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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記48「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのろく」

2006-09-19 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
結婚式をキャンセルするという事態になって以降、夫は本当によく私を庇い、弁護してくれたと思う。 もちろんそれは、ハナ子があまりにもあからさまな嘘を吐いたがために、私の味方をせざるを得なかった(さもなきゃ最終的には別れていたと思う)んだろうけれど、でも、やはりありがたいことだ。
ハナ子ってとんでもない奴で、とハナ子がそもそもあまり仲の良い母子ではなかったとしても、親に冷たくするのは胸の痛いことではある。

夫は、これまでハナ子側の叔父に幾度と無く説明してきたように、ハナ子のとった行動を説明し、更にこう付け加えた。
「別に関係を切ろうと思うわけじゃないけれど、こちらから折れようとも思わない。 そうしたところで母は感謝したり反省したりはしないし、親しくしていればこれからもこういうことが起きるから。 過ぎたことを蒸し返したりはしないけれど、歩み寄るのは誰のためにもならない。」

叔母にしても、ハナ子に再三電話で訴えられて、やむなく「一応一言言っておこうかなあ」くらいの気持ちだったと見える。 わかったわ、と言うとそれきりその話はしなかったし、私に対しても変わらず優しかった。

年が明けて、3時くらいまでは飲み食いしながらお喋りをしていた。
言語が異なるのが信じられないくらい、くだらない話で盛り上がってみたり・・・あまりにもくだらないので書くのが憚られるのだけれど(だから微妙に伏せてみる)、パパ実家の村名を漢字表記し、それを日本語読みすると、ちょっと恥ずかしい言葉になる。 ちなみに中国語の「村」は「鎮」ね。 つまり、日本で言うところの「山田村」は「山田鎮」になる。 あとは想像にお任せ。
その話を叔母にすると、涙を流して笑った。 笑い上戸だったらしい。

そんなこんなで、無事、年が明けて。
翌日に備えてホテルに帰って眠った。

翌朝、深夜まで遊んでいたにしてはずいぶん早く起きて、もう一度2叔父の家へ。
そこから車で村へ移動。
パパの弟妹のうち、2叔父、4叔母、5叔母の家族が義鳥市内に住んでいるんだけれど、その全員が元日に村まで移動。

昼前には、おばあちゃんおじいちゃんのお墓にいた。

お墓は、村のはずれにある。 少し小高い丘になっていて、細い道を抜けて上っていかなければならない。 このときは雪が無かったので、ずいぶん楽だった。

中国の、旧正月のお墓参りは凄まじい。
お線香をあげたり、手を合わせたりという、日本と同様のことが行われた後、男性数名を残してみんながお墓の前から撤退、少し離れたところに避難する。 なんでかというと・・・

爆竹!!!

年明け前から、街の至るところで爆竹の音はしていたけれど、墓場でこれをやるとは予想外だった。 

「ご先祖様に聞こえるように~」
と、みんなニコニコしている。
周辺の、他家のお墓からは既に派手な音がどんどんぱんぱんぱらぱらり~・・・と、鳴り響いている。
「我が家も負けないように~」
関係者一堂の中で、そうした男らしい作業担当の1叔父とその息子ワイワイが
「行くよ~みんな避難してるよね~」
と、掛け声をかけ。

点火!

ずばばばばばあ~ん!!!!!!

ぎゃー。
すっげえ音。
ていうか。

私;「打ち上げ爆竹・・・?」
;「ボクの国ではポピュラーです・・・」
ああそう。
なんでもいいから。
はよ終われー!!!
と、心の中で叫ぶ私をよそに、用意された各種爆竹が無くなるまでどんどんぱりぱりは続いた。

正直、爆竹は苦手な私。
中国に住む日本人でも、「あの音を自分で鳴らす快感に目覚めました」ってひとがいるけれど、私は慣れそうにない。

思いっきりバンバカ鳴らした後、親族の皆様はすっきり晴れやかそうな表情に。
「おばあちゃんにも届いたね、今の♪」
と、夫も嬉しそう。
あれか。
日本人における除夜の鐘?
行く年来る年?
まあ皆が嬉しいならよかった、私も嬉しい。

そしてようやく待ちに待った「新年のご馳走」。
以前遊びに来たときは、「ガイジン嫁さま歓迎」という感じで外食だったのだけれど、今回は各家庭に毎日お招き。
宿泊は、村では2叔父宅へ。 前回は市内のホテルに泊まりっぱなしだったので、なんだか身内扱いされたようで大変嬉しい。

元日の宴は、1叔父の家で催された。
長男であるパパが村にいないため、次男宅で・・・ということらしい。

叔父叔母の村での住居(市内組には別荘扱い)は、1叔母を除けば皆徒歩2分圏内にある。 つまり叔母たちはみ~んな村内に嫁いだということ。 最初に会ったとき1叔母が、「こんなに遠いところにお嫁に来てくれて、ありがとう」と言ってくれたのにえらく感動した私なのだが、考えてみれば、まあ。村内結婚の対極っちゃ対極よね。

1叔父宅に向かうとき、私は緊張していた。
何故か。
それは犬肉・・・
気配りの人・2叔父は「食べなくていいよ」と、勧めないどころかブツを食卓から下げてくれたけれど、年明けちゃったし大勢いるし、食卓に上らないはずはない。
無理強いなんて絶対されない自信はあるので、食べなきゃ食べないでOKなのだが。

牛豚食って、犬はイヤ・・・ってのはちょっと引っかかる私。
積極的には食べないけれど、食卓に在ったら悩む。

どうするかなぁ~・・・と葛藤しつつ向かった1叔父宅。
出迎えてくれたのは美人のシェン。
「ねえさん、いらっしゃい!」
と彼女が胸に抱きかかえているのは。

仔犬。
推定生後1ヶ月。
食うのか!すごいぞ中国!・・・と思いきやそんなはずも無く愛玩用。
入り口のところでキッチリ仔犬と遊んでしまい、もはや犬食なんて不可能に。

今考えても、やはり犬なんて食べないでおいてヨカッタ・・・と思います、ハイ。

 

             「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのなな」へ続く。




順位が上がることに対するコダワリはあっさりと失せたのですが、
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下がるとなんだかショック! 数字って怖い。
ともあれありがとうございます。


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥

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ダック鬼嫁日記47「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのご」

2006-09-16 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
い・・・犬肉・・・

黒豚よりも黒っぽくて、肉の繊維がくっきりしてて、でもしっとり脂の染み出すような肉片。 それが食卓に乗っている。

中国人と結婚して中国に住んでいる以上、いつかは来ると思っていたこの瞬間。
鳥の足も豚の耳も鳩も、な~んでも躊躇無く余裕で美味しくクリアしてきた私だけど。

犬かぁ・・・(遠い目)。

私は、食文化に理解のある方だと思う。
馬も鯨も大好き。
牛豚は食べれて、他の肉が食べられないなんてばかばかしいと思う。
だから、自分からは食べない「お犬様」でも、食卓で遭遇してしまった日には必ず賞味しようと決めていた。
日本の実家で飼っていた私の犬は、老衰で2年前ポックリ逝っているし。 彼と目を合わせられないと、嘆くことも無い。

「今年は戌年だから、おまえも食べなさい」と、親切に差し出す2叔父。
戌年だったら、干支は大事にすればいいのに・・・食うなんて・・・とか心の中で突っ込みつつ、一線を越えようと試みる私。

うっ・・・
駄目だ。
叔父さんの差し出す皿の、白いところに今は亡き我が愛犬が見える。
尻尾は垂れ下がり、恨めしそうなかおをしてこちらを見ている。
ごめん。
ほんとにごめん。

唐突に、「無理しなくていいんだよ」・・・と、叔父さんは言った。
そして、皿ごとキッチンに持っていってしまった。

私;「気を悪くしたかな・・・」
;「大丈夫。 日本人は犬食べないんだよって教えただけ。 まあその顔見たら食べなさいって言えないよね~」

聞けば犬肉の冷菜は、義鳥の名物なのだそうだ。 犬肉犬肉といったところで、そのへんを歩いている愛玩用の犬とは異なり、特定の犬種だけを食すのだとか。

叔父さんは戻ってくると、
「気にしないでいいんだよ、あれは明日以降、みんなで食べるからね」と。
それが私と犬との遭遇、食卓編の第一幕だった・・・

この、犬のことがショックで、私はこの日食べたはずのメニューをあまりよく憶えていない。 丸鳥の煮込みとか、ラム肉の冷菜、川魚のにんにんくしょうが煮なんかがあったような気はする。 それらはどれも美味しかったのだけれど、頭のどこかが「犬犬食べる犬・・・」と、立ち直ることが出来ずにいた。

それでも宴は盛り上がり。
私は、リンリンとゲンゲンの二人が、妙に日本語の単語を知っていることに気がついた。 夏に会ったときはほぼ全く知らなかったのに。
聞けば、夏に私が訪れてから、こざるちゃんも入れて3人、揃って本屋に行って「初級日本語」のテキストを買ったのだそうだ。
「でも学校の勉強が忙しくて、なかなか日本語を勉強する時間は取れないんだよ~」
ということで、それほどしっかりとした「勉強」はしていない様子だったけれど、私は誇らしかった。
彼らにしてみれば、夏休みに飛び込んできた「少し変わったこと」が、外国人である私だった、それだけなんだろう。 まだ子供で好奇心旺盛だから、面白半分に日本語のテキストを買い求めてみた。もともと彼らの「1番上のお兄ちゃん(いとこだけど)」である の最初の専攻は日本文学だったから、その影響もあるのだろうし。 
でも、とりあえず彼らが日本語に興味を持って、テキストを買い求めた、直接のきっかけは私。 それは本当に嬉しいことだった。

密かに私は自己満足に浸り、日中英のカタコトが飛び交う、和やか~な雰囲気のまま、皆で年が明けるのを待った。

待った。

待った。

・・・長い。
思えば、義鳥はやはり田舎であるらしく農村な生活パターンから抜け切れておらず、なんと夕飯が一応終了した時点で、まだ夕方6時にもなっていなかった。 新年まで6時間もあるのだから、長いはずである。 
こういう、田舎地帯でのメシの早さって、日本も同じ。 私は幼い頃、母の実家である山形県で正月を過ごしたことを思い出した。 基本的に9時就寝な人々がたまに夜更かしをすると、夜が長くて長くていけない。 することが無いので酒を飲み、気がつけば子供まで酔っ払っている・・・
もっとも、パパ実家関係者は、桁外れの酒飲みばかりなので、飲めども飲めども誰一人酔うことは無かった。 なんだか飲むだけ無駄のような気さえしてくる。

