「ご実家ツアー」終了後、私たちは北京に戻った。
帰路、私はカノジョちゃんに言ってしまった「ハナ子との生活が大変だった話」がやや気になっていた。
事実を述べたまでだけど、マズかったかしら。
夫に、その話をしてみる。
「えっ、そんなこと言っちゃったの?」
私;「うん、言っちゃった。 でもさあ、カノジョちゃん、同居問題で結婚悩んでるんでしょ。 私がウソこいて同居楽勝!とか言ったら、彼らが同居に踏み切った後、恨まれるのは私だよ。」
「まあ確かにね。」
私;「あとさあ、ハナ子超・ポジティブに‘嫁とは超仲良しで’って態度取って、北京にまで攻めてこようとしているでしょ。内心絶対不満あるくせに・・・。 1ヶ月くらいならいいけどさ、それ以上は厳しい。 苦手だってことを公式に表明したいな、直接対決以外の方法で。」
シドニーで同居し始めた当初は、ハハが居て何が悪いの?、という感じだった夫。 ハナ子が勝手に滞在期間を延ばした後になると、自ら「無理があったよね」という発言を繰り返すようになっていた。
親との同居。 それが当たり前であるのか、否か。
いろんな考え方があると思うけれど、私は状況次第だと思う。
家族なのだから、もしどちらかが経済的身体的に困っているのなら、考慮すべきだし。
おうちの広さや家族それぞれの性格、そのときの生活にもよる。
色々考えた結果、ハナ子との同居は、必要に迫られない限り現状ではNGとでた。 ちなみにパパは大丈夫。 たぶん。
このように、はっきりNO!と言ってしまうことが良い事とは思わない。 でも、同居したらストレスで私が家を飛び出しかねない。
私にも弟がいる。 将来弟にお嫁さんが来て、実家の母を嫌ったら? いい気分はしないと思う。 でも、母はそもそも同居を望んだりしないし、都合で同居することになっても、ちゃんと気遣いすると思う。 息子夫婦の部屋に勝手に入ったりしないだろうし、外出に無理やりついてきたりもしないだろう。その他にもいろいろ。
ハナ子はチュ-ゴク人であるがゆえに、私の生活を土足で踏み荒らすような自分勝手なんだろうか。 私の直接知っているハナ子以外の中国人は大方まともなので違うとは思う。そもそも違う国の人間と結婚している以上、何々人だから、と考えることに意味は無いとも思う。 別に「中国人だから」結婚したわけではないし、結婚しなかったわけでもない。 それだけのこと。 全て問題は個人レベルの話であって、中国人一般に拡大すべきではない。 個別具体的な検討が望まれる。
とはいえ、見渡せば、私の知り合い出ない、‘話に聞くところの’大方の中国人は「親と同居は、何が何でもどんな親でも当然です」というような考えを持っているような気がする。 多数派の意見は、個人のなかで「当然の権利」に化けてしまう。
うちの亭主は、「親だから、甘く見なければならない」という考えを持ってはいるものの、私の「何故ハナ子が嫌いなのか」に耳を傾けることはしてくれたし、合理的な判断をも下してくれた。 私はラッキーだと思うべきであろうか。
その、合理的な判断によれば、「現状での(2ベッドだけど広くは無い、言葉の問題大有り、ハナ子鬼ワガママ)同居はムリ、短期訪問は‘母なんだから’我慢すべし」だった。 「将来、状況が変わって、ハナ子が困っていたら、多少キビシクても同居になってしまうかもしれない。 そうならないように努力はするが、なったら受け入れてね」とは言われていたけれども。 そのような状況になれば、さすがに断ったり出来ない。
冒頭の会話に戻るけれど、
