ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

古民家解体

2010-03-30 18:24:52 | 日記
 電話がかかってきたのです。

 家を壊すことになったので、写真を撮っておいてくれというのです。
 それは何をおいても、行かなくてはなりません。

 場所は高知県安芸郡奈半利町乙。
 よくガイドとして、観光客をご案内するルート沿いにあるのです。
 石塀と古民家。いい景観を残してくれていたのですが、古民家だけに「住むに耐えない」事が理由でしょうね。取り壊されることになりました。
 いつ??「明日!!」

 急いでやらなくても、よさそうなのですが、やると決めたら早いねえ。

 写真の古民家が明日にはなくなるのかと思うと、寂しいですが仕方がないのです。
 瓦葺で漆喰壁にはちゃんと水切り瓦がついています。壁の下は板壁で、そのしたの基礎石はしっかりしたものです。
 家の所有権は壊すほうにあるのですからね。新たな生活環境が整備されるといいですね。

 石塀は残るようですから、それについては、ありがたいことです。この石塀もなかなかいいのです。基礎石の石組みも変幻自在というか、石の大きさも形もバラバラで、それをちゃんと組み合わせて積んであります。見ていて楽しいものです。これは石工さんの作品です。

 さらに、この露地いいでしょう。
 住居地域と農業地域の境にある道でもありますし、近隣住民の生活道でもあります。
 幅も人が歩くのにぴったりなのです。
 奈半利町には、こうした車が入らない道が結構あったりして、かつての奈半利の人々の生活を思い起こすことが出来る、いい場所なのです。

 明日また、なくなった壊されてしまった後の写真を撮りに行こうと思います。
 田舎は普段あまり変化がないのですが、変わるときは急変なのです。

 

空谷記念田野水墨画展

2010-03-29 12:59:20 | 日記
 もう18回になるんですね。
 隣町田野町で開催している空谷(くうこく)記念の水墨画展に行ってきました。

 空谷は濱口雄幸の雅号です。田野町に高知五台山から養子に来て内閣総理大臣にまでなった彼を記念して、開催されているのですが、参加者が多く、展示会場から作品がはみ出して、フロアにまで展示されているのです。

 今日午前中に出かけたのですが、お客さんはあまり多くなかったので、是非一度お出かけください。4月4日までです。場所は田野町のふれあいセンターですよ。

 さて、作品群は、すばらしいの一言。それになんと言っていいのか、14人の入賞者が全員県外の方なのです。
 高知県のレベルが低い。それは仕方ないことなのかもしれないのですが、全国から応募してくるほどに、著名な展覧会になっているのです。
 水墨画といっても、表現方法がたくさんあって、ついやってみたくなるのですが、才能の欠落振りは、自分が良くわかっておりますから、どうなることか。
 なんか昔、映画を見たあとに、つい走ってみたくなったことがあった。そんなことを思い出しておりました。

 最高賞・空谷賞を獲得した東京の陸氏の作品は、素人目にも素晴らしい作品でしたね。

 「白梅」と題された作品でした。月に白梅。目新しい題材ではないのです。
 しかしながら墨の変化と、複雑で多様な技法は、見るものを釘付けにしてくれました。
 そのほかでは、狐踊りをしている子供を描いている作品が印象的でしたねえ。
 細かい表現より今回は、画面を構成する空気感というか、印象を大事に拝見しました。

 行ってよかったです。
 是非一度お出かけください。
 高知県の東部地域でも作家が育ってくれるとうれしいですねえ。
 

 

分水嶺

2010-03-28 11:46:58 | 田舎の理屈
 野根山街道の尾根道の写真です。

 道の左右は、なだらかに両方に下っており、異なる水系に雨水を導くのです。
 分水嶺なのです。
 しかしながら、その水は廻りまわってですが、同じ海にたどり着くことになるのです。

 人はその尾根を歩いております。
 明らかに歩きやすいからです。
 さらに、多くの足跡によって、その細き道は草さえ生えないでいます。

 道行く人は、歩き易いところがあれば、素直にそれに従い、そのような恩恵にあずかれないときには、少々の無理は気力と体力を駆使して頑張っていくのです。

 昨年からブログを書くようになって、材料探しに先輩達の記録や記述を読み漁っておりますが、考えさせられます。地域情報は幅が広すぎますし、情報が多いときと少なすぎる時期とがあって、情報量に格差がありすぎるのです。さらに明らかな間違いもありますし、記事としての誤植もあります。

