北京に行ってやる」という筋書きを望んでいるわけである。 だから電話の的は私、鬼嫁なわけだ。 夫に言ったところで「奥さんが居るんだから生活に問題があるわけないでしょ」と言われるに決まっている。
来たってどうせ家事一切私に任せっきりで、重たいものばかり買ってこさせちゃあ自分は食っちゃ寝して、北京にいるババ仲間をうちに持ち込み、息子は優秀でとか嫁はケーキ焼けるんですよとか見栄張り倒してカゲで日本の悪口言って挙句に孫はまだかって話題に行くに決まってる。
誰がそんな、アホくさい脚本を読んでやるものか。
私の答えは、いつでも「北京ライフ超バッチリっす! おかあさまのお手を煩わせる必要なんてチェアマン程もございませんです!」だった。 中国語出来ないので、実際はとてもシンプルに表現したけど。
遊びに来たいのならば、来たいと言うたらよろし!
腐っても(腐ってる。)家族なのだから、「来月遊びに行きたいけど」と申し出ても何らおかしいことではないし、そう言われたら、無碍には出来ない。 物凄く嫌ではあるけれど、顔は笑って心で中指立てて、受け入れましょう。

と、思っていたのだが。
そこはハナ子、この線で攻めるのが無理だと測るや、目的を代えた。

平日昼間の電話攻勢は、ある日を境にピタリと止んだ。
そして、休日にかかってくるようになった。
つまり、夫宛ての電話に切り替わったわけ。

「おまえたち、結婚式はいつやるんだい? かあちゃんは、おまえたちの好きにしていいと思っていたけど、もうじき90の外婆がそれはそれは楽しみにして(外婆って母方の祖母のこと)、孫の結婚式に出るのはこれが最後になるかもしれないって、だからねえ、一応形だけでも・・・」

こう言われると、は基本的に優しいやつであるから、弱いわけである。 ハナ子北京来襲についても、
「もうちょっと仕事が落ち着いたら、2週間くらい呼んでやろうと思うけど」
と、発言していたし、これについては私もOKしていた。

ともかく、ハナ子発言に端を発し、私たち夫婦は結婚式について考えざるを得なくなっていた。
これは、北京在住の私たちにとっては結構な難問だった。
何しろ親族友人仕事関係者は殆ど杭州エリアか上海、シドニー、或いは日本にいる。 北京の友人知人はまだ少なく、夫は忙しく、そして私は中国語が出来ない。
どうしろと言うのか。
挙式に憧れなどは無かったけれど、若くも無い二人(大人だという意味ね)が結婚したんだから、一応結婚式をして、世間様にご挨拶をした方がいいのかもしれん。・・・そういう気持ちはありつつ、式の手配のしようがないから式をしなかっただけなんだけど。
こんなことをハナ子に言えば、「じゃーオレが手配してやる!」と不必要に盛大な挙式に持ち込まれるに決まっているし・・・

私たちが悩んでいた折。
パパもまた、ハナ子からの圧力と息子夫婦の言い分に悩んでいた。 
そこにさっくりと救いの手を差し伸べてくれたのは、義鳥に住む小叔叔(パパの下の弟)だった。

小叔叔;「よかったら、準備してやろーか? 身内だけでやりたいと、兄ちゃんから聞いている。 義鳥でよければ、叔父ちゃんに任せなさい!」

ハナ子からすれば、式の規模には不満があるだろう。 でも外婆を式に出席させることは出来るし、場所もハナ子実家から車で30分圏と近くて皆に便利。 90に近いひとを、杭州やまして上海まで引っ張り出すよりはよろしかろう。

渡りに船。
ラッキー。

もっとも丸く収まる、平和への道を選んだつもりだった。
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ダック鬼嫁日記4「上海ご入籍ツアー・前編」

2006-02-20 | ㊥上海入籍ツアー
「ご実家ツアー」終了後、私たちは北京に戻った。
帰路、私はカノジョちゃんに言ってしまった「ハナ子との生活が大変だった話」がやや気になっていた。 
事実を述べたまでだけど、マズかったかしら。
夫に、その話をしてみる。
「えっ、そんなこと言っちゃったの?」
私;「うん、言っちゃった。 でもさあ、カノジョちゃん、同居問題で結婚悩んでるんでしょ。 私がウソこいて同居楽勝!とか言ったら、彼らが同居に踏み切った後、恨まれるのは私だよ。」
「まあ確かにね。」
私;「あとさあ、ハナ子超・ポジティブに‘嫁とは超仲良しで’って態度取って、北京にまで攻めてこようとしているでしょ。内心絶対不満あるくせに・・・。 1ヶ月くらいならいいけどさ、それ以上は厳しい。 苦手だってことを公式に表明したいな、直接対決以外の方法で。」
シドニーで同居し始めた当初は、ハハが居て何が悪いの?、という感じだった夫。 ハナ子が勝手に滞在期間を延ばした後になると、自ら「無理があったよね」という発言を繰り返すようになっていた。

