昨日、天願大介監督の「デンデラ」を観にいった。
天願監督は、故今村昌平監督の息子さんで、
なので、この「楢山節考」の続編とも言える「デンデラ」は、
子供が親を超えるテーマもあるなあ~・・・と
個人的にはそういう興味もあって、観にいった。
さあて、息子は親父を超えたかな・・・?
デンデラ
個人的には、面白かった。
70歳になったら、お山へ捨てられる老女たちが、
ひそかに自分たちで村を興し暮らしていたという物語だ。
しかも、彼女たちは、自分たちを捨てた村人たちへの
復讐心も抱いており、いつか、村人たちを襲って、殺そうという
野望も持っているのだ。
ただ、私が不思議に思ったのは、村人、特に男に対して、
異常に怒りがあるのだが、それは、自分の夫や息子も含まれているということだ。
わたしだったら、突然捨てられたからと言って、
自分の家族にまで、復讐するかな・・・?
(だって、仕方なく、いやいやながら、ということもわかっているんだもの。
時の権力者に逆らえないという事情もよく分かるもの・・・)
と思った。
何日か一緒にいた老女たちよりも、長年一緒に暮らした家族のことの方が、
より深い絆で結ばれているような気がするのだが・・・。
村人への復讐心に燃える村創設者のメイと、
いくじなし、と皆から罵られながら、デンデラというこの村で
皆で平和に暮らそうと説くマサリの二人の気持ちはよくわかるのだが、
主人公のカヨには、そのどちらも貫く意気地はない。
しかも、最後は熊との戦いになってしまい、なんとなく、この問題はうやむやに・・・。
熊はどうでもいいから、こちらの方を解決してほしかったなあ・・・。
なんだか熊とのシンパシーの方が、この物語のテーマだったようだ。
話は変わるが、映画の途中で、子供のころに読んだ物語を思い出してしまった。
親を亡くした少女がお祖父さんを訪ねて旅にでるのだが、
途中で、廃屋を見つけ、そこに住み着くのだ。
空き缶を鍋にしたり、いろいろと工夫をして一から自分の生活を
組み立てていくその場面には、子供ながらにわくわくした。
自分の生活をお金を掛けないで、まるっきり自分一人の力で作っていく・・・。
なんて楽しい冒険なんだろうと思った。
メイのやったことはまさしくこれであり、
捨てられたとは言え、自分の力を最大限に使って
生き延びてきたことは、誇りや自負心を大いに養ったことでも
あったのではないか?
だからこそ、100歳になってもまだ、誰よりも生き生きとし、
背中も曲がっていなかったのではないか?
とそんなことを考えた。
夢や生きがいを持つと、なかなか死ねないもんだなあ~とも思う。
それがたとえ復讐という歪んだ思いであっても。
(それは劇中のセリフでもそう言っている)
おそらく、私たちが年をとっても、中身は子供のころとあまり変わりはないのだろう。
肉体は衰えても、精神は衰えないんだろうな~と思った。
そして老いてますます、自由に時間を行き来するのだろうとも思った。
(子供の時や壮年の時の)
きっと監督はこう言いたかったのではないかった。
「お父ちゃん、これが答えだよ」と。
俺なりの生きるということの答えだよ-と。
そういう意味でも、若者の側から見る、
もうひとつの「楢山節考」を、体感してほしいと思いました。
☆それでは今日もよい一日を。
★個人的には、主人故カヨを演じた浅丘ルリ子さんの名前が思い出せなくて・・・
(どうしても加賀まりこと言ってしまって・・・)、
それで帰ってきた時に、夫から、「主人公誰?」 と聞かれ、
え!?え・・・っと、「なんでも鑑定団」の司会者(石坂浩二のこと・・・これも思い出せない)の
人の別れた奥さん・・・と言ってしまい、
「うわ・・・年取ったなあ~自分」と思ったことが、一番悲しかったです・・・。(^^;)
★あと、もうひとつ、おばあちゃん達が、死ぬときに「デンデラ!」と言って亡くなるのが、
なんだが「大日本帝国万歳」と言って死んだ? 死ぬように強制された兵隊さんたちと重なってしまい、
? 不思議でした。
わざとかな? デンデラって村は、そういう強制社会だったのかしら・・・?
ここも疑問の残るところです。