食後の酒→酒の後の甘いもの→お茶→新たなつまみ登場→やむを得ずもう一度飲酒→・・・というのをエンドレスでまわした何度目か、本格的な夜食が登場する頃だったので10時過ぎだと思う。
4叔母が、私の方を向いて話し始めた。
この叔母は、かなりマイペースなひとで、通じるか通じないかは置いといても私に普通語で話しかけてくる。「通じたかどうか」という確認もあまりしない。 従って私は「ハイすいません通じてないです」という風に申告しなければならない。

とにかく叔母はややまじめな顔をして、私に言った。
4叔母:「あのさ、シュウトメに電話した方がいいよ。」
私の理解によれば、彼女はそう言った。 聞き間違いかと思って隣に居たゲンゲンを見ると、小刻みにうなづいているから、やはり間違ってないらしい。
私:「なんで?」
4叔母:「シュウトメだから。 いや、気持ちはわかるんだけどさ。」
うーん、そうきたかぁ・・・と言葉を失くす私。
4叔母:「シャオイー(弟くんの彼女)にシュウトメのことなんて言わなくてもいいんだよ。」
それはつまり、私がシャオイーに「シドニーでおかあさん、どうだった?」と訊かれて正直に答えたあの一件を指しているらしかった。 

私は動揺した。
なぜ4叔母がそんなことを言い出したのか。 それは、ハナ子が私の悪口、私の不満を山のように言いまわっているからに他ならない。
4叔母はハナ子を嫌っていて(ハナ子を嫌っていない人間はパパ側には一人も居ないはず)、私の立場にも理解を示してくれてはいる。 でも、「お姑様は、敬う」という価値観で育ってきているのだ。
おまけに4叔母はパパの弟妹の下から2番目で、まだ四十代前半のはず。 彼女がこれなら、上の叔母たちはどう思っていることだろう。
「事情がどうあれ、あの子も礼儀知らずだよね」
と、思われているのだろう。
それも、私がしたことについてではなくて、ハナ子が申告した私についてだ。
事実が10あるとして、ハナ子が同量、10の嘘を吐いても、誰も信じない。 でも100嘘を並べたらどうなんだろう。

そんなふうに考えていたら、すごく悲しくなった。

私は説明した。 つたない中国語と、ゲンゲンの助けを借りて、英語で。

シャオイーが、私に尋ねたから。
嘘を吐いて、ハナ子を持ち上げることは簡単だけれど、将来弟くんと結婚し、同居を迫られるかもしれないシャオイーを騙すようなことはしたくなかったから。

言葉がうまく伝わらないようで、4叔母は、
「そりゃああの人が酷いのは昔から知ってるよ。 でもさ、あれでも一応お姑なんだから・・・」
と、繰り返す。

言葉はもどかしく、ハナ子は腹立たしく。

どうすんのよ!?・・・と夫に救いを求めるべく視線を泳がせると。
気がつけば奴は私の背後にいて。
すぐに「妻の名誉回復作戦」に従事してくれた。

よっしゃ、がんばってよー


 
  
               「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのろく」へ続く。




本当に上がるものなんだ・・・と感心。 
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これほんとうに生活の励みにしてます。 ありがとう! 


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ダック鬼嫁日記46「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのよん」

2006-09-13 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
おねえちゃん、と私を呼んだのは、夫の従妹、2叔父の娘である、まだ高校生のリンリン(仮名) だった。
義鳥という田舎で育ったためか、彼女はかなり素朴な性格で、私にとって大変かわいい存在。 外見も大変かわいい。フジのアイドル出身アナに似ていて本物よりもかわいい。 日本人男子たちに写真を見せたところ「目垢が付く前に紹介してくれ!」という熱い反応が複数寄せられたので、身びいき抜きでもやはりかわいいのだろうと思う。 だいたい、パパ実家関係者は我が夫を除けば、見てくれの麗しいひとが多いのだ。 最初に見たときは「中国一般人にもキレイ/可愛いって存在するのか・・・」と、感心したほどだ。 夫に関しては、ハナ子遺伝子大爆裂(外見ね)だけれども。

「おねえちゃん、おかえり。」
カタコト日本語の彼女が発した言葉はそれだった。 いらっしゃい、ではなく。
私はそれが妙に嬉しかった。
ハナ子に悪口を散々言われているのであろうし、どうしよう・・・とわだかまっていたものが、スーッと消えた気がした。
一緒に来てくれた4番目の叔母と、1叔父の娘である従妹シェン、シェンの婚約者、4叔母の息子である従弟のゲンゲンが素早く私たちの荷物を取って車に積んでくれた。 皆ニコニコしている。 5人も迎えに来てくれたので車は2台だった。

義鳥の空港からホテルまでは15分ほど。
この日は遅かったし、「義鳥市内の住居はそれほど広くない」と叔父叔母が言い、ホテルを取ってくれていた。 私から見れば、彼らの住んでいるアパートメントは十分広々としているのだけれど、義鳥郊外にそれはそれは広い10LDKの戸建てをそれぞれ持っている彼らとは基準が違うのだった。 ちなみに、その10LDKはピカピカにきれいで庭も広く、しかし価格をつけるならば日本円一千万程度なのだそうだ。 土地建物込みで。 所有権は無くとも、心揺れる話ではあった。

