夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

有餘図 内海吉堂筆

2011-12-10 04:29:16 | 掛け軸
連敗気味のコンペにて勝ち・・、ゴルフではありません。仕事の話です。改めて後継に成功体験をさせる意義を感じました


本日は「忘れ去られた画家シリーズ」で投稿しました内海吉堂の二作目です。鯉の名手として高く評価されたいますが、その若き頃の作品です。師は先日投稿しました塩川文麟です。

本作品は鯉の絵で知られる内海吉堂の作品の中でも傑出したものと思われます。少々、表具やシミがあるので改装の必要があるのが難点ですが・・。

有餘図 内海吉堂筆
紙本水墨 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1880*横652 画サイズ:縦1368*横493



賛に「甲申晩春写於平安兼□楊柳室南越布衣(出身地の地名)吉堂海復」とあることから明治17年(1884年)晩春の作で、内海吉堂が35歳の作品です。



「吉堂之印」の白方印、「南越(福井県中央部の地名)内海復章」の朱方印が押印されています。



「有魚(有餘)」は直訳すると「魚がある」という意味ですが、実は「魚(yu)」の発音が「餘(=余)(yu)」の発音と同じなので、「魚」と「余」を掛けているのです。

「年年有余=毎年余裕がある」の意で、転じて、「毎年余裕のある生活が送れますように」という意味で、吉祥のシンボルとされてきました。



「年年有餘 双鯉」は二匹の向かい合う魚、双魚は吉祥のシンボルとされ、魚の音が「餘」に通じ、「年年有餘」(年毎に良くなる)というモチーフとして好まれます。

また中国では向かい合う一対の鯉は「相思相愛」の象徴であり、結婚式の贈り物などでも欠かせないアイテムです。



鯉はたくさん子供を産む、ということから、子孫繁栄や子宝に恵まれるように、との願いも込められています。『水を得た魚のよう』という例えは新婚夫婦の幸せな生活の様子を表したとされます。

こういうことを調べて知ることも骨董の楽しみのひとつです。私も購入してから知ったことです。



内海 吉堂 :1849~1925。嘉永2年(1849)12月3日福井県敦賀生まれ。父は内海元紀。本名は復、字は休郷、通称は鹿六。滋賀県湖東の医師・小菅兎峰について漢学を、のち京都に出て四条派の塩川文麟に師事する。花鳥画、特に鯉画を得意とする。明治初年中国に遊学すること2回、各地の旧跡名画に接して研鑚、南画家の道に進む。明治21年京都府画学校に出仕。明治30年第1回全国絵画共進会に『武陵桃源』、明治32年第2回に『東坡遊石鐘山』で銅牌、明治40年『松巒瀑布』で三等銅牌となるなど日本美術協会展で受賞を重ね活躍する。大正元年第6回文展に『船過孟浪梯図』で、翌年第7回文展に『江南春靄』で入選する。大正14年(1925)10月9日京都市で歿、75歳。

中国画の大家である任伯年が義父にあたるとか?? まだ未確認です。


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