「ウチのおかあさんとオフィシャルに不仲になるのは、難しいと思うよ。 おかあさんにしてみれば、俺たちと仲良くしているほうが何かと得だから。」
私;「あ、やっぱり?(実母の話だっつーに、冷静だなあ)」
「うん。 まあ、‘ハナ子我儘’発言は、カノジョちゃんから聞かれたからしょうがないとして、今後は表現に気をつけるように。 たぶん弟はちょっと気を悪くしたと思う。 マザコンだから。」
私;「へーい。 了解しましたぁ。」
そんな会話をうっかり発言に対する心の後始末として、私はしばしハナ子を忘れて過ごした。 その頃は北京にもまだ慣れず、買い物スポットを学習したり、タクシー・買い物用語に苦戦したり、毎日大変だったのだ。 夫にしても、転勤直後で勝手がわからず、忙しく、ガイジン妻をサポートしている場合ではなかった。
私の頭の中に再びハナ子が現れたのは、入籍のとき。 夫は上海籍(杭州出身だけど、大学が上海だったから上海籍。 中国のシステムは不思議。)なので、結婚するためにわざわざ上海に行かなければならなかった。 自分でも忘れがちだけど、中国に辿り着いた時点で、私はまだ独身だったわけだ。 書類の上では。
息子と娘が結婚するというのに、お互いの両親同士はまだ顔を合わせたことがなかった。 国が違う上に、少し前まで私たちは日本でも中国でもないところにいたんだから、仕方が無いのであるけれど。 実家の父は、「中国まで出かけるから、
のご両親に挨拶する場を設けなさい。 ネコの仔じゃあるまいし、ハイソーデスカとやれるか!」と主張。 私としては、相手の家に嫁ぐ気は無かった。 結婚して家庭を作り、お互いの実家も家族として出来る範囲で大切にするつもりだった。 両者は似ているようでいて、優先順位がまるで違う。うちの父にしたところで、まさかこの娘が旧来の意味で嫁ぐ、とは夢にも思っていなかったはず。 だから父の発言は言葉のあやだ。
それはともかく、せっかく日本の両親がエアチケット代と時間を使って来てくれると言うのだから、ありがたくその好意を受け取ることにした。 その時点で結婚式をしようとは思っていなかったし、両親たちが顔を合わせる機会は滅多に無い。
仕事の休みや、結婚登録所の営業日、男たちの休暇の状況を見て、入籍の日を選んだ。 上海の結婚登録所は一日おきの営業。 好きな日・時間を選んで入籍できる日本が夢のようだ。
なにか私たちにとって意味のある、良い日を選んで入籍したかった。 近い日の中では、双方の母と、夫のナイナイ(父方の祖母)の誕生日があった。 私はハナ子の誕生日だけは避けたく思ったが、口に出すまでも無く、結婚登録所の休みの日にあたっていた。 それで私はナイナイの誕生日が良いと言い、夫はうちの母の誕生日を推してくれたが、「ナイナイにとっては西暦の誕生日はあんまり意味がないから」ということで、私の母の誕生日になった。 その日が、中国的に良い数字だったこともある。 言うまでも無く、‘入籍日=私の母の誕生日’はハナ子には内緒。
日取りも決まり、エアチケット・ホテルの予約、実家への連絡、レストラン選びなど、それら費用の計算など、それなりに忙しく過ごした。
私たちが何かするときは、ナゼかいつも夫の仕事が立て込んでしまい、楽しいというよりも忙しくなってしまう。 いつも無我夢中。
続
帰路、私はカノジョちゃんに言ってしまった「ハナ子との生活が大変だった話」がやや気になっていた。
事実を述べたまでだけど、マズかったかしら。
夫に、その話をしてみる。