ともかく、その夜私たちは疲れ切っていたため、ホテルに着くと即泥のように寝た。 リンリンたちにしてみれば夜遊びに繰り出したかった(義鳥は田舎なのに何故か夜遊ぶところがある)だろうに、私たちの様子を見てさっさと引き揚げてくれた。 ありがたかった。

起きたのは翌日の10時近く。
パパからの電話で目が覚めた。 それが無ければもっと寝ていたかもしれない。
例年通り杭州で年越するというパパは、「長男が二十年ぶりに義鳥で年越しする」ということに大変興奮している様子だった。 
北京を出る前にも何度か電話で話しており、今回の段取りは伝えてあったにもかかわらず、
「誰の家で年越ししますか」
「誰々もいるの? 料理は誰がする?」
「1日は、私の代わりにおかあさん(=のおばあちゃん)のところにお参りしてくださいね」
と、時折涙ぐみつつ、しかし総じて嬉しそうに話していた。

そう、パパ実家では、新年最初の重要なイベントとして、可能な限り関係者全員参加の下、お墓参りに行く(といっても叔母たちは婚家の関係で毎年参加とはいかないらしい)。 前日徹夜していても、雪が積もっていても、元日の午前中は必ずそうする。 簡単な朝ごはんは食べてから出かけるものの、新年の宴はお参りが済んでから、と決まっている。

そんな重大なイベントに、長男であるパパはもう二十年も参加していないのだった。 ましてパパは超の付くマザコン。 私にはわからないが、それはパパにとって常に心に掛かる、辛いことらしかった。

それほど辛いのなら。
それほどまでに実家で年越ししたいのならば。
ハナ子に何と言われようと実家に来てしまえばいいのに・・・と、私は思った。 パパが過去、精神的に弱ってしまった時期があったことは知っていたけれど、現在のパパは「病んでいる」様子は無いのだし、パパが大人しくしていればしているだけ、ハナ子が図に乗るのではないか?という風に思えてならなかったから。
私が思うに、ハナ子は激しい性格だけれど、一方で酷く気の小さいところがある。 ある程度は彼女に譲ってやるにしても、要所要所でパパが主張を通せば、少しは大人しくなるんではないだろうか。
優しくしすぎるから、度を越したわがままになってしまう部分があるんじゃないか?
攻める権利の無い自衛隊にだって、防衛する権利はある・・・

嫁である私が何を思っても仕方の無いことではあった。


私たちはホテルでギリギリ間に合った朝食ブフェ(と言うと格好良さげだけど実は中華粥と点心、美味しい)を済ませた後、午後になってから2叔父の家に向かった。 義鳥中心部から5分ほどのところにある真新しいアパートメント。 部屋の下に着いてから電話をすると、リンリンがベランダに出てきて手を振ってくれた。 見上げれば、どこの家庭にも赤い中華提灯が飾られる中、一際大きいのが揺れている窓だった。

上に行くとリンリンは教科書を片付けていた。 高校三年生だった彼女は受験を控えて猛勉強中。 しかし旧正月中は遊びたいので、来客のあるギリギリまでがんばっていたのだそうな。

中国の子供は本当によく勉強する(一方で満足に学校に行くことさえできない人々もいるはずなのだけれど、それはまた別にする)。
夫のパパ側の従弟妹のうち、リンリンとこざるちゃん(♂)の2名が現役高校生なのだけれど、ふたりとも全寮制の高校に通っていて、週末と長い休みのときしか自宅にいない。 学校は自宅からも通える距離なのだが、授業後の補習が毎日遅くまであるために寮の方が便利なのだそうだ。 それも、毎週日曜の午後には補習授業があるので、生徒たちは金曜の夜自宅に帰って、日曜の朝には学校に戻らなければならない。 私が高校生だった頃にも学習塾だ模試だと土日を潰されていたけれど、自宅で自由にするのと学校内に缶詰にされるのとでは、重圧が違うように思う。

若いときなんて、いやいやでも何でもいいから学んどいて損は無い。・・・とも思うけれど、反面、親自身に出来ないレベルのお勉強をさせているから、教育熱心になり過ぎるのではないか、と少し意地悪に考えた。

もっとも、リンリンの母である叔母は「いい大学より、近くの大学に行って欲しいのよ」と話していたから、のんきな方なのだろう。

叔母とリンリンと話しているうちに、大晦日の料理担当である叔父が食材とともに帰宅。 それから順に、4叔母家族と叔父の友人がぞろぞろとやってきた。

例年、叔父一家は郊外の村で年越ししているのだけれど、この年に限っては「市内の住居を新築したので」という理由で新居の方で大晦日を過ごし、明けて新年の朝に村へ移動するということだった。 「新築した家にて年越し」というのは風水上、重要であるらしい。
1叔父一家は村で、叔母たちはそれぞれの配偶者の都合に合わせて過ごし、4叔母だけは「夫には兄弟が多いので気楽」と、2叔父宅の年越しに参加した。

