だからこそ、残された日々を有意義に使いたい。
生きている意味を日々感じながら、
精一杯生きたい。
自分の持てる力を余すことなく使い切り、
この世のために、人々のために、そして、
地球のためにやっていきたい。
私の出来ることは、ほんの少しだけれど、
それでも死ぬ間際まで、自分が出来ることをやっていきたい。
私の出来る事、それは、本を書くことしかない。
本を書いて、人々を楽しませること。
喜ばせること。励ますこと。
勇気や力を与える事。
それ以外に何があろうか。
子どもの頃から夢見ていた、
クリエイターになって、人々を楽しませたい!
勇気づけたい! 希望を与えたい!
それがかなったのに、なぜ躊躇していたのだろう。
それはひとえに自分が生活できるだけのお金が稼げないからだ。
そこで、いつも足踏みをしているのだ。
けれど、いつも子どもが言うのだ。
お母さんには何の心配もいらないよ。
おじいちゃんたちから貰った遺産があるし、
年金も入る。
それだけあれば生きていけるよと。
何を心配しているの?と。
そうなのだけど、その遺産だって、
今すでに手を付けている状態だ。
しかも、それほどの大金がある訳でもない。
長生きをすればするほど不安になってしまう額なのだ。
でも・・・と今日、考えを改めることにした。
というのも、私の従姉妹が、毎日ぷらぷら遊んで?
いて、しかも、家族で頻繁に旅行などもして、
人生を謳歌しているように見えるからだ。
彼女たちには、明日はどうなるだろう?などという不安はみじんも感じられない。
ただ、親の年金で一緒に暮らし、世話をし、そうして、遊んでいるのだ。
飲み会、家族旅行、誕生会・・・人を集めて宴会をし、毎日楽しそうだ。
それを見ていると、ああ・・・こんなふうに、人生の一時期を何もせずに(収入を得る仕事をせずに)生きていってもいいんだなぁ・・・と感じたのだ。
それに比べて、私ときたら、毎日、毎日、お金のことばかり・・・。
そんな人生楽しくないだろう・・・と思った。
それに、若い時ならいざ知らず、この年になると、それほどの贅沢にも興味が無くなっている。
日々健康に暮らしていけて、好きな仕事をして、周りの人々と睦み合って生きていければ、
それでいいのだ。
それで幸せなのだ。
人々と笑い合って、楽しく生きていければそれでいい。
ブランドのバックや高級食材には何の興味もないのだ。
ただ、日々を幸せに生きていければそれでいいのだと思った。
だから、今日から私はもう、お金の心配はしません。
お金の心配は何もしません。
私は私。
これから自分の人生を全うするために、残り時間を楽しく過ごしていきます。
そうなります。
そうなりました。
有難うございました。
☆それでは今日もよい一日を。