諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

131 「ズレ」を考える #4 自分と未来の自分

2021年04月18日 | 「ズレ」を考える
道! 日光男体山は中禅寺湖畔から直登。登山口は二荒山神社から。

前回、連合野について触れた。以下はあえて言えば”連合野の特性”の話である。

実存主義の哲学者サルトルが、人間の存在について、こんな捉えをしている。

「人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である。」

「永遠であるという幻想が失われた時、人生は意味を持たなくなる。」

人間の実情は時間の先の自分観(感)がダブって存在するということだろう。
そして、未来の自分観(感)に向けて、今の自分を放り込んでいく。
その過程の動的な感触こそが存在感であると。

本シリーズの嗜好に合わせていうなら、
未来の自分とここにある自分ともズレを意識したとき、動的になり人生の意味が感じ取れるということであろう。

自転車を乗れるようになった(未来の)自分、掛け算九九がすらすらできるようになった自分、受験して〇〇高校の生徒になった自分、あのゲームソフトを手に入れた自分、一人旅で北海道に行った自分、運動部に入って「陽キャラ」になった自分…。
そのズレが原動力になって“生きる”のである。

未来の自分との平衡状態としての現在の存在がある。
サルトルは逆説的にこのことを言っている。

「ボートを漕がない人間だけが、ボートを揺らして波風を立てる時間がある。」

※英語の名言・格言【サルトル】 https://iyashitour.com/archives/37783 から引用。

 

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