ここの所寝る前に夜な夜なDVD観賞をしているやよんです
仕事辞めたばかりの時間がたっぷりあった時はあまり観ようと思わなかったのに
就活が始まった途端にわちゃわちゃと慌てて何かし始める自分…
でも、人間そんなものかしら。私だけ?
というわけで昨日観たのはDISC No.8の生まれたての小鹿徳ちゃん。あんよプルプルです←?
「2001 to 2003僕らの夢はいま始まったばかり」
このタイトル大好きなんです
「僕の」ではなく「僕ら」というのがいいんです
この、僕らという表現は病気を経験しなければ使われる事のなかった言葉かもしれません
家族、スタッフ、ファン、自分を支えてくれる大切な人達みんなを指している言葉です
支えられて自分がここにいるという事を本当の意味で理解しはじめた心情の発露です
その時ファンではなかったけれど今は私も「僕ら」の仲間入りです
そしてそのDVDの中にはいっぱいいっぱい模索してる徳ちゃんがいます
長年のファンの方の目にはこの頃の徳ちゃんはどう映ったんだろうな~
もちろん病気から復活して歌う徳ちゃんにまた会えた喜びが第一にあったと思うけど
DVDの中でも「ここから自分の新しい音楽を立ち上げて行きたい」と言ってるように
病気前とはガラリと音楽性が変わっている。見た目もファッションもね
その、あまりの変わり様に驚いた方々はいっぱいいるだろうと思います
それは、VINTAGEでやった海苔ぺったんヘアーに髭というような、コンセプトがあった上でのスタイルとはまるで違うのです
新たなる人間に生まれ変わってその生き方から模索してるような、そんな印象を受けるんです
それが目に表れてる。何とも綺麗で澄んだ優しい目で、邪気が無い。。けれど弱々しい
まさに生まれたての小鹿です(私の勝手な印象です)
たまにこの目が見たくなってこのDVD出すんです
何でだろ?未来への可能性をこの瞳に感じるからなのかな~
当時のインタビューで過去の自分を俯瞰で見る事ができるようになったと語ってる徳ちゃん
今の徳ちゃんがこの頃の自分を俯瞰で見るとどう映るんでしょうか
「おおぉ~ホントに始まったばかりやな~。ごっつぅ模索しとるなオレ(笑)」と言って笑いそう
そしてインタビューで俯瞰で見れるようになったと発言している自分自身に対して
「お前まだぜんぜん俯瞰で見れてないやんけ」とツッコミそう(笑)けれど、
「でも、ええねん。ええねん。これでええねん」と優しい目で見つめていそうです
それこそ俯瞰で見てる
DVD観ながらそんな事考えました。そんな風に思うって。。。
この後の10年でどれだけ徳ちゃんが人間的に大きくなったのかを知ってるからなんでしょうね
ほんと最近のファンなのに偉そうに言うよね~って声が聞こえてきそうです
本当にすみません生意気で申し訳ないです
だけど短期間で徳永英明の始まりから現在に至るまでを一挙に体感したように錯覚してるから
(長い歳月をかけて制作したドキュメンタリー映像ですね)
かえって強くそう思うのかもしれないな~
このDVDで歌われてる「せらぴすと」今の自分にぴったりの曲です
迷っているのはどうしてなの?
誰かのために?自分のために?
理想と現実一度忘れて
いまこそあなたは
神様がくれた時間をもっと自由に使いましょう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます