北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

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ダック鬼嫁日記4「上海ご入籍ツアー・前編」

2006-02-20 | ㊥上海入籍ツアー
「ご実家ツアー」終了後、私たちは北京に戻った。
帰路、私はカノジョちゃんに言ってしまった「ハナ子との生活が大変だった話」がやや気になっていた。 
事実を述べたまでだけど、マズかったかしら。
夫に、その話をしてみる。
「えっ、そんなこと言っちゃったの?」
私;「うん、言っちゃった。 でもさあ、カノジョちゃん、同居問題で結婚悩んでるんでしょ。 私がウソこいて同居楽勝!とか言ったら、彼らが同居に踏み切った後、恨まれるのは私だよ。」
「まあ確かにね。」
私;「あとさあ、ハナ子超・ポジティブに‘嫁とは超仲良しで’って態度取って、北京にまで攻めてこようとしているでしょ。内心絶対不満あるくせに・・・。 1ヶ月くらいならいいけどさ、それ以上は厳しい。 苦手だってことを公式に表明したいな、直接対決以外の方法で。」
シドニーで同居し始めた当初は、ハハが居て何が悪いの?、という感じだった夫。 ハナ子が勝手に滞在期間を延ばした後になると、自ら「無理があったよね」という発言を繰り返すようになっていた。

親との同居。 それが当たり前であるのか、否か。 
いろんな考え方があると思うけれど、私は状況次第だと思う。
家族なのだから、もしどちらかが経済的身体的に困っているのなら、考慮すべきだし。
おうちの広さや家族それぞれの性格、そのときの生活にもよる。
色々考えた結果、ハナ子との同居は、必要に迫られない限り現状ではNGとでた。 ちなみにパパは大丈夫。 たぶん。
このように、はっきりNO!と言ってしまうことが良い事とは思わない。 でも、同居したらストレスで私が家を飛び出しかねない。
私にも弟がいる。 将来弟にお嫁さんが来て、実家の母を嫌ったら? いい気分はしないと思う。 でも、母はそもそも同居を望んだりしないし、都合で同居することになっても、ちゃんと気遣いすると思う。 息子夫婦の部屋に勝手に入ったりしないだろうし、外出に無理やりついてきたりもしないだろう。その他にもいろいろ。

ハナ子はチュ-ゴク人であるがゆえに、私の生活を土足で踏み荒らすような自分勝手なんだろうか。 私の直接知っているハナ子以外の中国人は大方まともなので違うとは思う。そもそも違う国の人間と結婚している以上、何々人だから、と考えることに意味は無いとも思う。 別に「中国人だから」結婚したわけではないし、結婚しなかったわけでもない。 それだけのこと。 全て問題は個人レベルの話であって、中国人一般に拡大すべきではない。 個別具体的な検討が望まれる。

とはいえ、見渡せば、私の知り合い出ない、‘話に聞くところの’大方の中国人は「親と同居は、何が何でもどんな親でも当然です」というような考えを持っているような気がする。 多数派の意見は、個人のなかで「当然の権利」に化けてしまう。

うちの亭主は、「親だから、甘く見なければならない」という考えを持ってはいるものの、私の「何故ハナ子が嫌いなのか」に耳を傾けることはしてくれたし、合理的な判断をも下してくれた。 私はラッキーだと思うべきであろうか。

その、合理的な判断によれば、「現状での(2ベッドだけど広くは無い、言葉の問題大有り、ハナ子鬼ワガママ)同居はムリ、短期訪問は‘母なんだから’我慢すべし」だった。 「将来、状況が変わって、ハナ子が困っていたら、多少キビシクても同居になってしまうかもしれない。 そうならないように努力はするが、なったら受け入れてね」とは言われていたけれども。 そのような状況になれば、さすがに断ったり出来ない。

冒頭の会話に戻るけれど、
「ウチのおかあさんとオフィシャルに不仲になるのは、難しいと思うよ。 おかあさんにしてみれば、俺たちと仲良くしているほうが何かと得だから。」
私;「あ、やっぱり?(実母の話だっつーに、冷静だなあ)」
「うん。 まあ、‘ハナ子我儘’発言は、カノジョちゃんから聞かれたからしょうがないとして、今後は表現に気をつけるように。 たぶん弟はちょっと気を悪くしたと思う。 マザコンだから。」
私;「へーい。 了解しましたぁ。」

そんな会話をうっかり発言に対する心の後始末として、私はしばしハナ子を忘れて過ごした。 その頃は北京にもまだ慣れず、買い物スポットを学習したり、タクシー・買い物用語に苦戦したり、毎日大変だったのだ。 夫にしても、転勤直後で勝手がわからず、忙しく、ガイジン妻をサポートしている場合ではなかった。

私の頭の中に再びハナ子が現れたのは、入籍のとき。 夫は上海籍(杭州出身だけど、大学が上海だったから上海籍。 中国のシステムは不思議。)なので、結婚するためにわざわざ上海に行かなければならなかった。 自分でも忘れがちだけど、中国に辿り着いた時点で、私はまだ独身だったわけだ。 書類の上では。

息子と娘が結婚するというのに、お互いの両親同士はまだ顔を合わせたことがなかった。 国が違う上に、少し前まで私たちは日本でも中国でもないところにいたんだから、仕方が無いのであるけれど。 実家の父は、「中国まで出かけるから、のご両親に挨拶する場を設けなさい。 ネコの仔じゃあるまいし、ハイソーデスカとやれるか!」と主張。 私としては、相手の家に嫁ぐ気は無かった。 結婚して家庭を作り、お互いの実家も家族として出来る範囲で大切にするつもりだった。 両者は似ているようでいて、優先順位がまるで違う。うちの父にしたところで、まさかこの娘が旧来の意味で嫁ぐ、とは夢にも思っていなかったはず。 だから父の発言は言葉のあやだ。

それはともかく、せっかく日本の両親がエアチケット代と時間を使って来てくれると言うのだから、ありがたくその好意を受け取ることにした。 その時点で結婚式をしようとは思っていなかったし、両親たちが顔を合わせる機会は滅多に無い。 

仕事の休みや、結婚登録所の営業日、男たちの休暇の状況を見て、入籍の日を選んだ。 上海の結婚登録所は一日おきの営業。 好きな日・時間を選んで入籍できる日本が夢のようだ。

なにか私たちにとって意味のある、良い日を選んで入籍したかった。 近い日の中では、双方の母と、夫のナイナイ(父方の祖母)の誕生日があった。 私はハナ子の誕生日だけは避けたく思ったが、口に出すまでも無く、結婚登録所の休みの日にあたっていた。 それで私はナイナイの誕生日が良いと言い、夫はうちの母の誕生日を推してくれたが、「ナイナイにとっては西暦の誕生日はあんまり意味がないから」ということで、私の母の誕生日になった。 その日が、中国的に良い数字だったこともある。 言うまでも無く、‘入籍日=私の母の誕生日’はハナ子には内緒。

日取りも決まり、エアチケット・ホテルの予約、実家への連絡、レストラン選びなど、それら費用の計算など、それなりに忙しく過ごした。 

私たちが何かするときは、ナゼかいつも夫の仕事が立て込んでしまい、楽しいというよりも忙しくなってしまう。 いつも無我夢中。


                                       続
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ダック鬼嫁日記5「上海ご入籍ツアー・中編」

2006-02-16 | ㊥上海入籍ツアー
上海入籍ツアーは、果たしてほんとに結婚できるんかいな、ていうかしていいんか? というかなり今更な不安を抱えつつ、決行された。

双方の両親が一緒であること、入籍前日が、ハナ子の旧暦の誕生日であることから、ここはひとつ張り込んで! 五つ星、虹橋のマリオットにしてみた。ちなみに私のお気に入りホテルは二つ星、外灘の浦江飯店である。 但し名人房だけど。

当日、私たちが一番に上海につき、チェックイン。 夫は、仕事仲間がホテルに訪ねてくるというので、さっさとロビーに行ってしまう。 
2時間後、ハナ子&パパ到着。 部屋でまったりとNHKを楽しんでいた私の携帯にお呼び出しが。 急いでフロント前に。 途中でケーキブッフェをたらふく食す夫と仕事仲間氏を見かける。 30男が二人でなにをやっているのか。 でも、幸せそうだ。 ケーキと30男×2の3ショット。 

