とてつもなく、強い精神力が求められる。
でなければ、悪霊にとってやられるからである。
私の友人などは、霊助けなどと称して、各地の廃寺などを参拝し、助けた気持ちになっていたであろうが、結局、それらの霊に憑いてこられて、人相までも変わってしまった。
それ以来、性格もひねこびて、いまでは手がつけられない。
それほどに怖い世界であるのに、少し霊力があるというだけで、怖いもの知らずに霊に近づくのは何故なのか。
それはひとえに、自分の心の弱さに違いない。
自分ときちんと向き合わない為に違いない。
私たちが向き合うのは、霊の世界ではなくて、生きている生身の人間たちとだ。
結局、人間にとって、見えないものの力を借りる事は当たり前だけれど、それにはいつも、自分の気を清らかに保っておかなければならないのだ。でなければ、どんな悪霊に取り憑かれるかは分からない。
自分を憐れんだり、自己中心的になったり、恨んだり、憎んだり、嫉妬したりすると、それ相応の霊がやって来る。
だから生半可に霊力を使うべきではないのだ。
本来恐ろしい世界である霊能力の世界をまるで自分が偉いかのように使う事はかえって危険を伴うのだ。
霊を甘く見てはならない。
そして使うなら、自分の事だけに使う事だ。
他人を操る為に使うのは、悪霊に取り憑かれるということと同義語なのだから。
まずは感謝。
感謝しか我々を救う道はないだろう。
何にでも頭を下げる事は、私たちを唯一生かす道なのかもしれない、と、そう思った。
☆それでは今日も良い一日を。