その夏、私は義鳥に行った。
夫は同行せず、私ひとりで。 もっとも、パパの里帰り期間に合わせて行ったから、言葉の不自由はしないで済んだ。
目的は結婚式の下見と、10月に控えたパパの60歳記念誕生日パーティーの段取りをつけることだった。 実際にいろいろしてくれたのは叔父ちゃんであって、私が何したわけじゃないんだけど、現場に立ち会って確認したり、叔父ちゃんをはじめとする、親戚の皆様に直接お礼を言いたかった。 それに、義鳥の巨大マーケットを見てみたかった。
夫はこの時、私たちの結婚生活においては最長の出張に出ていたのだけれど、中国語もロクに話せない私をひとりにしておくのは不安だったようで、義鳥行きには大賛成でいろいろ手配してくれた。 「ナイナイのお墓には必ず行ってね」というのも忘れなかった。
さて、義鳥市というところは、杭州から更に南、車で3時間ほどのところにある。 昔から商売の盛んなところで、現在は小商品のマーケットが有名。 他地域の中国人から「安くて質が悪い」と言われることも多いけれど、急速な発展を遂げた今、世界から注目が集まりつつある。 もともとは農村だったけれど、中心部は物凄い勢いで発展してしまい、現状を「農村」と言い切るのは無理。 商習慣なども含めて昔ながらのいい加減さいかがわしさが残りつつ、部分的に都会化してしまったような複雑な街。
私には、とても面白いところに見えた。
義鳥市はこのような実情に相応しく、北京など主要都市からのフライトも1日おきである。 農村以上だが都会とは決して言えない、半端な存在感。
義鳥空港から市中心部までは車で約15分。
隣りの杭州空港からだと車で約2時間。
せっかく義鳥線が発着している北京に住んでいるのだから、私は義鳥線に乗りたかった。
だがしかし私はわざわざ杭州線に乗り、挙句の果てに、義鳥とは反対方向の杭州市内に立ち寄らなければならなかった。
言うまでもないことながら、ハナ子の仕業である。
結婚式の件は、夫からハナ子に説明し、ハナ子は快く承諾した。
意外なほどあっさりと、一言の文句も出なかった。 私たちはそれを、「外婆が出席しやすいので」という理由が大変まっとうであるためだ、と解釈していた。 (それは間違いだったが、このときは知る由もないことだった。)
義鳥に下見に行く件は、夫から叔父に知らされ、叔父の娘であるところの従妹が私の案内役を買って出てくれていた。 名前はリンリン(仮名)
と言うんだけれど、彼女は外国語学科志望の高校生で、英語を少し話す。 私には中国語の練習に、彼女には英語を話す練習になるので、前回会ったときから仲良くなれそうな気はしていた。 この
が、夜便で義鳥に着く私の迎えを手配してくれることになっており、私はすっかり安心していた。
ツアーには、かねて里帰りを考えていたパパが同行してくれる手はずになっており、そのことは結婚式の件と合わせて、夫からハナ子に伝えられた。 ハナ子が同行すると言い出すのではないかと冷や冷やしていたが、幸い、その時期ハナ子には泊りがけの来客があり、「大変残念だが一緒に行ってやることは出来ない」とのことだった。 そんなことは勿論構わないというか大歓迎なのだが、出発を十日後に控え、そろそろチケットを買おうとしていた矢先、
から電話が入ったのだった。
;「あのぅ、迎えに行く予定が変わりました。」
;「?」
;「杭州まで迎えに行きますから、杭州空港に降りてください。」
;「なんで杭州なの? 実家は駅に近いから、パパの迎えは要らないんだよ。 荷物も少ないし電車の方がラクだ。」
;「伯母(つまりハナ子)から電話があって、そうなりました。 シェン(もうひとりの従妹)が杭州空港を通って伯父(パパ)のおうちに行きます。 おねえちゃん(私)は空港でシェンに会って、伯父のうちに行って、それから夕方になったら義鳥に向かいます。」
リンリンと話していても埒はあかない。 パパに電話した。
ところが、リンリンと同じくらい埒があかない。
シェンは杭州に用事があるのか、とか、電車のチケット取れなかったの?と聞いても、誤魔化すばかりでさっぱり要領を得ない。
