おはなし屋パモンの日記

おはなしを書くのが大好きなパモンの日記です。

ああ、痛い、痛い

2022年01月26日 | 日々つつがなし
首が痛い、背中が痛い…。

でも、軽くなっていく痛みだ。

どんどん良くなっていく痛みだ。

今は日に日に、良くなっていく感じしかしない。


☆それでは今日も良い一日を。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

承認欲求

2022年01月26日 | 日々つつがなし

今、精神科医のYouTubeを見ていたら、

ウチは、母子密着という事が理解できたけれど、

もう一つ、承認欲求と言う言葉が出てきた。

 

まあ、この言葉は、皆さんご存知だと思いますが、

他人から承認されたいという欲求のことです。

 

けれど、これを自分が持っていて苦しい場合もありますが、

これを強く持つ人に振り回されるという事もあると言っていて、

 

「あ~、ウチはこれだ!」と思いました。

 

要するに、息子の職場のパートのおばさんが(実質、この職場では職員が頻繁に変わるので、

この長年勤めているお局様が実際の支配者)、ウチの息子に

自分がいかに偉いかを押し付けて、

それにのらない?(息子的には乗っているつもりでも、

どんくさいので、そうは見えない?)息子を微に入り細に入り、

苛めてきたことが原因なのです。

 

とは言え、こういうモンスター的な人が職場にいることは、

当たり前なので、それにどう対処するかということが

問題ではあるのですが・・・。

 

こちらの精神も引き締めなければならないのですが・・・。

 

けれど、こういった問題は、どこでも起きるし、

おそらくこれからも起きるでしょう。

 

ここらでひとつ、対処の仕方を学んでおかなければなりません。

 

つまりは、いかに自らの承認欲求を満たし、相手の承認欲求を満たしてあげるかが、

つまりはゴマすりをするかが、これからの課題だということに気がついたのでした。

 

 

まあ、今日はここまでかな?

 

どうするのかはまだ雲をつかむような話なので・・・。

 

 

☆それでは今日よい一日を。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だって・・・

2022年01月26日 | 日々つつがなし

私という人間が、なんぼのもんじゃい!

 

私という人間がなんだって言うの。

 

丸ごと受け止めてこそ、私じゃないか。

 

私は裏も表もありません。

私は私です。

 

良くも悪くもなく、私は私という人間でしかないのに、

それをわざわざカッコつけようなんて・・・。

 

アホ―のすることや。

 

 

私は私。

それでいい。

 

良くも悪くもない、丸っこの私。

 

それを認めて、受け入れます。

 

今度の作品は私の恥ずかしいところも、

情けないところも、ぜーんぶ、

さらけ出すことになるけれど、

それでいいと思う。

 

それでこそ、私だと思う。

 

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

ああ~・・・作家って怖いな。

裸になる作業だから。

 

そうして、その周りにいる人たちも大変だ。

あーだこーだ言われるのだから。

 

ごめんね、みんな・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の不幸を願うのは

2022年01月26日 | 日々つつがなし

いけない事だけれど、

誰しもが持っているものだ。

 

問題は、それを自分だけは持っていないよと否定することだ。

自分だけ聖人化することだ。

 

否定すると、もっと意地悪になる。

もっと、もっと人の不幸を願うようになる。

 

なので、まずはそれを認めることが肝心なんだよな~。

 

時々、上手くいっているように見える人が失敗した時、

 

ザマーミロ!

 

と心の中でつぶやくくらいは自分自身に許してあげてもいいんじゃないかな?

 

それが心の自由度ではないかと思う、今日この頃です。

 

 

 

 

☆それでは今日よい一日を。

 

 

だから、それを認めれば、他人の悪意なども全く気にならなくなるよ。

 

だって、同じ穴のムジナだから・・・。

 

あ~・・・分かるわ~、同輩、くらいなもんだ。

(笑)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

息子がこんなに私にこだわるのは

2022年01月26日 | 日々つつがなし
愛着障害なのかもしれない。

見捨てられ不安が強くて、私から離れられない。

それで、適応障害と診断されてから、
ずっと家にいるようになり、私までおかしくなってしまった。


もちろん、今までだって、

ママ、ママ言ってはつきまとっていたが、
(大体、このママと言う言い方自体気に入らなかったのだが。子供じみていて)

休職してからは、なお一層酷くなった。

もちろん、私だって薄々感じてはいたので、しばらく一緒にいて、心のフォローアップをしたら、いつかは私の元から離れてくれるに違いないとは思っていた。

けれど、来月の復職が決まって、徐々に社会生活に復帰が決まってからは、さらに分離不安が高まったようだ。

しょっちゅう、ママ、ママと言われて、頭が変になりそうだった。

私にだって、一人の時間は必要だ。
もっと言うと、特に私は一人の時間をたっぷり取らないとダメな人間だ。

その私に向かって、四六時中離さないようにし、縛られて、私のストレスは昨日、マックスに高まってしまった。

思えば、鹿児島に行くというのに、剃刀が壊れ肌を傷つけて行けなくなったのも、偶然が重なったとは言え、無意識のうちに、やっぱりやめた、という意識が働いたのではないか。

最後の最後で、この家から、私から離れることを怖がったのでは無かったか。

そんな風に思えてきた。

そうなると、いよいよ、息子を離す時が来たのかもしれない。

彼の不安を払拭し、社会に無事に送り届ける事。

これが私の最後の子育て総仕上げになるのだろう。

長い、長い子育ての最後の仕事。

私の失敗した子育ての、最後のご奉仕。

この一年を楽しもうと思う。

息子との最後の一年を。


昨日、流石に決意して、

息子には一年後にこの家から出て行って貰う旨を伝えた。

今まではなんとか折り合いをつけてと思っていたが、このまま一緒にいる事はお互いのために良くないと思った。

そろそろ二人とも自立をするべきだ。

そうして、それぞれに生きていくべきだ。

でなければ共倒れになってしまうと。

私がいる事で彼はいつまでも自立する事はできない。

いつでも帰ってこれると思えば、この家から飛びたてないだろう。

そう思った。

もう力があるのに、少し傷ついては家に戻ってくるのは、少しならいいが、長期になるともう引きこもりになってしまうと思った。


いつまでも甘やかしてはいけない。

私と彼との自立がかかっているのだ。


息子の不安は分かる。

だから、全面的にフォローアップするし、なんならもう一度抱きしめて、抱っこして、頬擦りしてあげようと思う。

お前は大丈夫なんだよと。
お前ならできるよ、と。

母親に残された最後の道は、これしかないもんな。

全ての母親は偉大だな。

子供に対して最後まで責任を持たされるんだもの。

自分が産んだ、育てたものの、責任を。


ああ、しんど…。



☆それでは今日も良い一日を。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする