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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記8「北京発杭州経由義鳥の夏・前編」

2006-03-03 | ㊥北京発杭州経由義鳥の夏
その夏、私は義鳥に行った。 
夫は同行せず、私ひとりで。 もっとも、パパの里帰り期間に合わせて行ったから、言葉の不自由はしないで済んだ。

目的は結婚式の下見と、10月に控えたパパの60歳記念誕生日パーティーの段取りをつけることだった。 実際にいろいろしてくれたのは叔父ちゃんであって、私が何したわけじゃないんだけど、現場に立ち会って確認したり、叔父ちゃんをはじめとする、親戚の皆様に直接お礼を言いたかった。 それに、義鳥の巨大マーケットを見てみたかった。 

夫はこの時、私たちの結婚生活においては最長の出張に出ていたのだけれど、中国語もロクに話せない私をひとりにしておくのは不安だったようで、義鳥行きには大賛成でいろいろ手配してくれた。 「ナイナイのお墓には必ず行ってね」というのも忘れなかった。

さて、義鳥市というところは、杭州から更に南、車で3時間ほどのところにある。 昔から商売の盛んなところで、現在は小商品のマーケットが有名。 他地域の中国人から「安くて質が悪い」と言われることも多いけれど、急速な発展を遂げた今、世界から注目が集まりつつある。 もともとは農村だったけれど、中心部は物凄い勢いで発展してしまい、現状を「農村」と言い切るのは無理。 商習慣なども含めて昔ながらのいい加減さいかがわしさが残りつつ、部分的に都会化してしまったような複雑な街。
私には、とても面白いところに見えた。

義鳥市はこのような実情に相応しく、北京など主要都市からのフライトも1日おきである。 農村以上だが都会とは決して言えない、半端な存在感。
義鳥空港から市中心部までは車で約15分。
隣りの杭州空港からだと車で約2時間。
せっかく義鳥線が発着している北京に住んでいるのだから、私は義鳥線に乗りたかった。
だがしかし私はわざわざ杭州線に乗り、挙句の果てに、義鳥とは反対方向の杭州市内に立ち寄らなければならなかった。
言うまでもないことながら、ハナ子の仕業である。

結婚式の件は、夫からハナ子に説明し、ハナ子は快く承諾した。
意外なほどあっさりと、一言の文句も出なかった。 私たちはそれを、「外婆が出席しやすいので」という理由が大変まっとうであるためだ、と解釈していた。 (それは間違いだったが、このときは知る由もないことだった。)

義鳥に下見に行く件は、夫から叔父に知らされ、叔父の娘であるところの従妹が私の案内役を買って出てくれていた。 名前はリンリン(仮名)と言うんだけれど、彼女は外国語学科志望の高校生で、英語を少し話す。 私には中国語の練習に、彼女には英語を話す練習になるので、前回会ったときから仲良くなれそうな気はしていた。 このが、夜便で義鳥に着く私の迎えを手配してくれることになっており、私はすっかり安心していた。
 
ツアーには、かねて里帰りを考えていたパパが同行してくれる手はずになっており、そのことは結婚式の件と合わせて、夫からハナ子に伝えられた。 ハナ子が同行すると言い出すのではないかと冷や冷やしていたが、幸い、その時期ハナ子には泊りがけの来客があり、「大変残念だが一緒に行ってやることは出来ない」とのことだった。 そんなことは勿論構わないというか大歓迎なのだが、出発を十日後に控え、そろそろチケットを買おうとしていた矢先、から電話が入ったのだった。

;「あのぅ、迎えに行く予定が変わりました。」
;「?」
;「杭州まで迎えに行きますから、杭州空港に降りてください。」
;「なんで杭州なの? 実家は駅に近いから、パパの迎えは要らないんだよ。 荷物も少ないし電車の方がラクだ。」
;「伯母(つまりハナ子)から電話があって、そうなりました。 シェン(もうひとりの従妹)が杭州空港を通って伯父(パパ)のおうちに行きます。 おねえちゃん(私)は空港でシェンに会って、伯父のうちに行って、それから夕方になったら義鳥に向かいます。」

リンリンと話していても埒はあかない。 パパに電話した。
ところが、リンリンと同じくらい埒があかない。
シェンは杭州に用事があるのか、とか、電車のチケット取れなかったの?と聞いても、誤魔化すばかりでさっぱり要領を得ない。

