ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

いかん!忘れちょった。

2011-02-28 19:19:21 | 日記
 先週の土曜日。2月26日から高知県の東部地域で「町家雛祭り」が始まっています。
 いつの間にか定例化したような感じがして、改めて広報をする必要から解放されたような気になっておりました。

 しかしぜひ皆様方に見に来ていただきたいと思います。

 安芸市から安田町、田野町も奈半利町も北川村、室戸市吉良川町まで結構雛祭りツアーが楽しまれているようです。



 写真は奈半利町の今年の基地。森家住宅です。高知県交通株式会社の創業者、野村茂久馬氏が設計したとされる住宅です。

 家自体の面白さは基よりですが、人形も飾られていて普段と違う感じがします。



 女の子のお祭りですが、おじさんが見ても華やかで楽しいことです。

 日曜日には会場でゆっくり読書を楽しんでおりました。
 いい時間でした。

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本当なのかな。

2011-02-28 14:22:08 | 森林鉄道物語
 今年は魚梁瀬森林鉄道が開通して100年がたったことから、記念事業がいくつか行われます。
 その中で注目しているのが、山の中の音楽会。
 場所も千本山でやるのです。
 圧倒的な迫力を持つ木々に囲まれて、音楽を聴くことが出来るのですから、びっくりです。

                  



 どんな音楽が、場の力と合うんだろうかな。
 思い悩んでいます。
 やはりクラシックかなあ。

 これから具体的な作業が始まります。
 いつ、どんな音楽を千本山の巨樹の中でやるのか。
 どのぐらいの規模でやるのか・・・・。

 順番にやっつけましょう。
 これも実に楽しい作業です。

 300年も400年も生き続けている木々も喜んでくれるイベントになれば好いですね。

 本当なのです。
 記念イベントからはずされても、プライベートイベントとしてもやりたいですね。
 その場合、問題は国有林でも特別エリアですからね。
 千本山はね。

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あぶない記憶。

2011-02-27 20:45:15 | 木の記憶
 今年80歳になる元教員の記憶です。もう60年も前の記憶なのですが、彼の話し振りから鮮明な記憶として、今でも思い起こしているようです。

 彼は北川村第二小学校竹屋敷分校に教員として赴任することになったことから、森林鉄道と係わることになります。
 木材を積んで貯木場に下りてきていたトロッコに、家財といっても布団とそう多くない荷物を乗せて、一路北川村竹屋敷に向かうのです。
 昭和20年代の半ばのことです。

 北川村二又までは魚梁瀬森林鉄道の本線なのですが、そこから先は支線になるのです。時間もかかったそうで、奈半利町からだと北川村竹屋敷までは10時間ぐらいはかかったそうで、広い北川村でも奥の奥といったところなのです。

 今でも思い出す彼の記憶は2つ。一つは危ない記憶。
 学校の教員ですから4月に竹屋敷に向かい、8月の夏休みに下りてくるのです。長い休みに入ると実家に帰っていたのです。

 そうした彼が休暇を終えて竹屋敷に戻ろうとしていたところ、折からの台風によって橋が壊れていたのです。そして森林鉄道のレールと枕木が宙ぶらりんになっていたのです。
彼は食料品などを詰めたリュックサックを背負い、そのレールと枕木を腹ばいになって、ゆらゆらと揺れながら通過。そこから先は歩いて竹屋敷まで行ったというのです。

 橋がなくなっていることは、竹屋敷の営林署の職員さん方も知っていて、歩いてやってきた若者に向かってこういったそうです。
 「この若いしは命知らずじゃ。」学校で子供達が待っているのですから、何が何でも行かなければならなかったのでしょう。迂回路など結構距離があって、そのまま橋の通過を強行。少々の危険を顧みない行動は若さゆえですね。