 高知県の東部地域は、田舎の田舎ですが、田舎なりにずっと前から、1000年、1500年以上前から何かしらの活動があったのでしょう。しかしながら誰も記録を残さなかった頃は、当然ですが想像する以外、方策がないのです。
 これは楽しい作業です。考え悩むのですがね。

 結局行き着くところに、行き着いてしまうのです。「そうだろうな。」納得できるところになってしまいます。MAPを造る作業の中でも、記事自体の確認作業が大変なのです。

 尾根道は基本的には、一筋しかありませんからねえ。
 全部の要求を満たすことは出来ないのです。
 ただ街道が街道であるためには、枝道が必要で、それが有機的に機能してはじめて、街道がより生きてくるようです。

 野根山街道も基本的には尾根道ですが、傾斜斜面をルートにしている場所もありますからね。地形によっては、ときどき曲がりくねっているのです。

 改めて昨年の野根山街道の写真を見ていて、思ったことです。

 歩いた後に、道が出来ておりました。
 人も獣も、誰かれなく、なのです。
 そして、写真を撮った時と、今の状況は時間の経過分だけ半年分だけ多分違うのです。
 地域の歴史を紐解いていく作業は、薄皮を一枚一枚はがしていく作業をしているようなのです。

 自然はいいです。考える時間が取れますからね。気分転換には最高です。

神武の東征

2010-03-27 22:52:13 | 昔話
 古代の話なのです。
 それも、神武天皇の東征という、有名な話なのです。

 高知県の安芸郡奈半利町に「延喜式」の神名帳に記載された神社、多気・坂本神社があります。
 
 そして広島県安芸郡府中には同様に神名帳に多家神社の名前があるのです。

 「古事記」(712年完成)にあるのは、神武東征の通過地点として阿岐国(あきこく)の多祁理(タケリ)の宮となっているだけなのです。

 菅原道真によって編し始めた「延喜式」(927年完成)に同様に式内社として記載されているのですから、すでに当時双方に社殿があり、それぞれの地域において認知されていた神社ということになります。

 高知と広島。場所は違えど、同じ安芸郡に多気神社と多家神社がともに存在したのですし、多気神社は坂本神社と合祀され、多家神社は平安以降所在がわからなくなり、江戸時代に松崎八幡宮と合祀されているのです。

 結構、類似点があります。さらに興味を引いてくれます。

 神武天皇の東征時期は紀元前という気の遠くなるような時期とされているだけに、誠に面白いのです。
 神武東征のおりの多祁理(タケリ)の宮、奈半利の多気説を意識して、長い歴史に思いをはせましょう。神武の東征は高知県の沿岸部を移動して畿内に入っていたのです。

 一時期的にでも日本の初代の天皇が、ここ高知県の東部、奈半利の地に7年も居たことになりますからね。
 それに、こうした研究をしている方がたくさんいらっしゃるのにびっくりです。

 研究者を集めて奈半利でシンポジウームでもやったら面白いかもしれません。
 結論はすでに奈半利??。
 研究を続けましょう。ってところでしょうね。

 昭和28年に奈半利町役場から発行されている「奈半利町史考」(安岡大六著)にそうした記述がありますから、偉大なる先輩の意見は大事にしなければなりません。
 研究の必要ありです。
 古事記完成からすでに1300年ちかく、延喜式にしても1000年以上が経っているのですから、発想を自由にして、辛抱強くやらなければなりません。

 昔々の話です。
 
 

はじまりましたね。

2010-03-26 23:26:46 | 日記
 春になると、花が咲いたりしていい感じになるのですが、転勤とか進学とか移動することが多くなります。
 私達の様に、地元に根づいてしまうと転勤などとは直接関係がなくなるのですが、周辺にいる方々が、巻き込まれてしまいますので、どうしても影響を受けてしまいます。

 今年には高等学校で大きなイベントが開催される予定ですが、担当者が転勤になりました。
 やはり、出来る男はどんどんと出世してゆくのです。
 うれしいのですが、次の方との相性というか、信頼関係というか、最初からやり直しですから、少々面倒くさいことです。

 こうした現実に向き合うと、やはり人は職制に依存しているわけではないことに気がつきます。地位や肩書きはその人そのものではないのですから、仕方がないのです。
 より優秀で話の合う人が次の・・・・。期待しないで待ってましょう。
 