まあアレだ。
要するに、ハナ子が 「杭州素通りで、義鳥に行くなんて許さない!」と、ゴネているわけね。 私に挨拶させるためだけに、みんなの予定を変更させた、と。
腹立たしいけど、ここで杭州から逃げると、話がこじれそうだ。
気は進まないけど、行っておくか。

そうやって思いがけずひとりで訪れた杭州、暑かった。


                      北京発杭州経由義鳥の夏・中編へ続く。

ダック鬼嫁日記9「北京発杭州経由義鳥の夏・中編」

2006-03-02 | ㊥北京発杭州経由義鳥の夏
真夏の杭州は暑かったが、ハナ子はもっと熱かった。   

空港で無事に従妹のシェンにピックアップされた私。 
シェンは田舎の子とは到底思えない、繊細な顔立ちの美人だ。 今回は彼氏を連れてきていて、なにやらデートみたいな雰囲気。 私って邪魔よね~と思うが、彼氏は妙に愛想がいい。 察するに、そろそろシェンと結婚しようと思っているらしく、既に親族として私にも接してくれている様子。 
親しい態度をありがたく受け止め、殆ど筆談になってしまったけれど、会話を試みる。 どこで知り合ったのとか、どっちから、とかそういう。 年下だという彼氏、自分からだとやや恥ずかしそうに申告してくれた。
今日の予定を確かめると、矢張り、私をハナ子のところへ送り、その後彼らはデート・・・というか西湖のほとりで時間を潰し、夕刻私とパパを拾って義鳥に向かう、と。

パパ&ハナ子の家で、昼食となった。

ここで、杭州のいち一般家庭の食生活について。 
ここんちの食事(来客用)は、いつもほぼ同じもん。 そのうえ、余ったらそのまま食卓に置きっぱなしてまた食べる・・・。 
メニューは、出来合いの揚げ豚で作った砂糖ベタベタの酢豚、野菜炒め数種、鶉の卵醤油煮、雑穀かゆ。以上がハナ子作と思われる。 そして川魚の煮物2から3品、ゆでエビとショウガにんにくのタレがパパ作。 
味の方は、私はハナ子作の肉料理は好きではないが、それ以外は美味しい。 二人とも味の素は使わない主義なので、そのせいもあるかも。 ハナ子は炒めなどの瞬発力が必要な料理が得意、パパは手間ひまかけた魚料理が大得意。 性格が出ていると思う。 毎度毎度同じメニューだということを除けば、外で食べる中華よりも好きだ。 
しかしこの「いつも同じメニュー」の原因が問題。 ハナ子の場合は、そもそも料理好きではないのでレパートリーが少なく、同じもんしか作れないだけなのだが、実はパパは大の料理好き。 作ろうと思えば、1ヶ月毎日別の料理を作ることも出来るはず。 それが何故毎回同じ物を作るのか? 夫の説明によれば、
 ;「それはね、パパ側の親族が来たときと、ハナ子側の親族が来たときで、品数や原料が違うと、オレの親族を差別したなぁぁぁッ!!!・・・と、ハナ子がキレるから。 パパは自衛のためにいつも同じ物を作るの。」
うーむ・・・
杭州のいち一般家庭、ではないな。
メニューは一般的だけど、その裏に潜む事情が一般的ではない。

メニューの話はこれくらいにして、昼食会自体は、言うまでもなく微妙な空気に包まれていた。
シェンと彼氏も同席させられていたのだけれど、シェンはハナ子が大の苦手。 なぜならハナ子は、シェンが大卒ではないことを理由に、常日頃よりシェンの悪口を言いまくっているから。 勿論本人を前にしたら愛想よくしているけれど、そういうのってどっかから聞こえてしまうもんなのだ。
この「大卒か否か」というのが、ハナ子にとっては人間を判断する際に重要なポイントであるらしい。 端的に言えばハナ子は大卒でない人間が嫌い(但しハナ子実家の弟妹を除く)。 義弟のカノジョちゃん然り、シェン然り。 あろうことか、この私鬼嫁の実家の母までも。 言われたときは本当に殴ろうかと思ったけど、固そうだから止めた。 カノジョちゃんは日本語の専門学校に通って随分喋れるところまで勉強しているし、シェンは高校卒業以来家業の手伝いを経て自力で商売を立ち上げて軌道に乗っているし、どっちも立派なもんだと私は思うんだけど。 