 もう一つの記憶は、子供達の健康診断のために北川村第二小学校に子供達を連れて、トロッコに分乗して行っのだそうです。場所は今の小島地区の北川温泉がある場所だったそうです。連れて行った人数は18人。小学校6学年全員で18人だったのです。
 彼は竹屋敷分校では家庭科以外全ての教科を1年生から6年生まで教えていたのだそうで、家庭科は徳島県の宍喰から女性の先生が週に一回、山越えで歩いて教えに来ていたのだそうです。
 凄い複・複式学級というか、分校だったのです。

 こちらの記憶は、案外楽しかったのでしょう。
 今から考えると、子供達をトロッコに乗せて3時間移動ですから、アドベンチャーツアーみたいなもので、遠足気分でもあったのでしょうかね。

 今昔物語といったところです。
 
 その竹屋敷にはいま年配の方が一人、お住まいだそうですよ。
 通称「ガソ」、ガソリンエンジン動力車が走っていたのです。
 
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目を向け再評価

2011-02-27 09:36:43 | 観光資源提案
 高知県の山間部にはこんな場所は結構たくさんあるような気がしております。そうした場所にちょっと手を加えることで資源となっております。



 石垣を築くと出来ましたね。結構広い土地が出来てしまいました。
 今年の7月にはここにテントを張る予定です。



 川には渕があり、奈半利川の上流域ですから大きな岩がごろごろしています。遊べますねえ。昨日の作業の休憩時間中に結構大きな魚を発見しました。見えてる魚は釣れないそうですが、見て楽しむ分には満足満足。

 

 限りなく透明度の高い水が流れています。
 これから花を植えて、実のなる木を植えて小鳥達を呼びましょう。そして紅葉や楓の木を植えて一年中楽しめる場所にしましょう。

 やらなければならない作業が結構あるのです。
 あと何年かかるか?。順番にやるだけです。

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やるねえ。

2011-02-25 10:20:33 | 観光資源提案
 昨夜、田野町で研修会が行われました。

 題して「田野町魅力発見セミナー・観光ガイドセミナー。」

 30人を越える方々が熱心に受講しておられました。



 案外と普通に生活をしていると、町のことが分からないものですねえ。
 自分の町のことですがね。

 

 高知県も今まであまり観光については力を入れなかったのですが、ここでは行政が力を入れて、ガイドを養成しようとしています。

 よきかな。よきかな。

 まあ、ガイドにならなくとも、自分が住んでいる町のことについて理解を深めるというのは好いことですからね。

 ちょっと声をかけていただいて、今回参加をいたしましたが、楽しかったですよ。
 
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銅像?

2011-02-23 20:36:58 | 今日の一面
 今日の一面です。
 土佐勤皇党の結成150年を記念して、坂本龍馬の銅像の近くに武市半平太と中岡慎太郎の銅像を建設してはどうかといった論議がなされているのだそうです。
 観光地としての桂浜により一層の魅力を付加しようというのです。

 その記事の前段には「場」の話も添えられています。
 かの司馬遼太郎氏が今の桂浜で太平洋に向かって、遠くを見つめている坂本龍馬像の場を絶賛していたというのです。
 
 さて今回の銅像建設に係わる話ですが、昨年の「龍馬伝」に続く話題集めを意図しての発想でしょうから、また一定期間が経過すると撤去するそうですから、それほど難しく考える必要もないと思うのです。ただ観光客に来て欲しい。耳目を集めて・・・。それだけなのです。
 
 今回の土佐勤皇党の結成150年事業に関して、どのように考えるかといった事柄があろうと思うのです。日本の歴史の中で、また土佐のそれの中でその時点で土佐勤皇党がいかなる役割を果たし、明治以降の自由民権運動にどのように繋がってゆくのかといったことについてまで考えてくれたら納得ですがねえ。

