ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

海への道。

2010-05-17 18:49:08 | Vision East


遊びの、そしてサンゴ研究の場所です。
 先日お知らせした奈半利町の観光拠点づくりの基地となる場所です。
 季節的にもこれからなのです。
 私も今年は一度といわず、泳ぎに行ってみるかな。
 楽しめること請け合いです。



 出来た当時階段状になった堤防については、かなり賛否両論がありましたが、いつしか奈半利の風景に溶け込んでしまいました。何処の場所からも波打ち際に降りることが出来るのですし、座って海を見ている方々もよく見かけます。

 この階段状の堤防もきっと観光資源として脚光を集めることでしょう。もちろん情報の提供次第でしょうがね。

 この場所から海に沈む夕日を見るのは最高です。
 「映画が一本」出来そうなんだけどなあ。
 

 

県外ナンバー

2010-05-17 17:24:24 | 日記
 土曜日・日曜日と車を西に走らせると、国道55号に県外ナンバーの車が多かったですねえ。

 やはり龍馬人気というか、弥太郎さんの番組の影響でしょう。

 人が来ることについては、ありがたいことなのでしょうが、まだまだ東のほうに、おみえになる方々は少ないようですね。安芸郡にも魅力的な場所はたくさんあるのですが、広報が足りないのでしょう。

 それに、お遍路さんが多くなってきましたね。それも歩いている方々が多くなりました。先ほども女性の方が一人で歩いていたのです。

 「何処からですか?」
 「埼玉です。」
 「それは遠くからですね。気をつけて行って下さい。」

 短い会話が弾んでおりました。
 これは、広報の必要はありません。順番に廻るのですから。

 短い春から、夏本番に向けて暑さがやって来ました。まあその前に、すこし雨が降るんでしょう。これから田植えの季節です。

宗の上倶楽部。

2010-05-16 08:25:40 | Vision East
 安芸郡北川村宗の上。高知県の東部地域の山間部の魅力を満載している場所です。
 ただ残念ながら、誰も来ません。知名度がないなあ。

 私としては、こんなところに小屋でも立てて、生活が出来れば最高なのですが、仕事のこともあるし、なかなか難しいと思っているぐらいです。



 今年の夏はここでキャンプをする予定です。3日ほどここで暮らすつもりです。
 すこし、環境を変えてみましょう。
 所有者と事前に話をする必要がありますが、今、頭の中にある場所に造りかえたいですね。



 ちょっと分かりにくいのですが、小夏の木です。
 誰かが取ってあげないと、山の獣の食料品になっています。まあ彼らの分も残してあげるつもりですが、あるものを生かす事が大事なことと考えております。
 薪も作れるし、私が欲しいものはほとんどここにあります。
 ま!なければ準備すればいいだけのことですから、楽しい作業です。

 見晴らしもいいし、空気はうまい。何より静かなのです。
 憧れの場所です。

凛とした緊張感のある家です。

2010-05-15 07:11:40 | 建造物入門
 高知県で最初の内閣総理大臣・浜口雄幸を育んだ浜口家です。
 安芸郡田野町開にあります。
 高知市五台山で生を受けた雄幸は浜口家の当主義立の娘・夏と20歳で結婚。養子となり濱口雄幸となります。そして内閣総理大臣にまで上り詰めるのです。

 この浜口家、百人郷士に名を連ねる地域の名望家で、奈半利川筋普請見繕役等の役割を担ってきたのです。そして雄幸以後、正田家をとうして皇室に連なる事になります。
 多くの人材を輩出しているのです。

 清岡道之助の妻・静はこの家の娘ですし、静の兄・義立氏もなかなかの人物で、研究したい方ですね。
 中央に出て評価が高まった方々に劣らず、地元で活動した方の再評価をする必要がありそうです。



 西側から見た写真です。風呂、厠は外側にあり、庭があって、玄関にあるソテツが印象的な家で、凛とした緊張感を感じさせる家です。
 昔の郷士の家です。

主のいない家。

2010-05-14 12:03:20 | 建造物入門
 郷士 清岡道之助の家です。
 今は主なく、ひっそりとたたずんでいます。町が管理しているようですが、なにやら荒れた感じがしました。