 彼らの次なる仕事場での、活躍を祈念しましょう。
 早く暖かくならないと、肩がこってしまいます。
 早めに片付けた暖房機を一部又出してくることになりそうです。

 ま。ケセラセラです。なるようになるのです。
 受け入れましょう。

僧 行基。

2010-03-25 10:37:36 | 昔話
凄い方の登場です。
 僧 行基様です。どうしても書きたくなっています。

 行基様は奈良時代の僧侶で、今の堺市辺りで天智7年(668年)頃に生まれたのだそうです。
 父は渡来人系の方で母は河内の方でした。
 そして彼の師匠といわれているのは、飛鳥寺の僧道昭。僧道昭は入唐して玄奘の教えを受けた事で有名な方ですので、行基は玄奘三蔵の孫弟子ということになります。

 さて、何でここで行基様を登場させたかというと、高知県にも多くの寺がありますが、たくさんの寺が「行基開基」としているからです。
 さらに、行基様は入唐はしていないのですが、師道昭からの教えの中に伝道と社会活動の結合について等、幅広い内容が含まれていたようなのです。

 残念ながら僧行基様が土佐に来られた資料はないのですが、例の大豊の豊楽寺(国宝)や五台山竹林寺等、高知県だけで16ほどもあるのです。刻まれたとされる仏像も100体ほど存在します。

 誰かがいつの頃からか、詐称したことになるのですが、したことは既に時効ですから、いいのです。そうしたかっただけなのでしょう。
 わが寺院は僧行基様とご縁があるのです。そうした動きが平安時代から鎌倉時代にかけて行われていたそうな。そうする事で、寺院を由緒あるものにして、寺格を高めようとしたのでしょう。
 それだけ全国の民から尊敬を集めた僧行基の活動は、池や水路の構築等土木事業を含め社会事業全般に及んでいます。そして広く民衆の信頼を集めたがゆえに、朝廷は彼の宗教活動を禁止し、弾圧を加えるのですが、民衆は彼への支持を離すことはなかったのです。
 僧行基は天平21年(749年)に今の奈良市でなくなるのですが、東大寺の大仏建立の真っ最中でした。
 しかし伝説は独り歩きを始めます。行基が発見した温泉だとされているものも、全国に10ヶ所以上ありますし、貯水池までもあります。さらに港を整備したとされる話などキリがありません。

 民衆が守り育ててきた民間伝承なのです。ありがたや。ありがたや。なのです。

 政治家ではなく、宗教家であったことが、何となく納得するところです。
 権力を握った政治家が、なんと尊敬を集めないことか。信頼されないんですよね。
 今も昔も変わらないのかもしれません。
 悲しい現実です。
 今どうでしょう。尊敬に値する政治家っています??。
 
 たぶん僧行基様がなくなって後、何十年何百年か経って後、あの行基様を身近に感じたいとか、寺側の思惑からそうしたことにしたのでしょう。
 慕われる存在なのです。忘れられない人なのでしょう。ありがたや。

 
  
 

予算委員会可決。

2010-03-24 14:38:19 | 田舎の理屈
 賛成多数。
 平成22年度予算が予算委員会で成立しました。

 日本の国は良くなっているんだろうか。
 本来予算委員会はどんな議題を論議してもいいのでしょうが、今回はこれといった内容がなかったような気がしております。

 問題がないのかといえば、政治とカネの問題は宙ぶらりんで、新党云々については深く静かに潜行をし始めております。

 今夏の参議院選挙運動の方に政治家の先生方の意識は既にシフトしているようです。
 議席さえ確保すれば、あとは何とでもなる。そうした意識を見せ付けられております。

 今度の参議院選挙、民主と自民の2大政党による初めての選挙になるのかと考えていたのですが、新政党乱立による乱立選挙となるかもしれません。

 どうも高知県の東のほうみたいな田舎の理屈は、議題にも上がらないようです。
 普天間の問題と政治とカネですからね。
 さて何人の参議院議員立候補者と意見交換が出来るか。
 待っておりましょう。

 議席確保が不可欠の課題だとすれば、田舎は難しいねえ。
 全国の田舎ネットワークが必要です。
 
 田舎のことを都会の方に机の上で解決して欲しいとおもっても、やはり無理なのです。

 



 

きれいになりました。

2010-03-24 01:33:40 | Vision East
 出会い博の観光客の伸びが好調のようです。
 よきかな。!!

