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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記1「中国ご実家ツアー・前編」

2006-02-15 | ㊥中国ご実家ツアー
シュウトメ・ハナ子は要注意人物ということに、私は早い段階で気づいていた。 
具体的には、彼女のシドニー滞在時代から(詳細はまだ更新途中)。
とはいえ、シドニー滞在は最後まで、表面的には円満だった。
直接対決は一度も無く、私はハナ子の食事を作り続け、洗濯、掃除、食材の買出しをし続けた。ここはとっても重要ポイントなので、「鬼嫁日記」読み進めるにあたって、ぜひ憶えておいて欲しい。 きらいなシュウトメでも表面はきちんと対応しといたわけであるけれど、この理由はふたつ。 1;気が合わないからこそ、私の「非」になることは避けたいので大人な対応を心がけた、2;何がどうあれ、我が家の客は客。 食事など生活面で不自由させるのはこっちの気分が悪くなる+主婦の沽券にかかわる。
私のこの小賢しさも立派な鬼嫁エレメントだとは思うけれど、せっかく見つけた気の合う男を、本人同士の理由(仕事や学業、ナントカの不一致など)以外で手放す気は毛頭なかった。 互いの家族コミの関係が結婚なら、なるべくストレスも摩擦も少なくしたい。 自然に仲良くするのがベストだけど、それは無理だと気がついてしまったから。
ともかく、シドニー終了時点での対ハナ子観は、「なるべく避ける、でも関係悪化も避ける。 嫌いだからこそのご機嫌伺い、間合いを詰められないように匙加減するのが最重要。」だった。

この考えを修正したのは、中国入り後のことだった。

今から大体1年前、北京に着いて早々。
は休暇を取って私を杭州・義鳥に連れて行った。 家族との対面どころか軽い同居まで体験済みだったが、親戚と先祖の墓は未体験ゾーン。 その時点で籍を入れてなかったので、入籍前の最後の念押しというか。

先に杭州の実家で2泊。 イキナリここで事件。
1泊め、起きたら10時近く、ハナ子は出かけていた。 在宅していたパパによると、平日だが、教会で信者の集まりがあるという(以前書いた気がするけど、ハナ子はクリスチャン)。
パパがまめまめしく粥や豆乳、焼きワンタンなどを用意してくれたのでありがたくいただき、西湖龍井茶など一服。(←ちなみに西湖龍井茶ってのは中国緑茶の一種、名前の通り杭州西湖近くで取れる。日本茶とは味わいが違う。どっちかといえば生茶系のフレッシュな風味。)
はい、メシも食ったし茶もすすった。そこで、
ハーゲンダッツ行かない?」
私;「行く!」
ハーゲンダッツ、中国では小高い。 何しろ物価の違いを乗り越えて、日本で食べるダッツよりも高い。 が、杭州のダッツは「西湖新天地」という西湖ほとりのいい場所にある。 それに、の意図は、甘党のパパに美味しいアイスを食べさせてあげよう、というものだ。 
パパを誘ったところ、かねて気になってはいたが、小高いのでまだ食べたことがないという。 じゃあぜひ、と誘う息子に顔を強張らせて
パパ;「準備が必要です」(注・日本語、原文ママ、以下パパの発言は同様)
準備って一体・・・そう尋ねる間も無く、
パパはハナ子に電話をかけはじめた。
ところが電源が切ってあって通じない。
パパ;「おかあさんを迎えに行かなければなりません」(注・迎えに行くといっても、自家用車があるわけじゃない)
西湖新天地とハナ子教会はちょいと離れている。 実家と新天地と教会、線で結べば三角形。
「あのぅ、留守電かSMS入れて、ハーゲンダッツまで来てもらえば?」
「そうだよ、行き違いになるかもしれないし。」
口々に言う私たちをよそに、頑ななパパ。
「勝手に出かけると怒られますから!」
しょうがないので3人で教会へ。 今にして思えば、家で待っておけばよかったんだが。

意外にも結構きれいな教会で、私たちは案の定行き違った。 集会は終わっていると思しいが、携帯は通じない。 ハナ子は見つからない。 おまけに雨まで降ってきた。 寒い。
ハナ子探すこと40分。 寒そうにする私を見て、パパは私たちだけ先に新天地に行っているように、と言う。 パパは?
パパ;「パパは大丈夫です。」
大丈夫じゃないだろう、その行動が。 お互いに携帯を持っていて、留守電入れて、自宅には書置き。 家から新天地はバスで15分。 ・・・ツッコミを心の中に仕舞って、私たちは先に新天地に移動、ダッツ隣りのスターバックスで待つこととする。

待つこと、1時間。
パパに電話、するも通じない。 ハナ子にも電話、するけど通じない。
両者、話中。
「パパはママに怒られているんだ・・・」
まじ? なんで?
事態の意味不明さに混乱する私。

更に30分経過して、ようやっとパパに連絡が取れた・・・・・・・・・


                                      続く

ダック鬼嫁日記2「中国ご実家ツアー・中編」

2006-02-14 | ㊥中国ご実家ツアー
パパの携帯に、やっとつながった。 
どこで何をしているかと聞けば、まだ教会に居るという。
結局ハナ子はひとりで帰宅してしまい、書置きを発見して激怒。 パパはハナ子から電話を受けて、ずっと怒鳴られていたのだという。
教会でパパと別れてから、1時間半は経過している。 1時間ほども、怒鳴られ続けていたのだろうか。 教会前の路上で、携帯に向かってひたすら謝りながら?
何故そうなるのか、私にはサッパリ理解できない。
別にハナ子を除け者にしたわけじゃなし、ちゃんと迎えに行って、書置きも残してきたのだ。 そもそもハナ子が出かけることを、前の晩のうちに教えておいてくれたなら、ちゃんとその時点で断りを入れたはずだ。「明日たぶん出かけるから、出先から電話して。 外で合流しよう」とか。 

しょうがないので、とりあえずパパは新天地に来た。 スターバックスもいい加減長居をしたので、一緒にハーゲンダッツに移動する。 パパはかなり暗い顔になっていて、私たちも暗澹たる気持ちになった。
これではまるで、パパを困らせようとしたみたいではないか。
そんなつもりはなかったのだ。 そんなことでハナ子が怒るとは、思わなかった。
ハナ子にから電話するも、「もう外出したくない」の一点張り。
「もういいから、ハナ子抜きでアイス食べて、どっかふらふらして、夕飯は美味しいところに・・・」喉まで出掛かったけど、パパはまだ気にしている。
ま、そうだろう。
「出かけたくないなら、しょうがないね」とこちらが誘うのを止めようものなら、自分が来たくないと言ったくせに、彼女が激怒・パパに当り散らすのは見えている。 ハナ子は自分の希望を口に出すのは嫌いで、そのくせ「ぜひお願いします」と言われるのを期待している、傲慢な人間だ。 もったいぶるところは誰にでもある、でもハナ子はそれがキツ過ぎて鼻につく。
やむを得ないので、近所で半同棲生活を送る弟と彼女を呼び出し、自宅に立ち寄ってハナ子を連れてきてくれるように頼む。
果たして。
更に2時間後に、ハナ子はやってきた。 まだブンむくれの嫌な顔を引っさげて。
私ら、その間、阿呆のひとのように待ってたのである。 移動するとか帰るとかは、パパの様子を見ると言い出せなかった。 会話は楽しかったが、少々寒く、アイスという感じでもなくなっていた。
ハナ子は無論、謝らない。
「遅くなってごめんね」その一言が無い。
ハナ子にしてみれば、「おかあさん、勝手に出かけてゴメンね」という言葉を待っていたのかもしれない。 でも、私は勿論、夫もそんなことは言わない。 勝手に出かけてゴメンね、では小学生である。
フォンデュだの、ナントカセットだの、適当に注文し、弟カップルとの会話が始まる。 弟カップルもまた日本語学習者なので、私も会話には困らない。 ただ、日本語で話すとハナ子の機嫌が鬼悪くなるため、メインの会話は中国語、ハナ子以外の人々がかわるがわる私を助けてくれる、といった調子だった。
その際、本来理系の義弟よりもむしろ、専門学校で日本語を学ぶ弟カノジョの方がより積極的に私に話してくれ、その会話力は流暢まで行かないものの、十分にコミュニケーションの取れるものだった。

ハナ子は、現金なもので小高いアイスが次々にテーブルに運ばれてくると俄かに機嫌を回復し、ちゃっかり持ってきていたカメラでそれらを撮影するなどした。 人物ではなく、アイスの写真である。 後日トモダチに「うちの息子ってこんな高いアイスも買えちゃうんですよ」と自慢するらしい(夫の話によれば)。

そして元気になったハナ子と息子たちの会話ははずみ、その間、私は弟カノジョのツーショット体制に突入する。 これが後に、大事に発展しちゃうんだけど、その時は知る由も無かった。

「おかあさん連れてくるの大変だった?」と、私はきいた。
カノジョは「うん、まあ、ちょっと。」と答えた。
「ごめんね、面倒かけて。 まさかおかあさんが気を悪くするとは思わなくって。」
カノジョ;「だいじょうぶよ。 それより、あの。」
カノジョ;「シドニーで、おかあさん、どうだった?」
こう聞かれたとき、私はとてもとてもとても悩んだ

