(注・「取説」は、いついかなるときもページトップにあります。 更新は出来るだけわかりやすくしたいですが、スクロールしてご確認いただければこれ幸い。)
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このブログは当初、私こと北京ダック(中国人夫の転勤でシドニー→北京→東京→シドニーと無駄に地球を周っている専業主婦)の、北京滞在ぶりをつづっておこうかな~という軽い気持ちで始められた、日記ブログでした。 タイトルも「北京ダック北京生活」。
しかし、入籍し後引きできない結婚生活スタートと時を同じくして、
シュウトメ・ハナ子(仮名)との関係が劇的に悪化。
主として、激悪な嫁姑関係について綴るブログになってしまいました。 日記っていうのは名ばかりで、既に起きた出来事について思い出し書きしている感じです。
初めてお読みいただく向き
には、過去記事に遡っていただけるとこれ幸いです。サイドのメニューバーより、カテゴリを見ていただくと、一応エピソードごとにまとめてあります。 エピソードタイトル(たとえば「中国ご実家ツアー」とか)をクリックしてね。
時系列的には、「中国ご実家ツアー」→「上海入籍ツアー」(このタイトルなんだかアレですね)→「電話の向こうのハナ子」→「北京発杭州経由義鳥の夏」→「花婿の、母。」→「旧正月はハナ子の音頭で乾杯」→「ハナ子とスイカにご用心」・・・となります。シュウトメ・ハナ子はまだ編集中です。
既に書きあがったカテゴリーについては、少しでも読み易いよう、順番を入れ替えて(ブログって普通にすると最新記事が上に来ちゃうから)あります。
なお、北京生活は2006年6月でひとまず切り上げて、今は東京に居ます。 永住ではなくて単なる夫の転勤です。 私は日本人なのに日本に居るのが「帯同駐在」? 微妙。
なんだかんだで、2007年1月頃から2008年6月までの長きに渡り、更新停止してました。
再開したときにこのような→→→→→ブログを休んでいた最大の原因は、妊娠したものの、つわりが酷かったばかりか、初めの数ヶ月に不安定な状態が続き、一時的には入院を余儀なくされたりして、身体ばかりか精神的に参ってしまったことでした。
その後、不安定な時期なんて無かったかのように状態は落ち着き、出産準備に追われている間に月は満ち、我が子は無事に生まれてくれたのですが、初の育児は予想以上に大変で、日々右往左往して、最近ようやく少し自分の時間が取れるようになったところです。
ブログに書いたことは、2006年前半で止まっているのですが、それから今までの間に、色々なことがありました。 姑・ハナ子やその周辺人物とのゴタゴタも、杭州と東京の距離なんて問題にもならず続いています。 一番変わったことは、私自身の変化だと思っています。 基本的なハナ子に対する見方は変わっていませんが、さすがに結婚三年を超えると、ハナ子以外の登場人物の意外な側面も見え、それによって新しい角度から夫や夫の親族を見ることもできるようになり・・・
更新停止する前の最終エントリーあたりでは、あといくつかの記事でこのブログも書くことなくなるかな~なんて思っていたのですが、とんでもなかったですね。
また、過去記事をしばらくぶりに読み返してみて、自分の幼稚だったところや、今なお継続している感情を思い出すことが出来、日記に残しておいてよかった、と思いました。
これから、少しずつこの2年ばかりの出来事を書いていきたいと思います。
中途半端なところで更新停止していたこと、申し訳ありませんでした。
もしまだ読んでいただけたら、とても嬉しいです。→→→→→ご挨拶を載せていたのですが、アクセス数を見る限り、多くの方がここを訪れてくださっているようで、感謝限りなきこと言葉にも尽くせずって感じです。 いや~、もう誰も見に来ないかと思ったよぅ。
露悪ブログ?だけど、書いてて楽しいし、停止してばっかだけど細々と続けててよかったです。
ありがとうございます。
コメントお待ちしております。
2009年3月9日追記: 1月に日本を脱出して、しばらくオーストラリアに滞在です。 しばらくって言うとバケーションじみていますが、夫の仕事の都合によるもので、結構地味な暮らしです。 その後はおそらく高確率で中国のどこか。 数年は落ち着けそうかしら??? 「永住」はどこにも決めないで過ごしたいです。 「永住権」はもらえるもんならどこのでも貰いたいけど。












主な登場人物紹介
・・・シュウトメ、ハナ子(仮名)。 杭州の主婦。 長らくお勤めしていた(ム所って意味じゃないぜ)が、数年前にリタイアした。 実家は杭州から車で3時間半ほどのところにある。
・・・パパ(仮名)。 ハナ子の夫。 無抵抗主義者。 平和主義で、交戦権を持たない。 ハナ子が絡まなければ一見常識人かつ善人。 料理上手で日本語も上手。 気が弱い以外はマトモなひとかと思っていたが、「空気が読めない」という言葉では片付けられないほど空気が読めないひとであることが判明。 現在嫁である北京ダックの研究対象になっている。
・・・ハナ子の長男(仮名)。 杭州出身、上海の大学を卒業後、現地で就職。 専門職。 その後、オーストラリア滞在約2年、北京在住1年半を経て、今は東京暮らし。 それも別に永住予定ではなく、流浪の民のよな人生は続く・・・。 趣味は勉強とNBAゲーム、言語おたく。 心根は優しい、永遠の3歳児。 一応一児の父になったが、家庭内のポジションは「上の子」。 ミルク代は稼いできてくれるのでそれはありがたい。
・・・私。 このブログを書いているひと。 ハナ子の長男の嫁。 日本人。 オーストラリアはシドニー在住中に現在の夫と知り合って、夫(当時は彼なわけだが)の北京勤務に同行・上海で入籍。 その後、更に夫が転勤になって東京へ移動。 今のところ専業主婦。 ハナ子からは悪魔のように忌み嫌われている。 中国語に「鬼嫁」って言葉は無いけれど、もしあったら罵倒されてると思う。「この、鬼嫁がぁ!」 「鬼はアンタだぁ!」とはけっして言い返さない、ガチンコ回避傾向な嫁。
サブキャラ
義弟・・・ハナ子の次男。 幼少期よりハナ子に猫可愛がりされ、家庭内紛争の時には必ずハナ子の味方をしてきた。 ある意味もっとも家庭環境に振り回されている気の毒なひと。 性格は子供っぽく無思慮、一見穏やかにして切れやすい内弁慶さん。 要するに小皇帝なのかも。 交際相手には、普段はとても優しい。
彼女ちゃん・・・ハナ子次男の7年越しの彼女。 日本語が話せる。 学歴を理由にハナ子に交際を反対されているにもかかわらず、義弟に言われるがままにハナ子に尽くしている謎のひと。 美人。












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このブログは当初、私こと北京ダック(中国人夫の転勤でシドニー→北京→東京→シドニーと無駄に地球を周っている専業主婦)の、北京滞在ぶりをつづっておこうかな~という軽い気持ちで始められた、日記ブログでした。 タイトルも「北京ダック北京生活」。
しかし、入籍し後引きできない結婚生活スタートと時を同じくして、

主として、激悪な嫁姑関係について綴るブログになってしまいました。 日記っていうのは名ばかりで、既に起きた出来事について思い出し書きしている感じです。
初めてお読みいただく向き

時系列的には、「中国ご実家ツアー」→「上海入籍ツアー」(このタイトルなんだかアレですね)→「電話の向こうのハナ子」→「北京発杭州経由義鳥の夏」→「花婿の、母。」→「旧正月はハナ子の音頭で乾杯」→「ハナ子とスイカにご用心」・・・となります。シュウトメ・ハナ子はまだ編集中です。
既に書きあがったカテゴリーについては、少しでも読み易いよう、順番を入れ替えて(ブログって普通にすると最新記事が上に来ちゃうから)あります。
なお、北京生活は2006年6月でひとまず切り上げて、今は東京に居ます。 永住ではなくて単なる夫の転勤です。 私は日本人なのに日本に居るのが「帯同駐在」? 微妙。
なんだかんだで、2007年1月頃から2008年6月までの長きに渡り、更新停止してました。
再開したときにこのような→→→→→ブログを休んでいた最大の原因は、妊娠したものの、つわりが酷かったばかりか、初めの数ヶ月に不安定な状態が続き、一時的には入院を余儀なくされたりして、身体ばかりか精神的に参ってしまったことでした。
その後、不安定な時期なんて無かったかのように状態は落ち着き、出産準備に追われている間に月は満ち、我が子は無事に生まれてくれたのですが、初の育児は予想以上に大変で、日々右往左往して、最近ようやく少し自分の時間が取れるようになったところです。
ブログに書いたことは、2006年前半で止まっているのですが、それから今までの間に、色々なことがありました。 姑・ハナ子やその周辺人物とのゴタゴタも、杭州と東京の距離なんて問題にもならず続いています。 一番変わったことは、私自身の変化だと思っています。 基本的なハナ子に対する見方は変わっていませんが、さすがに結婚三年を超えると、ハナ子以外の登場人物の意外な側面も見え、それによって新しい角度から夫や夫の親族を見ることもできるようになり・・・
更新停止する前の最終エントリーあたりでは、あといくつかの記事でこのブログも書くことなくなるかな~なんて思っていたのですが、とんでもなかったですね。
また、過去記事をしばらくぶりに読み返してみて、自分の幼稚だったところや、今なお継続している感情を思い出すことが出来、日記に残しておいてよかった、と思いました。
これから、少しずつこの2年ばかりの出来事を書いていきたいと思います。
中途半端なところで更新停止していたこと、申し訳ありませんでした。
もしまだ読んでいただけたら、とても嬉しいです。→→→→→ご挨拶を載せていたのですが、アクセス数を見る限り、多くの方がここを訪れてくださっているようで、感謝限りなきこと言葉にも尽くせずって感じです。 いや~、もう誰も見に来ないかと思ったよぅ。
露悪ブログ?だけど、書いてて楽しいし、停止してばっかだけど細々と続けててよかったです。
ありがとうございます。
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2009年3月9日追記: 1月に日本を脱出して、しばらくオーストラリアに滞在です。 しばらくって言うとバケーションじみていますが、夫の仕事の都合によるもので、結構地味な暮らしです。 その後はおそらく高確率で中国のどこか。 数年は落ち着けそうかしら??? 「永住」はどこにも決めないで過ごしたいです。 「永住権」はもらえるもんならどこのでも貰いたいけど。












主な登場人物紹介




サブキャラ
義弟・・・ハナ子の次男。 幼少期よりハナ子に猫可愛がりされ、家庭内紛争の時には必ずハナ子の味方をしてきた。 ある意味もっとも家庭環境に振り回されている気の毒なひと。 性格は子供っぽく無思慮、一見穏やかにして切れやすい内弁慶さん。 要するに小皇帝なのかも。 交際相手には、普段はとても優しい。
彼女ちゃん・・・ハナ子次男の7年越しの彼女。 日本語が話せる。 学歴を理由にハナ子に交際を反対されているにもかかわらず、義弟に言われるがままにハナ子に尽くしている謎のひと。 美人。












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まーたサボってました。
引越ししていたら、自分でも意外なほど大変で、再開まで時間がかかっちゃった。
何しろ国内引越し(日本に残していく私物の移動)して、その後国際引越し。
実は今オーストラリアに居ます。
しばらくここに居て、今年の中ごろはまた中国に戻ります。
都市は未定だけどたぶん北京・・・?
そんでまた数年で日本・・・?
移動ライフ、我が家には良いようで、楽しめてます。



大きく明瞭な声だった。
ハナ子は、その声を聞くや否や、料理をよそうのに使っていた大きなスプーンを手にしたまま、思いっきり反撃に出た!

叫ぶ。
叫ぶ。
叫ぶ。
意味の無いことをひたすら叫び、明らかに


俄かに押し始めたハナ子

私、すっごい焦った・・・。
だって、ハナ子が振りかぶった先にはどう見てもMYママンが居た。
私の実母が茶碗蒸しかぶるのは、ネタ的にはおいしいけど、いくらなんでもやり過ぎだと思うぞ・・・。
母も、えっ、アタシ?みたいな感じで身構えていた。
どうしようか、と思いつつ誰も動けないでいるなか、ハナ子は振りかぶった皿をビシッ!とひっくり返した。
皿の中身は、母の身体のまん前にあった、別の皿にぶちまけられた。
母に直接かけなかったのは、ギリギリの理性が働いたのか・・・
持ち帰らない料理を、やはり持ち帰らない料理の入った別の皿にあけること事態、意味のあることには思えないから、やっぱり一瞬は私の母を狙っていたと思う。
なんで母なのだろうか。
私を狙えばいいと思うけど。
憎い嫁なのでしょうに。
私は、性格、たぶん強いから、直接当たれないのだろうか。
たぶん強い、というのは、自分のことはよくわからない・・・という意味。 若い頃は気が強かった気がするんだけど、今は随分己を知り、丸くなったと思うんだけど、そういう表面的なことでなく、対人関係において私は合理を尊ぶズケズケ言いだからして。
建前ばかり言いたがるハナ子から見れば、やりにくい人間なんだろう。
引き換え、母はわりと、ひとの思惑とかに弱いタイプだ。
相手が期待していることをしてあげなきゃ、って気持ちが無意識のうちに働く。 責められるのが苦手で、真面目で、責任感が強い。
タイプ的はハナ子の餌食になりやすい。
そういうの、ハナ子にはわかるんじゃないだろうか・・・と私は思った。
考えすぎか。
母が、娘の私のみならず、

夫曰く、ハナ子は美人が嫌いなんだそうだ。 美人は必ず夫を裏切り、真面目に働かず、家族を不幸のどん底に突き落とす、と言っているらしい。
母は、現在ではもう還暦過ぎてすっかりオバちゃんだが、若い頃はキレイなひとだった(ちなみに私は父似で残念な感じだ、不美人ゆえ結婚に反対されなかったのであろう)し、ごく普通の日本人として、娘の夫の実家訪問にはまあまあキレイな格好をしていたわけで。
むかっ腹だったんですね。


ものすごい勢いで。
捨て台詞は、

だった。
おーーーーーーーーーーい、ハナ子・・・
後には呆然と立ちすくむ夫・私・母・従妹ちゃんと。
言われたとおり素直に料理の箱を袋に詰める、パパ

「ハナ子とスイカに御用心!そのさんじゅうきゅう」に続く。


オーストラリアに戻るまでは、内心AUSに長く居つきたいなあと思っていたんですが、さすが移動ライフも長くなってきたんで、いいところわるいところ、冷静に見られるようになってきました。
まあ、空気や水の安全、自然なアクティビティの多さはオーストラリアに勝るものは無く、子供に野生のイルカやカンガルーやコアラを見せたり、海で遊ばせたり出来るのはすっごく幸せです。
でも年初にちょっと行った北京も、空気がマシになっているように感じて、あの生活も考えてみれば色んな楽しみがあったよな、と思ったり。
夫は日本の暮らしを本当に気に入ってくれて、子供が大きくなる前に、もう一度日本で、家族で数年は過ごしてみたいと話してはいるのですけど。
どうなることやら。
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お気の向くままコメントくださいませ。
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寒いですねえ。 鍋の季節到来。
昔はシンプル鍋が好きでした。
豚バラと白菜を、鉄鍋で煮て、レモンに塩コショウで。
水菜と油揚げで常夜鍋とか。
近頃は夫の影響で重慶火鍋なんかが大好きです。
香辛料炸裂で。
小肥羊っていうチェーンが日本でも展開されていて、そこのは結構本格派で好きなんです。 辛さはちょっと足りないけどね。


ハナ子はすっかり、「畜生」以外の言葉を発さなくなっていた。
髪振り乱して目は血走って、鼻水垂れまくりで口からは唾と咀嚼物。
いっそ泣き崩れてくれればいいのに・・・と心のどこかで思った。 泣き崩れる母親なんて、息子にとっては極めて卑怯な飛び道具みたいなもんだと思う。 ハナ子がそういう小技出してくるタイプじゃなくて、嫁の私としては良かったさ。
ここは、「涙」っていう、女学校1年生の単位を未修得なハナ子の出来の悪さに感謝するところだ。
でも正直、もうなんでもいいからこのグダグダを終わりにして欲しかった。
母親が「畜生!」なんて言葉を絶叫する図って、息子である

泣いてもいいから、もうヤメロ・・・
やめてくれないと、遠からず私は叫ぶ。
日本語であることも構わず、ここがどこであろうと、ハナ子よりも数段大きくて迫力のある声で私は大絶叫する。 たとえそれが妻として夫に見せちゃいけないもんだとしてもね。
そんなこと本当はしたくないからやめろー・・・。
そういう私の願いが届いたのかどうか。
立ち尽くしたまま叫んでいたハナ子は、唐突に、その手その足を動かして、身体ごと前進した。


ハナ子は店員に持ってこさせた箱に、残っていた料理を詰め始めた・・・ッ!










声も出なかった。
ビックリし過ぎて。
その場に居たハナ子以外の5人、私、MY母、従妹ちゃん、パパ、そしてハナ子に懸命に言い返していた我が夫まで。
ぽかーん・・・。
開いた口がふさがらん。
ハナ子はむんずと掴んだ箱に、凄い勢いで、何も残さないぞと言わんばかりに料理を詰めまくっている。
ハナ子・・・それは、賢い主婦じゃないぞ。
面白いヤツ・・・でもない。
モンスターだよ。 もう、そういう生き物だと思うしかない。
料理を詰める箱を持ってこさせた時点では、ケンカではなかったし。 その後食べながら叫んでいたのは、先に食べていたという状態があってのことで、ハナ子的にはそういう流れだったんだろうと解釈できる。
だがこれは私ももう笑えない。
確かにこの時点で、テーブルの上にはまだ結構な量の食べ物があった。
もともと人数に余るようなご馳走があって、それにようやく手をつけたところにハナ子が登場、あの食べ方だったので、皆はすっかり食べるのを止めてしまったから。 ハナ子は物凄い勢いで食べていたけれど、それでも食べ切れはしなかったのだろう。 もともとハナ子が好きでなくて食べなかったものもあるみたいだし。
ハナ子は硬直して誰も言葉を発することが出来ないでいるなか、料理をどんどん詰めた。 そして思いついたように従妹ちゃんに向かって、

・・・・・・・。
従妹ちゃんは、一瞬地蔵のように固まり、それからチラリと隣に座っていたMY母の顔を見た。
従妹ちゃんとMY母は共通言語を持たず、この日初めて会ったのだが、そういう問題ではなく、従妹ちゃんも一人では受け止め切れなかったのだろう。
それから従妹ちゃんはぎこちない様子で持ち帰りの箱詰めを開始した。
MY母は中国語がいっこもわからないのだから、


MY母;「手伝いましょう・・・か・・・」
虚ろな感じで呟いて、従妹ちゃんと共同作業を開始してしまった。
あまりのことに。
あまりのことに、私は。

そう呟くように声を絞り出した我が夫の顔を、まともに見ることはできなかった。
「ハナ子とスイカに御用心!そのさんじゅうはち」に続く。


今年は家鍋まだやってません。
子供の動きが激しくて、なんだかお鍋も怖くって。
代わりに、おでん。
中国人夫、おでん大好物!
かなり様々な具を取り揃えたおでんを、毎年何度も食べます。
今年は息子もおでんラヴァーだということが判明して、大鍋でぐつぐつ作って、もりもり食べさせてます。 ラクだしウケるし最高です。
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いやー・・・更新さぼってる間にアメリカ大統領選、オバマ勝っちゃいましたね。 見た目は黒人だけど、中身は白人エリートなんじゃ???って気がしなくもないですが、その見た目が今まではとてつもなく大きな壁になってたわけで、そう考えたらやっぱり歴史的なことなんでしょうね。 Yes,we canって煽りもアメリカ的。 何が出来るのか?何を変革するのか?って具体的な話じゃなくて、雰囲気でイケイケ。 ちょっとヘンな宗教じみてて怖いなあと思いました。 でも、世の中やばいなあって思って、じゃあ、って偏見を捨てて(捨て切れていない向きはまだまだ多く残るにせよ)変革を取れるアメリカって凄い国だ。