2叔父はたいへんな料理上手。
鳥・豚・魚に野菜もたっぷり。 酒も自家製でほんとに美味しい。
良い匂いが充満する頃、楽しみにしていた宴が始まり、
「いただきま~す」
と私が日本語で言うのを、リンリンとゲンゲンが唱和。
なごやかだなぁ、と思ったところに目に入った見慣れない肉。

それは犬肉だった・・・・・・・・・・・・・・・


 

             「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのご」へ続く。



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私は単純で幸せ。 ありがとうございます。



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ダック鬼嫁日記45「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのさん」

2006-09-11 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
2005年は、引越し入籍結婚ハナ子と、それはそれは忙しかった私たち。
飛行機に乗ることは多くても、ゆ~っくり休憩するためだけの旅行は皆無だった。
それだけに、通常より長めにとった旧正月のお休みを、それはそれは楽しみにしていたのだった。

計画としては、先ず、義鳥空港に飛び、義鳥市内の叔父宅で年越し。 次に、義鳥郊外のパパ実家に叔父一家と共に移動、叔父叔母の家で毎日催される宴会に参加すること5日ばかり。 その後、杭州に移動。 実家には立ち寄らないものの、私も夫も西湖周辺が好きなので、ホテルに泊まってゆっくりしようということになっていた。 さらにその後、上海に移動。 上海の同僚や友達と会って、新天地のマッサージ屋に行って、それからようやく北京に帰る。 こう書くと忙しいけれど、それぞれのチェックポイントが最低2泊はあるので、ゆるゆるとした旅。

出発前に、私は北京のカルフールで山のような買い物をしていた。 

旧正月直前の中国は、妙にアツい。 
市場に。スーパーに。やる気満々買出しに繰り出す人々の熱気がムンムンしている。
「あまり豊かじゃない人でも、旧正月だけはお金遣っちゃうからね。」
ということだけど、加えて最近の好景気によって「ウチもこんだけ豊かになったんだぁ~ッ!」という喜びをバクハツさせている人も多いに違いない。 たぶん。 少々小高いとはいえ、輸入品でもなんでも大概のものが外資系スーパーで売られている北京。 現在のその姿からは想像もつかない、物の無い時代はそう遠い昔ではない・・・って、私は知らないけどさ。

ともかく、私は旧正月=春節前の買出しに参戦、カートにうず高く春節みやげを積み上げる中国人ファミリーに混じって、土産を買い漁った。 多くの人は、非常に中国的な、真っ赤真っ赤のパッケージに「春節快楽!」みたいな文字のプリントされたドライフルーツやら、ナッツ、何味だかよくわからないような飴やらの詰め合わせを買っていた。 近頃嗜好品として浸透してきたインスタントコーヒーセットとか、各種チョコレートなんかも人気の様子ではあった。

私が買ったものはと言えば・・・
洋酒とチョコレート(キャドバリーとかダブ、リンツの外資系チョコ限定。 純中国国内メーカのはやっぱり不味い)と輸入品クッキーの巨大缶とクリームチーズと自作バジルペーストを入れるためのプラスチックボトル。 ボトルは本来はお茶を入れるためのもの。 クリームチーズはチーズケーキに加工して持っていった。 
まったく、中国的でない(と思う)。 
これ、「おみやげ何持ってったらい~い?」と、義鳥の従妹と打ち合わせて決めたんだけれど、その電話を偶々聞いていた夫の友達(安徽省出身)は笑っていた。
おともだち;「そんな田舎にしゃれたものなんか持ってってどうするの?」・・・とは言わなかったが、目が明らかにそう言っていた。
ちっちっち・・・キミは甘いな、このようなものがウケるのだよ、と私も目で言ってみた。 いや、このひとは英ペラなのでちゃんと会話が成立するんだけど。 置いといて。

パパ実家の関係者たちは、物珍しいもの、特に食べ物が好きなのだ・・・ということを、私はこの時点までに学習していた。 義鳥ってマーケットが有名なだけに、中国国内の製品はほぼ何でも揃う。 それも、他の地方で買うよりもかなりの格安で。 じゃあ、そんな彼らに贈り物といえば単純に高級品とかは???と夫に聞いたところ(まあ我が家の経済でどこまでの高級品を用意できるかはさておき)、
「それも駄目。 あからさまに高いものなんて却って気を遣っちゃって喜ばない・・・」
と、却下。
それじゃあ、普段あまり目にしない、あるいは自分で買うのはイマイチよくわからない馴染みの無い外国的なものでどうか? そのように考え、従妹に相談の上、↑の品々になったのだった。
「バジルペースト(バジル+塩+パルミジャーノ+パインナッツ+オリーブオイル+バルサミコ)は、蒸かしたての万頭に付けて食べると美味しいんだよ。」
そう言うと、おともだちは楽しそうに笑った。
ほんとうなんだってば。

そして、義鳥の親戚たちは、「ガイジン嫁がま~たわけわからんものを持ってきた、もっとイイもの持ってくればいいのに」ってな反応をする人々では決して無い。
私はこの人々と居て、居心地の悪い、イヤな思いをしたことはいっぺんも無い。
中国人配偶者の親戚が苦手・・・というのはよく聞く話であるけど、この点、私はラッキーなのではなかろうか。 ラッキーと対極の要素は全てハナ子に集約されているということか。