親との同居。 それが当たり前であるのか、否か。 
いろんな考え方があると思うけれど、私は状況次第だと思う。
家族なのだから、もしどちらかが経済的身体的に困っているのなら、考慮すべきだし。
おうちの広さや家族それぞれの性格、そのときの生活にもよる。
色々考えた結果、ハナ子との同居は、必要に迫られない限り現状ではNGとでた。 ちなみにパパは大丈夫。 たぶん。
このように、はっきりNO!と言ってしまうことが良い事とは思わない。 でも、同居したらストレスで私が家を飛び出しかねない。
私にも弟がいる。 将来弟にお嫁さんが来て、実家の母を嫌ったら? いい気分はしないと思う。 でも、母はそもそも同居を望んだりしないし、都合で同居することになっても、ちゃんと気遣いすると思う。 息子夫婦の部屋に勝手に入ったりしないだろうし、外出に無理やりついてきたりもしないだろう。その他にもいろいろ。

ハナ子はチュ-ゴク人であるがゆえに、私の生活を土足で踏み荒らすような自分勝手なんだろうか。 私の直接知っているハナ子以外の中国人は大方まともなので違うとは思う。そもそも違う国の人間と結婚している以上、何々人だから、と考えることに意味は無いとも思う。 別に「中国人だから」結婚したわけではないし、結婚しなかったわけでもない。 それだけのこと。 全て問題は個人レベルの話であって、中国人一般に拡大すべきではない。 個別具体的な検討が望まれる。

とはいえ、見渡せば、私の知り合い出ない、‘話に聞くところの’大方の中国人は「親と同居は、何が何でもどんな親でも当然です」というような考えを持っているような気がする。 多数派の意見は、個人のなかで「当然の権利」に化けてしまう。

うちの亭主は、「親だから、甘く見なければならない」という考えを持ってはいるものの、私の「何故ハナ子が嫌いなのか」に耳を傾けることはしてくれたし、合理的な判断をも下してくれた。 私はラッキーだと思うべきであろうか。

その、合理的な判断によれば、「現状での(2ベッドだけど広くは無い、言葉の問題大有り、ハナ子鬼ワガママ)同居はムリ、短期訪問は‘母なんだから’我慢すべし」だった。 「将来、状況が変わって、ハナ子が困っていたら、多少キビシクても同居になってしまうかもしれない。 そうならないように努力はするが、なったら受け入れてね」とは言われていたけれども。 そのような状況になれば、さすがに断ったり出来ない。

冒頭の会話に戻るけれど、
「ウチのおかあさんとオフィシャルに不仲になるのは、難しいと思うよ。 おかあさんにしてみれば、俺たちと仲良くしているほうが何かと得だから。」
私;「あ、やっぱり?(実母の話だっつーに、冷静だなあ)」
「うん。 まあ、‘ハナ子我儘’発言は、カノジョちゃんから聞かれたからしょうがないとして、今後は表現に気をつけるように。 たぶん弟はちょっと気を悪くしたと思う。 マザコンだから。」
私;「へーい。 了解しましたぁ。」

そんな会話をうっかり発言に対する心の後始末として、私はしばしハナ子を忘れて過ごした。 その頃は北京にもまだ慣れず、買い物スポットを学習したり、タクシー・買い物用語に苦戦したり、毎日大変だったのだ。 夫にしても、転勤直後で勝手がわからず、忙しく、ガイジン妻をサポートしている場合ではなかった。

私の頭の中に再びハナ子が現れたのは、入籍のとき。 夫は上海籍(杭州出身だけど、大学が上海だったから上海籍。 中国のシステムは不思議。)なので、結婚するためにわざわざ上海に行かなければならなかった。 自分でも忘れがちだけど、中国に辿り着いた時点で、私はまだ独身だったわけだ。 書類の上では。

息子と娘が結婚するというのに、お互いの両親同士はまだ顔を合わせたことがなかった。 国が違う上に、少し前まで私たちは日本でも中国でもないところにいたんだから、仕方が無いのであるけれど。 実家の父は、「中国まで出かけるから、のご両親に挨拶する場を設けなさい。 ネコの仔じゃあるまいし、ハイソーデスカとやれるか!」と主張。 私としては、相手の家に嫁ぐ気は無かった。 結婚して家庭を作り、お互いの実家も家族として出来る範囲で大切にするつもりだった。 両者は似ているようでいて、優先順位がまるで違う。うちの父にしたところで、まさかこの娘が旧来の意味で嫁ぐ、とは夢にも思っていなかったはず。 だから父の発言は言葉のあやだ。

それはともかく、せっかく日本の両親がエアチケット代と時間を使って来てくれると言うのだから、ありがたくその好意を受け取ることにした。 その時点で結婚式をしようとは思っていなかったし、両親たちが顔を合わせる機会は滅多に無い。 

仕事の休みや、結婚登録所の営業日、男たちの休暇の状況を見て、入籍の日を選んだ。 上海の結婚登録所は一日おきの営業。 好きな日・時間を選んで入籍できる日本が夢のようだ。

なにか私たちにとって意味のある、良い日を選んで入籍したかった。 近い日の中では、双方の母と、夫のナイナイ(父方の祖母)の誕生日があった。 私はハナ子の誕生日だけは避けたく思ったが、口に出すまでも無く、結婚登録所の休みの日にあたっていた。 それで私はナイナイの誕生日が良いと言い、夫はうちの母の誕生日を推してくれたが、「ナイナイにとっては西暦の誕生日はあんまり意味がないから」ということで、私の母の誕生日になった。 その日が、中国的に良い数字だったこともある。 言うまでも無く、‘入籍日=私の母の誕生日’はハナ子には内緒。

日取りも決まり、エアチケット・ホテルの予約、実家への連絡、レストラン選びなど、それら費用の計算など、それなりに忙しく過ごした。 

私たちが何かするときは、ナゼかいつも夫の仕事が立て込んでしまい、楽しいというよりも忙しくなってしまう。 いつも無我夢中。


                                       続
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ダック鬼嫁日記5「上海ご入籍ツアー・中編」

2006-02-16 | ㊥上海入籍ツアー
上海入籍ツアーは、果たしてほんとに結婚できるんかいな、ていうかしていいんか? というかなり今更な不安を抱えつつ、決行された。

双方の両親が一緒であること、入籍前日が、ハナ子の旧暦の誕生日であることから、ここはひとつ張り込んで! 五つ星、虹橋のマリオットにしてみた。ちなみに私のお気に入りホテルは二つ星、外灘の浦江飯店である。 但し名人房だけど。

当日、私たちが一番に上海につき、チェックイン。 夫は、仕事仲間がホテルに訪ねてくるというので、さっさとロビーに行ってしまう。 
2時間後、ハナ子&パパ到着。 部屋でまったりとNHKを楽しんでいた私の携帯にお呼び出しが。 急いでフロント前に。 途中でケーキブッフェをたらふく食す夫と仕事仲間氏を見かける。 30男が二人でなにをやっているのか。 でも、幸せそうだ。 ケーキと30男×2の3ショット。 

フロントにて、私は絶句した。 ハナ子のいでたちに。
ハナ子はもともと、前方がオバちゃんパーマ、後頭部カリアゲという、味わい深いヘアースタイルなんだが、更にこの日は‘福’の字も鮮やかな赤ジャケット、スカートもインナーもハンドバックも靴までも赤、更にキッパリ緑色のお買い物バックこれはオーストラリア製で、某ウールワースというスーパーのショボい布バックなんだけど、それにビニール袋をいくつか携えている。 私がベルボーイだったら、入り口で止めるかな。 迷うなぁ。

ハナ子は私を見て微笑んだ。「げへっ。」そして何か言う、小さくなっていたパパが通訳する「今回は私の誕生日のためにわざわざ上海まで来てくれてありがとう」、悪いがこの旅行は私たちの入籍ツアーだ! 

挨拶もそこそこに、私はチェックインを素早く済ませるべく、フロントへ誘導。 身分証の提示と共にクレジットカードを要求される。 パパが私の顔を見る。支払いは後で夫がまとめてするけれど、ホテルは泊まるときにクレジットカードの提示を要求するもんなのよ、と説明。 私のカードはそのときちょうど切れていたので、パパが自らのカードを出そうとするのに任せる、するとハナ子がすごい勢いで押し留める。 訛りのキツイ中国語だけど、聞かなくてもわかる。 「カード出して払わされたらどうすんのよ」とかなんとか言ってるんだ。 
パパ;「後でが払ってくれるって説明しているんですけれど、おかあさんがクレジットカードを出すのが不安なので・・・」(原文ママ)
不安ってどういう意味だよ、と内心毒づきつつ、私は笑顔で答える、「じゃ、呼んできます。 人と一緒なんでちょっと時間かかるかも。 座って休んでてくださいね」とかなんとか。 私はハナ子のこういうところが本当に理解できないし、嫌い。 夫は、大学の3年生以後は基本的に独立していて、ご祝儀の類以外は親からお金なんて貰っていない。 1日15時間も勉強して素早く日本語を覚え、高校卒業までにかなり仕上げてあった英語と併用して、通訳やガイドをずいぶんしたのだという。 言葉は、短時間のアルバイトで稼ぐなら確かに一番割りがいい。 就職してからは、親にかなりのおこづかいをあげてもいるはずだ。 私みたいな甘えた大馬鹿娘の親ならともかく、夫の親がこの態度って、どうかと思う。

ムカムカ!と怒りつつ、夫を呼びに行く。 仕事仲間氏は私の姿を見ると察した様子で、すぐに席を立ってくれた。 私にハグとおめでとうをくれた後、礼儀正しいその方はハナ子&パパにも挨拶を下さり、ハナ子の印象的な姿にも動じることなく、帰っていった。

そして夜。 実家の父は忙しく、母と共に最終便で上海についた。

空港まで私と夫が迎えに行き、ホテルのバーにて顔合わせとなる。 母がハナ子を見る視線に動揺の色があるのが、娘にはわかった。 それでも、パパが日本語を話すことに大いに助けられ、先ずは和やかなスタート。 スナックと飲み物をとりつつ、私と夫のこと、日本のこと、中国のことを話す。 ハナ子には、パパと夫が交代で通訳していた。 それから、プレゼント交換。 このあたりで父親二人の話は大いに盛り上がり、というか私の父は喋り好き、社交的な性格なんだけど・・・一時的に、ハナ子に対する通訳が手薄になった。 ハナ子は自分だけが会話に参加できないのが我慢できないらしく(普段だったら、ハナ子の前で日本語メインで話すだけでキレてしまう)、いちいちパパを突っつく。 パパは私の両親の手前か、日本滞在時代の思い出話に花が咲きすぎたせいか、ハナ子に突っつかれても生返事。 そこでハナ子のスイッチが入った、ぷちっ!

