北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その6 (シドニー激闘編) 

2005-05-07 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
私のキッチンを好き放題侵略してくれているハナ子。
別に、キッチンを使うな、と言いたいわけではない。 ハナ子は一応(言いたくは無いが)家族で、我が家の宿泊客である。 ある程度好きに使ってもらわなければ、ハナ子は勿論、こっちだって大変なのだ。

でも。物事にはホドっつうもんがある。 なんで「キッチン使うよ」って一言ないのか。 なんで目に付く全てのものを断りも無く味見しているのか。 なんでが大事に取っておいた高級ブルーブリーチーズ$36の塊未開封が開封されているのか。 他の未開封食品も殆ど封が切られている。 開けちゃったら急いで食べなきゃならない。 その上ウチはこの少し前まで学生同士だったわけで、質素な生活してたのに。 

ふと見れば、私の実家の母が漬けた梅干、わざわざ送ってもらった貴重なソレが、何故か何十個もまとめて水道水にブチ込んである。 おそらく、適当につまんでみたら酸っぱかったので水かけて薄めて飲もうってとこなんだろうけど、何故そんなに大量なのかわからない。

やれやれ。 客分だっつう自覚を持てよな・・・そのへんさえわかってくれれば、快く歓迎するものを。 私は知っている。 この手の遠慮常識の欠けるタイプ。 本当は国籍や年齢の問題じゃない(とは言え、日本人には少ない)。 シェアハウスとかにはよく棲息している。 早いところ釘を突き刺しておかないと、大変なことになる。

とりあえず、ガーッと文句を言うのは、避けることにする。 闘いと言ったが、何しろ先は長いので。
無論、私の大事な梅干ちゃんを捨てようものなら、泣きのパフォーマンスを披露する用意があるが。

先ず、キッチンの所有権を明らかにするため、
「おかーさん、休んでて。 私がやります。」と発言。
自分の家だと思ってるから気を使わないでいい、とか言い出すハナ子
お前の家ではない、気を使うのはお前の方だ!・・・ではなく。
顔だけにこやかに、
「でも、私の家・私のキッチンですから。 ここんちの主婦は私」※
何か言うハナ子。 そのときの私の中国語力では、さっぱりさっぱり意味不明。 無視して、さっきの発言を 
※繰り返し
※繰り返し
※繰り返し
「我的」ってところは微妙に強調して。
※繰り返し
※繰り返し
言いたいことを理解したのか、あきらめたのか。
ハナ子は少し大人しくなり、着席。
私は適当になんか作って、出してみる。・・・お、受けている。 卵料理が好きらしい。
一応、会話?筆談?を試みる。
家族のこととか。 当り障り無く適当に。 

「うちのお母ちゃんはねー、そりゃーもう、優しくって、信仰が深くってー・・・」
「お母ちゃんの作る○○は美味しくってねえ・・・料理が上手なんだよー・・・」
なるほど、ハナ子実家ネタは大変多い。
「でも、私はお料理はあんまりうまくなくってねえ・・・」
お、自覚があったか。 ハナ子料理、美味しいものもあるけれど、何しろレパートリーが少ない。 そして、手持ちのレシピから一歩でも外れると、もう機能停止である。 料理の上手下手以前に、好きじゃないんだろうなと思う。
ハナ子自身、そのことに拘りは無い様子で、息子の嫁である私のことも、素直に誉めてくれていた。 それはありがたいことだ。
「でも、家の中のことは私もするから。 協力し合いましょうね。」

協力し合いましょうねの意味。 私は後にソレを知ることになる。
結局3ヶ月近くに及ぶ滞在中、ハナ子は一度たりとも買い物・トイレ掃除・洗濯・掃除機かけ・ガス台とオーブンの掃除をしなかった。 お料理は多分両手の指の数で足りるほど。 ハナ子がしてくれたのは、ただ洗い物を時折(それも、皿が少ないランチ限定)、キッチンの床をササッと拭くだけ。
子供の手伝いか!という程度。
ハナ子は家事が苦手なんだろうな、とは思う。
それならそれで、ただお客さんとして滞在して欲しい。
子供の手伝い以下のことしかしないで、毎日のように
「協力し合いましょう」
を繰り返さないで欲しい。

このとき私が学んだこと。
将来、私が働き始めたとき或いは子供が出来たとき。
ハナ子の「協力してあげる」を信じないこと。
「協力してあげる」を理由に、 同居に持ち込まれないこと。
「協力の名のもとに同居しても、ハナ子は役に立たない。 むしろ仕事が増えるだけ」。 このことを、時間をかけて、ゆっくりと、しかし確実に徹底的に、に教え込むこと。

