2005年の秋。
我が家は非常に忙しかった。
思い返して書き記すのは楽しいけれど、その時は脳の何処かでエラー音が鳴っていた。
ビーッ、ビーッ・・・
最初は小さく、
ビーッ、ビーッ
次第次第に大きく。
ビーッ、ビーッ
止まるところも知らず。
そんな秋。
北京の暑くてジットリした夏がようやく終わる頃、私と夫は、パパの誕生パーティーと、自分たちの結婚式の段取りをつけるのに忙しかった。
数えで六十歳の誕生日。 それは、中国人にとって、大きな誕生日。 要は還暦なんだけど、「今時の日本人が考えるよりも重要度は高い」と、夫は説明した。 重要度が高いゆえ、例年の誕生日のようにおざなりではなく、「パパが最も好きな場所で、最も親しい人々に祝われるのがよろしかろう」ということで、義鳥でのパーティーを夫が発案。 パパ本人にこの計画を話したところ、本人が手放しで大喜びし、西暦の誕生日に開催することになった。 パパこの年代の中国人にしては珍しく農歴でなく、西暦が好きなのだ。 でも数えで祝うあたりが微妙。
この話を聞いたとき、私はやや不安に思った。
実は、ハナ子もパパと同い年で、私たちの結婚登録のときのお誕生日が、ハナ子の数え六十歳の記念日だった。 夫はハナ子を上海の5☆ホテルに招待し、高い飯で祝ったが、それは私たちにとっては飽くまでも結婚登録のついでに過ぎなかった。 他に、プレゼント、現金、桃まん(中国人は六十になると桃まんを食べる。 六十にならない限り食べてはいけない。 従って、中華街でみやげとして買い求めるのは誤り)と花束を贈呈。 それはそれでコストもかかっているし、ハナ子も喜んでいたように思えるけれど、でも僻みっぽいハナ子は、パパと差ァつけられたと思って怒るんじゃないか??? 私は早い段階でこの疑問を
にぶつけてみたのだが。
「それは気にしなくていいと思う。 2004年に両親をシドニーに招待したのは、少し早い還暦祝いのつもりだったんだよね。 その時点では05年に中国に居るかどうかわからなかったし。 そしたら、パパは一週間の滞在で、ハナ子は勝手に滞在延長して2ヵ月半もいたでしょ? パーティーに多少の差がつくくらい、大目に見てもらわないと。 だいたい、本来ハナ子の祝いは俺の担当じゃないんだよ。」
私;「親の誕生日に、担当があるのけ?」
「うん、ハナ子の誕生日を主催するのは弟担当、パパの誕生日は俺。 だって俺は幼い頃よりパパの子として育てられ、弟はママの子として育てられた(注・パパ&ハナ子は離婚も別居もしていません)からね。」
細胞分裂でもして子が産まれる家系みたいだが、この話は以前から度々聞かされていた。
は幼少期、ハナ子ではなくパパ実家の祖母によって育てられた。 パパ&ハナ子の不仲が原因というわけではなく、ハナ子が北京で単身赴任生活を送っていたためだ。 小学校に上がる頃、ハナ子は杭州勤務となり、初めての母子同居。 年に一回か二回しか会っていなかった実母に中々馴れなかった
、一人っ子政策前の駆け込み出産を終えたばかりのハナ子。 実質初めての子育てスタートで、いきなり6歳の子と、乳飲み子と、二人も抱えて。
どんなにか大変だっただろう、とは思う。
でも、そこはハナ子。
母として辛かったであろう状況に、イマイチ同情できない話がゴロゴロ出てくる。
「小さい頃、弟と食事が違った」
「ハンガーで殴られて、頭からダラダラと血が出たのに、手当てもしてくれなかったから、学校の保健室に行った。」
虐待じゃん。
育児ノイローゼでした、って言われたらこれでも同情しなきゃいけないんだろうか。
「助けてくれて、ごはんをくれたのは、パパとナイナイだった。 あれが無かったら俺は今ごろ・・・」
この話をすると、夫の視線はちょっと遠くに行ってしまう。
そんな過去にも関わらず、ハナ子をシドニーに招待したり、なかなか孝行息子である夫。
恨んでないのか?ときいたら、「良い母でも悪い母でも母は母、ってのが中国的な考え方だからね。 過去のことは今更考えないようにしてる」という。
恨んでいるわけではないが、と夫は言った。
「祝い事のパーティーなどは、俺がパパ担当、弟がハナ子担当なのだ。 弟が成人して以来、ずっとそのようにしてきている。 だから俺、パパのパーティーは盛大にやりたいんだもん!」
三十男に「もん!」と言われちゃあしょうがない。
「ハナ子の誕生日、俺担当じゃないけどちゃーんとお祝いしたし、それなりにゴージャスだったように思うし・・・」
ブツブツ言っている夫に、はいはいそれじゃーパパの誕生日は大々的にやりましょうね、私も協力するからねーと調子の良いことを言った私。