ハナ子は突如としてスックと立ち上がり、私の両親を見据えた!何だ何が起こるんだ、身構える私たちを他所に、ハナ子は宣言する。
「うちの息子は本当に優秀なんです、私の教育のおかげです!」(当然中国語)

私;「(ハナ子発言、私にもわかったので両親に通訳する)。でも普通言わないよね初対面の嫁の親に向かって。」
「だから訳さないでいいよ、恥ずかしい。」
私の母(ハナ子から目を離せなくなりつつ);「それは素晴らしいことですね、おかあさまのおかげで息子さんが優秀なんですね、って訳して。」
夫、通訳する。
ハナ子、操り人形の糸が切れたように着席する。

なんだか鬼気迫るように恐ろしい一幕だった。 
ウチの父が乾いた声で「本当に優秀な息子さんで」、パパも「優秀な娘さんで」、取ってつけたような会話をしている。 結婚に反対しているわけでもない双方の両親の会話って、普通は相手を誉めあうもんだよな、と私は思う。
ハナ子も正気に戻ったのか、今度は突然私を誉めてくれた。
ハナ子;「娘さんは料理が上手で。 私、シドニーで4キロ太ったんですよ」(←この発言は後々重要なので、憶えておいて頂きたい)

その後は、差し当たって問題もなく、まあ和やかにお開きとなった。
翌日はハナ子の誕生会を兼ねた食事会、翌々日が入籍の運びとなっていたのだが・・・

                                       続
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ダック鬼嫁日記6「上海ご入籍ツアー・後編」

2006-02-15 | ㊥上海入籍ツアー
食事会は昼だった。
なぜならパパ&ハナ子が入籍まで待たず帰ることになっているから。 パパの仕事の都合だ。 入籍の日は月曜日で、学校で教えているパパは授業を休めないという。 休講にしてしまえばいいところを、真面目な性格なので出来ないということ。 後になって考えると、パパはハナ子とうちの両親が顔を合わせる時間を減らそうとしていたのかもしれない。

食事会の前、双方の両親に朝の挨拶を言いに行き、パパ&ハナ子からご祝儀をいただいた。 赤い、中国のご祝儀袋に入っている。 私と夫にひとつづつ。 このとき彼らは、パパが一袋用意し、ハナ子がもう一袋を用意したと言った。

このときは、とても感謝して受け取った。 気持ちが嬉しかった。

後に私は、ハナ子が「あいつら金持ってるんだから、渡さなくていいんだ!」と叫び、普段は瞑想中の羊よりも大人しいパパと大喧嘩をしたということを、パパの口から聞くことになる。 お金を用意してくれたのも、もちろんパパだけだ。 それも長い年月かかって貯めたお金に違いない。

食事会に行く前に、何故かホテルロビーで撮影会が始まる。 勿論ハナ子がカメラを持ち出した。 私はその日、スーツを着ていたんだけど、いつもはしないスカーフも巻いていた。 それは、ハナ子が私にくれた杭州シルクだった。 このときは、ハナ子のことを「我儘なシュウトメ・要注意人物」と認識してはいたものの、まだ「それでもウチの亭主の母親は母親なのだ」と認めていたから、嫁として気を遣って見につけたというわけ。

ジャケットのなかに隠れている部分が多く「差し色」という扱いだったスカーフ。 写真撮影の際、ハナ子は私にツカツカ歩み寄ると、スカーフを引っ張り出し、「オレがくれてやったんだから、よく見えるようにショールのように巻け!」と命じた。

撮影会の後は、やっと食事会。 タクシーに分乗して、「徐家私菜精作坊」へ。 
やや渋滞しつつも無事に着き、店内へ。 
ハナ子、コートも取らずに着席。 ハナ子以外が「きれいなお店ね」とか「上海料理?」とか喋っているのにも関わらず、なぜかハナ子は宙を睨んで動かない。 日本語トークに怒っているなら、すぐにパパをアタックするはずだが・・・?
ともあれ、全員着席して紹興酒で乾杯。 古越龍山の10年もの。 日本では驚くほど高く売っているけれど、上海では安い。 北京ではあんまり見ない。 北方の人はあまり黄酒を飲まないらしい。

乾杯は、「はじめまして」でも「結婚おめでとう」でもなく、「ハナ子誕生日おめでとう!」からスタートした。 中国では何度も乾杯するので、後から他の事柄も乾杯されたけど。

丁寧な仕事の施されたきれいなお料理が並んでも、ハナ子コートを取らず、宙を睨むのはやめたけれど、なんか様子がヘン。 見かねて、「ママ、暑くない? 冷たい飲み物いる?」とかなんとか言ってみる。 ハナ子は「1枚脱ぐから平気」。 コート脱いだ。

食事は、前日の顔合わせ並みには首尾よくいった。 つまりハナ子は食事の間中、少なくとも5回は「うちの息子はとても優秀で、それはひとえに母親である私のおかげなんです!」と言っていた。 立ち上がりはしなかったが。 そんなことを除けばまあまあ和やかに、特に父親同士の話ははずんでいたと思う。

私は両親に対し、以下の2点を丁重にお願いしてあった。
1.入籍日が私の母の誕生日であることはハナ子には内緒。
2.パパが日本に滞在していた2年間、「ハナ子も遊びに行ったの?」と訊いてはいけない。
パパはハナ子を日本に呼び寄せることなく中国に帰国し、彼らはそのことで今でも喧嘩しているから。