それでもハナ子は彼の母親だ。 「あんたのかーちゃん、全然駄目な人だ」という意味のことを言い、理解を求めるのは困難に思われた。 私だって、決して仲良しとは言えない(?)実家の母の悪口を聞くなら、それが事実であればあるほど、表現には気を遣っていただきたいもの。

しかし、そこはハナ子。
滞在中にも、恐るべき墓穴を掘り捲くってくれたのであった。



続。

㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その5 (シドニー激闘編) 

2005-05-06 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
パパが帰ったその日の我が家は、かったる~い空気に包まれていた。
空港で泣きじゃくっていたハナ子は、疲れたのかとっとと寝に入る。勿論、我が家のリビングで。
そもそも1ベッドしかない家なのだから、泊り客というのは無理がある。 リビングって言っても広いので、短期間なら不都合は無いのだが、昼間唐突に寝られるのは、やや不快。
いーさいーさ、年も年だ・・・と顔を見合わせる私たち。
過酷な一週間(日頃の仕事+観光ガイド兼財布業務)を終え、目の下真っ黒である。

居場所が無くなった私たち、ベッドルームにてミーティング開始。
曰く、「今週は物凄く忙しい、今日も今からオフィスにいかなきゃならない。 おかあさんのことは、あと3週間だから我慢して。 買い物とかついでがあったら連れてってやって。 でも無理しないで普通に生活してね。 それからコレ→中国語の基本会話メモ→でよろしく頑張ってくれ。」
頑張ってくれ、じゃないだろう誰のかあちゃんだ、と思ったが、両親滞在中に1日休みを取ったし、他の日も早く帰ってきたりなんやかんやで、確かに忙しいはず。
しょーがないね、ってことで
「おっけーわかった。 じゃアンタ、とっとと仕事行って、早く帰ってきなさい。 疲れてるんだから今晩早く休んだ方がいいよ。」
いそいそとスーツに着替え始める彼。
そういえば、と思い出し。
「おかーさん、お金持ってるの? 私一人出かけてるときとか、3週間も居れば彼女だけで出かけるときもあるだろうし。」
それなのよね、と彼は振り向いた。

そもそも、パパの居た1週間の間、パパとハナ子はビタ一文のオージーダラーも持っていなかった。
全額おごられモード全開である。 こづかいや、乗り物代まで。
確かにオーストラリアは、中国人にとって高い。
でも、エアチケットはの招待、宿代フリー。
滞在中のこづかいまではどーかなあと思う。
まあ、百歩譲って、こっちも出してあげるよモードだったし、両替屋も自分じゃ行けなかっただろうし、よしとしよう。 パパが居たのはたかだか1週間だ。

「実はさあ、さっきの空港の喧嘩、金のことなんだ・・・」
言いにくそうに、恥ずかしそうに語りだす我が夫。 大丈夫、何があってもキミのせいじゃないから・・・
「おとうさんは、おかあさんの滞在中の小遣いとか、ちゃんと置いていったの。」
あら、いいじゃない。 何か問題でも?
「でもそれ、俺においていったの。 適宜渡すか、彼女の買い物を支払ってあげてください、って。USドルだけど、日本円にしたら4万ちょいくらい。」
多くは無いけど、中国じゃ下手したら誰かの月給って額である。 そもそもパパハナ子夫婦は共働きの別会計体制。 パパから彼女にあげる、3週間分の小遣いとしては立派だと思う。
「おかあさんはね、それを彼女本人じゃなくて、俺に置いて行ったのが気に入らなくて、怒ってたの。 でも、彼女に渡したら、絶対全額使わないで、俺たちに出させて、お金は(ハナ子の)実家にあげちゃうから・・・

だから、なんでだよ。 実家が食うに困っているんならともかく、そんな話は聞いたことも無い。 それに、仮に実家がそこまで困ってたとして、そう言うときは、「シドニー行かなくてもいいから、その分のお金を、半分でもいいから実家のサポートに使ってください」とか言うんじゃないだろうか。

なんだか非常に不安かつ不快な気持ちとなり、口を利くのもかったるくなった私。
その様子を見て取ったはもう一度「ごめんね、あんな母で・・・」と謝り、私を散歩に誘った。 オフィスまでは徒歩15分くらいなので、私は彼を送っていき、帰りに買い物でもする。 1週間ずっとハナ子と一緒だったのだ、少しくらいいいだろう。 寝ているハナ子に置手紙を残し、私たちは外出した。