義弟カップル、によると、ここ2年ほど、結婚するしないでモメてるらしい。 両者とも、結婚を希望してはいるのだが、ハナ子がカノジョをあまり良く思っていないことと、結婚後、どこに住むかが問題になっていることで、なかなか踏み切れないらしい。 どこに住むか、というのは、カノジョの実家に住むか、義弟の実家に住むか、という話だ。 彼らに独立する甲斐性は無い。
ちなみにハナ子がカノジョをあまり良く思っていない理由は、「大学卒じゃないから」。 なんとしょーもない理由だろうか。 しかし義弟はナゼか(何故だ?)マザコンであるため、義弟のことが好きなカノジョは、無理してハナ子にお愛想しているらしい。

↑ということは、だ。
私があたりさわりなく、「おかあさんとの同居は、意外と問題なかった」とか言ったら。
カノジョ、「同居も、まあ、なんとかなるかなぁ?」と、思うのではなかろうか。 或いは、私が正直な感想を告白することで、義弟に対して「おねえさんも、大変だったって言ってるし!」と、強く出れるのじゃないだろうか。
もし、私が保身に走って大嘘こいたら。
「おねえさん、自分が同居免れたいばっかりに、嘘ついた・・・」と、一生恨まれるんじゃ、ないだろうか?
そんなのヤダ・・・と思った私は、しょーがないので正直な感想を語ることにした。
「シドニーでは、1ベッドルームだったし、私は中国語わからないし、中国の習慣や考え方もよくわからないし・・・」と色々言い訳をしつつ、トドのつまりすごく大変でしたという意味のことを言った。 現在ハナ子に対して苦手意識がある、ということも。 「私の目から見れば、おかあさんは怒りっぽいし、ちょっとワガママかな、と思う。 言葉が通じないからわかんないとこもあるけどねー。」というほどの気安い語り口で。 カノジョ、年下だし日本語通じるし、なーんか親しいモードの話し方になってしまったんである。 ハナ子に嫌われているというカノジョが、ハナ子を好いているとは思えなかったし・・・

                                      続く



ダック鬼嫁日記3「中国ご実家ツアー・後編」

2006-02-12 | ㊥中国ご実家ツアー
ご実家ツアー、1泊しただけでもうトラブル。 考えてもみて、スターバックスとハーゲンダッツに3時間半。 書くと簡単だけど、長かった。

その翌日には、義鳥市に立つ。電車で2時間ほど。 義鳥にはパパの実家が、義鳥から車で30分ほどのところにはハナ子の実家がある。 このときは、私を双方のご実家に紹介するのが目的だったが、義弟とカノジョも同行。

駅には、パパの弟妹が迎えに出てくれている。 車、計3台来ていた。 そのまま宴会場へ。 叔父叔母いとこたち。 パパは8人兄弟姉妹の一番上なので、結構な人数に。
パパもそうだが、この家族は全員底の抜けた樽のような大酒飲みで、浴びるようにマオタイを流し込み、けっして酔うことはなかった。 
なんとなく見てはいけないものを見てしまったような気になり、私は酒は遠慮させていただいた。 強くは勧められなかった。
言葉が通じないし、相手の顔と関係を憶えるので精一杯だったため、なんとなく時が過ぎ、全員で「老房子=昔の住まい」を見に行くことに。 夫が子供の頃まで住んでいたという住居は、いわゆる昔造りの住まいで、風情こそあったものの、住み易いとは到底言えないものだった。 「そこがシャワーよ」示されたのはバリバリ屋外に置いてある桶だった。 桶。 周囲には水の出そうなものは何一つ無い。
「つまり、水は井戸から・・・」
私;「・・・・・・シャワーじゃないだろ。」
冬どうしていたのかは気になるところだが、大家族で暮らすのは、大変ながらも楽しかったと皆は言う。 それはそうなんだろうな、と思う。 無理だけどさ、私には。 手桶はシャワーには見えね。 想像力貧困ですまんな。

