諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

111 幸福の種 #9 幸福の対極から

2020年12月05日 | 幸福の種
富士山! 春 鳳凰三山 薬師岳 から

幸福の種をテキストから拾う作業をしています。
少し単調ですがしばらく続けます。
今回は142~/288頁を見ていくことにします。

今回から7章「新しい生きがいをもとめて」に入ります。
変化の激しい状況にあって、子どもたち(私たち)は現在、未来とも必ずしも順風な時ばかりではなく、思いもつかないことに遭遇するでしょう。
「32 「坊ちゃん」のその後」にあるように、時代に翻弄される個人がどう未知の状況に対峙し幸福の種を見出すのか、そうした観点で読みたいと思います。


テキスト:神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

7 新しい生きがいをもとめて

自殺をふみとどままらせるもの

【時間と再生】
生きがいをうしない、絶望と虚無の暗い谷底へおちこんでしまったひとの多くは自殺を考える。…
生きがいをうしなった人間が死にたいと思うとき、一番邪魔に感じるのは自己の肉体であった。しかし、実際はこの肉体こそ本人の知らぬ間にはたらいて、彼を支えてくれるものなのである。さらにいうならば、その生命力の展開を可能ならしめている時間こそ恩人というべきだろう。自殺未遂者の大多数(80%)はあとで「死ななくてよかった」といい、大部分(75%)がその理由として「心がまえが変わった」と述べた調べがある。


【好奇心、反骨?、生命観】
ウイリアム・ジェイムズは「人生は生くるに値するか」という文章のなかで、たとえ宗教や哲学をもってないあいひとでも、自殺一歩手前というところで、次の三つのものによってふみととまることができるはずだといっている。
第一は動物ですら持っている単純な好奇心で、人生にまったく生きる意欲を失った人間でも明日の新聞に何が載るのだろうかと、次の郵便でなにが来るかを知るためでも(自殺を)あと24時間のばすことができる。
第二は憎しみや攻撃心であって、たとえ心のなかで愛や尊厳のような感情が死んでいても、自分をこんなひどい目にあわせるものに対して戦おうという感情に支えられつこともできる。
第三は名誉心で、自分というものの存在を可能ならしめるためには、どれほどの犠牲が払われたか、たとえばどれほどの動物が自分を養うために虐殺されて来たかを考えれば、自分もまた自分の分を果たし、これくらいの悩みは耐え忍ぼうという気をおこすのがふつうである、といっている。


【仕事に向かうこと】
「人間の苦しみには際限がない。「もうこれで海の底へとどいたーこれ以上の深みに落ちることはない。」と考えていると、また更に深みに落ちて行く。こうして永遠に続くのだ。…
苦しみも克服できるものだという私の信条の記録を残さないで私は死にたくない。私はそれを確信しているのだから。…
生は一つの神秘だ。恐ろしい苦痛もやがて衰える。私は仕事に向かわねばならない。私は自分の苦悶を何ものかになげこまねばならぬ。それを変化せしめねばならぬ。「悲しみも喜びに変えられるべし」。」
(キャサリン・マンスフィールド)


今回の内容からこの本は深みが増す。
生きていることの一筋縄ではいかない部分に立ち入っていく。
核心部でもあるがブログの紙幅にあまるので、最小限の引用になる。

自殺を思う時は、もっとも幸福とは遠いところにあるだろう。
止まった時間の中では、氷ついた自分しか感じられない。皮膚の冷たさがすべてである。時間軸が思い出せない。
氷がとかせなくとも、「君は動かなくても氷はとけてくるよ」と囁くのは、第2者ができる最善のことかもしれない。
また、氷をとかす熱源は意外に近いところにあるとことをジェイムズは示唆している。具体的だ。

「私は仕事に向かわねばならない」というマンスフィールドは肺病の療養中の言葉であるという。
そういえば、ベトナム戦争を従軍するように取材した開高健はよく色紙に
「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」
と書いた。
そういう覚悟によって「心がまえが変わ」るのであろう。

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