食事会の成功は、とりあえずこの2点にかかっていた、と言っていい。

そして食事が終わり、店の前での撮影会も済んで。(スカーフはやはりショール巻き)
ホテルに一旦戻り、パパたちは杭州に戻っていった。

駅に向かう彼らのタクシーを見送りながら、私の父親は「俺だったら耐えられない・・・」と小さく呟いた。

翌日、私たちは無事に結婚登録を済ませ、晴れて正式に夫婦となった。
実家の両親は、北京まで一緒に来てくれて、2泊して帰っていった。

総じて平和的にコトが運んだと、その時は思ったのだけれど。

後に私は、ハナ子が私の実家の両親をボロクソに言っているのを聞いてしまうことになる。
「レストランも、ホテルもウチの息子に出させて、ホテルのバーで高い酒まで飲んで!」というものだった。
実際は、私たちがまだ若くて引越しばっかりしていて大変だ、というので、父はホテル代(うちの両親の泊まった分だけ、もちろん)などを出してくれていたし、それ以外にも、海外に居る娘を心配してか、祝儀だなんだと半ば押し付けるように渡してくれた。 エアチケット代や、旅行の時間も費やしてくれている。
勿論、そんな援助がなくとも、両親のホテル代などは、この場合私たちが出すべき筋合いのもので、ハナ子とパパの分は勿論出した。 別に私たちは金持ちではなく、特に結婚登録の時期は出費が嵩んでいて、買いたいものも買わずに過ごしていたというのに。

実家の両親に言いがかりをつけられて汚い言葉を浴びせられるのは、やはり最悪の気分にさせられるものだった。 よほど「ウチのお父さんは、ホテル代出してくれました!」と言いたかったけれど、それを言うのはパパに悪い気がして、言えなかった。 夫にも言わないでいいから、と伝えた。

夫は、「日本の両親にはすごく世話になっているんだよ! 飛行機代だって自分たちで出して、忙しい中、来てくれたんだよ! ホテルのバーだって、日本の物価感覚で言えばそんなに高いわけじゃない!」と言ったけれど、答えは

;「おまえがそんなだから日本人嫁が贅沢して、私の金(注・つまり夫の金。私北京ダックは、ハナ子に金を取られたことはあっても、取ったことはない)を遣っちゃうんだ!!!」
だった。

息子の金はハナ子の金。
ハナ子の金もハナ子の金。

ハナ子それはジャイアンだ。

そういえばハナ子はクリスチーヌ・剛田に似てる。かも。

ともあれ、今となっては、ご入籍ツアー、思い出すと不愉快になる。
でもここにつづってる私、ちょっと自虐的かも・・・


                             
                              上海入籍ツアー編・了
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ダック鬼嫁日記1「中国ご実家ツアー・前編」

2006-02-15 | ㊥中国ご実家ツアー
シュウトメ・ハナ子は要注意人物ということに、私は早い段階で気づいていた。 
具体的には、彼女のシドニー滞在時代から(詳細はまだ更新途中)。
とはいえ、シドニー滞在は最後まで、表面的には円満だった。
直接対決は一度も無く、私はハナ子の食事を作り続け、洗濯、掃除、食材の買出しをし続けた。ここはとっても重要ポイントなので、「鬼嫁日記」読み進めるにあたって、ぜひ憶えておいて欲しい。 きらいなシュウトメでも表面はきちんと対応しといたわけであるけれど、この理由はふたつ。 1;気が合わないからこそ、私の「非」になることは避けたいので大人な対応を心がけた、2;何がどうあれ、我が家の客は客。 食事など生活面で不自由させるのはこっちの気分が悪くなる+主婦の沽券にかかわる。
私のこの小賢しさも立派な鬼嫁エレメントだとは思うけれど、せっかく見つけた気の合う男を、本人同士の理由(仕事や学業、ナントカの不一致など)以外で手放す気は毛頭なかった。 互いの家族コミの関係が結婚なら、なるべくストレスも摩擦も少なくしたい。 自然に仲良くするのがベストだけど、それは無理だと気がついてしまったから。
ともかく、シドニー終了時点での対ハナ子観は、「なるべく避ける、でも関係悪化も避ける。 嫌いだからこそのご機嫌伺い、間合いを詰められないように匙加減するのが最重要。」だった。

この考えを修正したのは、中国入り後のことだった。

今から大体1年前、北京に着いて早々。
は休暇を取って私を杭州・義鳥に連れて行った。 家族との対面どころか軽い同居まで体験済みだったが、親戚と先祖の墓は未体験ゾーン。 その時点で籍を入れてなかったので、入籍前の最後の念押しというか。