食事の最中、ハナ子が私にしつこく「杭州に1泊しろ」という。 シェンもこうして迎えに来てくれたし、義鳥では式場見学や小叔叔への挨拶、マーケット見学など予定が詰まっているので駄目だ、というと、それでは日を改めて杭州に泊まりにくればいい、と言う。
ハナ子は何故に私を杭州に泊めたいのか。 それは、私にもしかとはわかりかねるけれど、おそらくはハナ子のなかのヘンな装置が作動して、「杭州=ハナ子義鳥=パパ親族」という構図になっている。 私に好かれているのはどっちか、という勝負。 ハナ子自身は人間の好き嫌いを激しくするくせに、自分だけは誰からでも好かれていたいらしい。
杭州は美しいので時間が取れたら来たいです、と普通に返事をすると、畳み掛けるように、「じゃあ帰りに杭州に泊まってけ、北京への戻りは延期しろ」と言う。 このとき、夫は出張中だったので、
私;「北京へ帰る予定の日には、も帰ってくるから駄目です。」(中国語)
;「じゃあいつ来るんだ、何月何日って約束していけ!
ハナ子、顔は笑ってるが、目と言ってることは相当に恐ろしい。 言質取られたら終いじゃ。
私;「でもはなかなかお休みが取れなくってですね、時間が出来たら、彼がまたおかあさんに電話しますから・・・」
「お前ひとりで来い。」
私;(校舎の裏にひとりで来い、みたいな響きだ・・・)「いやー、忙しいから、一人にしとくの可哀相で。 今の状態じゃ置いていけないから、日本にもロクに帰れないんですよ。」
;(カッ!と目を見開いて)「義鳥だったらいいのかッ!?」
私;「だから、彼は今出張中なので、家にいませんってば・・・」
;「じゃーオマエ、日本の実家の人間は杭州に来たことが無いだろう、来させなさい!」
私;「観光に来たいとは言ってましたけど、うちのおとーさんも忙しいしぃ・・・」
「ならかーちゃんだけでも来させなさい!」
なんでじゃ!・・・と言えなかった私。
すっかりと「杭州に来い!」モードに突入してしまったハナ子。 何があった。
私;「おとーさん一人にしては来られませんよーん。」
何故かここで割ってはいるパパ。
パパ;「日本人女性は一般的に一人で飛行機に乗るのがとても嫌いです。」
うっ・・・うそつき・・・
パパは何も、私を庇って発言してくれたわけではない。
ハナ子は機嫌が悪くなるとパパに八つ当たりするので、パパとしてはその前に何とか誤魔化そうとしているだけ。
パパは、いつ何時も、戦いを避け、守備に徹する。
専守防衛。
自衛隊か。

私としては、このまま顔色一つ変えずにハナ子とお話してても良かったんだけど。 だって、今回の義鳥ツアーは、好き嫌いとはまた別の目的があってのこと。 そのへんは、ハナ子にもわかって欲しい。
しかし面倒だったのでハナ子との会話をパパに任せ、私は黙って食べた。 

食後、シェンと彼氏はデートに行き、私は昼寝・・・しようと思ったのだが。
シェンが戻ってくるまでの数時間、私は眠ることも許されず(結局寝たけど)、ハナ子からの「外婆のところに立ち寄れ!」攻撃を受け続けていた。
義鳥と外婆の家は車で30分ほどなので、無過失の鬼嫁を目指す私としては、ぜひ立ち寄るべくおみやげも携えてきていたのではあったが、「時間を見て伺いますから」という私の答えが、ハナ子は気に入らないらしい。 何日の何時に行くんだ?としつこい。 そんなことを答えてしまうと、食事の用意くらいならまだしも、向こうに泊まれ、という話にもなりかねないので、明言は避けたいところ。
のらくら答えを避ける私に、ハナ子はイライラと詰め寄る。
でも、この前夜私は殆ど寝ておらず・・・というのも、おみやげをラッピングしていたから。 たかがおみやげと言ってもハナ子と、パパの弟妹と、外婆、つごう9軒分あるわけで、これを用意するのはなかなか大変なのだ。
ともかく、私は大変に眠たかった。
ハナ子と話している間にも、まぶたか落ちそうに重く感じられ、ついウトウト・・・
眠りかけると、ハナ子。