帰りがけ、偶然会った友達と、軽くお茶して帰宅したのは、およそ2時間後。
そこで私が見たものは、私のキッチンを、好き放題にしているハナ子の姿だった・・・。
しかも、私たちのための料理をしているのではなく、彼女のための食べ物ばかり。 さらに、私の冷蔵庫にあった(彼女にとって)不思議なものは、ことごとく賞味している模様。

ハナ子、恐るべし。
私は事態が悪化する前に、テリトリーとか家庭内のヒエラルキーをきっちり教え込む必要性を感じ、敢然と闘いの場に踊り出た。
悪いが、嫌でも一生付き合わなきゃならない相手に対して遠慮をするほど、私はお人好しではない。

続。

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その4 (シドニー激闘編) 

2005-05-05 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
パパえーんどハナ子カップルに発生した大喧嘩の理由。
の説明によって明らかにされたそれは、私には理解し難く、またバカくせえことであった。
かいつまんで言うと、ハナ子はパパの母親、うちの亭主のばあちゃんを折り合いが悪く、しかしパパは相当なマザコンであり、そんな二人はばあちゃんの死後も延々と「どっちの実家・母が素晴らしいか」ということで喧嘩を続けているという。 
アホかい。
まあ、「もし、亭主がマザコンで、妻よりも母親を大事にしていたら?」と考えればハナ子の辛い立場も理解できるし。 一方では、「ハナ子が嫁じゃあ辛かろうて・・・」ということもわかる。 だって、客観的に見て、ハナ子はふてぶてしい性格なんである。 懲りないめげない妙な愛嬌でその場を切り抜けようとする、理不尽なまでに我儘で、家事はじょっぱり出来ないし。 数年前定年退職するまでは働いていたのだから、家事不得手でも構わない(共働きなら分担するのがスジってもん、家事だってシッカリ続けてなきゃ上手くならないのだ)のだけど、そもそも家族のために何かしようって気がないらしい。 退職以来、パパが忙しかろうと息子(にゃ弟がいる。一人っ子政策手前世代である)が受験だろうと、数ヶ月単位で家を空ける。 行き先は、ハナ子実家である。 行き先が実家なのは、ハナ子本人だけではない。 金も。 ハナ子は、自分の自由になる金は、一切合財実家に突っ込んでしまう。 息子たちに貧しい食事しか与えないで、切り詰めてまで。 甚だしい時には、ハナ子とパパの合計年収の5分の1にも達していたという。 昔の中国では、生活できるギリギリの給料しか貰えなかったのに。 実家の人々は、別に飢えていたわけでもなく、経済程度はハナ子&パパと同程度であった。 

なんでそんなか。 それは、「自分は一個の独立した大人であって、家庭を持っている。」という自覚が無いから。 心の中では、いつまでもいつまでも実家の長女、そしてハナ子が無類の見栄っ張りだってことも影響していると思う。

私が杭州にある、 宅を訪れた際のたくさんの手土産も、気がつけば全てハナ子実家に行っていた。 ハナ子はそれを嬉しそうに私に語り、失礼なことをしたという認識は無い様子だった。

ここで私は、中国人の、実家との濃い関係について考える必要に気がついた。 ハナ子と実家の関係ではなく、私の亭主と実家の関係についてだ。

いくら好きで一緒に居る相手でも、結婚となれば一生続けることが前提。 あんまりにも親戚付き合い・実家との関係性への考え方が異なっていれば、後年破局の原因になってしまう。 金の話になってエグイが、双方の実家同士の経済力だって、本来あまりかけ離れていない方がいいと思う。 私たちは多分大金持ちにはなれないし、「少々のゆとり」をキープできれば幸せだと思う方。 「少々のゆとり」をぜーんぶ実家にブッ込まれるのはさらさらごめんである。 勿論、必要なことであれば、私たちに出来ることであれば、家族として協力するのは嫌じゃない。 私の両親が、祖父母に対してしていたようなことであれば。

そういったことに対する価値観を、お互い相談して少々譲り合うのは当然としても、に押し付けるようなマネはしたくないなあ、と思っていた。 は、血の滲むような努力で、自力でキャリアを築いたはず。 運もあるけど、実家からのサポート一切無しで海外留学を果たす中国人は多くない。 だから、彼は彼の得たものを思い通りにする権利があると思う。 そういうわけで、価値観はある程度、最初っから近くなければならない。 だから、彼らのシドニー滞在は、実家との距離を観察する、いい機会だと思った。

話を戻して、の戦は、パパの帰国当日、エアポートで搭乗寸前まで、ほぼ絶え間無く続いた。 
ボンダイビーチで。
ブルーマウンテンで。
或いは、クージービーチのハイキングコースで。

ハナ子は泣き、時に呟くように、時に叫ぶように怒る。
パパは謝らない、沈黙する。

極めつけはパパ帰国寸前で、空港ロビーにて、ハナ子は派手に泣いていた。
嫁である私にすがり付いて、同情を買うように。

この夫婦、既に破綻してるんじゃ・・・?