 田野町の北の台地の上、池の傍にこの家があります。
 昨今の風潮を見るにつけ、龍馬ばかりが何故・・・・。
 愚痴になります。
 修理の予算がついたとの情報を得ていたのですが、未だ手付かずといったところです。



 野根山屯集事件の首領、清岡道之助の墓は、仲間と共に田野町福田寺にありますから、妻・静さんはここに一人で眠っています。この右手後方には、生前暮らした清岡邸が遠望できるのですが、墓は南を向いて立っています。行きっぱなしの主人が帰ってくるのを待っているかのようです。
 うっそうとした藪の中です。




 この門をくぐって道之助は、野根山に向かうのです。多分、本人も無事にこの家に帰って来ることはないと、分かっていたはずです。その時、後ろ姿を見送った妻・静もこの場所にいたはずなのです。静かな別れだったのです。
 この太平洋に向かう道は、天下に雄飛する気持ちを鼓舞してくれたのでしょう。
 そんな気がする、まっすぐな道です。
ちなみに、この門。冠木門(かぶきもん)といい、門の両側に立てた2本の柱の上部に一本の横材を渡しただけの門で、門の形としては単純ですが武家住宅では多いのです。

 高知県東部地域の歴史観光資源なのですが、未だ手付かず。
 残念なことです。

メダカの話。

2010-05-11 17:27:05 | 日記
 メダカの産卵が続いています。だいたい一週間から10日ほどで孵化するのですが、その稚魚は体調4mm程度、楊枝の先ですね。

 メダカを飼いはじめて、もう7年ぐらいになりますが、実に面白い生き物です。

 メダカそのものの歴史は、人間より古くからいるようですから、地球上では先輩です。
 ただホンの40年程前までは、メダカは日本全国・北海道以外何処にでもいたのですが、いまは絶滅危惧種に指定されています。
 
 奈半利の町で探しても生息エリアと特定できないのです。誰かが放流した池には生きてはいるのですが、野生のとはいえません。いまはインターネットででも販売されていますからね。
弥生時代の稲作が始まった時期ぐらいから、人間の身近で生きている魚です。
 昨夜はメダカの本を読んでおりました。
 
 面白い記述がありました。
 
 海を泳ぐメダカ。?
 メダカの学校はどこ?

 楽しい時間を過しました。
 メダカは海水の中でも、生きているのだそうです。知らなかったですねえ。
 ただ、急に海水に放り込んでもOKだとは、書いていないのですが、塩分濃度を徐々に高めると、大丈夫だったそうです。
 ちょっとかわいそうですから、実験はやりませんがね。

 アジア全域に分布しているそうですから、何処からか発生して移動した過程があることになります。

 メダカの学校?それは歌にあるように、川の中だと思っていたのです。
 しかしその資料によると、メダカの学校は水田だ。というのです。

 水の張られた水田は浅く暖かで、栄養豊かなのです。成魚のメダカが水田に入り、産卵をして、そこで成長するのです。餌になるプランクトンは豊富だし、外敵は少ないのです。
 奈半利でも、多分紀元前200年ごろ、長谷川の水を引き込んで水田を造ったであろう大先輩の時代から、お付き合いはあったでしょうが、水田の基盤整備事業と農薬はメダカを絶滅危惧種にしてしまいました。

 今日も我が家の水槽には、メダカが下腹部に5~6粒の小さな卵をつけたまま泳いでいます。

 これから自然豊かな田舎を標榜して高知県東部地域は、観光産業化に向かうのですから、メダカや鮒やタナゴやなまづ。小さな昆虫も含めて元気に暮らせるような自然がいいと思うのですが、無理かなあ。
 

うまかった。この酒

2010-05-11 11:55:22 | 好きなもの
昨夜、楽しめました。
初めて飲んだ焼酎でした。普段は「竜馬」か「いいちこ」ですからね。

吟醸粕焼酎
七代目 西屋久右衛門

アルコール度 39度
原材料名 吟醸粕
焼酎乙類
土佐鶴酒造



 蒸留酒のうまみを実感させてくれた、久しぶりのものでした。
 ブランディのように口の中で転がして楽しめましたね。

 今日の目覚めはGOODです。

ヒヨウ

2010-05-10 16:07:48 | 森林鉄道物語
ヒヨウという言葉を初めて聞きました。
資料を読んでいると、分からない言葉でした。

語源は、はっきりとしないようですが、日雇いがなまったのではないかといわれています。
 
 さてヒヨウというのは森林鉄道がつく前に、筏流しや管流しをしていたころ、流木の上に乗ってトビを操り、木材を下流まで運んでいた「流材夫」のことなのです。
 そのヒヨウが、森林鉄道が走り始めると伐採された材木を斜面から引きおろす作業をするようになるのです。材木運搬の危険な場所を担当する専門家になったのです。

