悲しいかな・・・
今年の東京国際映画祭で見た映画はたったの二本・・・!
(皆さん、チケットはお早めに・・・(^_^;))
その中の一本が、この映画でした。
「ハンナ・アーレント」
彼女の名前は、なんとなくは知っていたのですが、
この映画を見て、「そうだったのか・・・」と改めて考えさせられました。
この映画は、映画的には、どうということはないのですが、
やはり、史実を扱っているということで、
そこには意味深いものがありました。
それは人間としての生きる姿勢というものです。
嘘は付けないんだよ、ということです。
人は真実を知ったとき、保身に陥るか、
それとも身を挺して、真実を語れるか
(もちろん、自分にとっての真実ですが)、
に分かれると思います。
彼女が、アイヒマンの事を、あんな酷い事ができたのは
(ホロコーストの事)、思考が停止していたからだ
(すいません、ウロ覚えですが、確かそんな意味で・・・)と
語ったのは、その通りだと思います。
人は組織に入ると、多かれ少なかれ、そういうことに直面します。
どんなに酷い事でも、それを仕事と捉えれば、
自分の思考を停止させ、やる事ができるのです。
(怖いことですが・・・)
そう考えると、自分の考えを貫くと言うことは、
本当に大変なことです。
まあ、ここではそれを議論するつもりはないのですが、
彼女が世間からバッシングされた訳は、
もう一つあって、それは、ユダヤ人の長老たちの
戦争中の行動を暴露した事だったのです。
彼女は単純に被害者、加害者と色分けは出来ない、と、
どんな立場の人でも、自分の保身の為には、
他人を陥れることもあるのだと公表してしまったのです。
これが、世間の誤解を招いたのだと思います。
エゴ丸出しの私などは、ここで、
アイヒマンのことだけを言及していれば、なにもここまで
バッシングされなかったのになあ~・・・とも
思いますが、
彼女にしてみたら、そんな事は許されないことだったのでしょう。
みんな一緒なのよと。
人間という者は、そういう目に遭ったら、
そうする事もあるのよと。
(私はこれは真実だと思います。
それがいいとか悪いとかではなくて)
私はこの映画を見ているうちに、
「スカートの風」の呉 善花さんの事を思い出してしまいました。
彼女も日本擁護ともとれる発言をして、
韓国人からバッシングされてしまいました。
でも、自分がこう思う、とか、
「これは大変な事だ。知ってしまったら、ちゃんと言わなければならない」と決断を迫られたとき、
それはやっぱり言わなければならないのだと思います。
(わかりませんよ、そのときにならないと)
でも、自分が真実を知ったとき、
それを言う勇気というものが、
やはり大事なんだろうなーとこの映画を見ていて、思いました。
ちなみに、彼女はアイヒマンの死刑判決については、
「当然よ、死刑にしてもあきたらないくらいだわ」
と映画の中で言っておりましたが。
(彼女自身もユダヤ人で、戦争中は収容所に
収容されていたのです)
そんな彼女でも、アイヒマン擁護と言われてしまうのですから・・・
人の捉え方、感情の部分と言うものは、
厄介なものだと言わざる負えませんね。
色々と考えさせられる映画でした。
☆それでは今日もよい一日を。
(^q^)