諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

139 「ズレ」を考える #12 「ヘルバルト」の戦後

2021年06月06日 | 「ズレ」を考える
道! この切り立った稜線上に道があります。世にも恐ろしい後立山稜線。一番向こうが白馬岳。

戦前に整備されたヘルバルトの一斉授業は、全国の教室に浸透し、今日まで続く定型的な授業の基本的構造になったという。
そして、それへの批判として、大正自由教育では「他律的教授から自律的学習へ」「児童中心主義」「動的教育」「活動主義」が提唱され、戦後新教育では、「問題解決学習」「生活単元学習」「主知主義教育の克服」などが、戦後の「個性の尊重」の機運の中で活力をもった時期があった。

しかし、それは一時期で、明治時代以降の
・国家による教育内容の決定
・学級編成(具体的には学年制)
・一斉授業様式
・学力の評価と競争

の大枠の変化は、その後もないといっていい。

そして、この変わらない枠組の両端(可能性と限界)を、引き続き佐藤学さんの著作から引用するとその景色を俯瞰できる気がする。(『教育方法学』岩波書店)

<授業の科学的研究>
授業を観察し反省し批評するとという意味における授業の研究は、教師の文化として明治期以来の伝統を有している。しかし、授業を理論的な研究の対象とし、経験科学の方法でその過程の法則的な認識や技術的な原理の一般化を求める意味での授業の科学的研究は、1960年代以降に成立し、広がっている。
……中略……
授業の科学的研究の普及は、教師たちの授業の反省と批評のスタイルを変貌させた。それまでの授業の反省や批評が、個別の事例を「物語」や「ドキュメント」の様式で記述して話し合うスタイルで行われていたのに対して、授業の科学的な分析と一般化が追及されることとなった。テープ・レコーダーの普及による「T(教師)」「C(子ども)」の発言記録の作成と分析、「教育目標」を特殊化し明示した授業プログラムや教材パッケージの効果の実証的な検証、発問や指示や提示といった授業技術の効果に関する実証的な検討などの研究の普及である。


<学習指導要領の改訂>
1958年の「学習指導要領」の全面改訂は、教育課程行政の根本的転換を意味していた。「法的拘束力」を付与された「学習指導要領」は教科書の内容的検定の基準として機能すると同時に、カリキュラムと授業を外から官僚的に統制することによって、教育実践の自由と教師の自立性と専門性に制限を加える機能をはたしている。「学習指導要領」は、その後ほぼ10年ごとに改定されてきたが、公的標準による官僚的統制という制度的性格は今日にいたるまで変化していない。
……中略……
高度成長期は、高校進学と大学進学お受験競争が激化した時期でもある。「受験学力」のある力は、子どもと教師の意識や授業の様式にも無言の圧力となって作用し、特に中学校や高等学校の授業は、効率性を重視する講義中心の伝達型の様式へと閉ざされてゆく、小学校においても学力の定着を目的をする授業が追及され、所与の網羅的な知識を効率的に習得する日本型の授業と学習が、市販テストの普及にも支えられて全国の学校に浸透することとなる。

ここには教授技術の近代化と汎化の努力と、明治以来の教授を硬直化させる構造とがある。
ずっと、小中学校、高等学校の先生方は、限られた構造の中で最大限の効果を期待した実践を行ってきたことが想像できる。
果たして、この状況がヘルバルトのいう「品格の陶冶」への筋道上にあるのか。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、学校で国語や算数の勉強をしてきたんだよ」と子どもも教師も深いところでそんなイメージがあって、通過儀礼かのように、授業と学校生活を捉えていることが多いのかもしれない。
(けして悪い意味ではなく)案外、学校自体が壮大な形式陶冶なのかもしない。
来年「学制公布」150年になるという。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする