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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

浮世絵やの娘 中原淳一画

2019-05-07 00:01:00 | 掛け軸
中原淳一・・・、どこかで聞いたことのある・・・、思わず調べもせず購入

こういう衝動買いは後悔も多いのですが、蒐集する者には必要な悪癖です。

浮世絵やの娘 中原淳一画
紙本着色軸装 軸先骨 誂箱
全体サイズ:縦1250*横320 画サイズ:縦358*横249

  

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中原淳一:(なかはら じゅんいち)1913年(大正2年)2月16日 ~ 1983年(昭和58年)4月19日)。画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長男は画家の中原洲一。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。孫は俳優・声優の加古臨王。

先祖は物部姓中原氏といわれる。 幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となる。

竹久夢二に強い影響を受け、若い頃は神田神保町で夢二の本を買い集めたという。



太平洋戦争後は、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいとの理想に燃え、自分の雑誌『それいゆ』(1946年)や『ひまわり』(1947年)や『ジュニアそれいゆ』(1954年)、『女の部屋』(1970年)を相次いで創刊。編集長として女性誌の基礎を作っただけでなく画家、ファッションデザイナー、スタイリスト、インテリアデザイナー、人形作家など多彩な才能を発揮。その全ての分野において現代につながる先駆的な存在となった。

しかしながら1958年(昭和33年)半ばより、中原自身が病に蝕まれるようになり、1983年に70歳にて逝去するまで療養と闘病を繰り返しながらの芸術家活動だった。

2000年(平成12年)に山梨県河口湖に中原淳一美術館が開館(2005年に閉館)



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作品は版画に一部手彩色?



肉筆のようで肉筆ではない。版画のようで版画でもない。棟方志功のような版画???



家内曰く「あれ? そうしたの? 中原淳一?」だと・・・。



小生の趣向からするとあり得ない取り合わせのように家内は思っているようです。



落款のシールが裏に貼られていますが、こちらも版画?

 

とにもかくにも価値など当方ん知る由もない作品のようです。


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