夫の言い分に正当性があるかどうかに関わらず、ハナ子が気を悪くするってことはわかってたんだけどね。
だって、義弟担当するところの、ハナ子バースデー。 私たちが上海で祝ったのとは別に、杭州にて、盛大なパーティーが行われた、とは聞いた。 でも、主催者は義弟ではなく、ハナ子の甥であるところの、夫・義弟の従兄。 義弟って高学歴の甲斐性なしの典型みたいな子で、私が思うに、パーティーを主催する経済力がなかったんだろう(飽くまで推測)。 学歴なんぞいくらつけても、働く気が無いのはどうにもならない。
ハナ子の子=義弟が、パパの子=夫より出来が悪いなんて、ハナ子には耐えられないはず。 でも義弟には甘いハナ子、義弟のケツ叩くなんて絶対しないし・・・と、なれば、ハナ子の脳内で起きる変化なんて見え見え。 「ハナ子の子=義弟、パパの子=夫」という考えは、息子二人が成人した時点でキャンセルされてるはず。 都合よくキレイさっぱりとね。
だから、夫が今までどおり「パパの子」として振舞ったら、ハナ子は怒る。
でも私はそのことを、単純素直な夫に、教えてあげなかった。
鬼嫁的に、ハナ子が怒ろうが暴れようが知ったことじゃないし、私の過失以外の要素によってハナ子がその人間性を自らさらけ出してくれるんならウェルカム大歓迎ということもあったが、何よりも、家族に対する姿勢みたいなところにまで、口出ししたくなかった。 それまでの積み重ねがあって、夫が決めたこと。
積極的な意地悪をしにいってるならいざ知らず、パパにあげるプレゼントが、ハナ子にあげるものよりも少しばかり大きい、それだけのこと。
ただ、専守防衛パパの意向だけは、きっちり確認させた。 パパ自衛隊には、仮想敵がいるのだから、近隣諸国を刺激する行動をとってもよろしいかどうか、本音をきいとかないと。
パパは、何をおいても義鳥参拝と、誕生会を執り行いたいと答えた。
その覚悟や、よし!
私は誕生会の準備、及び結婚式の準備を急ピッチで進めた。 必要なもののリスト製作、関係各所に連絡、プレゼント購入、夫のケツを叩いてチケットなど手配してもらうこと。
持ち物などの準備まで、ほぼ完璧におわり、あとはフライトするだけ、となったのは、かっちりパーティー一週間前だった。 これは、いつも段取りの悪い私にしては驚異的なことだった。
そこで、私は気がついた。
遠くの方から微かに聞こえてくる、エラー音。
気のせいかしら。
なんだかみーみーみーみー鳴っているような気がする。
勿論、気のせいなんかじゃなかった。
その夜だ。
「ハ、ハナ子がぁ・・・」
夫が顔色も悪く帰宅した。
私;「(ィやっぱりキター!)どーしたの?」
「花婿の、母。②」に続く
㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥
気が向いたらコメントお願いします。
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そんな秋。
北京の暑くてジットリした夏がようやく終わる頃、私と夫は、パパの誕生パーティーと、自分たちの結婚式の段取りをつけるのに忙しかった。
数えで六十歳の誕生日。 それは、中国人にとって、大きな誕生日。 要は還暦なんだけど、「今時の日本人が考えるよりも重要度は高い」と、夫は説明した。 重要度が高いゆえ、例年の誕生日のようにおざなりではなく、「パパが最も好きな場所で、最も親しい人々に祝われるのがよろしかろう」ということで、義鳥でのパーティーを夫が発案。 パパ本人にこの計画を話したところ、本人が手放しで大喜びし、西暦の誕生日に開催することになった。 パパこの年代の中国人にしては珍しく農歴でなく、西暦が好きなのだ。 でも数えで祝うあたりが微妙。
この話を聞いたとき、私はやや不安に思った。
実は、ハナ子もパパと同い年で、私たちの結婚登録のときのお誕生日が、ハナ子の数え六十歳の記念日だった。 夫はハナ子を上海の5☆ホテルに招待し、高い飯で祝ったが、それは私たちにとっては飽くまでも結婚登録のついでに過ぎなかった。 他に、プレゼント、現金、桃まん(中国人は六十になると桃まんを食べる。 六十にならない限り食べてはいけない。 従って、中華街でみやげとして買い求めるのは誤り)と花束を贈呈。 それはそれでコストもかかっているし、ハナ子も喜んでいたように思えるけれど、でも僻みっぽいハナ子は、パパと差ァつけられたと思って怒るんじゃないか??? 私は早い段階でこの疑問を