 ただ、もう少し東のほうに誘導してくれないものか。
 高知県全体として、大河ドラマを契機に各地でイベントを開催しているのですが、どうも東のほうの盛り上がりがもう一つかけているのです。

 なかなかに1000人規模の誘導については難しいようですね。休日ともなると安芸市の弥太郎生家には多くの観光客がお見えになっているようですが、東に向かわないのです。

 どうも戦略的観光事業について、準備をしていなかったのかもしれません。

 だとしたら、これ以上の観光客動員は難しいかもしれません。

 しかしまだ3月末です。これからですから、期待しましょう。
 観光はこれからの高知県東部地域にとって、大切な産業ですから。
 四国観光の一部から、全国区になるいい機会なのです。

 しかし、坂本龍馬や中岡慎太郎は、偉いねえ。
 死して100年以上経っても、名前だけで人を動かすのですから。
 それより今生きているものの、なんと情けないことか。困ったことです。
 お出でになった観光客をリピーターにするためにしなければならないことが、どうもお分かりでないらしい。
 2年前の「功名が辻」と同じ流れです。
 見せるから、楽しませる。へ。
 展示物を見せて教えるから観光客が喜び感動を持って帰途に着く。満足をして帰さなければなりません。提供する内容を変えてゆく必要があるのですが、どうするんだろう。

 たとえば、彼らの墓掃除ぐらいには行かなくてはいけません。特に今収益を上げている人はね。
 京都霊山の彼らの墓地に清掃作業に行ったらどうだろう。
 そして関西ネットワークで取り上げてもらいましょう。
 ニュース性のある活動をどんどんやるべきです。土佐へ土佐へと草木をなびかさなければ、なりません。
 
 私も我が家の墓掃除に行ってきましたよ。
 眼下に太平洋を望むいい場所です。
 こちらのほうは、観光客には全く関係がないのですがね。
 きれいになりました。

知られている存在なんだろうか。

2010-03-23 13:30:21 | 好きなもの
 形がいい。

 陶磁器は好きなものの中でも、ランクは高いのです。
 なぜだかわからないのですが、好きですねえ。

 手で撫でさすりながら、手がその形を記憶してゆきます。
 あとで目が確認するのですが、大きな違いを感じたことはありません。

写真は青井戸茶碗 銘 柴田。

 東京 根津美術館にあるはずです。当然手にとることは出来ません。
 見にいったのは随分と前になってしまいましたが、記憶は、はっきりしています。

 一応重要文化財になっているのです。織田信長が柴田勝家に贈った事から、銘は柴田となっているのです。緊張感のある端正な姿かと思います。
 口が大きく開いた姿は、美しいなとおもいます。見込みは渦状になって、外側も目あとが残って、いい感じなのです。

 来歴は、はっきりしているし、茶碗の名品の一つです。

 16世紀朝鮮で作られたもののようですが、いいですねえ。
 ときどきイベントなどでお茶をいただくのですが、掌の上で形状を楽しめる器って少ないのです。

意識の差。

2010-03-22 17:38:52 | Vision East
杉並区長や前横浜市長ら新党視野

 また、新党が出来そうです。
 政治を仕事としてやっている方々と、日々の生活に追われている私共との間に、かなりの意識の差がありそうです。

 新しい政党が出来ると、マスコミはそれに食いつき、既成政党のだらしなさを大きくアピールするのです。
 
 高知県の東のほう。田舎に住む私たちにとっては、なにか違和感があります。
 彼らの言うことは決して間違いだ、とはおもわないのですが、それで何が変わるのか?。
 今やらなければならないのか。
 都市部の理論が田舎の理屈を蹴散らしております。

 人口が少なくとも、田舎でささやかに、そしてゆっくりと暮らすことをよしとするような政党は出来ないものだろうか。人口が少ないということは票もないということですが、全国の端っこには、まだまだそれなりの人達の生活がある筈ですから。

 むかし南北問題がありました。そして東西の冷戦問題もありました。いまは地域間競争が激化しております。
 地域の取り組みによって地価まで変わってきておりますから、ことは複雑です。
 同じ国の中で、豊かなところと、貧しいところが存在するのです。

 高知県の東のほうが今より悪くならないように、期待したいところです。
 聞いてみたいですね。
 新党ってイッタイ誰のための組織なのですか。
 多分「国民のため!!」と言うでしょう。
 彼らが言う国民とは何処に暮らす人達なのでしょうか。どのような生活をしようとする人達でしょうか。
 格差社会と言われ始めて、久しいのです。

 新党と既成政党の違いをはっきりと認識したいところです。