 伐採された材木の皮をはぎ、玉切りをした丸太を山腹のある場所に集めることで、集材の効率化を図っていたのです。

 山の仕事といっても色々ですね。高知県の東部地域においては、森林資源の有効活用によるしか生きてゆく術は最近まではなかったのです。

 江戸の中期頃の資料を見ると、安芸郡内で山仕事に従事していた人数が7,921人と出ていますが、当時の労働者人口はほぼ19,000人ほどですから、働いている男子の4割が、山で仕事をしていたことになるのです。農業者や商工業者、そして武士郷士より、はるかに多い労働者が山間部にいた事になります。土佐の山間部は土佐藩の米倉だったのです。

 今は、山は静かです。
 過疎と高齢化に悩み、多くの制約の中で可能性を模索しております。
 グリーンツーリズムに可能性があるのですがね。
 いままで高知県は本気で観光産業について向き合ってこなかったのです。これからです。

 現在のヒヨウはこれから何をするのだろうか。そんなことを今日は考えておりました。
 少々危険な作業でも、体を張ってやるような男達が現れると、いろいろな場面が好転するのですがね。
 ヒヨウは、日雇いだとすると、自由人。フリーターかな。
 機械を駆使して何かをするのではなく、手仕事従事者でしょうね。

憧れの生活。

2010-05-10 01:21:30 | 田舎の理屈
憧れがあります。

晴耕雨読への階段を駆け上ることです。

未だ目途は立ちませんが、なるだけ早くそうした生活を実現したいものです。

生産活動については、必須項目ですね。10~20品目の野菜を作り、鶏を中心に鯉と鮒を飼い、薪やら燃料ペレットを生産することで、楽しみを得、市場を作り社会との接点とする。そうした生活にあこがれます。
市場は面白いですねえ。地域の交流の場が出来ることになります。

そうして四季折々に野根山街道に登り、自らの体力の確認をするのです。
もちろん読みたい本もたくさんストックしてあります。

図書館にもよく出かけるようになりました。
粘土をこねて、器を作る作業を再開してもいいですね。

まずは、今日の仕事をしっかりとやりましょう。
何年か先の目標です。

高知県の東部地域。田舎にいるのですから、十分可能です。

奈半利の財産A

2010-05-08 14:05:47 | 建造物入門
奈半利町には2ヶ所に港があります。
 奈半利港は商港で、町の南側にあります。加領郷漁港は歴史も古く町中から東へ3.5Km程度の場所にあります。
 この大西家は、加領郷漁業のリーダー的役割を担ってきた網元の家です。
 昭和10年ごろ建築されたこの主屋は、登録有形文化財となっています。



 大西家住宅は、加領郷地区の傾斜地の上、高台に建てられており、物見やぐらのように太平洋に向かって視界が広がっています。現在は国道が高架になったことから、以前のような見晴らしは失っているようです。

 広く大きな窓をつくり、漆喰で固めた外壁に水切り瓦を4段つけています。
 港から仰ぎ見るようで、存在感は最高です。
 狭い路地を濱田屋敷辺りから歩いてみると、この家に行き着きます。目の前にこの家が現れると、ちょっとびっくりで感動的ですらあります。

 地階は倉庫。1階に家族の生活の場。そして客間としては、見晴らしの良い2階に座敷が作られています。
 今は住む人もなく、もったいない限りです。



 この写真は主屋の東南部で、大西家の玄関部分です。西側の漆喰壁と比べて旧来の木造建築ですから外観上最も老朽化が感じられる場所です。

 しかし、細かいところまで細工がしてあって、見事です。
 雨樋等の金物もかっこいいんです。
 いつの頃か、この家で新たな生活が始まるといいですね。
 大きな家ですから管理も大変でしょうがね。
住宅にはやはり人が住まないと、いけません。