諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

130 「ズレ」を考える #3 感覚野と運動野の間

2021年04月11日 | 「ズレ」を考える
道 皇居桜田門から続く国道20号線の終点(始点)塩尻市

(ところで、脳科学から教育を考えることなど不得手というより元来難しく、あくまで大原則を書きます。)

五感から入った信号は脳の「感覚野」というところで処理され次の部屋に伝えられる。そして、その部屋から伝わってきた情報は「運動野」によって具体的な命令にされ、筋肉によって出力される。

こういう見方で考えると、眼鏡補聴器は感覚器の機能を修正したり増補したりして、感覚野で処理しやすくするものである。動画で紹介した「ユーザーインターフェイス Ontenna」も感覚野の捉える情報を、人の特性に合わせて編成し直している。

また、各種のスイッチ類視線入力装置などは、「運動野」の指示を表現可能な筋肉を最大限に活用できるようにするテクノロジーである。

つまり、ヒトは感覚器によって得た信号を感覚野という部分が受けとめ、ある意志が運動野に伝えられ、筋肉を動かすことで表現されるのである。そしてその両端には装置があり、入出力のズレを補っていると言える。

そして、あることに気がつく。
「感覚野」と「運動野」の間にある部分、つまり今「ある意志」をもつと言った部分である。こここそ入力から出力を判断する部分であるといえる。別の言い方なら人格の部分といえるのだろう。

「連合野」というらしい。



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