先に杭州の実家で2泊。 イキナリここで事件。
1泊め、起きたら10時近く、ハナ子は出かけていた。 在宅していたパパによると、平日だが、教会で信者の集まりがあるという(以前書いた気がするけど、ハナ子はクリスチャン)。
パパがまめまめしく粥や豆乳、焼きワンタンなどを用意してくれたのでありがたくいただき、西湖龍井茶など一服。(←ちなみに西湖龍井茶ってのは中国緑茶の一種、名前の通り杭州西湖近くで取れる。日本茶とは味わいが違う。どっちかといえば生茶系のフレッシュな風味。)
はい、メシも食ったし茶もすすった。そこで、
ハーゲンダッツ行かない?」
私;「行く!」
ハーゲンダッツ、中国では小高い。 何しろ物価の違いを乗り越えて、日本で食べるダッツよりも高い。 が、杭州のダッツは「西湖新天地」という西湖ほとりのいい場所にある。 それに、の意図は、甘党のパパに美味しいアイスを食べさせてあげよう、というものだ。 
パパを誘ったところ、かねて気になってはいたが、小高いのでまだ食べたことがないという。 じゃあぜひ、と誘う息子に顔を強張らせて
パパ;「準備が必要です」(注・日本語、原文ママ、以下パパの発言は同様)
準備って一体・・・そう尋ねる間も無く、
パパはハナ子に電話をかけはじめた。
ところが電源が切ってあって通じない。
パパ;「おかあさんを迎えに行かなければなりません」(注・迎えに行くといっても、自家用車があるわけじゃない)
西湖新天地とハナ子教会はちょいと離れている。 実家と新天地と教会、線で結べば三角形。
「あのぅ、留守電かSMS入れて、ハーゲンダッツまで来てもらえば?」
「そうだよ、行き違いになるかもしれないし。」
口々に言う私たちをよそに、頑ななパパ。
「勝手に出かけると怒られますから!」
しょうがないので3人で教会へ。 今にして思えば、家で待っておけばよかったんだが。

意外にも結構きれいな教会で、私たちは案の定行き違った。 集会は終わっていると思しいが、携帯は通じない。 ハナ子は見つからない。 おまけに雨まで降ってきた。 寒い。
ハナ子探すこと40分。 寒そうにする私を見て、パパは私たちだけ先に新天地に行っているように、と言う。 パパは?
パパ;「パパは大丈夫です。」
大丈夫じゃないだろう、その行動が。 お互いに携帯を持っていて、留守電入れて、自宅には書置き。 家から新天地はバスで15分。 ・・・ツッコミを心の中に仕舞って、私たちは先に新天地に移動、ダッツ隣りのスターバックスで待つこととする。

待つこと、1時間。
パパに電話、するも通じない。 ハナ子にも電話、するけど通じない。
両者、話中。
「パパはママに怒られているんだ・・・」
まじ? なんで?
事態の意味不明さに混乱する私。

更に30分経過して、ようやっとパパに連絡が取れた・・・・・・・・・


                                      続く
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ダック鬼嫁日記2「中国ご実家ツアー・中編」

2006-02-14 | ㊥中国ご実家ツアー
パパの携帯に、やっとつながった。 
どこで何をしているかと聞けば、まだ教会に居るという。
結局ハナ子はひとりで帰宅してしまい、書置きを発見して激怒。 パパはハナ子から電話を受けて、ずっと怒鳴られていたのだという。
教会でパパと別れてから、1時間半は経過している。 1時間ほども、怒鳴られ続けていたのだろうか。 教会前の路上で、携帯に向かってひたすら謝りながら?
何故そうなるのか、私にはサッパリ理解できない。
別にハナ子を除け者にしたわけじゃなし、ちゃんと迎えに行って、書置きも残してきたのだ。 そもそもハナ子が出かけることを、前の晩のうちに教えておいてくれたなら、ちゃんとその時点で断りを入れたはずだ。「明日たぶん出かけるから、出先から電話して。 外で合流しよう」とか。 

しょうがないので、とりあえずパパは新天地に来た。 スターバックスもいい加減長居をしたので、一緒にハーゲンダッツに移動する。 パパはかなり暗い顔になっていて、私たちも暗澹たる気持ちになった。
これではまるで、パパを困らせようとしたみたいではないか。
そんなつもりはなかったのだ。 そんなことでハナ子が怒るとは、思わなかった。
ハナ子にから電話するも、「もう外出したくない」の一点張り。
「もういいから、ハナ子抜きでアイス食べて、どっかふらふらして、夕飯は美味しいところに・・・」喉まで出掛かったけど、パパはまだ気にしている。
ま、そうだろう。
「出かけたくないなら、しょうがないね」とこちらが誘うのを止めようものなら、自分が来たくないと言ったくせに、彼女が激怒・パパに当り散らすのは見えている。 ハナ子は自分の希望を口に出すのは嫌いで、そのくせ「ぜひお願いします」と言われるのを期待している、傲慢な人間だ。 もったいぶるところは誰にでもある、でもハナ子はそれがキツ過ぎて鼻につく。
やむを得ないので、近所で半同棲生活を送る弟と彼女を呼び出し、自宅に立ち寄ってハナ子を連れてきてくれるように頼む。
果たして。
更に2時間後に、ハナ子はやってきた。 まだブンむくれの嫌な顔を引っさげて。
私ら、その間、阿呆のひとのように待ってたのである。 移動するとか帰るとかは、パパの様子を見ると言い出せなかった。 会話は楽しかったが、少々寒く、アイスという感じでもなくなっていた。
ハナ子は無論、謝らない。
「遅くなってごめんね」その一言が無い。
ハナ子にしてみれば、「おかあさん、勝手に出かけてゴメンね」という言葉を待っていたのかもしれない。 でも、私は勿論、夫もそんなことは言わない。 勝手に出かけてゴメンね、では小学生である。
フォンデュだの、ナントカセットだの、適当に注文し、弟カップルとの会話が始まる。 弟カップルもまた日本語学習者なので、私も会話には困らない。 ただ、日本語で話すとハナ子の機嫌が鬼悪くなるため、メインの会話は中国語、ハナ子以外の人々がかわるがわる私を助けてくれる、といった調子だった。
その際、本来理系の義弟よりもむしろ、専門学校で日本語を学ぶ弟カノジョの方がより積極的に私に話してくれ、その会話力は流暢まで行かないものの、十分にコミュニケーションの取れるものだった。

