うさの珍道中

株式、時事を中心としたジャンルにこだわらない話題を何の脈絡も無く勝手放題に。あっちへふらふら、こっちへふらふら

昔々あるところに恋をした少女が・・・

2007年01月27日 03時09分16秒 | 政経、歴史、スポーツなど
昔、自分の教区を持たないが野心的で知恵もあったドイツの修道士が、食いはぐれた貴族の次男、三男や農民、盗賊まがいの傭兵などを集め、非キリスト教徒との住む土地だという理由でキリストゆかりの聖地でもないのに聖戦を宣言しいわゆる十字軍を名乗り攻め込みました。
彼の野心的試みは成功し、神の国というよりも彼の国は後々ローマ法王から正式に大司教に任命されドイツ風の教会を中心とした一大都市を築くまでになりました。
もちろん、そこには地元の人と地元の王が居て、血なまぐさい異民族征服の歴史が何世紀か続きました。

時代が下り、宗教改革の時代に英明な王の下、王政を確立した隣国スウェーデンがこの都市の支配者となります。
しかし、都市の住民は宗教的な対立、商売上の利害、言葉の違い、等などの理由でスウェーデンの支配を受け入れざるを得なくなっても、同化は拒む事を決めました。すなわち、都市の住民は一切の外国人と会うのを禁止されたそうです。

スウェーデンは城壁の外に駐留軍の宿舎を置き、駐留する兵隊は都市へは写真の門を利用して行き来したとか。
ある時スウェーデンの兵隊と恋に落ちた少女がこの門を通り密かに恋人に落ち合うようになります。
しかし、この少女は見つかって捕らえられてしまい、規則違反で門の内側に塗り込められたそうです。
それ以来、ここを真夜中に通ると、娘のすすりなきが聞こえる、といわれているそうです。

綺麗な娘さんが多い国ですから、個人的には若い娘さんの恋するエネルギーにかなうものは何も無いのであまりにもかわいそうに思い、なんちゅー酷い事をするんだとも思い、どうも不吉なので余り近づく気が無かったのですが、失念していて写真を撮ってしまいました。
ブログに書くことで許してもらおうと思います。

自分が身勝手な個人主義のためなのか、恋を優先する少女にシンパシーを感じて、宗教とか社会とかが人間性を否定する方向に行くとコワイし不幸なことだと感じてしまいます。



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7 コメント

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Unknown (うさ)
2007-01-27 14:05:05
marikaさん

今年もよろしくお願いします。
いや、本当に今年の正月は今までの不節制が一気に来た状況で未だに歯医者通いです。
それでも食い意地のはった私はですね、これをチャンスと開き直り都内の某老舗中華料理店で中華粥の全メニューを試してみました。
どれも、おいしかったですが店主に聞くとコツは一晩置くことだそうで、そういえば学生の頃、話し込んだホステスさんが「一晩置いた方がカレーがおいしくなる」とか損なようなことを言ってたことを思い出しました。
しかし、はやく治らんかなーと今日この頃。

ぱちさん

長くなりますんで、記事の方に書いときます。
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Unknown (snow)
2007-01-27 21:03:51
自分の知人になんらかの宗教を信仰されている方がいるのですが、その方曰く、「その宗教をやめたいと言ったときに、何も言わずにやめさせてくれるものだけが宗教と呼べる」ということです。

人を縛りつけるものはたくさんあって、その縛りがあるからこそ生きていける部分もありますが、気をつけてないといけませんよね。

なんて、自家製梅酒でちみっとほろよいのアホでした
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本質をつかむ (mogura)
2007-01-27 21:28:54
うささんの仰ることに強く共感します。
宗教や社会制度の基本にあったのは、「人が快適に暮らすため」という理念だった思います。
それが、いつしか人間を疎外するようになり、逆に人間を虐げる根拠となっていったのは、それを執行する人間の無能さなのか、はたまた故意によるものなのか、いずれにしても怒りに近いものを感じます。