フロントにて、私は絶句した。 ハナ子のいでたちに。
ハナ子はもともと、前方がオバちゃんパーマ、後頭部カリアゲという、味わい深いヘアースタイルなんだが、更にこの日は‘福’の字も鮮やかな赤ジャケット、スカートもインナーもハンドバックも靴までも赤、更にキッパリ緑色のお買い物バックこれはオーストラリア製で、某ウールワースというスーパーのショボい布バックなんだけど、それにビニール袋をいくつか携えている。 私がベルボーイだったら、入り口で止めるかな。 迷うなぁ。

ハナ子は私を見て微笑んだ。「げへっ。」そして何か言う、小さくなっていたパパが通訳する「今回は私の誕生日のためにわざわざ上海まで来てくれてありがとう」、悪いがこの旅行は私たちの入籍ツアーだ! 

挨拶もそこそこに、私はチェックインを素早く済ませるべく、フロントへ誘導。 身分証の提示と共にクレジットカードを要求される。 パパが私の顔を見る。支払いは後で夫がまとめてするけれど、ホテルは泊まるときにクレジットカードの提示を要求するもんなのよ、と説明。 私のカードはそのときちょうど切れていたので、パパが自らのカードを出そうとするのに任せる、するとハナ子がすごい勢いで押し留める。 訛りのキツイ中国語だけど、聞かなくてもわかる。 「カード出して払わされたらどうすんのよ」とかなんとか言ってるんだ。 
パパ;「後でが払ってくれるって説明しているんですけれど、おかあさんがクレジットカードを出すのが不安なので・・・」(原文ママ)
不安ってどういう意味だよ、と内心毒づきつつ、私は笑顔で答える、「じゃ、呼んできます。 人と一緒なんでちょっと時間かかるかも。 座って休んでてくださいね」とかなんとか。 私はハナ子のこういうところが本当に理解できないし、嫌い。 夫は、大学の3年生以後は基本的に独立していて、ご祝儀の類以外は親からお金なんて貰っていない。 1日15時間も勉強して素早く日本語を覚え、高校卒業までにかなり仕上げてあった英語と併用して、通訳やガイドをずいぶんしたのだという。 言葉は、短時間のアルバイトで稼ぐなら確かに一番割りがいい。 就職してからは、親にかなりのおこづかいをあげてもいるはずだ。 私みたいな甘えた大馬鹿娘の親ならともかく、夫の親がこの態度って、どうかと思う。

ムカムカ!と怒りつつ、夫を呼びに行く。 仕事仲間氏は私の姿を見ると察した様子で、すぐに席を立ってくれた。 私にハグとおめでとうをくれた後、礼儀正しいその方はハナ子&パパにも挨拶を下さり、ハナ子の印象的な姿にも動じることなく、帰っていった。

そして夜。 実家の父は忙しく、母と共に最終便で上海についた。

空港まで私と夫が迎えに行き、ホテルのバーにて顔合わせとなる。 母がハナ子を見る視線に動揺の色があるのが、娘にはわかった。 それでも、パパが日本語を話すことに大いに助けられ、先ずは和やかなスタート。 スナックと飲み物をとりつつ、私と夫のこと、日本のこと、中国のことを話す。 ハナ子には、パパと夫が交代で通訳していた。 それから、プレゼント交換。 このあたりで父親二人の話は大いに盛り上がり、というか私の父は喋り好き、社交的な性格なんだけど・・・一時的に、ハナ子に対する通訳が手薄になった。 ハナ子は自分だけが会話に参加できないのが我慢できないらしく(普段だったら、ハナ子の前で日本語メインで話すだけでキレてしまう)、いちいちパパを突っつく。 パパは私の両親の手前か、日本滞在時代の思い出話に花が咲きすぎたせいか、ハナ子に突っつかれても生返事。 そこでハナ子のスイッチが入った、ぷちっ!