トランク大小ひとつづつにみやげをびっちり詰め込んで、旧暦の小晦日に私と夫は中国南方航空義鳥行きに乗り込んだ。 

余談だけど、私はこのとき「何故中国人が遠くの親戚宅を訪れる際、当地でも売っているもの(たとえば果物とか)を山のように持ち歩くのか」がわかった気がした。 みやげみやげしいご当地物が少ないのだ、中国って。 北京だったら袋入りの北京ダックや、薄い駄菓子屋っぽいせんべいにジャムの挟まったお菓子、ドライフルーツ入りねちねちしたゼリーみたいなものが名物のようではあったけど、いつもそれというわけにも行くまい。 それで、どこででも売ってるけど自分的におススメな品になるのだろう。 それにしても量が物凄いのは国民性なので突っ込まないでいただきたい。

私がトランクに詰め込んだ、春節仕様の犬のぬいぐるみ付きチョコレートの大箱なぞ、中国全土で売られているに違いない。 ああ、私の中国人化。 ちなみにハナ子実家関係者には、ハナ子の動きによっては挨拶にあがれない可能性を考慮し、旧正月の挨拶状を付けて品物は郵送しておいた。

ともあれ私たちは、曰く「国内線では一番評判がいいんだよ」の南方航空に搭乗した。 正直他の航空会社に比べて何か素晴らしいかというとそうでもなかったが、しかし機内には春節のために帰郷する人々の嬉しそうな雰囲気が満ちていた。 言うまでも無くぎっちぎちの満席。 あまりの窮屈さ騒がしさに、私たちは原因もよく思い出せないケンカをし、ケンカのことを忘れるころに義鳥に着いた。 2005年いっぱいそうだったんだけど、「ハナ子に遭遇する可能性のあるところ」に行く予定があるだけで、些細なことからケンカになることが多くなっていた。 要するにイライラしていたのだろう。 もっと言えば、私は「ハナ子が義鳥の親戚たちにも私の無いこと無いことな悪口をふれ回っている」と考えると、いくら夫に「誰もハナ子の言うことなんて信じないから」と言われてもやはり暗い気持ちになった。 自分が好意的に見ている、それも言葉があんまり通じない人々に対して、でっちあげの大嘘を言われ放題なんだから、気にするなと言うのが無理。

飛行機が義鳥の、まるでタクシー乗り場のような飛行場についた。 ここは、そもそもが1日おきの営業で、営業日も最終便の乗客が預けた荷物を受け取るや否や「さあ外に出て!」と施設の外に叩き出し、消灯して無理やり営業終了してしまう、そんなところ。 もちろんラウンジやカフェは無い。 ここで私は、数年つかったメタルピンクのトランクの取っ手が壊れているのに気がついたが、クレームを受け付けるひとは存在しないようだった。 ・・・まあ、いい。 シドニーから使っていて、どれほど空を飛んだかわからない働きもの。 元はとっくに取ってある。

当然のように一箇所しかない飛行場を出ると、親族友人の迎えのひと、強引なタクシーの客引きが押し寄せている。 義鳥はもともと田舎であるのに、言葉もわからない外人がごろごろ居るような不思議なところ。 そんな町の、空港に来るタクシーははっきり北京のタクシーよりも怖い。 歩くそばから荷物を引っ張られる。 ・・・こりゃちょっと、強引だなあ、と思ったら。

「おねえちゃん!」
カタコトの日本語。
いとこ達だった。

叔母ちゃんといとこ達がニコニコと車で迎えに来てくれて、楽しい春節、開始。
そのはずだった・・・




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上がるものだなあと感動中。でもそろそろ壁らしい?
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ダック鬼嫁日記44「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのに」

2006-09-08 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
夫にとっては初めての日本のお正月。
私にしても久々の実家で過ごす正月。
それは忙しく、しかし和やかに過ぎた。
神奈川にある私の実家で、両親と弟と共に紅白見て、近所の神社に行った。 祖母・叔母・従妹に電話して明けましておめでとうを言い合った。
年越し蕎麦にお雑煮お節・・・飽きた頃のカレーまでは滞在できなかったが、夫が居ること以外は、高校生くらいの昔に帰ったような正月っぷりだった。 

夫が日本からパパの携帯にニューイヤーコールを入れると、電話の向こうでハナ子が吠えていた。
「パパにだけ新年の挨拶かうおおおおおぉぉぉぉ!」
ハナ子よお前こそ新年早々ご挨拶なこった。
パパに電話しない方がいいんじゃな~い?とは夫が気の毒で言えないし。
電話しないのもなんか妙だし。
気がかりなのは、明らかにハナ子の吠える声がばっちし聞こえてしまっているはずのパパ宅隣家の人々だ。 聞けば築10年内装する間もないほど居住者がしょっちゅう変わるという。 無理も無い・・・

ともあれ私は2006年になるとほぼ同時にハナ子の咆哮を聞いた。
幸先のよろしいこっちゃである。

思えば2005年の正月はまだシドニーに居た。
ハナ子と共に。

2005年に私は上海で入籍した。
ハナ子も上海までやってきた。

2005年は結婚式・披露宴も行った。
ハナ子と戦い、ハナ子に泣きつつ。

ああ、ハナ子に彩られた年だったのだ。ハナ子色。
結構なジェットコースター人生だと思うけど、それもハナ子コースターだ。
書いていてちょっと辛いもんがある。


さて。
ハナ子本番ハナ子真っ盛りは、新暦の正月を終えて北京に帰り、旧正月に入ってからだった。

言うまでも無く、中国人にとってのお正月とは旧正月のことで、だいたい1週間ほどのお休みがある。 旧暦に従うので、新暦上では毎年日取りにズレが生じる。 このときは、1月の末が旧正月だった。
2006年中頃には日本に行き、2年ほどは戻らないことがほぼ内定していた夫は、「できれば非常に中国的な過ごし方をしたい」と思っていた。 日本人である私に見せたいという気持ちもあっただろうし、また、結構なイベント好きだからだろう。 本来ならば実家に帰って家族と過ごすところ、ハナ子問題があるので、敢えて義鳥の叔父宅に行こうという。
そんなことをして、パパはともかくハナ子とかち合ったらどうしようというのか。
「それは大丈夫です。 彼らは旧暦の大晦日と元日は絶対に杭州で在宅してるから。」
ふぅぅぅん・・・理由は聞かずともわかる気がするけど・・・
「察しのとおり、どっちかの実家で年を越すと戦になるから、というのが理由。」
旧正月休戦協定。平和への第一歩ではないことは確か。
その昔は、夫はパパに手を引かれ、弟くんはハナ子に手を引かれ、各々の実家で年を越していたという。 しかし夫が10歳になる頃、それでは世間体が悪い・・・とハナ子が言い出したため、現在の過ごし方が採用された、と。
今年はパパ実家、来年はハナ子実家、と順番にいけばいいのに・・・と私は言ったが、
「一度そうしちゃうと、パパの順番は永遠にまわってこないから。」
とのことだった。

まあこれに関しては、日本人同士でもよく聞く話ではある。
我が家は幸いこの悩みは発生しない(その分毎年2度の正月がある)が、もしも日本人同士あるいは中国人同士の夫婦だったならば、交代で行くのがフェアってもんだと私は思う。 でも世代や地域によっては古臭くて「夫の実家で過ごすのが当然!」と信じているバアさんジイさんもいるだろうし、互いの実家に居ることがすごくストレスになる人もいるだろうし、現実はそんなにフェアではない。

どっちの実家で過ごすかで夫婦が険悪になる。

なら、どっちにも行かない。
と、ここまでは理解の範疇。 飽くまでも現在ギリギリ二十代の私の頭で考えて。

しかしパパ&ハナ子、例年年越し後旧暦2日か3日頃には、必ず互いの実家をまわるのだ。 同じ日数ずつ。 
だったら年越しも順番にしちゃえばいいのに。
それに、ハナ子にしては妙にフェアではないか?

「だから、パパは長男なんだってば。」
だから何。
「農村の長男、正月は実家にいるのが普通なの。 あの世代は。」
普通でない行動を取らざるを得ない、それはハナ子のせいであって、フェアなんかではないのだ・・・という。

確かに中国人の長男をありがたがること、この上ない。
都会の人に限っては「女の子がいい、将来世話されるなら嫁より娘」って意見もチラホラ見られるけれど、圧倒的少数派に違いない。
大陸の中国人に限らず、国籍が変わって何世代も経ている華人でも同じ。
中国人・華人で、周囲から「男産め!」ってプレッシャーをかけられている人を少なからず知っている。
夫にしても「長男の長男」という理由で、従弟妹に比べてずっと良い待遇を受けているようであるし。

農村出身で現在60歳のハナ子が、「夫(=パパ)は長男である」という事実を無視しているのは、なかなかスゴイことであるらしかった。

まあいい。
義鳥の叔父さんに「旧正月に訪問したいけど」と申し出ると、快諾してくれた。
パパにも念のため確認したところ、「今年は例年より遅れて実家に行きますから」ということなので、かち合うこともなさそうだった。

「義鳥で年越しするなんて何十年ぶりだろう・・・」と、夫は嬉しそうだったし、まだ十代のいとこ達とは一緒に年越しをしたこともない・・・つまり前回義鳥で年を越したときは彼らは生まれていなかった、ということで、彼らもまた嬉しそうに歓迎ムードを高めてくれていた。

そのときは、まさかハナ子と遭遇するとは思ってもみなかったんである。



             「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのさん」へ続く。



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ダック鬼嫁日記43「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのいち」

2006-09-05 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
意外にあっさりした幕切れ・・・もっと言えば鬼嫁であるこの私の完全勝利に終わった結婚式騒動。
それから1ヶ月あまりは平穏に過ぎた。
パパと夫は連絡を取り合い、私もパパ宛に日本語でメールを書いたり、職場宛に「職場の方と食べてください」とか何とかお菓子を送ったりはしていたけれど、それらの交際がハナ子に知られることはなかった。 ハナ子が夫と直接話すようなこともなかった。
後に聞いた話によればハナ子は日夜かかさず吠えていたらしいけれど、その声は北京までは届かなかった。 まさに負け犬の遠吠え。

「負けっぱなしでなるものか、エイヨォーゥ!」

と、言ったかどうかは知らないが、ある日ハナ子からの攻撃、いや、連絡が唐突に再開された。


それは年の瀬。
クリスマスも過ぎた28日の午後だった。
夫は30日まで出勤で、私は家で年末帰国の準備をしていた。 30日午後から年明け3日までの、短い年越し日本滞在の予定だった。

余談になるけど、海外住まいの数年間で、私が年越し帰国をしたのはこのとき限りだ。 結婚式騒動で、シュウトメとの関係や中国暮らしに、私は妙に疲れていた。 実を言えば翌年からの日本赴任が8割がた決まってはいたのだけれど、ワーキングビザを申請しなければならないし、それが降りるかどうかというのはそれはそれでストレスだったから、「今年は実家で年越しさせてあげよう」という夫の気遣いだった。

とにかく、みやげの準備や、掃除や何かをしつつ、一人で在宅していた私。
そこに、アパートメントの管理部から電話があった。

管理部の人「小包が届いてます。 受け取り票があるので下まで取りに来て!」
どういうことかと言えば、つまり郵便局留めの小包が来ているので、その受け取り伝票を管理部で預かっているので取りに来い、と、そういうことだ。
ちなみに中国語。
対外的には「英語通じます!中国語が全く出来なくても大丈夫!」ということになっているのだけれど、このアパートメントで本当に英語が出来るスタッフは、私の知る限り一人だけだ。

住めば住むほど、
「ローカルアパートメントでいいなあ。 今払っている家賃の半分以下で、すごく広くてきれいなところに住める~」と、思ったものだ。
もっとも夫に「セキュリティはキミの身の安全を守るハナ子対策だよ」と言われて妙に納得した。
我が家は、門番のいないところには住めない。
本当に来るかどうかは別として、「ハナ子でも入れる」ところに住むなんて、精神的に参ってしまいそうだ。
ハナ子対策費。 国家予算で言えば防衛費。 軍備縮小の日は遠い。

ともあれ、小包が届いたよというお知らせの紙がきた。

それまで、ハナ子が理由無く物を送って寄越したことなどただの一度も無い。
原因は明白。
その数日前のクリスマス、がハナ子に電話をしなかったからだ。

これまで書き綴ってきたように、うちのはもともとハナ子と仲良し親子などではなかった。 しかし、それでもイベントごとの電話だけは欠かしたことがなかった。 誕生日、クリスマス、婦人節、正月。 ずっと離れて住んでいるから、返ってそういう機会に実家のことを思い出すのかもしれない。

2005年のクリスマスに限って電話をしなかった理由は、言うまでも無く結婚式のゴタゴタが原因。 あれから1ヶ月と少々しか経過していないのに、何事も無く「メリークリスマス!」って言うのも白々しい・・・と思ったためだ。
ただそれだけ。
あの一件があったからと言って、ハナ子との関係を生涯に渡って「切って」しまおうとか、そういうつもりではなかった。 いくらハナ子でも母親なわけで、パパや、他の親戚との関係もあるのだから、完全に無関係になることなんてそうそう出来はしない。 ただ、しばらくの間距離を置きたかったし、それは逆に言えばあの件をこちらから蒸し返すつもりは無い・・・ということでもあった。

そんな思惑はハナ子にはわからないようであった。

私が思うに、ハナ子は息子からのクリスマスコールが無かったことがものすごくものすごく気に入らなかったのだ。 そのくせ、「なんで電話もよこさないんだい?」とか、もっと言えば「おまえ!結婚式に親を呼ばないとは何事だ!」とか言ってこないのは、やましいからに他ならない。
口火を切ってしまえばこちらにも言い分があり、それに対してハナ子はきちんと言い返すことが出来ないのだろう。

だから品。

品物を送りつけたら、「届きました、ありがとう」という電話をするだろう・・・と、踏んでいるのだ。 そしてなし崩しに仲直りするつもりだ。 更に、「お披露目パーティーだけでもしましょうか、旧正月にでも」って言う。 絶対に言う。

嫌あねえ・・・や~らしい。
つうか、根性が曲がっとるよなあ。

私はそのように思ったが、私の親じゃないので、とりあえず事態を夫に丸投げした。 つまりオフィスに居る彼に電話をして、受け取り票のことを知らせた。


「あ、その件ならパパから既に聞きました・・・」
あ、そう。
「背後にハナ子状態で電話がかかってきたのですが、俺としてはなるべく穏やかな口調で、仲直りしたわけじゃないのに唐突に品なんか送りつけられても困りますぅ~って答えるしかなかったです、ハイ。」

えらい。

誰がえらいって。

夫をこんなに察しの良いひとに育てた、私がえらい。

「電話の向こうでは、パパの背後のハナ子がブチギレしてました。 母が息子に贈り物をして何が悪いんだよドチクショー! うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!って。」
そういう態度を取れば取るだけ息子がドン引くと何故わからないのか。
「まあ、送り返すまではしたくないので、後ほど品物は引き取りに参りましょう。 ということで、後は帰ってから話すね。」
私;「わかった了~解~。」


唐突な贈り物の受け取り票には、その品が茶葉や金華ハムなどの保存食料であると書いてあった。 私たちは日本行きを控えて忙しく、それらの受け取りは北京に戻ってきてから、ということにした。 

しかしこの一件は、更なるハナ子ワールドへの、招待状だった。



              「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのに」へ続く。



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