 場としては桂浜が最高なのか。
 3人の銅像を並べる形が好いのか
 3人だけでいいのか。
 
 私見です。銅像建設が可能ならば中芸地域の海岸に「志士の群像」を建設してはどうでしょうか。武市が田野学館に教授として派遣されたことで中岡慎太郎や清岡道之助をはじめ23人の勤皇の同士たちが出会っているのです。楽しく飲み且つ喋っているような群像を海岸に建設することを提案します。

 投獄された武市半平太と、彼の助命嘆願に命をかけた23人の仲間達、先に動き始めていた中岡慎太郎。かれらの行動こそが勤皇党であったろうし、彼らの活動が高知県全域に広がっていかなかったことが、土佐勤皇党の限界であったと思うからです。

 どうでしょう。
 今回の桂浜へ3人の銅像を並べようとする計画。中岡慎太郎や武市半平太、坂本龍馬が聞いたとしたら、なんと言うだろうかね。

 「そんなこと、止めちょきや。」「もっと他にやらなあいかんことがあるろう。」

 それに中岡慎太郎と武市半平太は、張りぼてらしいからなおさらでしょう。
 最初から撤去をする前提の話だし、限られた予算の中での苦肉の策でしょうからね。

 「止めちょいたほうがえいろうにゃあ。」

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翌日。

2011-02-22 10:55:27 | 観光資源提案
 2日目です。朝、馬路村魚梁瀬に移動。

 ダムが建設されてほとんど全てがダムの湖面に沈んだ地域です。
 丸山台地で森林鉄道に乗ってみました。ホンの400m程度の遊具みたいなものですが実際に乗ってみると、大人でもつい微笑んでしまいます。



魚梁瀬ダムの全景です。ただここから見るよりダム直下からみると、圧倒的な迫力を感じることが出来ますよ。

 

 ご案内した森林鉄道の遺跡は、この堀ヶ生橋と二又橋です。そしてお昼を食べた小島温泉の前にある小島鉄橋でした。相変わらず美しかったですね。観光対象として考えると、もう少し見せ方について考えるべきです。

 昼食後の意見交換会は発言が少なかったですね。発言できる人たちを選んでなかったことになる。

 あと、奈半利町で2軒の登録有形文化財に指定されている家屋をご案内して、隣の田野町で酒造会社で仕込みと絞りを見学しました。
 荒しぼりの酒は個性的でうまかったですよ。

 自分自身のガイドとしての評価は30点。何か止めたくなってきましたね。
 ははは!!。困ったね。



 

 

ぐるっと中芸

2011-02-21 01:30:38 | 観光資源提案
 先週の金曜日と土曜日に、「ぐるっと中芸」のガイドをやってしまいました。
 高知県の東部地域の観光施設を再評価するためのツアーだと思って参加しました。

 ツアーガイドだったのですが、普段あまり行ってない場所もあって、結構楽しみながら出来ましたが、一般の観光客と違い、専門家集団でしたから意識してしまいました。

 私はどうにもガイドとしては、向いていないのかもしれません。
 どうしても話しながら集中できないのです。またバスに酔ってしまいました。

 今回のツアーは最初田野町の塩製造施設からでした。

 今回訪問するまで、施設が出来ていたことは知っていたのですが、訪問するきっかけがなかったのです。
 全景です。

 

 ビニールハウスの中は、今の季節は丁度好い気温でしたが、夏は暑かろうなあ。
 今後の観光対象施設としては??。たしかに珍しい施設ではありますがね。



 製造方法については責任者から色々と説明をしていただいたのですが、記録をしなかったことからもう忘れてしまいました。ただ、ここではじめてよかったという彼の言葉が聞けてよかったですねえ。ミネラル分の多い塩が製造できているのだそうですよ。

 続いて出かけたのが、安田町の「じねん」。ここで昼食です。自然薯三昧でした。
 ここで初めて、イチゴ大福を作る作業に参加。結構面白かったのですが、ガイドできなかったですねえ。

