水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

サンフランシスコ再訪 四日目

2009年07月12日 | 旅行

朝テレビをつけると、レイク・タホのスキー場でスキーヤーが木にぶつかって死亡するというニュースがやっていた。今は5月である。同じカリフォルニアでもまだスキーをしているところがあるのだ。カリフォルニアは広いところなのだなあと思った。ニュースはやはり景気の話などが多いようだ。車の売り上げは下がる一方だが、カーシェアリングは拡大しているという。「アメリカ=個人主義」という図式は少しずつ変化しているのかもしれない。共有という概念はきっとこれからますます重要になってくるのだろう。

昔の友人に会いに
この日はサンノゼへ出向き、昔の友達(日本人)とみんなで飲茶のテーブルを囲んだ。この一年で帰国した友達や結婚した友達の話や、遠距離恋愛の話などで盛り上がった。ぼくらはみんな年も近いし、いろいろ経験しているから話は尽きることがない。ほんと、遠くに離れていてもメール一つで駆けつけてくれる友達がいて、ぼくもEも幸せものである。

西海岸はアメリカの中でも日本人の多い土地だ。日本食屋さんや日本食材店なんてどの町にでもある。ネットがあれば日本の本だって配達してもらえる。住むのに困ることなんてほとんどない。ほとんどないけど、まあ、たまには、あるかもしれない。けどそんなときはきっと誰か親切な日本人の人が助けてくれる。えてして向こうに住む日本人の人たちは親切で、良識があり、おまけに話すとオモシロイ連中が多い。すぐに打ち解けていい友達になる。自分がアメリカを出て行く時には涙を流してくれるかもしれない。そしてまた帰ってきた時には、必ず温かく迎えてくれるのだ。

心温かき友人たちとお別れをしたあと、買い物がしたいとゆうEをサンフランシスコのデパートに送り届け、ぼくは車でイーストベイに向かった。昔お世話になったカヤックショップへ。





CCK
オークランドの入り江にあるCalifornia Canoe and Kayak。ぼくが生まれて初めてカヤックを漕いだ場所だ。初めてここでカヤックを漕いだとき、(ああ、これは一生ぼくの趣味になる)と思った。それから一年と少し、このショップはぼくにシーカヤックのなんたるかを教えてくれた。ぼくはここでクラスをたくさん取って、お金もいっぱい使ったけれど、今ふりかえると非常に良心的なアウトフィッターに出会えて幸運だったなと思う。カヤッキングの王道的なスタイルを持っているアウトフィッターだと思う。さりとてカヤッキングの王道とは何ぞ?と訊かれても、ぼくはそんなに経験があるわけではないのでうまく答えられないんだけれども、少なくとも極端に技巧的すぎず、またレジャーによりすぎてもいない、レスポンシブルなカヤッカーの育成が目標であったように思う。こんなアウトフィッターがぼくが生まれるよりも前から存在しているのだから、たいしたものである。

ショップに入った。残念ながら昔よく一緒に漕いだガイドの連中は見当たらなかったのだけれど、レジに立っていたガイド見習いの一人がぼくのことを覚えていてくれた。ぼくと彼はちょっとしたよもやま話をした。昔よく一緒に漕いだガイドのことを尋ねると、「マークはカレッジを卒業して今はバスケットチームのコーチをしているよ」と教えてくれた。彼がバスケットボールのコーチ!?ぼくは耳を疑った。マークは大男で、年齢不詳。腕なんてまるで丸太のようで、胴体はまるで丸太小屋のようである。もしも一緒にシーソーに乗ったりしたらきっとぼくはぴゅーんと飛ばされてゴールデンゲートブリッジの橋げたに引っかかってしまうに違いない。そんな彼がバスケットボールのコーチとは!けど、どうやらそれは本当のことらしかった。

心残りなのは、彼のチームがどこのチームかが分からなかったことである。けどまあ、分からないほうが良かったかもしれない。ぼくの中のマークはカリフォルニアの抜けるような青い空の下でレスポンシブルにフネを漕いでいるのである。決して屋内のコートでピッピと笛を吹いてはいないのである。それにしてもしかし、驚いたなあ。



ぼくはショップでコカタットのバハハットやドライバッグなど、こまごまとしたものを買い、サンフランシスコへ戻った。Eはまだ部屋には戻ってきていない。きっと一人でする買い物が楽しいのだろう。

Hard boiled
コンドミニアムのお気に入りの場所でぼくは小説を開いた。大沢在昌のハードボイルドである。ケンタッキーあたりの無骨なバーボンを瓶のままゴクリとやりたい衝動に駆られたけれど(ぼくは話に酔いやすい)、それをやるにはカリフォルニアの空気は健康的すぎた(ただウィスキーがなかっただけです)。しょうがないので(しょうがないというほどのことでもない)、ぼくは冷蔵庫からカリフォルニアの健康的でエクセレントなビール、シエラネバダを取り出してグビリとやってやった。

しばらくビールと小説に熱中し、一人の時間を楽しんだ。日が暮れる間際になってぼくは外へ出て、Eと街で落ち合った。サンフランシスコのイタリア街をぶらつく。ぼくらと同じように街をぶらぶらしている若いカップルやグループが大勢いた。







イタリアンレストランに入り、オードブルと薄いピザとビールを頼んだ。サンフランシスコの夜にはウィスキーが登場することも、銃声が鳴り響くこともなく陽気に更けていったのだった。