私;「親の誕生日に、担当があるのけ?」

細胞分裂でもして子が産まれる家系みたいだが、この話は以前から度々聞かされていた。


どんなにか大変だっただろう、とは思う。
でも、そこはハナ子。
母として辛かったであろう状況に、イマイチ同情できない話がゴロゴロ出てくる。


虐待じゃん。
育児ノイローゼでした、って言われたらこれでも同情しなきゃいけないんだろうか。

この話をすると、夫の視線はちょっと遠くに行ってしまう。
そんな過去にも関わらず、ハナ子をシドニーに招待したり、なかなか孝行息子である夫。
恨んでないのか?ときいたら、「良い母でも悪い母でも母は母、ってのが中国的な考え方だからね。 過去のことは今更考えないようにしてる」という。
恨んでいるわけではないが、と夫は言った。
「祝い事のパーティーなどは、俺がパパ担当、弟がハナ子担当なのだ。 弟が成人して以来、ずっとそのようにしてきている。 だから俺、パパのパーティーは盛大にやりたいんだもん!」
三十男に「もん!」と言われちゃあしょうがない。
「ハナ子の誕生日、俺担当じゃないけどちゃーんとお祝いしたし、それなりにゴージャスだったように思うし・・・」
ブツブツ言っている夫に、はいはいそれじゃーパパの誕生日は大々的にやりましょうね、私も協力するからねーと調子の良いことを言った私。
夫の言い分に正当性があるかどうかに関わらず、ハナ子が気を悪くするってことはわかってたんだけどね。
だって、義弟担当するところの、ハナ子バースデー。 私たちが上海で祝ったのとは別に、杭州にて、盛大なパーティーが行われた、とは聞いた。 でも、主催者は義弟ではなく、ハナ子の甥であるところの、夫・義弟の従兄。 義弟って高学歴の甲斐性なしの典型みたいな子で、私が思うに、パーティーを主催する経済力がなかったんだろう(飽くまで推測)。 学歴なんぞいくらつけても、働く気が無いのはどうにもならない。
ハナ子の子=義弟が、パパの子=夫より出来が悪いなんて、ハナ子には耐えられないはず。 でも義弟には甘いハナ子、義弟のケツ叩くなんて絶対しないし・・・と、なれば、ハナ子の脳内で起きる変化なんて見え見え。 「ハナ子の子=義弟、パパの子=夫」という考えは、息子二人が成人した時点でキャンセルされてるはず。 都合よくキレイさっぱりとね。
だから、夫が今までどおり「パパの子」として振舞ったら、ハナ子は怒る。
でも私はそのことを、単純素直な夫に、教えてあげなかった。
鬼嫁的に、ハナ子が怒ろうが暴れようが知ったことじゃないし、私の過失以外の要素によってハナ子がその人間性を自らさらけ出してくれるんならウェルカム大歓迎ということもあったが、何よりも、家族に対する姿勢みたいなところにまで、口出ししたくなかった。 それまでの積み重ねがあって、夫が決めたこと。
積極的な意地悪をしにいってるならいざ知らず、パパにあげるプレゼントが、ハナ子にあげるものよりも少しばかり大きい、それだけのこと。
ただ、専守防衛パパの意向だけは、きっちり確認させた。 パパ自衛隊には、仮想敵がいるのだから、近隣諸国を刺激する行動をとってもよろしいかどうか、本音をきいとかないと。
パパは、何をおいても義鳥参拝と、誕生会を執り行いたいと答えた。
その覚悟や、よし!
私は誕生会の準備、及び結婚式の準備を急ピッチで進めた。 必要なもののリスト製作、関係各所に連絡、プレゼント購入、夫のケツを叩いてチケットなど手配してもらうこと。
持ち物などの準備まで、ほぼ完璧におわり、あとはフライトするだけ、となったのは、かっちりパーティー一週間前だった。 これは、いつも段取りの悪い私にしては驚異的なことだった。
そこで、私は気がついた。
遠くの方から微かに聞こえてくる、エラー音。
気のせいかしら。
なんだかみーみーみーみー鳴っているような気がする。
勿論、気のせいなんかじゃなかった。
その夜だ。

夫が顔色も悪く帰宅した。
私;「(ィやっぱりキター!)どーしたの?」
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