 昼食後、出かけたのが大心会館。安田町の映画館です。山里のなかにある映画館なのです。


 ここでたくさんの映画のポスターを見ました。
 懐かしいポスターの写真を撮ってきました。
 「ひまわり」ソフィア・ローレンとマストロヤン二。好い映画でしたね。ポスターを見ながら映画音楽がつい・・・。
 キレイな曲でしたね。

 それから。魚梁瀬森林鉄道の安田川線を安田町与床から明神口橋までハイキングでした。
 いついってもいいばしょです。トレッキングの場所としては、高知県内でも少し短いのですが、有数の場所でしょう。

 あとはJA馬路にいって施設見学でした。工場も相変わらずきれいでした。



 あらたに建設しているJA馬路の化粧品製造部門にも入れていただきました。
 この写真はこれから準備しているカフェのイメージ図です。


 中芸地域の山間部にこんなオシャレなカフェがもう少しで出来るのです。

 あとは、馬路温泉に久方ぶりに宿泊。好い部屋でしたが一人で泊まるには寂しい場所です。
 2日目は又今度。 

選挙

2011-02-17 16:52:30 | 木の記憶
 今日は森林鉄道に係わる、変わった記憶です。
 今年は選挙の年なのですが、森林鉄道が走っていた時代にも当然選挙もありました。

 北川村の古老の記憶を紹介します。
 その方は現在83歳。昭和3年生まれです。役場にお勤めの公務員だったのです。
 彼の記憶です。

 かつての北川村の投票所は7ヶ所。野友に小島。島・安倉・木積に久木、そして竹屋敷にありました。私が面白いと思ったのは当時の行政の出張にかかわる話です。

 現在だと車で10数分でしょう。和田地区でも一泊出張なのです。そして竹屋敷は2泊地区だったのです。竹屋敷にしても現在では車で1時間ぐらいかな。
 森林鉄道が1日1往復しかなかったのですから、そうした事になっていたのです。
 今のようにマイクで喋りながら流していくなどという事は無かったのです。
 

 選挙があると投票日前日にそれらの場所に前泊をしないと投票開始時間に間に合わないのです。そして投票が終わると、投票箱を借り受けたトロッコに乗せて役場まで暗闇の中を運んだというのです。

 あまり古い話でもないのです。昭和35~36年ごろ迄の話です。
 森林鉄道以外には交通手段のなかった頃の話です。




 現在の投票所は5ヶ所。久木と竹屋敷の投票所はなくなってしまいました。過疎による住民の減少が原因です。北川村の北端地区に住民がいなくなってしまったのです。限界集落となってしまいました。

 かつて森林資源が豊かで多くの作業員を抱えていた時代の話です。
 そしてダム建設を目的として森林鉄道が撤去され、道路が建設されると住みやすい場所を求めて、山間の住民は転居し、そして・・・。

 便利になった道路を使っての移転が行われました。
 利便性が向上すればするほど、人口流出に歯止めがかからなかったのです。
 そしてダム建設に係わる保証金を得た方々も地域外に出て行ったのです。
 集落がなくなれば、当然ですが投票場所はなくなります。

 かつては山間部にも住民が生活できる経済的な保証があったことになり、現在ではそれがなくなっているということになります。

楽しい時間でした。

2011-02-16 08:22:47 | 日記
 昨日は奈半利小学校の3年生を対象に街中のガイドをさせていただきました。



 地域のことを子供達に伝えたいと思っているのです。
 日本史や世界史については学ぶ為の教科がありますが、郷土史は地域の誰かが提案しないと伝えられないですからね。

 しかし子供達をつれて車が行きかう道路を歩くのは大変です。ちょっと気を抜くとばらばらになってしまうからです。

 ただ具体的に何を伝えるのか、まだまだ考えるところです。
 見過ごしていたちょっとしたところに、面白い見方があることを伝えることが出来たのじゃあないかな。

 とりあえず、楽しかったですよ。
 少し子供達から元気をもらいました。