それまで叔父叔母は、
にハナ子の悪行の数々を語ることは一度として無かったのだ、という。 昔は「幼い子にそんな話をして、ハナ子の前で口を滑らすようなことがあっては、
も周囲も大変・・・」ということだったのだろう。 成人以降は、
が単独で義鳥を訪れることもほぼ無くなっていたから、 話すに話せなかった・・・と。
大方は、ハナ子がおばあちゃん存命中にした意地悪の数々についてだった。
以前にも書いたけれど、夫は生後4ヶ月から5歳までの間、義鳥でおばあちゃんに育てられた。 それは実母ハナ子が北京に転勤してしまい、更に、パパが杭州の仕事を休職して義鳥で療養していたためだ。 それが、ハナ子の杭州帰任に伴い、おばあちゃんの元を離れて、杭州に連れて行かれ、両親に育てられるようになった。 ところがその時点で、一人っ子政策直前の駆け込み妊娠・出産によって弟が生まれていた。
新しい環境に馴染めず、「おばあちゃんのところに帰りたい」と泣く長男。
生まれたときからハナ子のそばにいて、素直な(というか乳飲み子)次男。
ハナ子は
のことを可愛く思えなかったらしい。
そういう状態にあることは、パパの口から義鳥のおばあちゃんに伝えられ、心配したおばあちゃんは、山のような食料を背負って杭州を度々訪れ、せっせと
に食べさせてくれた・・・というのが、これまで聞いていた話。
叔父叔母はこう言った。
「や、それはそれで本当のことだけどね、ばあちゃんがそんなにも山のように食料を持っていったのはね、ばあさんはウチのメシを食って節約するために来るんだエイヨォー!って、義姉さん(=ハナ子)に怒鳴られるからなんだよ。」
そして夫も認めた。
「そういえば、俺が高校生くらいの頃も同じこと言ってた・・・」
おいおい、ハナ子。
冗談も誇張もなしに5人前は軽く平らげるハナ子ならいざ知らず、小柄なばあちゃんがどれだけ食べるって言うんだ。
いっくら物の少ない時代でも、言うに事欠いてそれか。
呆れた。
叔父叔母は、
「他のことはともかく、母に謂れの無い意地悪をされるのは、辛かったねえ・・・」と語り、少ししんみりした。
しんみりした空気を変えるべく、なのかどうかはわからないが、4叔母の夫が言った。
「あの話は凄かったなぁ、いつか義兄さん(=パパ)が言ってた、食卓ひっくり返し事件!」
何それ、ちゃぶ台クラッシャーか?と思いながら聞いていると(言うまでもなく通訳つき)、こういう話だった。
事件当時、新婚のパパは大学構内の教職員宿舎に住んでいた。 その頃の建物は大変粗末で、各家庭にキッチンなどは無く、1フロアにひとつかふたつ、共同キッチンがあった。 そこで各自調理し、出来上がったお料理を部屋に持ち込むなり、廊下あるテーブルで食べたりしていた。
また、教職員宿舎の隣りは学生寮で、パパの教え子も多数住んでおり、若先生として人気者だったパパは、窓越しに学生と挨拶しあったり手を振ったり、和やかに過ごしていたという。
新婚でまだハナ子と戦うこともあった、戦時下のパパ。 言うまでも無く食事の仕度は100%パパがしていたのだが、その日は料理を始める直前まで、ケンカをしていたという。
調理終了し、部屋の中でムクれていたハナ子に、「もう怒らないでご飯にしようよ」とかなんとか声をかけた。かけても出てこないので、パパはひとりでお料理をきちんと並べ、少しでも明るく食べられるようにセットし、再度声をかけようとした。 そこに、隣りの建物の学生が何か声をかけた。 パパは普通に応じた。
何が気に障ったのかわからないが、躍り出てきたハナ子。
うおおおおーっ!
と掛け声ひとつ、
食卓を全力で壁に向かってたたきつけるようにひっくり返した!
パパがぜ~んぶ作って、並べて、食べるばかりになっていたお料理は無残にも・・・
し~ん。
言葉が出なかったよ、私。
黙って聞いていた2叔父が、
「その話、パパの人生のもっとも恥ずかしかった瞬間のひとつとして、俺も直接聞いたよ。」
と、付け加えた。
いや・・・
普通ではありえないことながら。
ハナ子に限っては、疑う余地も無く真実だってわかるよ、叔父さん・・・
ところが2叔父は続けてこう言った。
「でも俺、もっとそれどころじゃない話を知ってるもんね。 知ってるって言うか、現場に居たんだけど~」
何々。
期待させるじゃない?
・・・と聞いたはいいが、結果はやっぱり「聞かなきゃよかったかな・・・」って話だった。
「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのきゅう」へ続く。
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ありがとうございます。
㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥
気が向いたらコメントお願いします。
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以前にも書いたけれど、夫は生後4ヶ月から5歳までの間、義鳥でおばあちゃんに育てられた。 それは実母ハナ子が北京に転勤してしまい、更に、パパが杭州の仕事を休職して義鳥で療養していたためだ。 それが、ハナ子の杭州帰任に伴い、おばあちゃんの元を離れて、杭州に連れて行かれ、両親に育てられるようになった。 ところがその時点で、一人っ子政策直前の駆け込み妊娠・出産によって弟が生まれていた。
新しい環境に馴染めず、「おばあちゃんのところに帰りたい」と泣く長男。
生まれたときからハナ子のそばにいて、素直な(というか乳飲み子)次男。
ハナ子は