という不安(及びハナ子)を私に残して、パパは中国へ帰って行ったのだった。
11月の、中ごろのことである。

続。

㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その3 (シドニー激闘編) 

2005-05-04 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
今はやや遠い記憶となった、シドニー観光ウイーク。
の勤務時間のこともあり、なるべく一緒に居るため、また、パパは一週間と短い滞在だったため、近場の観光に絞った。

生活的なことを言うと、当時の我が家は1ベッドルームに結構広めのリビング。 シャワートイレは勿論ユニットバスで、1つだけ。 それでも、私たちには充分すぎる贅沢な環境だった。
パパとハナ子が辿り着いた最初の晩、私たちはベッドルームを彼らに提供し、リビングのソファで寝ていた。 ソファといっても、革張りのかなり大きめなもので、ふたつ並べてダブルベッドくらいにはなった。 寝心地も快適そのものである。 しかしこれは、二日目の晩から私たちがベッドルーム、パパたちがソファとなった。 理由は彼らの遠慮と、多分が時間の許す限りDVD「天竜八部」所有・中国のカンフードラマ)を見たかったせいだと思われる。 は幼い頃から太極拳・武術の方をやっていて、そりゃあもうイイ体格なのだ。 ちなみに顔も結構整っていて、「中国のオジちゃん」の一般的イメージからは遠く、中々可愛らしい。 じゃあうちの亭主がイイ男かっていうとそんなことは無い。 なぜなら顔の造作がまるっきりハナ子と同じだから。 残念なことである。

彼らと生活してみて、最も安心した、よかった点は、彼らが大変綺麗好きとわかったことだ。 一日一回は必ずシャワーを浴びるし、下着はこまめに変えている様子。トイレの使い方が汚かったことも、一度としてなかった。 うちの亭主がそのように綺麗好きなのは重々わかっていたのだが、それが実家の生活習慣から来るものなのか、それとも外資系勤務歴によるものなのか図りかねていたから。 中国人はシャワーをあんまり浴びない、それは往々にして事実だが時としてただの思い込みである。

そんでもって観光。 初日は、たしか市内の教会の類。 セントメリーズとかなんとか。 なんでって、ハナ子は一応クリスチャンなのである。 そう、中国にもクリスチャンは居る。 翡翠の十字架を赤い紐通してたり、ローカライズされてはいるが一応キリスト教だ。 但し、カソリックは規制されてて、バチカンから任命された正式の神父はNGとか聞いたことがある。 今でもそうなのかは知らない。 理由は多分「キリスト教は侵略者の手先」的な前時代的なもんだと思う。 実のところカソリックは仰々しくて苦手だし、昔々はそれが真実だったのでわからなくもないんだが・・・今時ねえ???まあ、どのみちハナ子はプロテスタントだ。 
教会見学の後、の働くオフィスビルなど見学し、シドニーのスーパーなどが見たいというのでシティのメトロへ。 「ウールワース・メトロ」というシドニーでは結構メジャーなスーパーマーケット・チェーンで、かなり大はしゃぎ。 見たことのない食べ物満載、聞いたこともない価格で騒いでいる。 立ち騒ぐな人民よ!ってことで買い物して帰宅して夕飯作ってダンナが帰ってきて食べて。そんな感じでその日はつつがなく過ぎた。

問題が勃発したのはその翌日。 ダーリングハーバーのアクアリウムを見学し、パディス・マーケットという生鮮食料品市場を見学し、その上にあるレストランで飲茶を食べた。 ここまではよろし。 シドニーのアクアリウムは中々素敵である。 鮫の水槽の中に人間様用のトンネルが通ってたりして、楽しめる。 動物大好きである二人は相当気に入った模様。 マーケットも飲茶も、高いとか何とか言ってたが、支払い全部こっちもちである。 彼ら二人の間で、
嵐のように凄まじき大喧嘩
が発生したのは帰宅後だ。