次に案内された、叔父の家は、打って変わって近代的な一軒家だった。 それも3階建て。 ピカピカの新築で、内装その他も、北京で私たちが住んでいる部屋よりもきれいで使いやすい。 シャワーだってちゃんとシャワーだ。 トイレも大丈夫。 いくら地価が安い田舎だと言っても、中国ではそれなりに暮らし向きの良いひとなのだな、と思った。 そこでパパのすぐ下の妹(=叔母1)が私に言った。 夫の通訳つき。
「日本の生活条件は、ここよりも良いでしょうね。 中国は不便だと感じるでしょう。 のために、たった一人で遠い外国に来てくれて、ありがとう。」
 それを聞いたときの私の気持ち、わかるだろうか。
 チュ-ゴク上陸以来、誰がこんな優しい言葉を、私にくれただろうか。
 まして、私にとっては「不便で困った国・中国」は、中国から出たことの無い中国人にとっては、比較する対象も無く、「ごく当たり前の、ひょっとして恵まれているかもしれない国」なのだ。 叔母1のこの言葉を、私は驚きをもって聞き、深く感謝した。
 この叔母1の婚家は、古い昔からの住まい、そのままだった。 しかしよく整頓清掃され、手入れされ、居心地の良い住処。 暑さ寒さは酷くこたえるだろうし、私にゃムリだけど、否定はしない。 訪ねる分には、悪くない。 
 この日の夜、私たちは、ホテルに泊まった。
 叔父叔母の家にはゲストルームもあるというのに、「日本人嫁が不便な思いをしたら可哀相だから」との気遣いから、叔父が予約・支払いなど全てしてくれた。
 そりゃちょっと、こっちが恐縮というものである。
 パパ側の親族は、皆こざっぱりとして、いとこたちも何やかんやと私をかまってくれ、私は非常に良い印象をもった。 言葉が通じないながらも、「中国の親戚たちも、人を気遣う気持ちに違いは無いのであるなあ」と安堵することができたわけである。

 さてその翌日、私に「息子はよく稼ぐので、おまえもいい生活が出来て嬉しいだろう」と100回は言ってくれたハナ子。 その実家ツアー。 いくらハナ子が嫌いでも、実家の人間たちまで嫌ってはいけない。 そうは思うけれど、ハナ子が有り金じゃぶじゃぶと実家に突っ込んでいることもあって、最初ッから気が進まなかった。 

期待を裏切らず、ハナ子実家、すんごいところに在った。 数軒ある親族の家、昔風、近代風といろいろで、建物自体のコンディションはパパ側とそう変わるものではない。が、その立地条件がゴミ集積所のなかに建ってるのかと思われるほど、ゴミだらけ。 いたるところにドブ川まである。 おまけに野犬までぞろぞろいて、恐ろしい。 私はここで、生まれて初めて、可愛くない仔犬を見た。 仔犬なのに愛らしさが全く無い。 駄犬オブ駄犬。 こんなところ、ウルルン滞在記どころでない。 NHKドキュメント「ゴミに埋もれた町」ってところか。 

ハナ子実家の叔父叔母、ばあさん(つまりハナ子母)は、それでもフレンドリーに接してくれた。 ただ、直接私には話し掛けてこない。 私を物珍しげに眺め、何事か私の夫に言うけれど、それは通訳させようというのではないらしかった。 唯一ばあさんだけが私の手を握り締め、何か熱心に語ってくれた。 私の中国語力以前に、物凄くローカルな言語なので一言たりとも聞き取れない。 「お尻が大きいねえ、ひ孫はいつかねえ」って言ってるんだよ、と夫が教えてくれた。 さすが農村。 初対面でいきなりそれなのか。
食事のとき、いとこたちと同じテーブルに座らされた。 が、ここの子供たちはまったく話し掛けてこない。 私だけでなく、夫にもあまり話さない。 もともと、母方のいとことは付き合いが少ないのだ、と夫が教えてくれた。 3人ほどは親しくしているいとこがいるけれど、その人々は海外や上海に出ていて、この家には滅多に帰らない、とも。

こんな状況で、ハナ子実家に、好感を持てるはずもなかった。 まだ大して知りもしない段階で、明らかにパパ実家の方が好ましく思える。 一度思い込むと、イメージを除くのはなかなか厄介だ。 義父母の実家なんて、ニュートラルに見ておく方がよろしいんだけどなあ・・・

そんな風に思っていたとき、叔父の奥さん(ハナ子弟の奥さん)が、スッと、ヒーターを差し出した。 「寒そうだから」。 ええ、もう凍えそうに寒いと思っていましたとも。 しかし周囲の人々は暖房もつけず、家の中でもコート着用し、不平を言うでもない。
暖房、贅沢なんだろう。 
習慣や環境などは、違って当然。 思いやる気持ちとか、もっと根本的なところに目を向けなくちゃ・・・
心の中で、その必要も無いのにパパとハナ子双方の実家を比較し、パパサイドをひいきする気持ちが出来つつあったことを、私は反省した。

そしてご実家ツアーからの帰り。 電車のなかで、これから幾度この中国の田舎を訪れるのだろう、もう少し交流できるようになるといいな・・・などと思っていた私に、ハナ子が猛然と話し掛けてきた。 目をそらす夫。 パパがハナ子に促されて訳してくれる。
「弟の嫁はね、全然気が利かなくてダメなんだ、優しくないし、お金の事だって・・・」
「いつもカゲで私(=ハナ子)の悪口言って・・・」
ハナ子による「弟の嫁の至らない点」は杭州につくまで延々と続いた。

私は、このご実家ツアーを通して、ハナ子のことが、また更に嫌いになったのであった。

                   


                             中国ご実家ツアー、了。