声が一瞬、暴力的に大きくなる。
引き戻されて、
「だから、外婆のところにもちゃんと伺いますってば。 式場の件とかいろいろ予定が立ったら、ちゃんと連絡して時間決めますから・・・」
;「何日の何時に行くんだ、はっきりさせろ! 杭州に泊まれ!」
・・・・・・
面倒くさくなって、無理やり寝ちゃったけど。
悪夢を見たのは、言うまでも無い。



                       北京発杭州経由義鳥の夏・後編に続く

ダック鬼嫁日記10「北京発杭州経由義鳥の夏・後編」

2006-03-01 | ㊥北京発杭州経由義鳥の夏
夫の実家で目覚めると、ハナ子は私が眠る前と同じ形で私を呪っていた。
私が眠っていたソファー(ちなみにリビングではなくて書庫件客間、もとの部屋)の横に小さな椅子を持ってきて座り、口の中でもごもごと何か言っている。  視線はここでないどこかに向けられ、浮遊中。
何を言っているのかは、杭州弁どころかハナ子実家の超マイナー方言なのでわからない。でも彼女が私を呪っていることだけはわかる。
怪談だよなと思いつつ、時計を見るともう夕刻。 3時間は経過している。
「疲れてたんだねえ、泊まっていくかい?」
シェンがそろそろ戻ってくるので、と言うと、
「そう。」  
ハナ子は笑った。 顔だけ。
夏だというのに私はとても寒かった。
 

ハナ子の手を逃れて、シェンの車で向かった義鳥。
義鳥市中心部に入る手前に辿り着いた時点で、既に夜の8時を過ぎていた。
シェンが農村料理をご馳走してくれる、という。
中国農村料理、どんなだろう・・・? 少しドキドキしたけれど、店はきれいで、ちょっとした居酒屋の雰囲気。 何故か入り口のところでインド人と思しきターバン巻いた兄さんが、薄いパリパリのクレープを作っていた。 北京の街角でも売っている「煎餅」ともちょっと違う。 食べたら卵の味がした。義鳥は田舎なのに、商売のためにやってきた外国人がとても多い。 コーヒーショップや外国の食品を売る店も多くて、美味しいところもあれば、妙にアレンジされて面白くなっているところもある。 後日シェンが「食べる?」と差し出してくれたシュークリームには、甘いクリームの上に、肉松という、豚肉を干してぱらぱらの繊維にほぐしたものが乗っていた。 さすがに遠慮させていただいたけれど、シェンは美味しいと言う。 「フランス菓子屋だけど台湾人が経営している店のクリーム・パフ」だそうだ。 いいけど美味しいのなら、なんでも・・・

インド人がいる農村料理屋にて、オーダーしてくれたのは地鶏料理二品、見たこともない野菜の炒め、漬物、それに排骨など。 味付けはしょっぱくて、労働者向けな感じだったけれど、野菜の風味が良く、何より地鶏が美味しかった。 義鳥人は鳥が大好きなのだそうだ。 各家庭でもよく鳥を飼っている。 時々潰して食べる。 例の病気が怖い、と少し思ったら、夫曰く、「鳥インフルエンザなんて昔からよくあるんだよ、最初の鳥が発症した時点で、飼っている全ての鳥を焼却処分してしまえば大丈夫。」ギャー!大丈夫じゃないから、野鳥などは焼却出来ないから現在大問題になってるんだと思うけど・・・。 まあこの件に関しては、自らの幸運を祈ろうと思う。

その日はホテルに泊まった。 ホテルまでリンリンを初めとする、近くに住んでいる従弟妹が来てくれて、おしゃべりしてから就寝。 リンリンはイギリスに短期留学したことがあって、そのせいもあって外国暮らしや外国人に興味津々。 会うのはこのときで2度目だったけれど、すぐに打ち解けて、滞在中はずっと一緒に居てくれた。 「外国の大学に入りたいけれど、短期留学でさえも凄くお金がかかったから、大学には行けないの。 でも大学生になったら、奨学金を貰うんだ。」という彼女は、私の高校時代とは比べ物にならない「実践的な」英語学習を自主的に続けている。 ただでさえ大変な高校の授業と補修をこなし、まだオカワリしてるんだから大したもの。 昼間私と遊び、帰宅して勉強し、それでも毎朝毎朝、かっちり7時30分に私を起こしに来てくれて、パパも一緒に、毎日違う中華朝ごはんを食べさせてくれた。 

翌日以降、親戚の家、おばあちゃんのお墓参り、式場の見学、マーケット見学、パパの60歳記念パーティーの打ち合わせ(これはパパに内緒)、それからハナ子実家への挨拶と忙しく過ごした。 疲れたけれど、この数日間は、中国に住み始めて以来、最も楽しい日々でもあった。
地元の人間が、名産品・オススメの場所などを教えてくれると、中国に対する見方も変わる。 叔母たちの家では、各種伝統料理の作り方を教わった。 昔おばあちゃんが作っていたと言うロービン(小麦粉餅に挽肉と韮を練りこんだもの)や、マントウ(中身無しまんじゅう)やバオズ(肉まんあんまんみたいな中身入り)、揚げ物、蒸し物、川魚の炒め煮などなど。 毎晩それらのお料理を囲んで、自家製のお酒を飲んで過ごした。 感心したのは、同じお料理は2度とは出なかったことだ。 

私が普段北京に住んでて、今一つ楽しめないで過ごしているのは、身近に夫の親戚や友達があまりいないせいもあると思う。 夫が北京人だったらよかったのかも、と思うこともある。 その場合ハナ子も近くに来てしまうので、悩むところではあるけれど。

概ね滞りなく済んだ義鳥ツアー。
マーケット見学をしていたときに、少々驚いたことがあった。ふたつ。
ひとつめは、トイレがミゾだったこと。 全てのマーケットではなくて、古いマーケットの中にあっただけなんだけど・・・
ふたつめは、パパに「何か欲しいものはある? におこづかいたくさん貰ってるから、遠慮無しだよ!」と言った際、パパが何故か私を婦人用品売り場に押しやり、やんわりとハナ子へのみやげを買わせようとしたこと。


これはちょっと悩んだ。
パパは明らかにハナ子のご機嫌を取ろうとしている。
勿論シュウトメにプレゼントを買うくらい、なんてことはないし、それ自体は普通のことなんだけど、何もパパからそう仕向けなくてもいいではないか。 パパのプレゼントを買って、じゃあママにも何か、というのが自然な流れではないだろうか。

パパは、すごく優しくていいひとなのだけれど、ハナ子の機嫌を取りすぎる。
何の悪いことをしたわけでもなく、ハナ子に一方的に怒られ、時に暴力をふるわれ、共働きなのに給料をハナ子に取られ、いつも慎ましく暮らしている。 家事も、来客の無い限り、殆どをパパが担当している。 いくら南方では女が強いとは言え、これは極端ではないだろうか。
勿論、どのような夫婦関係を築こうと、それは当人同士の問題であって、嫁如きが口を出すところじゃないから、何も言わないけど。

プレゼント、どうしよう。
心のこもらない、どうでもいい機嫌取りのプレゼント。
嫌だな。

結局、買わなかった。
後ほど、一緒に過ごしてくれたパパへのお礼として、家族で食べられるものでも送ればいい。 気持ちの無い品をただ渡すより、よっぽどいい。

帰り際、杭州の空港にて。
リンリンは義鳥でお別れし、シェンと、別の従弟と、パパに送られて、搭乗口に向かった際。 時間はかなりギリギリだった。 直前まで、従弟妹と、辛い魚の石鍋ランチ(水煮魚系の食べ物だけど、あれよりまだ美味い)を楽しんでしまったため。
私は走っていた。
もう間に合わないかも!!!と焦っていた。
それなのに、ああそれなのに。
パパはここでも、「おかあさんに挨拶!」と携帯電話を取り出す。
挨拶はいいんだけど、時間が無い。
しかしこれを断るのもどうかと思ったので素直に電話する、が、ハナ子は電話を取らず。
ついてから、ハナ子に電話をかけるとパパに約束して、私は北京へ。

帰宅後、シェンとリンリンにありがとうの電話。
パパにもありがとうの電話。 ここでハナ子にも挨拶。
いちおう、「無事に着きました、どうもありがとう!」と。
;「外婆の家に行ってくれてありがとう! 外婆はとても喜んでいた! ところでおまえ、杭州にはいつくるんだ?来月か?
義鳥はどうだった? というごく普通の言葉は、彼女からは聞けないらしかった。
杭州での会話と差不同にしばらく話し、夫が帰ってきたらまた電話するから、と会話終了。

ハナ子は何故、私の義鳥行きをあんなにも嫌っていたのか。
その謎が解けるのは、まだ先のことだった。

                        北京発杭州経由義鳥の夏 了。