親とマトモにケンカしたことなんて無い・・・と夫は言ったことがある。
割とカッとなるというか単純な性格であるため、少々声を荒げることというのはそれなりにあったはずなのだが、その一々は追求することなく、されることなく、きちんとした感情表現のやりとりのあるケンカは無いのだそうな。
私と結婚してからはハナ子とやりあったけれど、電話越しばかりだったから、面と向かってのケンカは此の度がお初。 おめでとう



ケンカはあらぬ方向に・・・原因と言うか引き金だったはずの鬼嫁問題はかなり遠くの方に行ってしまい、


おばあちゃんが亡くなったのが二十年近く前。 当時夫は高校生。 パパは日本に留学中で不在。
パパが家に居ない間、おばあちゃんは殆ど杭州の家には遊びに来なかったんだそうな。 実の息子が家に居らず、嫁とは折り合いが悪く、心配していた孫も大きく成長してもう栄養失調の心配は無い。 おまけにおばあちゃんの家ではパパの弟妹が次々に子供を産んで忙しい。 わざわざ遊びに来なくてもなんら不思議は無い。
しかし或る日、おばあちゃんは何を思ったか、用事でもあったのか、パパのいない家に一度だけ遊びに来た、と。
夫はおばあちゃんが来て嬉しい反面、友達づきあいが楽しくて仕方が無いお年頃。 おばあちゃんと遊ぼうか、それともやっぱり友達と・・・と迷ったらしい。
我が身を振り返ってみるに、その年頃で祖母と友人を量りにかけられるなんて相当にババアっ子だと思うけど。 私も祖父に懐いて育ったけど、やっぱり十代の頃なんて友達と居るほうが楽しかったよ。 比べるもんじゃないけど、家におじいちゃん来てるから帰ろうかな~って思っているところに、友達からの誘いがかかったら一瞬じいさんを忘れた。
迷った夫に、ハナ子は散々なおばあちゃんの悪口を吹き込んだのだそうだ。
夫は、まさかおばあちゃんの悪口を信じたわけではなかったが、色々と言われるうちに、「まあいいか、友達と遊んでから帰れば・・・」という方向に流れてしまい、久々に遊びに来たおばあちゃんと、常のごとく親しい交流はしなかった、と。
そしたら、杭州から地元に帰ったおばあちゃんは、そんなに日を置かずして亡くなった。 急なことだったらしい。

傍から見れば、その年頃に祖母とばっかり遊んでいるのも妙だし、おばあちゃんが亡くなったのは不運で悲しい出来事だけれど、こればっかりはしょーがないじゃん・・・という話ではある。
でも彼はずーっと気にして、心のどこかで後悔していたわけ。
んで、友達と遊びに行ったのは自分だとわかっていつつも、友達を取るように背中を押してしまったハナ子のことを、どっかで恨めしく思っていた。
だから彼は、初めて親に文句というか恨みつらみを言う段になって、いろいろヒートアップして、「おばあちゃんの悪口を言ったな!」・・・って発言が出てしまったのだろう。
だがしかし。 そんなことハナ子の知ったことじゃあ無い。
ハナ子はますます盛んに吠えた。
ヨゥッ!
ヨゥッ!
ホウッ!
ホウッ!
も、正直私には彼女が何て言っているかわからなかった。 中国語をそんなに長いこと集中して聞けないのもあるが、もうこの、ハナ子の激しい口調を聞いているだけでおなかイッパイだった。 この時点で開始からどのくらい時間が経っていたのか、とっくに見失っていたし・・・。
ああもう・・・。
ラップだと思おうかな・・・。
思い切ってSAY!って声かけたらハナ子応えてくれるかなあ。
以下私の妄想・・・。

私;「SAY!」

私;「SAY!」

私;「SAY!」

ほーら、そう考えたら楽しくなってきた・・・って、そんなわけないか。
以上妄想終了。ゴートゥDMC・・・
後で夫に聞いたところによれば、ハナ子は、



・・・と、叫んでいたらしい。
なんで「親族は自分の味方」って主張するんだろうか。
問題は、ハナ子の実の息子である

親戚の意見はとりあえず無関係だろう・・・。
私なら、そう思うしそう言うところだけど、夫は素直っつーか。
明らかに様子のおかしいハナ子に向かって一々・・・

言い続けていたらしい。
いや・・・いいんだけど、言いたいこと言えば。
そしてそんな泥沼が果てしなく続いている妻と息子に直面したパパは・・・
地蔵のように固まっているかと思えば・・・
時折起動すると、ひっそりと


