水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

テキサス州、オースティンへ行くの巻 その2

2007年02月23日 | 旅行
テキサス州オースティン旅行二日目。今日はとてもいい天気だ。息を吸っているだけで自然に笑みがこぼれてしまうような天気。ここにはもはや春が来たのかな。ぼくはキッチンへ行ってコーヒーメーカーでコーヒーを二人分淹れた。今日もいい日になりそうな予感。

今日はオースティンから車でサンアントニオへ向かう。サンアントニオはオースティンから南西の方向にあって距離はおよそ60マイル。サンアントニオはオースティンより大きくて、人口は120万人。メキシコとの国境まで車でおよそ2時間、またメキシコ湾までも車でおよそ2時間のところに位置する。知らなかったのだけれど、サンアントニオはアメリカ人にとって観光地になっていて年間2000万人ほどの旅行者が街を訪れるという(驚)。かなりの人数である。それにひきかえ、おそらく外国人の観光客はあまり多くないだろう。アメリカの人たちが好む観光地というのにぼくは少し興味を覚えた。

ぼくたちの車はテキサスのひろーい、そしてちょっと茶色っぽい風景の中を進んでいった。そうそう、今回のお供はコレ。




クライスラーのPTクルーザー。少し恥じらいを覚えてしまうくらい赤い。これは人によってなかなか好みの分かれる車種みたいで、好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い(常に正しい)なようである。ぼくはどちらかというとこの車に好意的である。過去10年くらいでアメリカ車はどんどん小型の車を開発していって、歴史を持つスゲー車もネーミングだけが残り、ボディもスペックも日本車またはヨーロッパ車を真似ながらもどこか失敗している、という状態が続いていた。アメリカ車が路線を変えて日本車に近づこうと努力し、同じ土俵で戦おうとしたのである。いわばアメリカ車は一度そのアイデンティティを失ったのだ。こういった中、ジリ貧だったクライスラーがここで一味違ったコンセプトを市場に出し、通行人に通り過ぎた車を振り返らせるようなモデルを提供したのは評価できる。実際乗ってみると、内装もかわいいし、乗り心地もよかった。女性受けするだろう。普通に教室の椅子に座って車を運転しているような感じがいい。疲れない。クルーザーである。

ぼくたちは昼過ぎにサンアントニオに着いた。とても天気がいい。街を歩く人たちのステップもかろやかに見える。




街の真ん中に円形の水路が作ってあって、水路の両側はお店が並んでいる。「リバーウォーク」と呼ばれている。うまく説明できないけれど、街が二段構造になっているようだ。リバーウォークが下で、普通の街が上にある。ぼくたちは陽の光がやさしく降りる賑やかなリバーウォークを歩いた。これはアメリカのベニスだねーと彼女と話す(行ったことないけど)。ヒロ・ヤマガタの世界みたいだ。楽しい。時々観光客を乗せた舟がやってくる。家族連れからお年寄りまでぎっしり人が乗っているのがまた微笑ましい。





ぼくたちはリバーウォーク沿いにあるよさそうなレストランに目星を着けておき、一度「上」に上がった。19世紀にテキサスとメキシコの間で行われた戦争の舞台となったアラモと呼ばれる砦に向かう。古い岩造りの建物で、もともとはスペインの人たちが布教のために建てたらしいのだけれど、テキサスがメキシコから独立する際にたくさんの兵士がそこにこもって応戦を続けたという。闘いの後アラモは陥落(かんらく)したものの、テキサスの独立は認められた。

ぼくたちはハーゲンダッツでアイスクリームコーンを食べ、アラモの砦を一通り見て回った。観光客が多くてじっくり見るわけにはいかなかったが、街の真ん中に中世の城を思わせる建築物がどーんと建っているのって、それだけで異次元っぽくてよかった。何につけ、歴史が残っているってそれだけですごいことだとぼくは思う。

ぼくたちはその後、近くのモールを冷やかし、またリバーウォークへ戻った。先ほどのレストランへ行き、外のパティオのテーブルで食事をした。メキシカンである。肉肉まめまめチーズチーズといった感じで、「ローカロリー」なんて言葉はこの地方では通じないんじゃないかと錯覚してしまうのであった。ぼくはテキサスのビールを飲み、通行人を眺めながら食事をした。彼女もにこにこしている。なんか、いい時間である。とにかくテキサスに限らずアメリカの料理は量が多いから、旅行中は気をつけなくてはならない。ぼくは目当てのレストランがある場合、メインの食事を一日に一度だけにしてあとは果物とかスナックとかで、かるーく済ませてしまう場合が多い。そうすると時間もお金もセーブできるのでグッドである。とてもじゃないけど3食すべて外食はキツイ。旅行中のぼくのかばんは必ずといっていいほどクラッカーとか、ドライフルーツとかが入っているのである。

すっかり満腹になったぼくたちは、そろそろ帰りましょうということになり、オースティンへと車を走らせた。帰りのハイウェイに"Cabela's"という名前のアウトドアショップがあったので寄ってみることに。この店、ちょーでかい!ささやかな団地が作れちゃいそうなくらいの面積に、所狭しとグッズが並んでいる。入ってすぐのところにハンティング用のライフルがずらっと並んでいてちょっとびびる。釣具も豊富である。なんと店の中にレストランやゲームコーナーまであった(お金いれてあそびました)。あと、笑ってしまったのが、巨大なテント。誰が何のために使うんですか、と質問したくなるくらい大きなテントであった。そしてテキサスで忘れてはいけないのが、屋外用のバーベキューグリル。テキサスの人たちは外でBBQをするのが大好きなのだ。オースティンにあるアウトドアクラブでは年間180回かそこらのBBQイベントがあると聞いた。180回!まったく耳を疑って良いのやら、テキサス人を疑っていいのやらである。ぼくもその昔はBBQ奉行なんて呼ばれたものだけれど、こりゃテキサスじゃあ通用しないな。

ぼくたちは帰りにリカーストアに寄って、チーズ、サラミ、クラッカー、テキーラの小瓶を買い求め、ホテルに帰ってそれらをつまみながら本を読んだ。そしてしばらくしてぼくはようやく本を読み終えた。

冒険家Maud Fontenoyは無事ポリネシアにたどり着き、村人たちの手厚い歓迎を受け、首相と対面までした。しかし村の人たちのお祭りが続く中で、彼女の疲れはそのピークに達しており体は深い眠りを必要としていた。なんとあまりに眠くて記者会見の途中で眠ってしまったという(驚)。そんな話聞いたことない。こういう肉体的に過酷な冒険をする人の、冒険が終わった後の疲労というのは想像を絶するものがあると聞く。冒険後何週間も疲労が回復しなかったり、疲労が回復しても体力が衰えてしまっていたりするという。そんな状態になるぎりぎりのところで彼女はボートを独りで漕いでいたのだと思うと、すこし胸が熱くなった。       孤独、忍耐の限界、そして危険。海がそれらから私を救ってくれた。いやそしてこれからも海は私を救ってくれるだろう。自分を見つけ、過去を受け入れ、人生を実り豊かなものへと導くように。海が私を勇気付けてくれた。弱さを強さに変え、恐れを克服し、目標に向かい、正しさを持ち、本来の自分に調和を与えてくれた       と、彼女は本の中で語っている。とても強くてストレートな人である。こんな人だから海の神様も彼女に味方したのかもしれない。

お酒を飲んだぼくの足には、彼女の百分の一くらいの疲労が浮き出て、ぼくを柔らかな眠りへと誘った。