それにしても、この少女の恋は燃えたでしょうねえ。
比べるべくもないですが、自分の場合、小心者ゆえ自制してしまった数少ない恋を思い出すに、声を大にして言いたいのは、
「たった一度の人生、もったいないことしたなあ」
ということです。
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うささん (pacino)
2007-01-28 00:14:21
うささんのおっしゃりたいことは私にも十分わかっているつもりです。なぜなら、かつては僕も宗教嫌い、というよりはむしろ宗教に対し憎悪に近い感情を持っていましたから・・。おそらくこうした宗教に対する負のイメージは大部分の日本人に共通した感情なんじゃないでしょうか。しかしそれは宗教というものが身近に存在しなくなったことで構造的に生み出されている偏見だと私は思います。つまり、日本人のほとんどが“他者としての宗教”しか知らない。要するに外側から見たイメージだけでしか判断できていないのです。宗教を「他者」として片付けてしまっているので、自らの内面に染み付いた宗教性についても往々にして盲目になってしまう・・。ある意味、宗教に対する免疫の無さは、現代の日本人の特徴の一つとも言えるんじゃなでしょうか。

余談が長くなりました・・。
私の宗教に対する偏見が薄れ始めたのは、うささんやmoguraさんの憎む暴力の根源がまったく宗教に由来するものではないということを知ったからです。「暴力」は、近現代思想史における重要なテーマの一つですが、うささんが「近代合理的な人間」とおっしゃったまさにその近代的合理性こそが暴力を生み出してきた、否、暴力そのものであるという結論に私はまったく共感します。私はここで近代的合理主義か神秘主義かという過去何度も繰り返されてきた不毛な議論をしようとしているわけではありません。ただ、もう少し自分自身の思想なり観念なりを俯瞰的に見る努力は必要なんじゃないかなということを申し上げたいまでです。例えば、中沢新一氏は、そうした近代的合理性を「野蛮」と呼びます。なぜ近代が野蛮なのか?説明すると長くなるので、以前にもここで紹介しましたが、今村仁司先生の『排除の構造』や『現代思想の系譜学』に詳しいのでもしよかったら参考にしてください。そうした哲学的営みを横目に人間の暴力性を脳科学や解剖学の観点からズバズバ切っていき、「分からねーもんは分からねーんだから悩んだって仕方ねえだろ」と言い切る『唯脳論』の養老孟司さんも僕は好きですけどね。

さてどうしよう・・ずいぶん文が長くなりましたね^^;
続きはまたの機会にします。一つだけ言えることは、キリスト教を理解せずに西欧は理解できないし、イスラムを理解せずに中東は理解できない。特にキリスト教徒は世界の人口の半数近くを占めますからね。キリスト教について知らずに死ぬのは世界の半分を知らずに死ぬのと同じではないか、そうした好奇心が僕が宗教と本気で向き合うようになったきっかけであり、また、そこから格闘の日々が始まるのですが、いよいよ長くなるのでこのへんで。
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Unknown (フラット)
2007-01-29 00:56:40
ご無沙汰しています。社会、組織の理不尽さに苦しめられている人はいつの時代にもいるんですね。金子社長もそんな被害者の一人だったんでしょう。もっとも、米国で大成功し、今は故郷で大活躍しているんで、悲劇とは無縁の人ですが。設立した会社をNY市場に上場させたんですから、世界で通用する数少ない日本人経営者です。でも、その実力は世間ではほとんど知られていませんよね。残念です。もっとも、ステレオタイプの見方を好む日本のメディアが金子社長の記事を大々的に掲載することなんて期待できませんが。(先日moguraさんが書かれていた記事が手元にあります。うささんが普段から指摘されている内容を超えない記事ですが、よろしければ送りましょうか)
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昨晩のNスペ (HTTPS)
2007-01-29 21:38:52
みなさん、ご覧になられましたか?

知っておくべき現実だと思います。
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Unknown (うさ)
2007-01-30 01:35:39
snowさん

梅酒おいしいですよねー
ブランデーですか?ホワイトリカーですか?

moguraさん

まあ、時代の違いということもあるんでしょうが、しかし恋をしちゃったものはしょうがないよなーと思います。その時は恥かしくても、後から考えると相手に言わない方が余程ねー情けない後悔をした覚えが僕にもあります。

pacinoさん

いや、だからさー誠心誠意お答えするためにですので鋭意解答準備中だから待ってね(笑)
まあ、ようするに韓国の友人と連日酒飲みに行って哲学論議中だというだけなんですが(笑)
ああ、でも日本の宗教への感覚は、ある意味安易さの裏返しなので新興宗教の例にもあるようにどっちかというとしっかりした個性の上での宗教の自由とはちょっと違いますよね。

フラットさん

くれるものは拒まず、おいしいものと旅の誘惑は拒まず、来る女の子も拒まず。去るものは何処までも・・・まってーーー(笑)が信条ですので記事くださいな

HTTPSさん

録画したんで見ておきます。
うさ珍にも目下SEが不足しています(爆)

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