私はキッチンにいました。 いつものように夕飯の支度をしていました。 ちょうど、炊飯器スイッチぽんしようとしたときです。・・・って、UFO見たみたいな口調になってるけど、そんくらいの驚きだった。
「!!&%㌃@@@???$###!!!」
怒号が。 どごーがぁ・・・
怒鳴ってるのは一歩的にハナ子。 パパは沈黙して守備に徹してる。
何がどうなったやら、さっきまでだった二人がそうなるか。
皆目見当もつかないながら、「ウォー・ママ、ニー・ママ」という言葉が拾える。 私の母は、貴方の母は、って言っているわけだが、パパの母親は故人であるし、ハナ子母は浙江省のド田舎在住。 なんでバアちゃんがあんたらの喧嘩に絡むんじゃ???
謎は解明されないまま、ハナ子のヒステリックな怒声は、2時間後にが帰宅するまで続いた・・・


続。

㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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不定期連載「私北京ダックと姑ハナ子」その2 (シドニー激闘編)

2005-05-01 | ㊥シュウトメ・ハナ子。
 
さてさて長らく中断していたが、ていうか誰も読んでないかもしれないしいいんだけど、とにかく続けようと思う。 ひっそりと。 なんでって、書き留めておきたいの、姑との苦難の日々を。 忘れないように、今後も気を許さないように。

姑のハナ子との2度目の対面は、あろうことか(今考えるとあってはならないことだった)シドニーのキングスフォード・スミス空港(っていうんだよ正式名称。 シドニー空港は通称。)到着ロビーだった。

うちの亭主、孝行息子の招待にて、パパ&ハナ子のツアーシドニーが敢行されたわけである。 時、2004年の11月頭。 前回対面から3ヶ月くらい経過していた。

ちょっと説明しておくと、は中国人にしては家族との距離が近くない方である。 関係は良好ながら、実家と自らの家庭をハッキリ分けて考える傾向にある。 それでも両親をシドニーに招いたのは、時代やら何やらのせいで両親よりも稼ぐようになった彼が、自分の滞在中(=ホテル代かかりません)にちょこっと招いてあげよう、というものだった。  ちょこっと。読んでいる方はこの言葉を憶えておかなければならない。

そういう事情であれば、当時既に一緒に住んでいた私としても、歓迎しようという気持ちだった。 私だって都合が折り合えば、そのくらいのことを両親にするのにやぶさかではない。 飽くまでもいろんなことが折り合えば、だ。

さて、話を戻して、空港でのパパ&ハナ子。 こんな感じでかなり物珍しゅうはしゃげている。 銀婚お上りカップルである。 
何しろパパにとっても日本以外の海外は初。 ハナ子もうじき60歳(当時)に至っては人生初の大陸脱出である。 テンパらない理由はどこにも見当たらない。 ここで私は認識した。
仮に私の両親が私の招待で海外旅行に来たとして(すいません実行したことはまだありません予定も・・・)、それはパパ&ハナ子の置かれている状況とは著しく異なるのだ。 
私たちの親の世代は、金持ちじゃないにしても、年若い我が子よりは持っている・・・のが日本では多数派だろう。 「自分でも行きたきゃ行けるけど、子供が招待してくれて、子供の成長を実感する旅は格別!」つう余裕が、日本の親にはあると思う。
それが無い場合。
両親というのは。
老けた子供。
ジャスト、それ以外の何物でもない。

10時間以上に及ぶ・・・というか中国国内移動時間や待ち時間を考えると、自宅を出て20時間近く経過しているはずなんだが、とにかく長旅を経て、二人はとても元気だった。
シティど真ん中だった私たちのアパートについて、用意しておいた昼食を済ませると、彼らは休憩を拒否した。 60近い人々が、である。
その当時、はフルタイムで働いていて、前日は残業で帰りがとても遅かった。 だから彼は大変に疲れていた。 私だって、彼の帰宅を待って、夜食を提供してから一緒に寝たので、睡眠不足である。
でも、いい。
なぜなら、現役の教員であるパパの滞在はたったの1週間。それよりは長いハナ子でも、1ヶ月だけの予定だった(いや、1ヶ月は、実のところ長いけれど、そのくらいなら耐える構えだったという意味)。
なら力一杯楽しんでもらおうじゃないか。
息子夫婦(当時は籍入って無かった、は!私ってば内妻だったのけ?)としては、そう思っていた。
翌日から、仕事に励む内縁の夫(当時)に代わり、国際義理両親のための、怒涛のシドニー観光ウイークが、幕を開けたのだった。

㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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