ハナ子は突如としてスックと立ち上がり、私の両親を見据えた!何だ何が起こるんだ、身構える私たちを他所に、ハナ子は宣言する。
「うちの息子は本当に優秀なんです、私の教育のおかげです!」(当然中国語)

私;「(ハナ子発言、私にもわかったので両親に通訳する)。でも普通言わないよね初対面の嫁の親に向かって。」
「だから訳さないでいいよ、恥ずかしい。」
私の母(ハナ子から目を離せなくなりつつ);「それは素晴らしいことですね、おかあさまのおかげで息子さんが優秀なんですね、って訳して。」
夫、通訳する。
ハナ子、操り人形の糸が切れたように着席する。

なんだか鬼気迫るように恐ろしい一幕だった。 
ウチの父が乾いた声で「本当に優秀な息子さんで」、パパも「優秀な娘さんで」、取ってつけたような会話をしている。 結婚に反対しているわけでもない双方の両親の会話って、普通は相手を誉めあうもんだよな、と私は思う。
ハナ子も正気に戻ったのか、今度は突然私を誉めてくれた。
ハナ子;「娘さんは料理が上手で。 私、シドニーで4キロ太ったんですよ」(←この発言は後々重要なので、憶えておいて頂きたい)

その後は、差し当たって問題もなく、まあ和やかにお開きとなった。
翌日はハナ子の誕生会を兼ねた食事会、翌々日が入籍の運びとなっていたのだが・・・

                                       続
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ダック鬼嫁日記6「上海ご入籍ツアー・後編」

2006-02-15 | ㊥上海入籍ツアー
食事会は昼だった。
なぜならパパ&ハナ子が入籍まで待たず帰ることになっているから。 パパの仕事の都合だ。 入籍の日は月曜日で、学校で教えているパパは授業を休めないという。 休講にしてしまえばいいところを、真面目な性格なので出来ないということ。 後になって考えると、パパはハナ子とうちの両親が顔を合わせる時間を減らそうとしていたのかもしれない。

食事会の前、双方の両親に朝の挨拶を言いに行き、パパ&ハナ子からご祝儀をいただいた。 赤い、中国のご祝儀袋に入っている。 私と夫にひとつづつ。 このとき彼らは、パパが一袋用意し、ハナ子がもう一袋を用意したと言った。

このときは、とても感謝して受け取った。 気持ちが嬉しかった。

後に私は、ハナ子が「あいつら金持ってるんだから、渡さなくていいんだ!」と叫び、普段は瞑想中の羊よりも大人しいパパと大喧嘩をしたということを、パパの口から聞くことになる。 お金を用意してくれたのも、もちろんパパだけだ。 それも長い年月かかって貯めたお金に違いない。

食事会に行く前に、何故かホテルロビーで撮影会が始まる。 勿論ハナ子がカメラを持ち出した。 私はその日、スーツを着ていたんだけど、いつもはしないスカーフも巻いていた。 それは、ハナ子が私にくれた杭州シルクだった。 このときは、ハナ子のことを「我儘なシュウトメ・要注意人物」と認識してはいたものの、まだ「それでもウチの亭主の母親は母親なのだ」と認めていたから、嫁として気を遣って見につけたというわけ。

ジャケットのなかに隠れている部分が多く「差し色」という扱いだったスカーフ。 写真撮影の際、ハナ子は私にツカツカ歩み寄ると、スカーフを引っ張り出し、「オレがくれてやったんだから、よく見えるようにショールのように巻け!」と命じた。

撮影会の後は、やっと食事会。 タクシーに分乗して、「徐家私菜精作坊」へ。 
やや渋滞しつつも無事に着き、店内へ。 
ハナ子、コートも取らずに着席。 ハナ子以外が「きれいなお店ね」とか「上海料理?」とか喋っているのにも関わらず、なぜかハナ子は宙を睨んで動かない。 日本語トークに怒っているなら、すぐにパパをアタックするはずだが・・・?
ともあれ、全員着席して紹興酒で乾杯。 古越龍山の10年もの。 日本では驚くほど高く売っているけれど、上海では安い。 北京ではあんまり見ない。 北方の人はあまり黄酒を飲まないらしい。