何と言っているのかはもちろん私には聞こえず、後から夫に教えてもらったんだけど。



繰り返し・・・。
言わなくていいから、って、別にパパのために言っているんじゃないし、長年溜めてきた感情がバクハツしているんですけど・・・。
ねえ?
肝心のケンカの方は、

いつしか、ハナ子は

という、大変下品な叫びを発するだけになっていて、「話を誤魔化すなよ!」という

泥沼の母子喧嘩はそろそろ終盤。
ハナ子はトドメのアクションに出ようとしていた。
「ハナ子とスイカに御用心!そのさんじゅうなな」に続く。


アジア人は全体的に小器用なひとが多くて、勤勉なひとも多くて、商売とかやれば結構勝てる民族だと思うんです。 反面、カリスマ的指導者ってあまりおらん。 キング牧師もオバマもおらん。 アジア系大統領とか、いつか出るんでしょうかね。 んで、人口の減少と共に外国人労働者を増やしていくであろう日本、どうなるんだろう。 うちの子が大きくなって日本で暮らすとはあんまり思わないけど、その頃の世の中で、バックグラウンドが複雑な人間はどんな立ち位置を見出せるんだろう。 なんだかんだ言ってこの数十年はぼちぼち固いであろう日本に生まれて日本人で居られて私はラッキーだと思うけど、多言語多文化に生まれるのもすっごく楽しそうだ。
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なんだか季節の変わり目、うすら寒いです。
我が子、髪の毛薄くて1歳越えてもこっぱげで・・・
人様より風邪ひきやすいんじゃないか、と警戒しております。
ああ、いつ毛が生えるんだろー・・・。


ウオオオオオオオオオオオオオ・・・
ハナ子は吠えた。
ソウルフルに。
「私はおばあちゃんの一番仲良しの嫁だったんだ!」
「そうじゃなければ、おばあちゃんが頻繁に泊まりにくるわけないだろう!」
・・・というようなことを言っていたが、
「そんな馬鹿なことするわけないでしょ、ごはんあげないなんて。」などの、ごく一般的と思われる反応は一切無かった。
明らかに動揺している。
ハナ子、やっぱ正直もん。
ちゃんと騙せる嘘吐くような機能、ついていないんだわ。
ハナ子の叫んでいる様は、本当に洒落にならないレベルで狂気の沙汰だった。
怖いよ。
その目が怖い。
飛び散るりんごが怖い。
オバちゃんパーマが怖い。
私も女なのにこういうことを言うのはナンだが、女がブチ切れてしまった様子っつうのは、一般的に男よりも非力である分、狂気の度合いが高くて見た目に恐ろしいものだとは思う。 鬼気迫るってやつだ。 私はまだ人生経験が足りないせいか、それほど追い詰められたことはない(と思う、主観的には本気ギレ未体験)のだが、MY母だって、子育て期に諸々重なったときはキレちゃったこともあり、それはそれで恐ろしかった記憶がある。 そんときは子供の目線だったのでただ怖かったが、今考えたらキレるくらい全然OKの範囲だった。女と生まれたからには、泣くべきときに泣き、キレるべきときにキレればよろし。 追い詰められた女がキレるくらいで済んで、犯罪とかに発展しないで収まれば世の中平和ってもんである。
しかし、ハナ子のキレ方は・・・
一線越えてたんだよ。
義母に食料を一切遣わせない、とか。
実子に食事差別(義子にやっていいって意味じゃないけどさ)とか。
そういう、ヒトとしてやっちゃいけないことを、何の覚悟もなしにやってしまう人間だ・・・ってことが、伝わるキレ方だった。
人間、生きてれば色々あるから、やっちゃいかんことに手を染めることだって、あるのかもわからんけど。
それが悪いことだって、大袈裟だけど自分のカルマになっちゃうんだよ・・・ってところを理解して、敢えてやるのか、それとも感情のままに後先考えずやらかすのかで、意味合いも違ってくると私は思うのだけど・・・
ハナ子は、その時々の感情だけで一線を越えるヤバいひとなのだろう。
要するに我儘。
「姑に食料を与えない」って、まあ今時のひとは思いつきもしないけれど、ハナ子世代の中国人にとって、倫理観的ハードルが相当に高い行為だ。 なにしろ中国人、年寄りには理不尽なまでに甘いところがある。 年寄りを敬わないとマズイ・・・ってな道徳観念に照らして、年寄りを粗末にする行為には非常な罪悪感が伴うはずなのだ。 時代の変化と共に変わってきてて、今の二十代以下の世代はもう日本並みになってきているように思えるけれど、ハナ子の年代なら旧来の道徳がまだまだ有効で、そこを踏み越えるには教育なり理論なりの下地があってなお、心理的抵抗と戦う必要がある。
それを、「我儘」だけで、道徳に対する考えも合理性も何も無しに、ある種軽やかに線を越えていく奴。 私は怖い。 正気じゃない。
息子が自分よりも姑になついているからって、殴り倒せるような神経だけのことはある。 チビっこをハンガーで殴って流血させるなんて、かわいそうよりも何よりも、怖くて出来ないのが普通だろう。 なんかあったらどーする・・・
ある意味、天晴れ。
子供を姑に預けていた状況が、精神衛生によろしくない・・・というのは私も女だからわかる。 たとえ実母にだって、長期間で預けたりはしたくないものだ。 まして姑、仮に仲が良くたってもちろん嫌だ。
ハナ子がおばあちゃんに