そういう状態にあることは、パパの口から義鳥のおばあちゃんに伝えられ、心配したおばあちゃんは、山のような食料を背負って杭州を度々訪れ、せっせと

叔父叔母はこう言った。
「や、それはそれで本当のことだけどね、ばあちゃんがそんなにも山のように食料を持っていったのはね、ばあさんはウチのメシを食って節約するために来るんだエイヨォー!って、義姉さん(=ハナ子)に怒鳴られるからなんだよ。」
そして夫も認めた。

おいおい、ハナ子。
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「他のことはともかく、母に謂れの無い意地悪をされるのは、辛かったねえ・・・」と語り、少ししんみりした。
しんみりした空気を変えるべく、なのかどうかはわからないが、4叔母の夫が言った。
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事件当時、新婚のパパは大学構内の教職員宿舎に住んでいた。 その頃の建物は大変粗末で、各家庭にキッチンなどは無く、1フロアにひとつかふたつ、共同キッチンがあった。 そこで各自調理し、出来上がったお料理を部屋に持ち込むなり、廊下あるテーブルで食べたりしていた。
また、教職員宿舎の隣りは学生寮で、パパの教え子も多数住んでおり、若先生として人気者だったパパは、窓越しに学生と挨拶しあったり手を振ったり、和やかに過ごしていたという。
新婚でまだハナ子と戦うこともあった、戦時下のパパ。 言うまでも無く食事の仕度は100%パパがしていたのだが、その日は料理を始める直前まで、ケンカをしていたという。
調理終了し、部屋の中でムクれていたハナ子に、「もう怒らないでご飯にしようよ」とかなんとか声をかけた。かけても出てこないので、パパはひとりでお料理をきちんと並べ、少しでも明るく食べられるようにセットし、再度声をかけようとした。 そこに、隣りの建物の学生が何か声をかけた。 パパは普通に応じた。
何が気に障ったのかわからないが、躍り出てきたハナ子。
うおおおおーっ!
と掛け声ひとつ、
食卓を全力で壁に向かってたたきつけるようにひっくり返した!
パパがぜ~んぶ作って、並べて、食べるばかりになっていたお料理は無残にも・・・
し~ん。
言葉が出なかったよ、私。
黙って聞いていた2叔父が、
「その話、パパの人生のもっとも恥ずかしかった瞬間のひとつとして、俺も直接聞いたよ。」
と、付け加えた。
いや・・・
普通ではありえないことながら。
ハナ子に限っては、疑う余地も無く真実だってわかるよ、叔父さん・・・
ところが2叔父は続けてこう言った。
「でも俺、もっとそれどころじゃない話を知ってるもんね。 知ってるって言うか、現場に居たんだけど~」
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・・・と聞いたはいいが、結果はやっぱり「聞かなきゃよかったかな・・・」って話だった。
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ホント開いた口が塞がらないよ・・・。
伝説の続きがめっちゃ気になるぞ!!
またまた鳥肌もの、口開きっぱなしものの気配・・・。
でもさ、そんなトンでもな話を聞いても、「ハナ子ならありうる」って思うんだよね。 リアルに情景が浮かぶ・・・。
相変わらずハナ子爆裂ですねぇ。
でもほんととんでもない話なのに、納得してしまう私…。これは中国という大地が生み出した驚異なのでしょうか?
いや、まともな中国人もいっぱいいるけど、けど、けどね、すごい人もいる国ですよね、ここ・・・。(-_-;)
「日本人だってすごいのはすごい」
・・・と言いつつ、大陸パワーの存在を暗黙のうちに認めている自分が居たりしますよね。
複雑な気持ちですなあ・・・