チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「なんとなく知る、シルビア・クリステル講座」

2012年10月19日 18時22分03秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
Sylvia Kristel(スィルヴィアもしくはスィルフィア・クリスタル、1952-2012)
女史が17日に死んだそうである。60歳。

註1)Sylviaという女性のファースト・ネイムは本来Silviaとして
英語圏とドイツ語圏、スカンディナヴィアで使われ、
フランス語圏ではSilvie(スィルヴィ)として存在する。が、
生粋のオランダ人名ではない。だから、
"外国人っぽい"名として附けられたのだろう。

ガキの頃からのヘヴィ・スモウカーで、
10年前から咽頭癌を患ってたから、
時間の問題だったということである。

註2)喫煙率;オランダ人クリステル女史がガキだった1960年代は、
オランダがダントツの喫煙率第一位国だった。
米国を中心とした反喫煙の風潮が広がり、
オランダ人の母を持ち、チェイン・スモウカーだった
オードリー・ヘプバーンが癌を患った1990年代には、
オランダでも喫煙率は低下してった。
cf;過激的な嫌煙の為政者
英国スチュワート朝ジェイムズ1世
フランス・ブルボン朝ルイ13世およびルイ14世
フランス第1帝政皇帝ナポレオン
第三帝国総統ヒトラー

シルビア・クリステルといえばもちろん、
"Emmanuelle(エマニュエル、邦題「エマニエル夫人」"、そして、
「籐椅子」である。「藤圭子」ではない。

註3)エマニエル夫人=1974年制作のフランス映画。
スィルヴィア・クリステル女史主演のソフトコア・ポルノ映画。
1970年代、"ウーマン・リブ"の意識が日本で高まり、
榎美沙子の「中ピ連」運動が話題になったあとで、
封切り当時、「女性の美しいヌードはオシャレ」といって
成人映画指定されなかったことで、
このポルノ映画に女性や子供が殺到した。
籐椅子=東南アジアのラタン(籐)を素材として作られる椅子。
エマニエル夫人といえば籐椅子、というのが定番だった。あと、
飛行機の中で...というのも。

クリステル女史は高身長人のオランダ人のご多分に漏れず、
175cmほどの上背だった。そして、
女性的な肉体部分も魅力的だった。そのいっぽう、
同女史は英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語、そして
母国語であるオランダ語というファイヴリンガルで、
かなりな高IQだったらしい。それはともかく、
幼い頃の何かのトラウマか、年上男趣味で、
「エマニエル夫人」で有名になった1970年代には、
妻子持ちのフランドルの作家
Hugo Claus(ヒューホ・クラウス、1929-2008)と同棲し、
息子ももうけた。

註4)Hugo Clausはノーベル文学賞の候補という下馬評が
何度も立ったほど、日本以外の先進国では
よく読まれてるらしい作家である。昭和30年代に、
処女作である"De Metsiers"がフランス語に訳され
"La chasse aux canards"として出版されたが、日本でも
"ユゴー・クラウス"という名で"フランス文学"として
「かも猟」が紹介されたことがある。ともあれ、
敬虔なカトリックの家に生まれてカトリック系寄宿学校で
精神的な傷を負ったのか、そこから脱走した経緯を持つ
同人は、反キリスト教な立場だった。
キリスト教にちなんだ役名の登場人物を
全裸で舞台に立たせる戯曲を上演させたことが
公然猥褻罪に問われて、
1万フランの罰金と4月禁固の実刑を言い渡された
(禁固刑は特別にあとから執行猶予が与えられた)。
このとき、コメントを求められ、
(拙意訳)
「賞金でこの罰金がチャラになるからノーベル賞に相応しいだろ」
とジョウクで答えた(1万ベルギー・フランは数万円程度)。が、
晩年、アルツハイマーと診断された。そして、
小説や戯曲のようなものが難しいので
文学は詩作にしぼるようになった。が、
それも無理になって、画作もしてた同人は、今度は、
絵を描くことに専念した。そして、
それもついに不可能になった2008年、
まともな意識のときに「尊厳死」を宣言した。そうして、
3月19日、きちんとした法的手続きのもと、
クラウスは安楽死したのである。

細かったときの「エマニエル夫人」もエロくてよかったが、
即物的な私はソフトフォーカスなものは本来あまり好きではない。
アラサーとなって肉付きがよくなったハリウッド映画の
"Private Lessons
(プライヴァト・レスンズ、邦題「プライベート・レッスン」(1981)"
のほうがよかった。それから、
醜く成り果てた晩年の容姿も嫌いではない。

註5)クリステル女史はクラウスと別れ、倅を残してハリウッドに渡った。
「ザ・コンコード...エアポート'79」
「レイディ・チャタリー'ズ・ラヴァー」
「マタ・ハリ」
「レッド・ヒート」
「ディ・アロガント」
などに出演してる。

"Melodie d'amour chante le coeur d'Emmanuelle"
(メロディ・ダムル・ショント・ル・クル・デマニュエル
=(拙大意)愛の調べがエマニエル夫人の胸の内を歌い上げ)
♪ミーー>レ・>ドーー<ミ・>レーー>ド│
<ミーー>レ・>ドーー<ミ・>レーー>ド│
<ファーーー・●●●●・>シーーシ│
シーーシ・<ミーーー・>シーー<ド│
ーーーー・●●●●・●●●●♪

註6)"Melodie d'amour chante le coeur d'Emmanuelle"は
映画の主題歌。エマニエル坊やはカヴァーしてないはず。

まだ20代のときにシャレで京都の野宮神社の絵馬に
籐椅子に坐ったエマニエル夫人の似顔絵を描いて、
大きい「L」という文字を"Love"のつもりで書いて、
「絵馬にL夫人」と小さく解説まで書き込んで、
縁結びを願ったのだが、ついに結婚できずじまいだった。
「L」は"Loser"という意味で伝わってしまったのである。
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4 コメント

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クラウス死後5年 (ひろ)
2013-03-20 15:14:31
はじめまして。
ヒューホ・クラウスの安楽死、大変ショックでしたが、あれからもう5年。ベルギーの新聞に載った50枚もの写真と一人で「追悼」していたのですが、日本のどこかにも何か書いている人がいないかな…と思ったら、こちらにたどりつきました。
エマニュルエル夫人やレヌ・クレマンなど同じ世代なんですね。私はオランダ語学習者で「ベルギーの悲しみ」は一応読みました。ただし理解度は2~3割といったところ。
 また時々お寄りしますね。野球の記事もおもしろいです。「クラ音」の方は素養がなくてわかりません。
 では…
 
返信する
ベルギーの断腸の思い (passionbbb)
2013-03-20 23:08:55
ひろさん、コメント、ありがとうございます。
ブラバンといったらブラスバンドとしか思わない程度ゆえ、シルヴィア・クリステルに関してふれたほどにしかクラウスについて知りません。なぜ「3月19日」という日を選んだのかも解りません。とはいえ、自分が知覚できる時代・地域・文化・知識以上のものを期待できない現代作家を読まない私は、親の世代であるクラウスはギリギリの許容範囲なのと、外国語のひとつも話せないため邦訳がほとんどないクラウスはやはり"Het verdriet van België(ヘート・フェルトリート・ファン・ベルヒエ、のように発音するのでしょうか)"の英訳本の読んだフリしかありません。が、解らない単語ばかりの英訳でも、内容は興味深いものでした。邦訳が出ればぜひ読んでみたい小説です。
返信する
Unknown (ひろ)
2013-03-21 09:07:43
丁寧な返信、ありがとうございます。
文章がつたなくてすみません。エマニュエル夫人やルネ・クレマンのところを読むと、あなたは私と同じ世代なんだなと直感し、嬉しくなった…そういうことを書きたかったのです。
 シルビアは仏・英語で自伝が出ていますね。そこで語られるクラウスも興味深いです。2008年秋には、SMAP×SMAPに出演しているのを見て、びっくり。お元気そうで相変わらず美しかったですよ。香取が上半身裸で籐椅子に座り、笑いを取っていました。
 クラウスは死を決意してから、別れのディナーに順次親しかった人を招いていたようです。シルビアは自分が家に呼ばれたとき、この人は覚悟をきめたのだと感じたそうです。
 Hobokenと聞いて、フランダースの犬しか思い浮かべなかったのです。野球の発祥地とは!
 WBCはがっかりでしたね。

 ではまた。
返信する
sinatraはsenatorと同源語 (passionbbb)
2013-03-22 21:48:42
ひろさん、コメント、ありがとうございます。
同世代ですか。"バブル前夜世代"ですね。

オランダ語をご存知のかたに釈迦に説法で恐縮ですが、
Hobokenはhooge-beukenで、
hoogは英語のhigh、beukは英語のbeechで、
ブナの表皮を剥いで重ねて文を書いたのが始まりとされる
bookも同源ですね。
アントウェルペンのホーボーケンも高いブナの木が茂ってたところなんでしょうか。
私は子供の頃、パトラッシュの犬の種類をホーボー犬というのだと思ってました。
また、Hobokenは、ヨーセフ・ハイドンの作品を整理した学者の名としても知られてるとおり、
そんな土地柄に住んだ人のサーネイムとなったので、けっこうありふれた名ですね。
ニュー・ジャーズィー州HobokenはHudson Riverを挟んでマンハッタンの対岸にある町ですが、
フランク・スィナトラの出身地でもあります。

スィナトラは、Yankee Stadiumで"New York, New York"が流されます。
ディマジオが嫌ってたスィナトラが流されてるっていうのも皮肉ですが、
1949年の映画"Take Me out to the Ball Game"でもスィナトラは
ジーン・ケリーと同名の歌を歌ってますね。
WBCに限らずMLBは中南米出身選手に支配されてますね。
かつての小錦・曙の大相撲みたいな美しさのないスポーツと化してて、
関心が薄れてます。残念ですが。
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