しかし、素直に杭州で働いていれば一家離散、もとい単身赴任する必要は無いところを、北京に行きたいと希望を出したのはハナ子だと言う。 北京と杭州で、給料なんて変わらないのに。 その上、当時の中国人女性に専業主婦とか長期の育児休暇・休業とかいう制度は無く、二人で働かないと暮らしていけないように、給料が設定されていたはずだ。 つまり、勤務先に託児所が完備されていた。 ある意味、完璧な女性雇用体制である。 子連れで北京赴任もアリだったところ、「育てんのがキッツイから」って置いてったのはハナ子。
私、子育てでも家事でも、人の手を借りちゃいかん、という思想は無い。 子供なんて、安全さえ確保してあれば、好きに育てればいいのだ。 だからハナ子が、首都北京で働きたかった、育児は大変だから自分一人で抱えたくなかった、という点については責めるべきじゃないと考える。 私は子供と離れたくないけれど、ハナ子には、育児よりしたいことがあった、というだけだ。
そうしたハナ子サイドの事情で、子供を置いていったものの、「姑に子供をとられた」ように感じて辛かった。 勝手な言い草だけど、それでもまだ理解できる。
でもだからって言って子供をぶち殴るなんて・・・
ますます溝が深くなるだけだと思うんですけど・・・
おばあちゃんに殴りかかったなら、まだ理解できる。
幼子を殴るのは、ただの虐待。
三十年前に虐待した息子が、今、大人になって、過去のことを糾弾しているわけだ。


生きて成人できなかったはず、まで行くと、じゃあパパは何してたんだ?とかいろいろ細かく聞いてみたいところはあるが、ともかく夫は一歩も引くことなく、ハナ子をまっすぐに見て話していた。
視線の先にいるハナ子は、もうブチ切れで正気なんか残ってないんだけど、そこはそれ、いっぺん言いたかった、聞いてもらうことより言うことに意義があるッ!ってやつなんだろうねえ・・・。
「ハナ子とスイカに御用心!そのさんじゅうろく」に続く。


息子の髪の毛、このままずっと薄いままで、そのままゲーハーに移行したらどうしようか・・・と悩んでいるのですよ。
なにしろ我が実家、ゲーハーのサラブレッド。
MY弟、二十代にして毎日がドキドキらしいです。
まあ、髪なんか生えても生えなくても、ママには可愛い息子だけどねー。
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