水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

Camp out @ Samuel Taylor State Park (1)

2007年02月06日 | キャンプ
2.3.07の土曜から一泊のキャンプに行ってきた。場所はサンフランシスコから北に車で一時間ほどの距離にあるSamuel Taylor State Park。レッドウッドの森になっており、小川が流れていて一晩を屋外で過ごすには絶好の場所である。

このキャンプ場は、創設者の名前から来ているのだけれど、なんと1880年代から存続するという。彼はゴールドラッシュの時にボストンからカリフォルニアにやってきて金で財産を得、それを資本にこの地で木材加工業を営んだ。豊かになったところで彼はリゾートホテルとこのキャンプ場を作る。アメリカでも最も早い時期に作られたレクリエーションのためのキャンプ場だという。そんな歴史のあるキャンプ場がぼくの住んでいるところからほど近い距離にあるということを、ぼくはつい最近になるまで知らなかった。

今日のキャンプはほかにもう一つ楽しみがある。ソロテントを買ってしまったのだ。まさか自分がソロテントを買うなんて、ぼくもついにここまで来てしまったのかと我ながら思う。ソロのキャンプが最近多くなって、それでもずっと3人用のテントを使っていた。しかし前回のキャンプでシッカリまなんだのだけれど、3人用のテントを担いで一人でバックパッキングするのはとても辛い、というのがソロテント決断の理由。あとテントが大きいと家に帰ってから干すのとかも少々面倒である。今回買ったのはREIのソロテントで去年デビューしたニューモデルである。ちゃんとお店で組み立てさせてもらった。今のところ満足度は◎。

このパークのキャンプサイトはすべてオートサイトである。レンジャーステーションに寄ったら、まずサイトを見ておいでと笑顔で言われたので、ぐるっとパークを車で一周させてもらう。60個強のオートサイトがあった。高いレッドウッドの木々がそれぞれのサイトにやさしくプライバシーを与えてくれている。すばらしいキャンプ場である。ぼくはすっかりこの場所が気に入ってしまった。ぼくはその中からさらに気に入ったサイトを見つけてステーションに戻り、使用料20ドルを支払った。さて、キャンプのはじまりはじまりー。

おニューのテントを張った。うん、美しいテントじゃないか。色もいい。食材を夕食分と朝食分によりわけておく。道具を整理する        アレ? 何か足りない。ぼくの体が一瞬硬直する。イヤーな予感がする。ぼくはもう一度道具類をチェックした。やっぱりない。バーナーがない。ガスがあるのにバーナーがない。いつものデュッフェルバックを持ってきたのだ、なくなるハズがない、いやそもそもガスとバーナーはいつもセットにしているんだから、バーナーだけないなんてありえない、とぼくの頭は忙しく回転したのだけれど、どうやってもバーナーは見つからなかった。車のダッシュボードの中まで見てみた(あるわけない)

そういえば・・・前回バックパッキングをしたときに、荷物が入りきらず、思いっきり工夫してすべての荷物をバックパックにくくりつけたのを思い出した。バーナーヘッドをそういえば、フロントポケットにしまったままだったかもしれない・・・。そうだ、そうに違いない。ぼくは樹高30mを越すであろうレッドウッドの森の中で一人深く反省し、そして途方に暮れた。湯気を立てた温かなご飯と、くつくつと煮えたカレーが白い羽を生やしてヒラヒラと空へ飛んでいった。地面にはポテトチップスとレーズンとチョコレートバー(すべて予備食)が手を繋いで立っていた。

テントをたたんで20ドルを返してもらって家に泣いて帰ろうかとも思ったのだけれど、ある、当たり前のアイデアがうかんだ。そうだ、焚き火で調理できるんじゃないか。偶然にも何故か今日は使い捨てのアルミの容器を持ってきていた。底が真っ黒になったっていいじゃないか。さらにサイトにあるファイアーピットに目をやると、鎖で繋がれた半月状の太い鉄網があった(いつもついてるわけじゃない)。おお、これをカマドといわずしてなんという。I consider myself as a lucky person. のちに紹介する本の中からの借用である。アルミの容器は3つある。ほんとぼくってラッキー。

落ち着きを取り戻したぼくは、森の奥へと入っていった。子どもがキャッチボールできるくらいの空間を見つけてその真ん中にぼくは立った。




レッドウッドの森の静寂さと木々の芳しい香り、どきっとするくらいの柔らかな腐葉土の地面がぼくの体を包んだ。何か、子どもの頃を思い出す。腰を落として体と腕を全部使って息を吸い、体中の力を放出するかのように、息をはいた。体をくねくねさせてみたり、木に触ってみたりした。人がぼくを見たらきっとヘンだと思ったかもしれない。ぼくは本当に感謝したい。こんな素晴らしいレッドウッドの静寂に、「ヘンなこと」をしても誰にも笑われない場所があることに、ぼくは感謝したい。当たり前だった自然が貴重なものになりつつある昨今、こうした場所が保護される意味は大きいと思う。ほんと、ありがたい。ぼくはそれから近くを散歩して小川に触ったりして、時間を過ごした。

サイトに戻って薪に火を入れる。乾いた木はすぐに炎を上げだした。野菜とベーコンを適当に切ってアルミの容器にいれ、水を注いでカマドの上に乗せる。同様にして、お米もたく。近隣のサイトは空いていて人がおらず、通路からも樹木がうまい具合に視界をさえぎってくれていて、これは局所的な秘境だ、と一人悦に入る。キャンプ場全体での本日の利用率は3,4割といったところか。ぼくの感覚からすれば割と多い。最初にキャンプ場をぐるっと見て思ったけれど、キャンプなれしてる人が多いようだ。テントや道具の置き方などをみれば分かる。もっともキャンプに不慣れな人が冬にキャンプをするわけないよな、と思ったが。

風がなく、焚き火の調理は順調。ぼくは口の広いカンティンにシングルモルトを注ぎ氷を落として、パイプの椅子に腰掛けた。




膝の上で本を開く。この間、散歩の途中に寄った本屋さんで購入した、"Challenging the Pacific"という本。著者はMaud Fontenoyというフランス人の女性。表紙には彼女が横を向いてオールをにぎっている写真がどーんとある。これは、彼女が2005年に南米チリのリマからポリネシアまで、太平洋を手漕ぎのボートで横断した記録である。8000kmの海の旅。彼女はこの旅をソロで成し遂げた。この人は半端じゃない。彼女の漕いだボートはこのエクスペディションのために特別にデザインされている。Oceorと命名されたこのボートは全体としてラクビーボールを少しつぶしたような形をしていて、コクピットの部分がへこんだ構造になっている。スターン(船尾)の中は小さなカプセルになっていて、彼女はそこで眠る。総重量はおよそ600kg。推進力はオールのみ。帆はない。

このフネはカヤックではなく、ボートだ。後ろ向きに進む。日本語だとどちらも「漕ぐ」になっているけれど、英語だと前者がpaddle、後者がrowになる。漕ぐ道具は前者がやっぱりpaddle、後者がoarである。一般的にブレードの面積はオールのほうがパドルより大きい。その分ボートの方が負荷も大きい。彼女の手は航海の初日からマメだらけになってしまったそうだ。そりゃそうだろう、あんな大きなフネを漕いでいるんだもの(それでも彼女はmy little boatと繰り返しいっているが)。彼女は体の痛みに耐え、孤独なその航海を何ヶ月も続けたのだ。まったくすごい人がいるもんだ!

余談だけれど、航海に出て彼女が最初に直面した問題というのがおかしい。歯磨きはあるのに歯ブラシを忘れたという。どれだけ探しても、ない。トム・ハンクスの映画Cast Awayを思い出すまでもなく、長旅において歯の健康は重要であろう。一時は途方に暮れた彼女だったが、気を取り直せば名案はすぐ思い浮かんだ。彼女はその旅になぜか、眉毛ブラシを持ってきていて(女性は大変です)、結局ゴールに着くまでずっと眉毛ブラシを使って歯を磨いたという。キャンプにバーナーを忘れてしまったぼくの境遇に(レベルの差こそあれ)シンクロしているようで、印象に残った。そして彼女曰く、"I consider myself as a lucky person."

カレーライスを食べた。おいしくできた。ボートの上じゃあ食べられないんだろうな、こんなにおいしいカレーライス。風に吹かれて落ちてきた枯れ草が、近くでかさかさと音をたてた。これも生き物が奏でたサウンドだった。 (つづく)