私;「うん、言っちゃった。 でもさあ、カノジョちゃん、同居問題で結婚悩んでるんでしょ。 私がウソこいて同居楽勝!とか言ったら、彼らが同居に踏み切った後、恨まれるのは私だよ。」

私;「あとさあ、ハナ子超・ポジティブに‘嫁とは超仲良しで’って態度取って、北京にまで攻めてこようとしているでしょ。内心絶対不満あるくせに・・・。 1ヶ月くらいならいいけどさ、それ以上は厳しい。 苦手だってことを公式に表明したいな、直接対決以外の方法で。」
シドニーで同居し始めた当初は、ハハが居て何が悪いの?、という感じだった夫。 ハナ子が勝手に滞在期間を延ばした後になると、自ら「無理があったよね」という発言を繰り返すようになっていた。
親との同居。 それが当たり前であるのか、否か。
いろんな考え方があると思うけれど、私は状況次第だと思う。
家族なのだから、もしどちらかが経済的身体的に困っているのなら、考慮すべきだし。
おうちの広さや家族それぞれの性格、そのときの生活にもよる。
色々考えた結果、ハナ子との同居は、必要に迫られない限り現状ではNGとでた。 ちなみにパパは大丈夫。 たぶん。
このように、はっきりNO!と言ってしまうことが良い事とは思わない。 でも、同居したらストレスで私が家を飛び出しかねない。
私にも弟がいる。 将来弟にお嫁さんが来て、実家の母を嫌ったら? いい気分はしないと思う。 でも、母はそもそも同居を望んだりしないし、都合で同居することになっても、ちゃんと気遣いすると思う。 息子夫婦の部屋に勝手に入ったりしないだろうし、外出に無理やりついてきたりもしないだろう。その他にもいろいろ。
ハナ子はチュ-ゴク人であるがゆえに、私の生活を土足で踏み荒らすような自分勝手なんだろうか。 私の直接知っているハナ子以外の中国人は大方まともなので違うとは思う。そもそも違う国の人間と結婚している以上、何々人だから、と考えることに意味は無いとも思う。 別に「中国人だから」結婚したわけではないし、結婚しなかったわけでもない。 それだけのこと。 全て問題は個人レベルの話であって、中国人一般に拡大すべきではない。 個別具体的な検討が望まれる。
とはいえ、見渡せば、私の知り合い出ない、‘話に聞くところの’大方の中国人は「親と同居は、何が何でもどんな親でも当然です」というような考えを持っているような気がする。 多数派の意見は、個人のなかで「当然の権利」に化けてしまう。
うちの亭主は、「親だから、甘く見なければならない」という考えを持ってはいるものの、私の「何故ハナ子が嫌いなのか」に耳を傾けることはしてくれたし、合理的な判断をも下してくれた。 私はラッキーだと思うべきであろうか。
その、合理的な判断によれば、「現状での(2ベッドだけど広くは無い、言葉の問題大有り、ハナ子鬼ワガママ)同居はムリ、短期訪問は‘母なんだから’我慢すべし」だった。 「将来、状況が変わって、ハナ子が困っていたら、多少キビシクても同居になってしまうかもしれない。 そうならないように努力はするが、なったら受け入れてね」とは言われていたけれども。 そのような状況になれば、さすがに断ったり出来ない。
冒頭の会話に戻るけれど、

私;「あ、やっぱり?(実母の話だっつーに、冷静だなあ)」

私;「へーい。 了解しましたぁ。」
そんな会話をうっかり発言に対する心の後始末として、私はしばしハナ子を忘れて過ごした。 その頃は北京にもまだ慣れず、買い物スポットを学習したり、タクシー・買い物用語に苦戦したり、毎日大変だったのだ。 夫にしても、転勤直後で勝手がわからず、忙しく、ガイジン妻をサポートしている場合ではなかった。
私の頭の中に再びハナ子が現れたのは、入籍のとき。 夫は上海籍(杭州出身だけど、大学が上海だったから上海籍。 中国のシステムは不思議。)なので、結婚するためにわざわざ上海に行かなければならなかった。 自分でも忘れがちだけど、中国に辿り着いた時点で、私はまだ独身だったわけだ。 書類の上では。
息子と娘が結婚するというのに、お互いの両親同士はまだ顔を合わせたことがなかった。 国が違う上に、少し前まで私たちは日本でも中国でもないところにいたんだから、仕方が無いのであるけれど。 実家の父は、「中国まで出かけるから、

それはともかく、せっかく日本の両親がエアチケット代と時間を使って来てくれると言うのだから、ありがたくその好意を受け取ることにした。 その時点で結婚式をしようとは思っていなかったし、両親たちが顔を合わせる機会は滅多に無い。
仕事の休みや、結婚登録所の営業日、男たちの休暇の状況を見て、入籍の日を選んだ。 上海の結婚登録所は一日おきの営業。 好きな日・時間を選んで入籍できる日本が夢のようだ。
なにか私たちにとって意味のある、良い日を選んで入籍したかった。 近い日の中では、双方の母と、夫のナイナイ(父方の祖母)の誕生日があった。 私はハナ子の誕生日だけは避けたく思ったが、口に出すまでも無く、結婚登録所の休みの日にあたっていた。 それで私はナイナイの誕生日が良いと言い、夫はうちの母の誕生日を推してくれたが、「ナイナイにとっては西暦の誕生日はあんまり意味がないから」ということで、私の母の誕生日になった。 その日が、中国的に良い数字だったこともある。 言うまでも無く、‘入籍日=私の母の誕生日’はハナ子には内緒。
日取りも決まり、エアチケット・ホテルの予約、実家への連絡、レストラン選びなど、それら費用の計算など、それなりに忙しく過ごした。
私たちが何かするときは、ナゼかいつも夫の仕事が立て込んでしまい、楽しいというよりも忙しくなってしまう。 いつも無我夢中。
続