乾杯は、「はじめまして」でも「結婚おめでとう」でもなく、「ハナ子誕生日おめでとう!」からスタートした。 中国では何度も乾杯するので、後から他の事柄も乾杯されたけど。

丁寧な仕事の施されたきれいなお料理が並んでも、ハナ子コートを取らず、宙を睨むのはやめたけれど、なんか様子がヘン。 見かねて、「ママ、暑くない? 冷たい飲み物いる?」とかなんとか言ってみる。 ハナ子は「1枚脱ぐから平気」。 コート脱いだ。

食事は、前日の顔合わせ並みには首尾よくいった。 つまりハナ子は食事の間中、少なくとも5回は「うちの息子はとても優秀で、それはひとえに母親である私のおかげなんです!」と言っていた。 立ち上がりはしなかったが。 そんなことを除けばまあまあ和やかに、特に父親同士の話ははずんでいたと思う。

私は両親に対し、以下の2点を丁重にお願いしてあった。
1.入籍日が私の母の誕生日であることはハナ子には内緒。
2.パパが日本に滞在していた2年間、「ハナ子も遊びに行ったの?」と訊いてはいけない。
パパはハナ子を日本に呼び寄せることなく中国に帰国し、彼らはそのことで今でも喧嘩しているから。

食事会の成功は、とりあえずこの2点にかかっていた、と言っていい。

そして食事が終わり、店の前での撮影会も済んで。(スカーフはやはりショール巻き)
ホテルに一旦戻り、パパたちは杭州に戻っていった。

駅に向かう彼らのタクシーを見送りながら、私の父親は「俺だったら耐えられない・・・」と小さく呟いた。

翌日、私たちは無事に結婚登録を済ませ、晴れて正式に夫婦となった。
実家の両親は、北京まで一緒に来てくれて、2泊して帰っていった。

総じて平和的にコトが運んだと、その時は思ったのだけれど。

後に私は、ハナ子が私の実家の両親をボロクソに言っているのを聞いてしまうことになる。
「レストランも、ホテルもウチの息子に出させて、ホテルのバーで高い酒まで飲んで!」というものだった。
実際は、私たちがまだ若くて引越しばっかりしていて大変だ、というので、父はホテル代(うちの両親の泊まった分だけ、もちろん)などを出してくれていたし、それ以外にも、海外に居る娘を心配してか、祝儀だなんだと半ば押し付けるように渡してくれた。 エアチケット代や、旅行の時間も費やしてくれている。
勿論、そんな援助がなくとも、両親のホテル代などは、この場合私たちが出すべき筋合いのもので、ハナ子とパパの分は勿論出した。 別に私たちは金持ちではなく、特に結婚登録の時期は出費が嵩んでいて、買いたいものも買わずに過ごしていたというのに。

実家の両親に言いがかりをつけられて汚い言葉を浴びせられるのは、やはり最悪の気分にさせられるものだった。 よほど「ウチのお父さんは、ホテル代出してくれました!」と言いたかったけれど、それを言うのはパパに悪い気がして、言えなかった。 夫にも言わないでいいから、と伝えた。

夫は、「日本の両親にはすごく世話になっているんだよ! 飛行機代だって自分たちで出して、忙しい中、来てくれたんだよ! ホテルのバーだって、日本の物価感覚で言えばそんなに高いわけじゃない!」と言ったけれど、答えは

;「おまえがそんなだから日本人嫁が贅沢して、私の金(注・つまり夫の金。私北京ダックは、ハナ子に金を取られたことはあっても、取ったことはない)を遣っちゃうんだ!!!」
だった。

息子の金はハナ子の金。
ハナ子の金もハナ子の金。

ハナ子それはジャイアンだ。

そういえばハナ子はクリスチーヌ・剛田に似てる。かも。

ともあれ、今となっては、ご入籍ツアー、思い出すと不愉快になる。
でもここにつづってる私、ちょっと自虐的かも・・・


                             
                              上海入籍ツアー編・了
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