夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

幽窓飛鳥図 鈴木松年筆 その5

2015-08-07 05:14:58 | 掛け軸
今年の夏は引越しの準備のため帰省ができそうにありません。猛暑の中の作業で憂鬱ですが、やるしかない・・・。帰省は9月の連休になりそうです。引越しはその前後のいずれか・・・。
引越し先でのブログ作成はできないため、しばしブログの投稿は休止か、残留原稿からの投稿となりますのでご了解願います。新規投稿のないときの「人気記事」は意外に「良いや面白い作品」へのアクセスが多いのは驚きです。読者は目利きのようです。

ところでいつかは欲しいと思う上村松園の作品ですが、上村松園と縁が深いのは本ブログでおなじみの鈴木松年です。

鈴木松年は上村松園の最初の師としても知られていますが、上村松園は父親ほども歳の差のある妻子もちの師、鈴木松年と恋仲になり、最初の子ども(松篁ではありません)を身ごもったことはあまり知られていません。人知れず、生まれた子どもは女の子で、すぐに里子に出さましたが流行の病で早世しています。このときの松園の嘆き、苦しみ、後悔はいかばかりであったでしょうか。鈴木松年に内緒で子どもを生み、そして亡くした松園は、新たな師をみつけ入門しますが、ことごとく罵倒され居心地は悪く死ぬほどつらかったようで、入水しかけますが亡き女の子の泣き声で思いとどまったそうです。

鈴木松年とまたよりが戻り、長男松篁(しょうこう)を出産しました。上村松園は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら育て上げ、松篁も長じて日本画家になり文化勲章を受章しています。上村松園の生涯はすごい、現在の少子化・晩婚・未婚の時代の趨勢・・・、今の女性は気概を少し見習ったほうがいいようです。

さて本日はその鈴木松年の作品です。非常に多作の画家で、現在の評価は高くありませんが、非常に画力の有る画家です。

幽窓飛鳥図 鈴木松年筆
絹本水墨着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:縦2235*横548 画サイズ:縦1322*横408



箱には「辛亥(かのと い、しんがい)清和月於老龍館 松年僊史題函面 押印」とあり明治44年(1911年)、松年が63歳の作品と推察できる。清和月は旧暦4月の異称で初夏を示し、現在の新暦では4月下旬から6月上旬ごろに当たります。

 

明治32年(1899年)日本絵画協会第七回日本美術院連合第二回展で「秋林」が銅賞を受賞し、その評では「林中の秋気を描写して憾みなし。徒に古法に倣わず、また奇を衒わず、善く彩色を用いて清涼なる光景を現せり」と賞賛されています。



本作品は鈴木松年の山水画の傑作としてよいでしょう。



同時代の競合する画家たちとは諍いが絶えなかったらしく、特に幸野楳嶺と犬猿の仲はよく知られています。ただし、これは自らの画名を高めるための一種のパフォーマンスと解釈する向きもあるようです。松年とは比較的仲が良かった岸竹堂が、楳嶺との仲を取り持とうとすると、「交情が悪い方が却って競争になってよい」と言って断っています。また、ある日楳嶺が和解を申し込んだ際もこれを断っているけれども、楳嶺が亡くなった時真っ先にお悔やみに訪れたのは松年だったという逸話も残っています。こうした態度は、松年が「長期庵の展観」と題する随筆で語っていますが、かつて岸駒がわざと円山応挙の画を酷評して注目を集めて名を上げた、という逸話に倣ったとも考えられます。また、松年は同門の今尾景年も牽制し、「友禅の下絵なら景年さんにいくがええ、掛物が欲しいならわしが描いてあげる」と放言するが、年長の景年は気にせずただ黙々と絵を描いていたという。



資金をあまりかけずにいい作品を集める対象にはもってこいの画家ですが、多作ゆえ出来不出来もありますので、いい作品に狙いを絞って蒐集するといいでしょう。


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