諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

112 幸福の種 #10 悲嘆の行く先

2020年12月12日 | 幸福の種
富士山! 初夏 河口湖から

幸福の種をテキストから拾う作業をしています。
少し単調ですがしばらく続けます。
今回は148~/288頁を見ていくことにします。

今回から7章「新しい生きがいをもとめて」に入ります。
しばらく、この読書の正念場といえるシリアスな部分続きます。だんだん幸福論は範囲が広いだけでなく、深みもあること分かってきました。
この名著の筆者は、
「どこを一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、そんな文字で書きたい、私の本は。」
いいます。そのことが実感できるものになってきました。

テキスト:神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

7 新しい生きがいをもとめて

運命への反抗から受容へ 悲しみとの融和 

【みかぎらない】
 生きがいをうしなったひとが、もし新しい生きがいをみいだしたいとねがうならば、その探求はまずいっさいをみかぎってしまいたいこの心、このはやる心を抑えることからはじめねばならない。すでにプラトンも『国家論』のなかで言っている。
「不幸な時にはできるだけしずかにしているがいい。そして不満の感情はすべて抑えるほうがいい。というのは、こうした出来事のかなにどれだけの善いものと悪いものがふくまれているか、われわれには評価できないからである。また同時に、短気をおこしても何のたすけにもならないからである。」

【悲しみとの融和】
(文中の引用部分 パール・S・バック)
「とにかく、悲しみとの融合の道程がはじまったのでした。第一段階はあるがままのものをそのままうけ入れることでした。…おそらくこの問題は決して変えることのないものであり、決して私から離れ去るものはないし、また誰も私を助けてくれることはできない以上、私はこれを認める外はないと、はっきり自分に言い聞かせた瞬間があったでしょう。(中略)しかし実際問題としてはそこへたどり着くことはできませんでした。私は何回となく泥沼の中におちこみました。」
「しかし、私はその絶望のどん底から這い上がることを学びました。…「これが自分の生活なのだ、私はそれを生き抜かなくてはならないのだ」ということを自分に言い聞かせるることをおぼえたのであります。
「…私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしているかぎり、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみはたとえ容易にたえられるものでないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのでありました。」



 河合隼雄さん
「灯りを灯さない方が見えるものがある」
という。
ネガティブな状況でもそれは何かを含んでいるはずだ。
なぜなら「どれだけの善いものと悪いものがふくまれているか、われわれには評価できない」からである。
もともと闇の中では視覚は発揮しにくい。もともとそういうものだと知るといいのだろう。
古代ギリシャの人が「短気をおこしても何のたすけにもならない」という。
どうやらこのことはこんな時の真理にちがいない。時間を感じていたい。

2つ目の引用のパール・S・バックはアメリカの作家である。
「悲しみとの融合の道程」はうけ入れ難きをうけ入れる道程である。
その先に見えたのは「生き抜かなくてならない」覚悟であり、それが何らかの行動につながっていき、「少しでも自分自身から外せることができるようになった時」道程の景色は変わってくる。

その変化は「何よりもまず時間の経過と生命力であろう」と神谷さんは言っている。
ある禅僧は、「あきらめる」とは「あきらかにみる」ということだという。

ちなみにその後のパール・S・バックは、
「最初の夫との間に知的障害を持つ一人娘キャロルがいるほか、その後は子どもの産めない身体になったために、6人の孤児を養子として自らの手で育て、(中略)国際的な人種を問わない養子仲介機関であるウェルカム・ハウス(Welcome House)も設立している。」という。(ウィキペディアから抜粋)



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