
2階の寝室から庭を眺めていたら、ちょうど枝垂れ紅葉が見頃となっていました。

ちょうど庭に出ていた家内が「今日が見どころの最後かも?」とのこと。

今年はとくにきれいな紅葉のようです。登山をしていた頃は涸沢の紅葉や蔵王の紅葉を観に行ったものですが、今は身近の紅葉で満足しています。

さて茶室には壁掛花入がひとつは欲しいグッズですね。

壁掛け花入れとしては、竹製もありますが、陶磁器では信楽焼の蹲、そして越前焼の鉄漿(お歯黒)壺などが代表的でしょう。本日紹介する小さめの南蛮焼もそのひとつですね。

南蛮粽花入 江戸前期
合箱
口径58*胴径125*底径*高さ170

クマガイソウを活けた時の写真です。

当時のままと思われる縄が味わいがあります。

南アジア製の古来より黒褐色をした焼締陶器を、茶人の間では南蛮と総称し、「口を鐔(つば) 状に薄く作り胴を膨らまれて苞(つと)のような形をした瓶を「南蛮粽花入」と呼んでいるとのこと。

この花入れも古い品で、約300年前の時代と推定しています。この形状の花入れは粽(ちまき)の形に似ていることから「粽花入」と称され、茶人に愛用されてきました。粽形の中でも大振りでふっくらとした形状です。

さてもともとこの壷に入れられていたものは、
1 砂糖漬(フルーツなどを砂糖に漬けたものらしい)
2、油、
3、伽羅(香木)、
4、火薬原料(硝石だろうね、硫黄は日本でよく採れる)、
5、水銀
が候補に挙げられます。

容積600ccの南蛮は、口径が3cmほどと狭いことから、砂糖漬、伽羅などの固形物は考えにくいでしょう。火薬の原料は硝石なのだろうから、細かく砕いてあれば可能性がなくはないと思われます。
しかしやはり流動物を入れる容器として使われたと考えるのが妥当なようです。しかし果たして水銀を大量の600ccも入れて運ぶものなのでしょうか?
油入れとして使うなら椰子油とか、アーモンド油とかなのだろう。とりあえず、油あたりの可能性が高いと推測されますね。種という可能性もあリますが、種なら信楽のように水漏れして中で腐らないようになっているはずですね。

製作地は胎土や成型の技法などから、ベトナムを始めとする東南アジア産とする可能性が高いとされています。

南蛮焼について
南蛮焼というのは、中国南部・ルソン・安南などから輸入された炻器(せつき)のことで、紫黒色で無釉(むゆう)のものが多く、日本では茶入れ・茶壺・水指・建水などに用いられてきました。各国産のものが混在しており、作風は一定していません。

南蛮島物はほとんど呂宋(フィリピン)と阿嬬港(マカオ)との製品とすることがありますが、これらの地はただ陶磁の集散地であっただけで産地ではないようです。中国明代の広東窯はフィリピン、ボルネオその他南洋諸島に大小各種の陶器を輸出したので、南蛮焼といわれるものの大部分は中国南方の生産と思われ、南蛮芋頭水指という伝世品に万暦(1573-1619)の年款のあるものもあります。

そのほか安南(ヴェトナム)・迢羅(タイ)あたりの粗製品も混在しているようで、またインド文のあるものもあるのでインド産の一部も南蛮焼と呼ばれていたことがわかります。

南蛮焼と呼ばれるものを通観してみると、一定の作風がなくまた窯印もほとんどなく、多くは紫黒色の妬器質で、無釉の作品に頑健な味があるようで、またなかには施釉の作品もあります。

『万宝全書』は「南蛮焼は下品なり日本の備前焼物を見るが如し」といいます。備前焼と南蛮焼は無釉の焼締という似たような器とみなされていたようです。「下品」というのは今とは意味合いが違うでしょう。

国内の南蛮写しは備前・伊賀・京都・信楽・常滑・瀬戸・丹波・萩・唐津・高取などにあります。

いろいろな資料から調べてみた項目を列記しましたが、ともかくこのように調べることが面白い・・。

とりあえず調べるのはこのくらいにして、ここまでの資料を保管箱に作品と一緒に入れておきます。また使う際に新たなことがわかるかどうか調べてみましょう。