ロンドンオリンピックの開会式で、イギリスの功績のひとつとして国民保健サービス(National Health Service=NHS)がパフォーマンスに登場した。
NHSは租税をおもな財源とする国営の医療制度で、国民は所得に応じた保険料を支払うが、病気やケガをしたときは薬剤費などのわずかな一部負担をのぞいて誰でも無料で医療を受けられる。
誰もが平等に医療を受けられる制度は、病気を治すという個人的な問題を解決できるだけではなく、その国の社会に安定をもたらし、経済的発展にも貢献する。NHSは公的な医療保障の先駆けとして1948年に始まり、各国の社会保障にも影響を与えたため、イギリスが誇るものとして紹介したのも頷ける。
だが、我が国の公的な医療保険制度もイギリスに負けず劣らず、世界に誇れる素晴らしい制度といえるだろう。
日本で、貧富の差に関係なく利用できる「国民皆保険」が実現したのは1961(昭和36)年。その後、半世紀に渡って、「いつでも、どこでも、だれでも」よい医療が受けられるという理念のもとに、どの時代も、どんな政権でも国民皆保険を守る政策がとられ、国民の健康を支える中心的な役割を担ってきた。
その国民共有の財産ともいえる皆保険を崩壊に導く可能性のある法案が、国民がオリンピックに浮かれている間に、どさくさに紛れて採決されようとしているのだ。
「強制加入」「現物給付」が
日本の医療制度の最大の特徴
今の日本で、生まれてから死ぬまで一度も医療機関に行ったことがないという人はまずいないだろう。皆保険制度のおかげで、私たちは病気やケガをしたときは、保険証1枚あれば日本全国どこの医療機関でも、少ない自己負担で医療にかかることができる。そんな日本でも、ほんの50年前までは医者にかかれないために命を落とすことは稀なことではなかった。
戦後の混乱が残る1955(昭和30)年。当時すでに、会社員や公務員のための健康保険、農村漁村や都市部の自営業者のための国民健康保険は存在していたが、経済的事情などでなんの健康保険にも加入できない人が約3000万人もいたという。その割合は全国民の3割にものぼった。そのため、当時は生活保護を受ける原因の6割は病気やケガによるもので、防貧対策として国民皆保険を求める声が上がっていたのだ。
1959(昭和34)年1月、それまで任意加入だった国民健康保険を改正して、会社員や公務員など勤務先の健康保険に加入する労働者とその家族以外は、すべての人が国民健康保険に加入することが義務付けられる。そして、全国すべての市区町村に国民健康保険組合が作られ、2年後の1961(昭和36)年4月に国民皆保険が実現した。
2008(平成20)年から、75歳になると、それまで加入していた健康保険を脱退して、すべての人が後期高齢者医療制度に移行することになったが、「誰もがなんらかの公的な健康保険に加入する」という大枠はこの50年間変わっておらず、皆保険制度は守られてきた。
ところが、今、参議院で採決されようとしている社会保障制度改革推進法が通ると、国民皆保険が崩壊し、必要な医療が受けられなくなる危険があるのだ。
法案の条文から消えた
「国民皆保険の堅持」
社会保障制度改革推進法は、参議院での採決が待たれている「社会保障・税の一体改革関連法案」のひとつで、財政論の観点に立脚して医療をはじめとする社会保障の在り方を見直すことを目的としたものだ。
実は、これまでの医療制度改革の文書では、どんなときも「国民皆保険の堅持」という言葉が使われ、時の政府も国民皆保険を支持していた。ところが、今回の社会保障制度改革推進法では、この言葉が消えて「医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持するとともに」という言葉が使われているのだ(赤字は筆者、以下同)。
気がつかなければ読み飛ばしてしまうかもしれないが、「原則として」という言葉が入ったことは、「例外を作ってもよい」ということだ。国の都合で、「この人は健康保険に入れなくてもよい」ということが行われることも否定できず、「いつでも、どこでも、だれでも」よい医療を受けられるという理念は崩壊することになる。
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さらに恐ろしいのが、具体的な改革として「医療保険制度については、財政基盤の安定化、保険料に係る国民の負担に関する公平の確保、保険給付の対象となる療養の範囲の適正化等を図ること。」と書かれた条文だ。
政府の文書で「適正化」といえば、削減・縮小を指すのはいうまでもない。
現行の制度では、病気やケガの治療のために必要な診察、検査、投薬、手術、入院などは健康保険で受けられることが保障されている。新しい治療法や薬が開発された場合は、有効性と安全性が確認され、その技術が倫理的にも問題がなく、効率よく広く一般に普及できると判断されると、健康保険が適用され、お金のあるなしにかかわらず誰でも医療技術の進歩を享受できる。
しかし、推進法では、財政の原理によって、健康保険が適用される治療の範囲を「適正化」すなわち「削減・縮小」していくことを謳っている。
推進法が採決されたあとに
待ち受けるシナリオとは……
推進法が採決されると、いったい日本の医療にどのようなことが起こる可能性があるのだろうか。具体的なシナリオを考えてみた。
①健康保険の適用範囲の縮小。有効性や安全性が認められても費用の高い医療技術や薬は健康保険を適用しない
②免責制度の導入。たとえば、1回の医療費が5000円以下は健康保険を適用しないなど
③高齢者の医療では、本人や家族が望んでも、健康保険を使った終末期の延命治療を一切行わない
④健康保険が適用される薬はジェネリックで、同じ有効成分の先発薬を使う場合は差額が自己負担になり、選択肢が狭められる
これらはたんなる思いつきではなく、これまでも繰り返し議論されては、健康保険の理念や人道的な立場から否定されてきたものだ。それが推進法という法的な根拠を得ることで、一気に現実のものとなる危険を秘めている。
ここ数日の報道では、消費税増税法案の採決と政局の行方ばかりが注目を集めている。だが、消費税増税法案とセットで採決される社会保障制度改革推進法案が、国民の健康や命を左右する可能性のあるものだということを、どのくらいの国民が知っているのだろうか。
もちろん借金に頼る財政構造をこのまま続けていいわけではない。財政健全化のための増税は免れない時期にきているとも思う。だからといって、皆保険を放棄し、健康保険の適用範囲を縮小する可能性のある法案までも、だまし討ちのように採決することは許されるはずはない。
ロンドンオリンピックで紹介された他国の医療制度に目を奪われている間に、自国の医療保険制度を崩壊に導く法案が採決されて、世界一の医療制度を手放すことになっては笑うに笑えない。
この原稿を書いている8月8日現在、いまだ消費税増税関連法案の成立と政局の行方に答えは出ていない。早期解散を約束して関連法案が可決されるのか、野田政権への内閣不信任案によって推進法も廃案になるのか。いずれにせよ、関連法案の行方を注視していく必要があるだろう