まあアレだ。
要するに、ハナ子が 「杭州素通りで、義鳥に行くなんて許さない!」と、ゴネているわけね。 私に挨拶させるためだけに、みんなの予定を変更させた、と。
腹立たしいけど、ここで杭州から逃げると、話がこじれそうだ。
気は進まないけど、行っておくか。
そうやって思いがけずひとりで訪れた杭州、暑かった。
北京発杭州経由義鳥の夏・中編へ続く。
夫は同行せず、私ひとりで。 もっとも、パパの里帰り期間に合わせて行ったから、言葉の不自由はしないで済んだ。
目的は結婚式の下見と、10月に控えたパパの60歳記念誕生日パーティーの段取りをつけることだった。 実際にいろいろしてくれたのは叔父ちゃんであって、私が何したわけじゃないんだけど、現場に立ち会って確認したり、叔父ちゃんをはじめとする、親戚の皆様に直接お礼を言いたかった。 それに、義鳥の巨大マーケットを見てみたかった。
夫はこの時、私たちの結婚生活においては最長の出張に出ていたのだけれど、中国語もロクに話せない私をひとりにしておくのは不安だったようで、義鳥行きには大賛成でいろいろ手配してくれた。 「ナイナイのお墓には必ず行ってね」というのも忘れなかった。
さて、義鳥市というところは、杭州から更に南、車で3時間ほどのところにある。 昔から商売の盛んなところで、現在は小商品のマーケットが有名。 他地域の中国人から「安くて質が悪い」と言われることも多いけれど、急速な発展を遂げた今、世界から注目が集まりつつある。 もともとは農村だったけれど、中心部は物凄い勢いで発展してしまい、現状を「農村」と言い切るのは無理。 商習慣なども含めて昔ながらのいい加減さいかがわしさが残りつつ、部分的に都会化してしまったような複雑な街。
私には、とても面白いところに見えた。
義鳥市はこのような実情に相応しく、北京など主要都市からのフライトも1日おきである。 農村以上だが都会とは決して言えない、半端な存在感。
義鳥空港から市中心部までは車で約15分。
隣りの杭州空港からだと車で約2時間。
せっかく義鳥線が発着している北京に住んでいるのだから、私は義鳥線に乗りたかった。
だがしかし私はわざわざ杭州線に乗り、挙句の果てに、義鳥とは反対方向の杭州市内に立ち寄らなければならなかった。
言うまでもないことながら、ハナ子の仕業である。
結婚式の件は、夫からハナ子に説明し、ハナ子は快く承諾した。
意外なほどあっさりと、一言の文句も出なかった。 私たちはそれを、「外婆が出席しやすいので」という理由が大変まっとうであるためだ、と解釈していた。 (それは間違いだったが、このときは知る由もないことだった。)
義鳥に下見に行く件は、夫から叔父に知らされ、叔父の娘であるところの従妹が私の案内役を買って出てくれていた。 名前はリンリン(仮名)


ツアーには、かねて里帰りを考えていたパパが同行してくれる手はずになっており、そのことは結婚式の件と合わせて、夫からハナ子に伝えられた。 ハナ子が同行すると言い出すのではないかと冷や冷やしていたが、幸い、その時期ハナ子には泊りがけの来客があり、「大変残念だが一緒に行ってやることは出来ない」とのことだった。 そんなことは勿論構わないというか大歓迎なのだが、出発を十日後に控え、そろそろチケットを買おうとしていた矢先、






リンリンと話していても埒はあかない。 パパに電話した。
ところが、リンリンと同じくらい埒があかない。
シェンは杭州に用事があるのか、とか、電車のチケット取れなかったの?と聞いても、誤魔化すばかりでさっぱり要領を得ない。
まあアレだ。
要するに、ハナ子が 「杭州素通りで、義鳥に行くなんて許さない!」と、ゴネているわけね。 私に挨拶させるためだけに、みんなの予定を変更させた、と。
腹立たしいけど、ここで杭州から逃げると、話がこじれそうだ。
気は進まないけど、行っておくか。
そうやって思いがけずひとりで訪れた杭州、暑かった。
北京発杭州経由義鳥の夏・中編へ続く。