諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

106 幸福の種 #5 生存充実感

2020年11月07日 | 幸福の種
富士山! 晩秋 とても遠いです(看板の左上)。日光の奥白根山から

幸福の種をテキストから拾う作業をしています。
少し単調ですがしばらく続けます。
今回は50~60/288頁を見ていくことにします。

テキスト:神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

2 生きがいを求めるこころ 前文から

【食糧<護符】
 南方で敗戦に会い、密林に逃げこんで、草や木の実や魚など辛うじて食いつないで来たという二人の元日本兵の手記をよんでみても、その長い年月の間、彼らの存在を支えて来たものはただ生物学的な「生きる意志」だけでなく、やはり二人の間の共同意識や過去の記憶、未来への希望などであったことがうかがえる。
肌身はなさず大切につけていた護符や心に抱いていた信心も、食糧や物理的な身の安全に劣らず大切な要素であったという。
結局食糧の大切さはただそれだけではあくまでも生理的なもので、身体と精神に低い次元の安定をもたらすだけではないであろうか。

【安定<生きがい】
 もし生きがいへの欲求が単なる社会的適応と安定を指向するものならば、ある集団の枠のなかでこその習俗や道徳にかなった生活様式をいとなみ、対人関係もうまく行けば、それだけで生きがい感がうまれるはずである。
ところが事実はかならずしもそうではなく、生きがいをもとめてわざわざ社会的な安定をやぶることさえある。

【「成功」<経験の「高揚」】
「あなたの行為が他のだれかにとって、いかに「成功」であるかのようにみえようとも、もしあなた自身が経験の「高揚」を感じなければ、それはあなたにとって成功ではないだろう。それゆえに時折われわれからみると成功したようにみえる人が自殺をし、世間が「偉大」であると考えている芸術家なり作曲家なり政治家なりが、人生はむなしい、といってわれわれを驚かせるのである。」
(本文中の引用 アメリカの心理学者キャントリル)


 生きがいは、食糧があることや、社会適応といった条件だけでは満たされない、内面的なファクターが大きいのだという。
神谷さんはその内面の充足感をここで「生存充実感」と名付けている。

 人は自分を生きがい感を単純な生存条件の中だけでなく、自己のこころに自問自答するように探すものであると。
「生存充実感」のために、悩んだり、迷ったりするのは当たり前だということでもあるだろう。

 よく人生を旅の例えたりする。実際に人生に迷いが生じた時に実際に旅に出たりする。
実際の幸福は「幸福駅」のような決まった目的地があるわけでものない。
だから、探すべきものとして幸福(この場合生きがい)は定義されざる得ない。
そのつもりで望むべきなのだろう。

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