ハナ子は、現金なもので小高いアイスが次々にテーブルに運ばれてくると俄かに機嫌を回復し、ちゃっかり持ってきていたカメラでそれらを撮影するなどした。 人物ではなく、アイスの写真である。 後日トモダチに「うちの息子ってこんな高いアイスも買えちゃうんですよ」と自慢するらしい(夫の話によれば)。

そして元気になったハナ子と息子たちの会話ははずみ、その間、私は弟カノジョのツーショット体制に突入する。 これが後に、大事に発展しちゃうんだけど、その時は知る由も無かった。

「おかあさん連れてくるの大変だった?」と、私はきいた。
カノジョは「うん、まあ、ちょっと。」と答えた。
「ごめんね、面倒かけて。 まさかおかあさんが気を悪くするとは思わなくって。」
カノジョ;「だいじょうぶよ。 それより、あの。」
カノジョ;「シドニーで、おかあさん、どうだった?」
こう聞かれたとき、私はとてもとてもとても悩んだ

義弟カップル、によると、ここ2年ほど、結婚するしないでモメてるらしい。 両者とも、結婚を希望してはいるのだが、ハナ子がカノジョをあまり良く思っていないことと、結婚後、どこに住むかが問題になっていることで、なかなか踏み切れないらしい。 どこに住むか、というのは、カノジョの実家に住むか、義弟の実家に住むか、という話だ。 彼らに独立する甲斐性は無い。
ちなみにハナ子がカノジョをあまり良く思っていない理由は、「大学卒じゃないから」。 なんとしょーもない理由だろうか。 しかし義弟はナゼか(何故だ?)マザコンであるため、義弟のことが好きなカノジョは、無理してハナ子にお愛想しているらしい。

↑ということは、だ。
私があたりさわりなく、「おかあさんとの同居は、意外と問題なかった」とか言ったら。
カノジョ、「同居も、まあ、なんとかなるかなぁ?」と、思うのではなかろうか。 或いは、私が正直な感想を告白することで、義弟に対して「おねえさんも、大変だったって言ってるし!」と、強く出れるのじゃないだろうか。
もし、私が保身に走って大嘘こいたら。
「おねえさん、自分が同居免れたいばっかりに、嘘ついた・・・」と、一生恨まれるんじゃ、ないだろうか?
そんなのヤダ・・・と思った私は、しょーがないので正直な感想を語ることにした。
「シドニーでは、1ベッドルームだったし、私は中国語わからないし、中国の習慣や考え方もよくわからないし・・・」と色々言い訳をしつつ、トドのつまりすごく大変でしたという意味のことを言った。 現在ハナ子に対して苦手意識がある、ということも。 「私の目から見れば、おかあさんは怒りっぽいし、ちょっとワガママかな、と思う。 言葉が通じないからわかんないとこもあるけどねー。」というほどの気安い語り口で。 カノジョ、年下だし日本語通じるし、なーんか親しいモードの話し方になってしまったんである。 ハナ子に嫌われているというカノジョが、ハナ子を好いているとは思えなかったし・・・

                                      続く


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ダック鬼嫁日記3「中国ご実家ツアー・後編」

2006-02-12 | ㊥中国ご実家ツアー
ご実家ツアー、1泊しただけでもうトラブル。 考えてもみて、スターバックスとハーゲンダッツに3時間半。 書くと簡単だけど、長かった。

その翌日には、義鳥市に立つ。電車で2時間ほど。 義鳥にはパパの実家が、義鳥から車で30分ほどのところにはハナ子の実家がある。 このときは、私を双方のご実家に紹介するのが目的だったが、義弟とカノジョも同行。

駅には、パパの弟妹が迎えに出てくれている。 車、計3台来ていた。 そのまま宴会場へ。 叔父叔母いとこたち。 パパは8人兄弟姉妹の一番上なので、結構な人数に。
パパもそうだが、この家族は全員底の抜けた樽のような大酒飲みで、浴びるようにマオタイを流し込み、けっして酔うことはなかった。 
なんとなく見てはいけないものを見てしまったような気になり、私は酒は遠慮させていただいた。 強くは勧められなかった。
言葉が通じないし、相手の顔と関係を憶えるので精一杯だったため、なんとなく時が過ぎ、全員で「老房子=昔の住まい」を見に行くことに。 夫が子供の頃まで住んでいたという住居は、いわゆる昔造りの住まいで、風情こそあったものの、住み易いとは到底言えないものだった。 「そこがシャワーよ」示されたのはバリバリ屋外に置いてある桶だった。 桶。 周囲には水の出そうなものは何一つ無い。
「つまり、水は井戸から・・・」
私;「・・・・・・シャワーじゃないだろ。」
冬どうしていたのかは気になるところだが、大家族で暮らすのは、大変ながらも楽しかったと皆は言う。 それはそうなんだろうな、と思う。 無理だけどさ、私には。 手桶はシャワーには見えね。 想像力貧困ですまんな。

