水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

サンフランシスコ再訪 最終日

2009年07月23日 | 旅行

この日は昼前になって外へ出た。Eと一緒にサンフランシスコのフェリービルディングへ歩いて向かった。







ここはイーストベイに向かう橋の近くにある商業施設だ。ちょっとこじゃれたレストランやお土産やさんなんかが入っている。サンフランシスコといえば、フィッシャーマンズ・ウォーフなんかが有名な観光地なんだけど、ぼくとしてはこちらのフェリービルディングに立ち寄ることをお勧めしたい。さらにゆうと、ここにあるAcme Breadというパンやさん, Scharffen Bergerというチョコレートやさんがオススメ!

フェリービルディングのオイスターバーで食事。久しぶりに食べる生牡蠣に感動した。サンフランシスコから北へ50マイルほどの距離にあるTomales Bayという場所で獲れた牡蠣が一番うまかった。ここへは昔行ったことがある。牡蠣の殻が大人の背丈ほどの高さに積もっていたのでびっくりしたことがある。牡蠣プレートを二皿、サンフランシスコ風のクラムチャウダーとグラス11ドルのワインを頂く。

それからぼくたちは一旦コンドミニアムに戻り、車をピックアップした。そうそう、今回のお供はコレ。



クライスラーのPTクルーザー。少し恥じらいを覚えてしまうくらい赤い。これは人によってなかなか好みの分かれる車種みたいで、好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い(常に正しい)なようである。ぼくはどちらかというとこの車に好意的で・・・って実はこれ、2007年の2月にオースティン旅行に行ったときに乗った車とおんなじ車種である。しかも色もおんなじだ(空港で借りたときびっくりした)。クライスラーPTクルーザー。ぼくは嫌いではない。普通に教室の椅子に座って車を運転しているような感じがいい。疲れない。クルーザーである。運転していてつくづく思ったのだが、今にもつぶれそうな会社が作る車とは到底思えない。いい車だとぼくは思う。それだけに残念である(クライスラーはつい先日連邦破産法"Chapter 11"を申請した)

きっと安くできなかったのが問題なのだろう。値段が見合っていれば、大方のものは売れるのだ。話はそれるけど、日本の食料自給率の低さを受けて減反見直しをはじめとする自給率アップの声が盛んだが、食料だって商品となる以上売れる売れないのリスクはあるのであって、「少ないから増やす」という論調は極めて危険な匂いがする。するような気がする。





ぼくは赤い車をびゅーんと運転して、Half Moon Bayというビーチにやってきた。雨がしとしと降っている。クリーンな波が砂浜を洗っていた。ぼくは誰もいないビーチを少しの間眺め、写真を2,3枚撮った。そしてこの少しひなびたビーチタウンを歩いて散策し、Eが毛糸屋さんで毛糸をいくつか買った。その後は誰もいないカフェで紅茶を飲みながら持参した本を読んだ。外は雨がしとしとと降り続いた。

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長いようで短い滞在も終わりの時を向かえた。日本へ帰るときがやってきた。翌朝ぼくらはコンドミニアムを掃除し、荷物をトランクに詰め、ドアマンに最後のチップを渡し、空港へ向かったのだった。

昔住んでいた場所を訪れるのはいいものだ。それは今より若かった自分に会いに行くようなものである。日々の情報は降り止まない雪のように記憶の上層に積もってゆく。古い記憶は新しい雪に埋まり、冷たく固まって、持ち主にさえ分からない場所でひっそりと存在し続ける。       それがどうだろう。ひとたび昔住んでいた家に行くだけで、昔よくいったレストランに行くだけで、暗黒の世界に押しやられたはずの昔の思いや感情が、こともなげに眼前に現われる。そしてその時の喜びや憤りをこの胸で感じるのである。これが「再訪」というものの意味なのだろうか。記憶とは、「場所」に付随した何かなのだろうか。記憶の中の世界、自分の中だけにしかない記憶の世界への訪問       そうした場所をテクテク歩いて見つけること、そしていつの日かその場所をフト再訪することが、腰の重い流れ者にとっての「旅」なのである。