次に案内された、叔父の家は、打って変わって近代的な一軒家だった。 それも3階建て。 ピカピカの新築で、内装その他も、北京で私たちが住んでいる部屋よりもきれいで使いやすい。 シャワーだってちゃんとシャワーだ。 トイレも大丈夫。 いくら地価が安い田舎だと言っても、中国ではそれなりに暮らし向きの良いひとなのだな、と思った。 そこでパパのすぐ下の妹(=叔母1)が私に言った。 夫の通訳つき。
「日本の生活条件は、ここよりも良いでしょうね。 中国は不便だと感じるでしょう。 のために、たった一人で遠い外国に来てくれて、ありがとう。」
 それを聞いたときの私の気持ち、わかるだろうか。
 チュ-ゴク上陸以来、誰がこんな優しい言葉を、私にくれただろうか。
 まして、私にとっては「不便で困った国・中国」は、中国から出たことの無い中国人にとっては、比較する対象も無く、「ごく当たり前の、ひょっとして恵まれているかもしれない国」なのだ。 叔母1のこの言葉を、私は驚きをもって聞き、深く感謝した。
 この叔母1の婚家は、古い昔からの住まい、そのままだった。 しかしよく整頓清掃され、手入れされ、居心地の良い住処。 暑さ寒さは酷くこたえるだろうし、私にゃムリだけど、否定はしない。 訪ねる分には、悪くない。 
 この日の夜、私たちは、ホテルに泊まった。
 叔父叔母の家にはゲストルームもあるというのに、「日本人嫁が不便な思いをしたら可哀相だから」との気遣いから、叔父が予約・支払いなど全てしてくれた。
 そりゃちょっと、こっちが恐縮というものである。
 パパ側の親族は、皆こざっぱりとして、いとこたちも何やかんやと私をかまってくれ、私は非常に良い印象をもった。 言葉が通じないながらも、「中国の親戚たちも、人を気遣う気持ちに違いは無いのであるなあ」と安堵することができたわけである。

 さてその翌日、私に「息子はよく稼ぐので、おまえもいい生活が出来て嬉しいだろう」と100回は言ってくれたハナ子。 その実家ツアー。 いくらハナ子が嫌いでも、実家の人間たちまで嫌ってはいけない。 そうは思うけれど、ハナ子が有り金じゃぶじゃぶと実家に突っ込んでいることもあって、最初ッから気が進まなかった。 

期待を裏切らず、ハナ子実家、すんごいところに在った。 数軒ある親族の家、昔風、近代風といろいろで、建物自体のコンディションはパパ側とそう変わるものではない。が、その立地条件がゴミ集積所のなかに建ってるのかと思われるほど、ゴミだらけ。 いたるところにドブ川まである。 おまけに野犬までぞろぞろいて、恐ろしい。 私はここで、生まれて初めて、可愛くない仔犬を見た。 仔犬なのに愛らしさが全く無い。 駄犬オブ駄犬。 こんなところ、ウルルン滞在記どころでない。 NHKドキュメント「ゴミに埋もれた町」ってところか。 

ハナ子実家の叔父叔母、ばあさん(つまりハナ子母)は、それでもフレンドリーに接してくれた。 ただ、直接私には話し掛けてこない。 私を物珍しげに眺め、何事か私の夫に言うけれど、それは通訳させようというのではないらしかった。 唯一ばあさんだけが私の手を握り締め、何か熱心に語ってくれた。 私の中国語力以前に、物凄くローカルな言語なので一言たりとも聞き取れない。 「お尻が大きいねえ、ひ孫はいつかねえ」って言ってるんだよ、と夫が教えてくれた。 さすが農村。 初対面でいきなりそれなのか。
食事のとき、いとこたちと同じテーブルに座らされた。 が、ここの子供たちはまったく話し掛けてこない。 私だけでなく、夫にもあまり話さない。 もともと、母方のいとことは付き合いが少ないのだ、と夫が教えてくれた。 3人ほどは親しくしているいとこがいるけれど、その人々は海外や上海に出ていて、この家には滅多に帰らない、とも。

こんな状況で、ハナ子実家に、好感を持てるはずもなかった。 まだ大して知りもしない段階で、明らかにパパ実家の方が好ましく思える。 一度思い込むと、イメージを除くのはなかなか厄介だ。 義父母の実家なんて、ニュートラルに見ておく方がよろしいんだけどなあ・・・

そんな風に思っていたとき、叔父の奥さん(ハナ子弟の奥さん)が、スッと、ヒーターを差し出した。 「寒そうだから」。 ええ、もう凍えそうに寒いと思っていましたとも。 しかし周囲の人々は暖房もつけず、家の中でもコート着用し、不平を言うでもない。
暖房、贅沢なんだろう。 
習慣や環境などは、違って当然。 思いやる気持ちとか、もっと根本的なところに目を向けなくちゃ・・・
心の中で、その必要も無いのにパパとハナ子双方の実家を比較し、パパサイドをひいきする気持ちが出来つつあったことを、私は反省した。

そしてご実家ツアーからの帰り。 電車のなかで、これから幾度この中国の田舎を訪れるのだろう、もう少し交流できるようになるといいな・・・などと思っていた私に、ハナ子が猛然と話し掛けてきた。 目をそらす夫。 パパがハナ子に促されて訳してくれる。
「弟の嫁はね、全然気が利かなくてダメなんだ、優しくないし、お金の事だって・・・」
「いつもカゲで私(=ハナ子)の悪口言って・・・」
ハナ子による「弟の嫁の至らない点」は杭州につくまで延々と続いた。

私は、このご実家ツアーを通して、ハナ子のことが、また更に嫌いになったのであった。

                   


                             中国ご実家ツアー、了。
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